08 騎士と妖精

 アリスの空腹が満たされるまで、ユーナとフィヤは水飴草の蜜を探し周り、時折見つけた木の実等も採り、三人は食事を続けた。

 飛び回る二人の妖精の動きを見てみると、思いの外に違う部分が多い事に気付く。

 ユーナは飛び方がそもそもアリスの知る生物の飛び方ではない。これは呪猖(じゅしょう)との戦いの最中に見せた、爆発的な飛翔の時にも解った事だが、ユーナは翅を羽ばたかせて飛んでいるわけではないようだ。

 妖精の翅、と言うとフィヤの様な、蝶の翅、虫の翅を想像するものは多いだろう。実際、フィヤはその想像通りで、鮮やかな翅を羽ばたかせて飛んでいる。だがユーナの翅はアーモンドを半分に切った形の厚みがある独特なものだった。カブトムシ等の甲虫の鞘翅(しょうし)と呼ばれる固い殻の様な翅が雰囲気としては近いのだが、それでも鞘翅はカバーの構造なので厚みには限界がある。ユーナの翅は半分にしたアーモンド形の内側まで構造があるのだ。

 そして、ユーナはこの独特な翅の裏側から何かを噴射し、その反作用で飛んでいる。普段は見えないが、緊急時に加速等をすると青白い炎の様に見えるようだ。これに気付いたのは、ユーナが草の上に着地した時や、花や葉の横を通り過ぎた際にそれらが揺れる事に気付いたからだ。この翅の構造や飛翔方法が妖精にとって稀なものであるのかはアリスには判断が付かなかったが、少なくとも仮に地球上においてならば珍しいものである事は確実だろう。

 ユーナのその飛翔方法は速度に勝る。水飴草や木の枝に生る実を探す為に飛翔、上昇する際のユーナの動きは機敏だ。アリスの知識の中で例えるとするならば、ホバリング(空中で静止する)が出来る航空機の挙動だ。父の仕事を知ろうといくつかの本やインタネーットでの情報を探った際に得た知識から、いくつかの航空機を思い起こす。つまるところ、ユーナの動き方はそういったものに近い。

 ではフィヤは、と言えばまさしく昆虫類の動き方である。それこそ翅の形そのままに、蝶の羽ばたき方で飛翔する。しかし妖精は小さいとは言え、実際の蝶や蛾にしてみれば大きい。その分だけ重量があるはずで、羽ばたく回数や動きが多くなるはずなのだが、特にそういったものは見られない。ひらりひらりと目で追える程度の羽ばたきで身体を浮かせて飛び回っている。

 魔法が存在する世界である。妖精と言う、それこそ魔法の世界の生き物であろうから、飛ぶ際に魔法の力が働いているのかもしれない。

 そんな事を考えている内にフィヤが水飴草を見つける。動きならばユーナの方が速い。しかし水飴草を見つけるのは圧倒的にフィヤの方が早かった。フィヤは水飴草から生まれたと言うし、何か適性があるのだろうか、そんな事を考えつつ、アリスは立ち上がり見つかった水飴草の方へ歩いた。


   ◆


 休憩も終わり三人は再び歩き出した。ユーナが目的地の方角を知る魔法を使い、フィヤがその方角を確認して間違いがない事を確かめた。フィヤも同じ守護の樹の方面から来たようだ。

 歩き出してから、アリスが疑問を口にする。

「そう言えばさ、フィヤはなんであの草むらに居たの?」

「と、言いますと?」

 尋ねられたフィヤが小首を傾げる。

「えっと、ここから守護の樹までもう少し距離があるんだよね。水飴草の蜜を集めていたんだろうな、ってのは解るんだけど、それなら守護の樹の近くで集めればいいんじゃない? 遠くに行くと今回みたいに危ない目に遭うかもしれないし」

「気質の違い……でございますが、何から説明しましょう」

 先導していたユーナが速度を落として会話に入り込む。

「凄く簡単に言うとね、妖精って生まれた時に大まかな気質が決まるんだよ」

 ユーナが小さな手の指を二本立てて続けた。

「一つは集まる者。生まれた場所とか、守護の樹とか、あとは仲の良い妖精達で作った集落とか、そういう場所に集まろうとする気質があるの」

「群れを作るって事?」

「うん。妖精の集落の中心にいる子とか、後は女王様とかもそういう気質なんだ。そしてもう一つが飛び回る者。こっちは逆で、色々な所に行こうとする気質」

「旅人みたいな感じかな」

「そういう子もいるね。大抵は生まれた場所や、集落とかを家や拠点にして色々な所に行って、戻ってきて休んで、またどこかに行くの。私は鳥の巣から生まれたからどこかに行こうとする気質があって、フィヤは水飴草が種子を鳥に運んでもらう性質があるから同じ気質」

 ユーナは説明を終えると立てていた二本の指をしまう。一度翅を羽ばたかせてアリスの横についた。

 ふむ、とアリスが頷いて、話を続ける。

「その飛び回る方って、危ない場所に行くかもしれないって考えが出た時はどうしてるの?」

「それについてですが、まず危ない場所と言う前提から違うのです」

 フィヤが少し前に出て説明を始める。アリスは小首を傾げながら説明に耳を傾けた。

「本来、この森は妖精にとって危険な場所ではないのです。森には様々な動物や虫、植物が生きておりますが、妖精はそのいずれからも襲われる事が無い存在です」

「それはどうして?」

「私達、妖精が食べ物にならないから、と言われています。生き物がなぜ他の生き物を襲うのかと言えば、多くは自身を守る為、あるいは食べる為でございましょう。しかし我々は食べても腹を満たす事が出来ない、故に襲われない……と。詳しくは私も存じないのですが、妖精とは自然の中に起こった出来事が形を成したものなのだそうです。自然の恵みを食す動物は居ても、自然の出来事を食す動物はいないでしょうから」

「不思議。でも、うーん、食べてもお腹一杯にならないものをわざわざ襲わない、か。そうなるのかな」

「その中であえて例外があるとすれば、まず人間です。人間は都合と理由があれば私達妖精を排除しようとするでしょう。しかしこの森にわざわざ入る人間は非常に稀ですし、更に言えば危険なだけの存在ではないのも人間だと、私達は知っています」

「共存も出来るって事だね」

「はい。そして最も危険な例外が呪猖です。あれはこの森に長くから根付く呪い。先程の様に、時折大地の檻を抜け出し、地上のありとあらゆる生物を攻撃します。しかし、それも遭遇する事は稀です。もし出遭ってしまっても、とにかく逃げて、虫鐘を使って周囲に危険を知らせ……時には集落を捨てる勇気を持ち、呪猖が消えるまで身を隠せば……安全とは言い難いですが、逃げる事は出来ます」

 先程の、黒い花の呪猖との出来事を思い出す。

 結果的に撃退は出来たが、もしあの場にアリスが居なければどうなっていたのだろうか。呪猖が跳躍するという特性には驚いたものの、攻撃を防ぐ事が出来る障壁の魔法が使えるフィヤと、そもそもの飛翔速度が速いユーナである。

 この二人だけであれば逃げ切れたのかもしれない。

 フィヤが続ける。

「ですから、私達、飛び回る者は、確かに呪猖と言う大きな脅威こそあれど、この森の中ならば本来は安全に行動出来るのです」

「鳥とか動物とかに突っつかれたりしないんだね」

「私もフィヤも出来ないけど、鳥や動物と何となく意思疎通が出来る子も居るよ。そういう子は逆に仲良くなれる」

「ファンタジーだなぁ」

 大まかに納得したであろうアリスの様子に、フィヤがくすりと笑って話を続けた。

「でも、きっと……。気質の話に戻りますが、とても単純な話なのかもしれません」

「それは?」

「集まる者ばかりでは食べ物に困ってしまいます。飛び回る者ばかりでは家族が出来ません。妖精の気質とは、そういった単純な事なのだと思います」

 家族。その言葉によって、アリスの脳裏に父と母の顔が浮かぶ。厳つい顔立ちだが常に笑っていた父の顔。常にふわふわとしていて捉え所が無い優しい母の顔。

「そっか。家族に……きっとそういうのなんだろうね」

「アリス?」

 僅かに言葉が意気消沈している様子に気付いたユーナが、アリスの顔を覗き込む様に見上げていた。その様子を見て、アリスは自分が俯きがちになっていた事に気付く。

 顔をすっと上げた。

「ううん、なんでもない。そうだ。まだ解らない事が一杯あるの。教えてくれる?」


 フィヤが前を飛び、二人を誘導する。ユーナは空中でくるりと横回転をし、羽を広げてアリスの方を向いた。勢いで黒紫色の髪が流れ、ワンピースドレスの裾が翻る。翅の角度を調整すると、ユーナは器用にも後ろ向きのまま飛翔を続けた。羽ばたくのではなく、翅からの噴射による推進力で飛んでいるユーナならではの飛び方であろう。

「それじゃあ説明するね。えっと騎士様の事だっけ」

「うん。森に来た時にちょっとだけ説明されたんだけど、さっきの黒い花……呪猖。あれと戦うのが騎士って事だよね」

「そう! 騎士様。人間の国だと爵位とか色々あるみたいだから、区別して妖精騎士って騎士様達は言ってるよ」

「妖精騎士か……それだと妖精の騎士みたいに聞こえるけど」

「言われてみれば。でも妖精には貴族とかそういうの無いからね。女王様は居るけど、別に国があるわけじゃなくて、人間との交流がある時に代表としてお仕事をしたり、あとは災害の時とかに皆に指示をする役目なんだよ」

「そっか、なら混乱はしないのかな。それで、どういう人が騎士になるの?」

「色々な人が騎士様になってるんだって。でも、この森は人が寄り付かないから、何か理由があって森の中に入って、そのまま居続けている人が多いみたい。そして『鏗戈』(うか)の出来る妖精と契約して呪猖と戦うと、騎士様って呼ばれるようになるの」

 耳慣れない言葉にアリスが顔を上げた。

「ウカ?」

「そう。鏗戈(うか)。私達妖精の、呪猖に対する最後の手段」

 器用に後ろ向きに飛ぶユーナの表情が真剣なものになった。声色も少し低くなる。

 アリスはその変化に驚き、これは重要な話なのだろう、と少し背を伸ばした。

「この森の妖精はね、ずっと長い間、呪猖と戦ってきたの。……あ、と言っても、私は生まれたばかりだから全部聞いた話だけどね。それで、戦うと言っても逃げ回って呪猖が自然に消えるまで待っていただけで、倒す事なんか出来なかったんだ」

 アリスはこれまでの話と、実際に目にした呪猖との遭遇を思い出す。ユーナとフィヤの行動の最初にあったのは、いずれも逃げるというものだった。

 そしてそれは正しいのだろう。攻撃を行える妖精も居るのかもしれないが、少なくともアリス達が遭遇したあの小さな黒い花の呪猖でさえ、何人の妖精がどれほどの消耗を強いれば勝てるのか感覚が掴めない。

 咄嗟にアリスが黒い花の呪猖を蹴り飛ばしたあの攻撃でさえ、妖精にとっては何人分の攻撃となるのだろうか。しかもあの呪猖は『小さな呪猖』だと二人の妖精は言っていた。

「でもいつからか逃げるだけじゃなくなった。鏗戈、っていう不思議な魔法を持つ妖精が出てきたの。自分の魔力と形を変えて、意志を騎士に託す。騎士は託された意志と鏗戈した妖精を揮(ふる)って呪猖と戦う、そういう関係が出てきた。それが妖精騎士」

「意思を託す……?」

「鏗戈した妖精の姿は、その妖精の特性と騎士の強い想いによって変わるんだよ。大抵は戦う為の武器になるよ」

「それで呪猖と戦うって事?」

「うん。鏗戈した妖精と契約をした騎士は、妖精の持っていた魔力も加護として受け継ぐの。そうすると身体も強くなる。アリスを星渡りで連れてくる時も同じだったんだよ。私を異界から護る魔法が、アリスにも受け継がれて魂を護ったの」

 ユーナは一度言葉を切った。視線を少しだけ下げ、何か考えた様子で、僅かに間を開けてから話を続けた。

「……呪猖と戦う為に妖精が生み出した鏗戈という魔法は……悔しいけど、誰かに戦って貰う為の力なの」

「ふうん……」

 アリスが頷く。その視線の先に居るユーナは、真剣な表情のまま俯きがちになっていた。

 そこに先導していたフィヤが振り向きつつ会話に混じった。

「確かに悔しくはあります。それでも、鏗戈が出来るだけでもユーナは良いではありませんか」

「それは、そうなんだけど」

「どういうこと?」

 フィヤが先頭から下がりつつ話を続けた。

「鏗戈が出来る妖精は限られているのです。魔法と言うよりは……体質や特性と考えて下さい。実際、私達も鏗戈が出来るか否かを鏗戈特性と呼びます」

「誰もがその、ウカってのが出来るわけじゃなくて、特性を持っている妖精だけが出来るって事?」

「はい。例えば私は鏗戈特性を持ちません。ある日、突然に鏗戈特性に目覚める場合もありますけれども。そしてユーナは生まれついて鏗戈特性を持っているのです」

「うん」

 ユーナがこくりと頷く。

 アリスはユーナとフィヤを見比べた。多くの違いを持つ二人である事は違いないが、何をしてその鏗戈特性とやらは決まるのか。それは判らない。

「ですから、ユーナはもしもの時に誰かと共に戦う決断が出来る。その選択肢があるのです。唯々襲われるだけの存在であった妖精が、どんな手段であれ、立ち向かう力を手にする事が出来る。私には出来ませんから……」

「星渡りに志願はしたけど、私もそこまで覚悟がしっかりと決まっているわけじゃないんだけどね」

「うーん。なるほど、えっと」

 アリスは両手を動かして、話を整理しようとした。二人の妖精の様子は真剣なものだ。この話は恐らく、妖精という存在にとって大きな意味を持つ物なのだろう。

 それまでが真剣ではなかった訳では無いが、アリスは話を噛み砕いて飲み込む事に努めた。一つ一つ確認する様に呟く。

「つまり。妖精の中には鏗戈って言う特性を持つ子がいる。そしてその特性で誰かに戦う力を与える事が出来る。その力を得たのが妖精騎士。そして妖精騎士は呪猖と戦う事で、この森と妖精達を守る。そういう、事でいいのかな」

「うん」

「その通りです」

「そっ、か」

 星渡りとは、恐らく別の世界へと移動する魔法の事なのだろう、とアリスは推測した。そしてユーナは騎士を探す為に星渡りをしたとフィヤが言っていたのを思い出す。

 あの時――アリスが死んだ時。アリスはこの妖精の為に何かが出来ないかと願った。

 しかしユーナの目的は騎士たる者を探す事。アリスは自問自答する。自分は呪猖と戦えるだけの、騎士たる存在だろうか。ユーナの願いに応えられるだろうか。

 それは否であろう。

 妖精騎士。アリスには程遠い言葉に、二人の妖精の真剣な表情に、胸が痛んだ。

 アリスは戦える人間などではないのだ。その様な力すら無い。黒い花の呪猖との戦いは、ただアリスの身体が大きかったが故に勝てただけに過ぎない。

 事実、呪猖を撃退した直後には、息も絶え絶えに疲弊して倒れてしまった。

 三人は森を進む。気付けば日は傾き、青空には赤い色彩が引かれ始めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る