06 妖精と呪猖

 二人の前に現れた妖精は、一言で言えば鮮やかだった。

 蝶と同じ形状の二対四枚の翅は、外側から内側に向かって赤、橙、黄のグラデーションで彩られており、翅の輪郭を緑が飾る。

 それに負けない程の鮮やかさを持つ金色の髪を腰まで伸ばし、エメラルドグリーンの瞳が更に色彩を引き立てる。胸元までのベアトップに、フリルで装飾されたティアードスカートは共に色濃い黄で染められており、緑の糸で刺繍された幾何学模様が蔓草の様に伸びていた。鮮やかな色彩に包まれた四肢は白く、しかし所々に血色の良さが艶めいている。

 ユーナの黒紫色の髪と、一種独特なアーモンド形の白亜の翅が醸し出すミステリアスな印象と比べると、随分と違う方向性の雰囲気を纏っている。さながら踊り子の様な躍動感を感じさせる妖精であった。

「妖精だ」

「フィヤ!」

 アリスとユーナが同時に声を上げた。フィヤと呼ばれた鮮やかな妖精が、ユーナをしっかりと抱いて嬉しそうに笑った。ユーナの顔が胸に埋まる形になったので、フィヤの方が頭一つ分ほど背が高いようだ。

「おかえりユーナ! 戻っていたのね」

「うん! フィヤも元気そうで良かった」

 二人の妖精が踊る様に空中でくるりと回りつつ、互いに労い合う。

 フィヤはしばらくユーナと抱き合った後、翅を素早く羽ばたかせ姿勢を正し、アリスの方へと振り向いた。

「初めまして騎士様。私はフィヤ。水飴草より生まれし西の森のフィヤと申します。ユーナとは歳も近く、幼馴染でございます」

 フィヤは名乗ると、黄色いティアードスカートの裾を持ち上げて空中で挨拶をする。その様子を見てユーナが慌てて説明をする。

「フィヤ、待って。アリスは騎士じゃないの。確かに私が星渡りで見つけてきた人なんだけど……」

「まぁ。でも騎士様を探す為に星渡りをしたのでしょう?」

「ええっと、うーん」

 説明に困り始めたユーナと、小首を傾げているフィヤ。アリスにも説明出来る事は少ないが、取り敢えず屈んで目線の位置を二人の妖精の高さに合わせた。

「初めまして、フィヤ。わたしはアリス。苗字は藤宮マリークラリッサで、名前がアリス。よろしくね」

「アリス様……。フジミヤマリークラリッサ、耳慣れないお名前と家名、お召し物も。やはり異国の方なのですね。さぞ名立たる貴族なのでございましょう」

「え、貴族? 違う違う! わたしの国には貴族とかそういうのは無くて、えっと、平民、かな。うん」

「まぁ。ですがその黒いお召し物はとても良い生地を使っておられるとお見受けします。染色もとても綺麗。美しい黒は染めるのが難しいと聞きます。折りひだも丁寧ですし。商家の方なのでしょうか?」

 フィヤは両手を胸の前で合わせて小首を傾げている。

 アリスにしてみれば、例えばユーナのワンピースドレスや、フィヤのドレスは民族衣装的な印象を受けるものの、元の世界に存在していても違和感は無い代物である。妖精自身が小さいので細かい部分を見れば差異はあるのかもしれないが、少なくとも奇妙な部分は見受けられない。

 しかし今先程、フィヤはアリスのセーラー服を見て珍しいとする感想を言っていた。生地にまで深く思いを巡らせた事は無かったが、確かに学校の制服である、生地は良いものだろう。それでも既製品であるし、ありふれているものだ。

 苗字と名前は――少々珍しいかもしれないが、それでも諸外国から見ればそこまで奇異ではないはずだった。それを耳慣れないと評する。少なくともこの大森林に棲む妖精にとってアリスは特異な異邦人として見られるのだろう。下手に目立つのは良くないだろうか、場合によっては現地の、この世界に合わせた服装などを用意した方が良いだろうか、などとアリスは考えつつ、フィヤに対して言葉を続けた。

「えっと、わたしは事故か何かに巻き込まれて死にそうになってたんだけど、そこでユーナに助けてもらって……と言うかこの世界に連れてきて貰ったの。その『騎士』ってのが何なのかまだよく解ってないんだけど、多分違うと思う」

「まぁ……。大変な目に遭われたのですね。死に瀕して……なるほど、ユーナならば手を差し伸べようとするでしょう。ならば騎士様では無いのだとしても、星を渡る旅人には歓迎を。改めましてアリス様、ようこそ霊樹の森へ」

「そ、そのアリス様っての、くすぐったいからアリスでいいよ」

「そう申されましても! この森に訪れる人間の方は大変珍しいのです。まして星渡りをしてきた方となれば、しっかりと迎え入れなければ失礼となりますもの」

「ねぇアリス、フィヤは真面目な子だから多分駄目だと思う」

「ううーん」

 そんな自己紹介を続けている内に、まず先にアリスの仮初の肉体が限界を発した。小さな腹の音が囁く。それは二人の妖精にも十分に聞こえる程の囁きだった。

 そう、食べ物を探している最中であった事を思い出せと言わんばかりの、本能に忠実な訴えだった。


 アリス、ユーナ、フィヤの前には暖色が眩しい花が群れて咲いている。青々とした葉は細長く、単子葉植物の特徴を備えている。太い茎がすっと伸び、先端で折れ曲がり、その先には蕾状に膨らんだ花弁が下を向いて付いていた。地球の植物で言えばユリ科の植物に近い様相である。

 花弁の色は目の前にあるものだけでも赤、橙、黄と暖色系のものでまとまっており、それはフィヤの妖精の翅や服装と同系統の色合いで、鮮やかである。並べばよりその鮮やかさが相似する様子は顕著で、花の色合いを写し取った妖精がフィヤであれば納得する者は多いだろう。

 そんな花の横にフィヤが立っていた。翅を畳み地面に降り立っている。植物の葉を巻いたものであろう籠を両手で抱えており、それは先程フィヤが現れた草花の茂みの中に置いてあったものだ。

「それではアリス様、この籠をお持ち下さい」

 フィヤが両手で抱えていた葉の籠を差し出す。アリスが受け取ってみると、その籠の大きさは手の平に収まりきる程のもので、ティーカップよりも小さい。しかし妖精にしてみれば籠であろう。

 アリスが籠を受け取ったのを確認してフィヤが続ける。

「この花は水飴草です。名前の通り、花の中に水飴に似た蜜を大量に溜める花でして、私達妖精のみならず、この森に棲む生き物は好んでこの花の蜜を食します」

「フィヤはこの花から生まれたんだよ」

「えっ」

「はい。私は水飴草の花の中で生まれました。ユーナは鳥の巣よね」

「えっ?」

「そう! 私は雛鳥が巣立って空になった鳥の巣の中で生まれたんだよ」

「妖精ってそうやって増えるの?」

「うん! でね、アリス。水飴草の蜜は凄くお腹にたまるんだよ。早速採ってみようよ。籠を花の下に添えてみて」

 妖精の増え方において大きな疑問が沸いてしまったアリスであったが、空腹が勝った。言われた通りに籠を花の下へと添える。

 フィヤが花の上にまで飛び立ち、蕾状の花を両手で抱えてゆっくりと押し潰した。それに合わせて、閉じ合わさっている花弁の先端から無色透明な粘性のある液体が零れ、籠の中に入る。籠の中からふわっと甘い香りが広がり、アリスの鼻腔をくすぐった。

 アリスはつらつらと零れ落ちる蜜をじっくりと見ている。

「蜂蜜っぽいのかと思ったけど、透明なメープルシロップみたい。さらさらしてる」

 同じ様に蜜を眺めていたユーナが応えた。

「メープルシロップ? アリスの世界の食べ物?」

「うん。茶色で甘い樹液なんだけどね、色々な食べ物に付けたりするんだ」

「美味しそう」

 フィヤが少し強めに花を押した。その度に水飴草の蜜は零れ、気付けば籠は蜜で一杯になっていた。木漏れ日を反射して透明な蜜がきらきらと輝いている。

「アリス様、そのままお召し上がりください」

「う、うん。いただきます」

 アリスは籠を丁寧に持ち直し、左手を添えて口元へと運ぶ。よりはっきりと甘い香りが漂うが、植物の持つ草の匂いも混じっており、ハーブティーの様な趣があるものだった。

 ふと、違う世界である事、死霊の身体である事を思い出し、果たして何の気無しに物を口に入れて大丈夫なものか、とも思ったが、しかし考えた所で詮無い事でもある。わずかな勇気と共に妖精の言葉を信じて籠に口を付けて蜜を一口飲む。

 アリスの口の中に唯々甘い味が広がる。香りに含まれていた草の匂いはどこへ行ったのか、渋みやえぐさも無い。白砂糖とザラメ糖を二対一程で混ぜたかの様な、素直に甘い味。そしてその甘さは疲労していた精神と身体にとても良く染み込むものだった。

「……美味しい」

 気付けば籠の中の半分程を一気に飲み干して一息ついた。思わずの感想が飛び出る。

 それを聞いた二人の妖精が微笑む。

 アリスは再び籠に口付け、残っている蜜を飲み干した。

「お気に召しましたか? アリス様」

「これ凄く美味しい。飲みやすいし」

「ね、ね! 花の色によってちょっとだけ味も違うんだよ」

「そうなの? ねぇフィヤ、わたしも蜜を採ってみていい?」

「どうぞ。花をゆっくりと絞り込めば大丈夫ですよ」

 アリスは今しがた蜜を採った花の隣に咲く花を、片手でそっと包んだ。籠も花の下に置いてから、ゆっくりと花を持つ手に力を籠める。花弁の先から蜜が滲み出て水滴を形作る。それが垂れていく様子を間近で見てみようとアリスは花を覗き込む様に顔を下げた。

 何かが風を切る様な音と、三人の傍らにあった木から、とんっと叩いた軽い音がしたのは同時だった。

 三人が木を見上げると、木の表皮には一瞬前までアリスの頭があったであろう高さに黒い針状の物が刺さっていた。針の長さは片手を一杯に伸ばした程であろうか、太さは三ミリ程で、串焼きに使う物よりも幾分太く見える。

 黒い針の表面はぬめりとした漆黒である。何よりも、その周囲に揺らめく黒い霧かモヤの様なものを纏っていたのが最も奇異たる特徴だった。

 アリスが振り返る。針が飛んできたのだろうと本能的に位置を割り出して、そちらを向く。三人が背を向けていた方向の、十メートル程の位置にある木の根元に黒い霧が漂っていた。よくよく見れば、その霧の中には漆黒の花の形をした何かが存在している。

「なに……?」

 アリスが呟くと同時に、ユーナが叫んだ。

「呪猖(じゅしょう)!」

「アリス様、ユーナ、伏せて!」

 フィヤがアリスの前に躍り出る。翅を羽ばたかせ空中を蹴る様に一気に上昇し、アリスの顔の高さで静止する。鮮やかな翅を伸ばすと火の粉のような黄色の光が舞い、フィヤの両手へと集まった。その光を掲げながら両手を前に出す。

 次の瞬間、強い破裂音が響くと同時に、フィヤを中心に三人が居る周囲を包む半球の形の光が現れ、消えた。フィヤの眼前には光の壁に阻まれて黒い霧が漂っている。

 偶然だったが、アリスは視界の端に、くるくると回転する漆黒の針が霧を纏いながら跳ね飛ばされる様子を捉えていた。飛来してきた漆黒の針が、フィヤの前にある半球状の光の壁に阻まれたのだ。

「え、何が」

「アリス立って! あれ呪猖だよ!」

「アリス様、木に隠れて下さい!」

「う、うんっ」

 急かされるままにアリスは立ち上がり、よろけそうになりながらも水飴草の傍らに立つ木の裏側へと回り込んだ。身を屈める事を思い出し、そのまま木に背を預けながら座り込む。

 ユーナも素早く木の裏側へと回り込んできた。やはり空中を蹴る様に向きを正すと、アリスの顔の近くに寄る。

 アリスは目だけで横を見る。両手を前に掲げたままのフィヤがゆっくりと後退していた。

 破裂音。

「きゃあっ!」

 フィヤの悲鳴と共に、その周囲に光の壁が輝く。フィヤの眼前から波の様に黄色い波紋が浮かんでは消える。光の壁を隔てて黒い霧が燻っている。漆黒の針は明後日の方向に弾かれたようだが、その勢いでフィヤは体勢を崩していた。

 アリスは咄嗟に両手を伸ばす。傷付けないように、しかし急いでフィヤを両手で包み込むと胸元へと寄せた。手をそっと開けると、フィヤは肩で息をしていた。

「はっ、はぁっ、ありがとうございます、アリス様」

「う、ううん、わたしも助かっ……えっと、なに、あれ」

 気付けばアリスの鼓動は恐ろしく早まっていた。何が起きたかを理解し始め、手が震える。詳しくは判らない。だが。

 攻撃された。

 その一点だけは確実にアリスは理解した。

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