04 森の中での目覚め
アリスが目を覚まし、再び自身の意識を確立させた時、周囲は木々が一面に広がる森の中であった。
不思議な場所。アリスの第一印象だ。大小様々な太さの幹を持つ木々が生い茂る森であった。木々の根が地面から這い出て躍動するかの様に地面を覆い、その隙間に草花が伸びる。ただ地面があるだけの場所は少ない。それだけの鬱蒼とした森の中でありながらも、不思議と陽光は射し込み十分な明るさで空間を満たしていた。
上を見上げれば、背の高い木々が広げる緑の葉で空は覆われている。だが明るい。その先に青い空が広がっている事が見て取れた。
周囲をぐるりと見渡そうとして動きが止まる。単純に首がそこまで回らなかったのだ。
首がある。
身体が有った。
アリスは自分が尻餅をついて地面に座っている事に気付いた。少し身体を起こして両手を顔の前に持っていく。怪我らしい怪我も無く、指先も問題無く動いた。そのまま視線を下げて自分の身体を見れば、着ている服も制服のままであった。そのままの状態、いや、一つだけ違う点を挙げるならば上履きがいつの間にかローファーになっている。それ以外はそのまま――。
何に対してそのままなのか――?
はっと思い至り自分の胸と腹を触る。ガラス片が刺さっていたはずだ。恐らく助かりようもないはずの、致命的なものがあったはずだ。それがない。
何が起きたのかを思い出す。爆発だ。大きな爆発があって、巻き込まれた。
「生きてる……」
両手を見つめる。そう、生きている。何事かは判らないが、爆発に巻き込まれ、身体に怪我を負い、死の間際であったはずである。身体にぞわりと寒気が走った。そう、死の間際だった。
咄嗟に両手で身体をかき抱き、思わず周囲を見渡す。危険なものは無いかと警戒する。
木々、木々、木々。少なくとも自身を今すぐに害しそうなものは無いように思えた。
余りにも現実感の無い死に直面して、それが脳でぶり返された故の寒気、怖気。それに身体を震わせるが、しかし同時に意識もより現実へと戻る事が出来た。
ここは何処で、なぜここに居るのか。
死の間際の妖精との会話の様なものを思い出す。
「妖精……そうだ、妖精」
妖精を見たのだ。混濁していた意識だったが、廊下での一瞬一瞬を思い出させてくれた。あの妖精は幻か否か。
それを確かめる様に周囲を二度三度と見渡してみれば、アリスから数歩先の木の根元に妖精が倒れていた。
黒紫色の長い髪に、白い二枚の翅。白いワンピースドレスの裾から見える小さく細い脚。間違いなくあの妖精であった。
アリスは立ち上がろうとして、しかし身体に上手く力が入らなかったので、膝立ちで両手を付きながらゆっくりと妖精の元へと進んだ。両手と膝を、ぱさり、ぱさりと生い茂る草花が優しく受け止める。
アリスが妖精の元に辿り着き、声をかけようとした所で、妖精の睫毛が震え、細く目を開けた。そのままアリスの方に顔を向ける。
「妖精さん! 大丈夫……」
声をかけた所でアリスがあっと小さく呟く。発した言葉は通じるのか。
廊下でのやり取りでは言葉が通じていなかったのだ。死の間際では会話があったような気がするが、果たしてあれは何だったのか、アリスには理解が及ばない。
何れにせよ言葉が通じるかどうか、大きな不安がアリスに圧し掛かる。
「ん……」
妖精が声を漏らす。瞼を何回か瞬かせ、アリスの顔へと首を傾け、そして小さな口を動かした。
「貴女は……」
言葉が通じる。アリスの中で強い驚きと困惑が拮抗しつつも、しかし今のこの状態と環境において妖精と意思疎通を行える事が全てにおいての希望に感じられた。
この希望に手をかけなければ何も解らない。それはほぼ確信めいてアリスの中にあるものだった。だからこそ、理性は様々な衝動を抑え込む事が出来たのだ。優しく、ゆっくりと、はっきりと、確実に言葉を伝える為に、伝える意思を持ってアリスは名乗った。
「わたしはアリス。藤宮マリークラリッサ アリス。あなたの名前を教えて、妖精さん」
妖精は二度三度と瞳を瞬かせる。小さいながらも艶のある唇を薄く広げ、両腕をぴんと張って上体を起こした。
アリスと妖精の視線が交差する。そして妖精は微笑みながら答えた。
「ユーナ。西の森の、ユーナ。こんにちは、アリス!」
アリスの履くローファーは森の中を歩くには向いてはいない。地面から飛び出た木の根をしっかりと踏み締め、両手でバランスを取りながら一歩ずつ進み乗り越えていく。地面に足を付けた際には草や葉、苔等に足を滑らせない様にしっかりと。
しかし全身を使って歩く訳でもなく、重心も意識されていない歩みであるが故に、逆にふらふらとした動きになってしまいアリスが意識しているよりも進みは遅い。
だが互いに喋りながら進むには丁度良かったのだろう。妖精ユーナはアリスの顔の位置の高さに浮き、アリスが森の中を進む速度に合わせて前へと飛ぶ。アリスは足元とユーナを交互に向きながら、今の所は一度も転ぶ事無く歩いていた。
「ふぅん、えっと、つまり……」
アリスが呟き、少し考えを巡らせた顔をして喋り出す。
「ここは物凄く広い樹海で、中心に霊樹って言う物凄く大きな樹があって、だから霊樹の森と呼ばれている」
「はい」
ユーナが相槌をうったのを確認して、続ける。
「ユーナ達みたいな妖精が一杯棲んでいて、そしてここはわたしの住んでいた世界とは違う世界であると」
「はい」
「違う世界かぁ。それで、わたしの住んでいた世界で『騎士』を探す為に、森の西側の妖精達の代表としてユーナが選ばれた……けど、いざ行ってみれば妖精を見る事が出来る人がそもそも居なかったから途方に暮れていたと」
「はい。何日もあちらの世界を飛び回りましたが、アリス様以外に私を見る事が出来た人は居ませんでした」
「ふーむ」
そもそもここは何処なのか。その質問から始まった問答は一先ずの結論を得た。アリスはゆっくりと確実に森の中を歩きながらもう一度問答を頭の中で纏めていた。
霊樹の森。アリスが住んでいた世界とは異なる世界に広がる大森林である。広さは明確な指標が無く不明なままだが、大きな国が幾つも収まる程に巨大であると言う。その中央には天にも届かんばかりの巨樹が在り、霊樹としてこの大森林の銘となっている。
様々な動植物が棲まい、その中の一種族がユーナの様な妖精である。それは決して空想の産物等ではなく、この大森林の世界においては現実に存在する確かな生物であった。
「ファンタジーな世界だなぁ」
耳慣れない言葉なのであろう、ユーナが小首を傾げている。アリスはその様子には気付かず質問を続けた。
「さっき言ってた『騎士』ってのは?」
「簡単に説明しますと、この森を守護して下さる方々です。この森は……呪いがかけられております。その呪いが私達、いえ、この森の全ての生き物に牙を向くのです。その脅威から守護して下さる方々を『騎士』と呼んでいます」
「呪いって?」
「私も全容は知らないのですが、この森全土に何百年も根付く呪いです。ただの呪いではなく、獣や虫等の姿を真似て襲い掛かる存在なのです」
「害獣って事?」
ユーナが少々渋い表情になる。
「そう言われてしまうと否定は出来ませんが……。害獣は害獣として他に存在する中で、呪いが形を成したものは被害の規模が違います。妖精の集落ならば一つや二つ、簡単に滅ぼされてしまう事もありますので」
「より危険な脅威として分けられているんだ」
「はい。区別する為に呪いが形を成したものを、私達は『ハンジェフ・カブモクス』と呼んでいます」
「ごめんもう一回言って」
突然の耳に馴染みが無い単語にアリスの脚が止まった。眉の間に深く皺を刻み、疑問の表情でユーナを見る。
「へ。えっと?」
「今言った……ハンジェ……呪いが形を成したものを、なんて?」
「は、はい。『ハンジェフ・カブモクス』です。その名の通り、呪いの獣と言う意味です。他の言い方をするならば『呪猖(じゅしょう)』です」
「どこの国の言葉……ああ、そうか、違う世界なんだった。ん、となるとなぜユーナは日本語を喋れるんだろ」
「ニホンゴ?」
「おや?」
二人が共にきょとんとした顔をする。話をする度に疑問がいくつも出てきてしまう。ユーナはその度に説明をしていたが、根本的に違うものが多い。意思疎通は出来ても認識の差異を埋めるには時間がかかりそうであった。
アリスが再び歩み出す。
「そこは、また落ち着いたら調べようか……。それで話を戻すけど、つまりユーナは『呪猖』を倒す事が出来る『騎士』を探し別の世界にまで来て、わたしと出会った」
「はい」
「呪猖って、どれくらい恐ろしい存在なのか解らないけど、私にそれを倒せると思う? わたし犬と喧嘩したら負けると思う」
アリスは自分の顔を指差した。距離としてはそこまで歩いてはいないが、慣れない森の中での行動は疲労となって顔に出ている。額にはいくつか汗も流れていた。
それを見てユーナも少し困った顔をするが、両手を振って取り繕う。
「あ、あの、騎士になると強くなったりするので……。それにあの時は咄嗟の事だったので、騎士として強そうな方と言うよりはアリス様をどうにかお救い出来ないかと必死だったので、その」
「もう……。まぁ……いいか。わたしも何か出来ないかって答えたわけだし。あっ、それよりもユーナ」
「はっ、はい。何でございましょう?」
「ユーナって普段からそういう喋り方なの? 最初に会った時とちょっと印象が違うような気がして」
「普段は、そうですね。お恥ずかしながらもっと大らかに喋っていると思います。アリス様は私がこの世界に引き込んでしまったのもありますが、一応は騎士候補の立ち位置にありますので……」
「じゃあ、今からいつも通りの喋り方にしない? 特にアリス様ってのは止めて欲しいと言うか、わたし多分騎士になれるとかそういう人間じゃないと思うよ。なんか申し訳ない感じになっちゃう」
「アリスさん……アリスがそう仰る、ええっと、アリスがそう言うなら」
「そっちの方がいいな、大仰にしなくていいよ。わたしさ、最初にユーナを見た時に友達になれないかなぁって思ったんだよ」
「友達」
「うん。いいかな? こんなに可愛い妖精と友達だったら自慢出来ちゃう、なんて」
ユーナは驚いた表情の後、困った様な表情になり、何度かそれを繰り返し難しい顔になった後、恐る恐ると言った様子ではあったが笑顔になった。
片手を胸に当て、翅をぴんと伸ばして喜びを全身で表現している。声色もどこか喜色が混じる。
「友達……はい、あっ、その。うんっ!」
「やっぱりそっちの喋り方のが良いよ、よろしくねユーナ」
◆
ユーナに友達として振舞う事を頼んだのにはもう一つ理由があった。
まず、この森で目覚めてすぐ、ユーナと喋り始めて自分の状況を確認している際に解った事があった。
藤宮マリークラリッサ アリスは死んでいる。生き返っている訳でもない。
元の世界での死に際が余りにも突然の出来事で、怪我や痛みも曖昧なままであったアリスは自分が死んだと言う理解はしていても実感は伴っていなかった。校舎の中庭で倒れて、身体が動かなくなり、意識の中でユーナと喋った様な気がしたと思っていたら、気付けば森の中で目を覚ました。その一連の流れに自分が死んだと言う意識も実感も無かった。
なので、互いに意思疎通と確認をしている最中、ユーナから『アリスは死んでいる。今は魂だけの存在である』と告げられても、全くと言っていい程に実感を得られなかったのだ。自分の肉体に触れてみれば脈はあるし、着ている制服の布地の感触もアリスが知るものと変わりがない。動けば汗が肌を伝う。
アリスは自分が魂だけの存在であると認識出来るだけの手段を持たないのだ。そのまま、歩いて移動を始め、認識がはっきりとしないままにしてしまっている。
しかし、ユーナはそうではない。アリスの消えゆく意識に触れ、死の寸前でアリスの魂をこの世界へと導いたのだ。アリス本人よりもアリスの死を実感してしまっている。
それがアリスに対しての引け目や遠慮になっているのであろう事は、ユーナの語ったアリスの死と現状、そして次第に口調が固く、かつ笑顔が失せ真剣な表情にだけ凝り固まっていった様子を見れば自ずと察する事が出来るものであった。
ユーナは本来もっと明るい性格なのではないか。アリスが漠然と抱く印象は実際その通りであった。ならば早い内にわだかまりの元になりそうなものは取り除いておきたい。
少なくともアリスにとっては死ぬままであった自分を、魂だけの存在として、そして異なる世界での目覚めとなったとは言え、生きていると認識するに違い無い状態にしてくれたのがユーナなのだ。それを負い目に感じられてしまうのは避けたかった。
他人同士の関係性であるからそうなるのだ。ならば、友達になればいい。少々雑な思い付きではあったが、しかしアリスにとっては望ましく心地良い関係性だった。
かくして、二人は友人としての関係性を結んだ。まだまだぎこちなく、解らない事が余りにも多い間柄かつ環境の中ではあるが、変に畏まってしまうよりは良いだろう。
二人は何気なく笑い合った後、少し喋るのを止め、ユーナが先導しつつ森の中を進んだ。
森が開けた。小さな川が流れており、そこだけ空が広く見えていた。アリスは初めてこの森の空を見た。
落ちていけそうな程に澄み切った青空に、清々しい白い雲が点々と浮いている。それだけで絵になりそうな美しい自然の光景において、さらに目を引くものがある。
樹が浮いているのだ。あるいは土塊が浮いているのかもしれない。何れにせよ、石と土が集まったものが空に浮いており、そこにしっかりと根を張った樹木が瑞々しい緑の葉を広げている。
それが複数も浮いているのだ。小川から見上げて少なくとも六つは見えた。樹の種類が違うようで、枝葉の広がり方や、浮いている岩の形の違いで、丸っこいものから細長いものまで色々な種類がある。
「凄い……」
その光景に思わずアリスは息を呑み、感嘆の声を漏らした。
「本当に、違う世界なんだ」
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