【晩秋(運命)】


「二人には出会う訳がある

 電気仕掛けの預言者のメッセージ

 I Am 22nd Century Boy

 君のためにHellp Again」

(TM Network「ELECTRIC POPHET」)


久しぶりに、書棚からこのノートを引き出した。

前回の記録から、三か月が過ぎてしまった。

その三か月は、余りに様々なことが有り過ぎて、とてもこの記録のことを思い出す余裕は無かった。それらの出来事が原因の心身疲労の為に、私はここ何日か、ずっと床に臥せた状態である。

しかし、ある日目覚めてふと書棚に目をやったとき、このノートの白い背表紙が目に飛び込んできた。何気なしに、前回までの記録を読み返して感じた。

きりんのために苦しんで苦しんでキリキリと心が軋むほどだった、あの日々。それでも、今の私はあの日々を幸せだったと思うのだ。

そして、ペンを持つことさえも重く辛く感じるほど衰弱したたった今も、私は幸せなのだ。

あれから、私の身に起きたことを、どうしても記録しなくてはならない。

かつて、自分を不幸だと思って苦しんでいた私に“幸せの意味”を伝えるために。


その、 人生の頂点のような瞬間のことは、こうして目を閉じると今も鮮明な映像として浮かんでくる。

ノックの音は三回、ゆっくりと。

…独りぼっちの誕生日の夜。私は、奇跡のように澄み切った星空をサンルームで見上げていた。郊外の空でも、いまどき、銀河が見られるなんて珍しい。その時、透明な空気に長い余韻を残して、そのノック音は家じゅうに響き渡った。

家の貸主とさえ、緊急時の連絡はオンラインでとることになっている。こんな真夜中に私を訪ねてくる者は誰もいないはず。

でも、私には、その音を聞いた時、突然の訪問者の正体がわかっていた。信じ難いその直感を否定するために恐る恐る私は玄関へ向かった。

ドアを開いた一瞬、心臓が確実に止まった。

長身の、青柳のようにしなやかな体の。

愛しい、瞳の色にくぎ付けになる。青い青い湖の色に溺れ凍りついていく。

きりん。

…幻覚だわ。そうに違いない。きりんは私を嫌っているんだ。そのきりんが私に会いに来るなんて。

それに、あのペリエの腕から抜け出せる筈がない。まして、きりんは私の居場所を知らないはず。

「マージイ」

…私を呼ぶ声。

間違いない、きりんの声。幻に声まで付いているなんて。

「嘘…でしょ?」

 私の口は確かにこう動いた。けど、喉が凍って音にならない。

でもその口の形を見て、きりんは私の両手を取って自分の頬に当てがった。

「あんた、呼んだろ?」

違うとは、言わないわ。

ここで暮らし始めてから、朝から晩まであなたのことしか考えることはない。そう出来るようにすべてを都会に捨ててきたのよ。

「今朝、頭の中、何もかも真っ白になった。そして、ここに来ることしか浮かばなかった。だから、来た」

 滑らかな彼の頬を撫でる。人間以上に完璧なあなた。

「愛してる」

 アイ、シテル。何て熱い言葉。その言葉を発した唇を指先で撫でる。

 ああ、あなたが本当にここにいる。

 強く強く抱き締めてくれる。この腕を求めていた。

 ありがとう。私の暴走している想いを受け止めてくれて。独りきりで腐敗していくしかなかった恋が、あなたが差し伸べてくれた手の中で穏やかな光に生まれ変わってゆく。


「あんたには、負けたよ。まったく。一応五十年、社会の荒波に揉まれて人間ってのは大概つまらねえものだって思い知らされてたけど。あんたほど滅茶苦茶かっこ悪い人間、俺、初めて見た」

 誕生祝いの花束やプレゼントの代わりに持ち込んだ、まだ冷たい半ダースのビールを二本出して、一本を飲んでいるきりん。

「私だって、ビール飲む人形見るの初めてよ」

“姉貴の趣味さ”…彼は冗談のように言って笑った。

「まさか俺がこういう、どうしようもないかっこ悪い女に弱いとはね、悪趣味だよなあ」

「…失礼しちゃうわね」

 まだ憎まれ口をたたいている彼の頭を軽くこづいてやる。

「どうして、ここがわかったの?」

 余りの驚きに頭がぼんやりしていた。サンルームの床に直に座り、寄り添って私の髪を撫でてくれるきりんの不自然なほどの優しさ。

「キールはテレパスだったんだ。俺の魂はヤツの残留思念さ」

“精神感応能力者(テレパス)”その存在は別にめずらしいものではない。その能力を生かすためにカイス計画に参加しているテレパスもいる。

「今も奴は俺の中に生きていて、俺のやることなすこと口出しするんだ。あんたの声をキャッチしたり、目の前のあんたの心の痛みをそのまま俺に伝えたり」

 痛かったんだぞ、いつも…おどけて彼は胸の辺りを押さえてみせる。

「キールはペリエに養われていたんだ。奴がまだ物心つかない時に両親無くして、血縁の無い大人だけの中で育ってさ。ペリエは自分の“デキる脳を売って”、キールを育てたんだ。たぶん普通の姉弟より結びつきは強かったと思う。だから姉貴の愛情が変質していくのも、奴は手に取るようにわかっていたし、姉貴の想いが歪んでいっても拒み続けることができなかった。…だが、想いを受け入れるにはキールの道徳観は真っすぐすぎた」

 そして彼は逃げたのだ。優しさゆえに、道徳観と姉弟愛の板挟みになって。

 しかし。ペリエはキールを逃がしはしなかった。死の淵まで追いかけ捕まえ、彼そっくりに作り上げた人形に封じ込めた。

 …私の頬を流れる涙を、きりんは指でそっと拭い、天使のように笑った。

「マージイが俺をどれだけ追い詰めていたか、そのためにどう屈折していったか、その心の痛みも苦しみも、そのままみんな俺の心に伝わってた。できるなら諦めて欲しくて、お前の望む通りにこてんぱんに辛く当たってうちのめしてやった。なのにさ、お前全然諦めてくれないんだもんなあ。踏まれても蹴られても」

 カラカラ笑いながら言うきりんの、妙な言い回しに、つい噴き出してしまう。

「私、我がままなの。他の誰が手を差し伸べてくれてもだめだったあ。あなたを忘れてみんなに受け入れられるより、独りぼっちで思い出と暮らす方を選んじゃった」

「それ、鍵穴の論理だよ」

「鍵穴?」

「あんたの心にはギザギザの深い穴が空いているんだ。それはとても複雑な形で、深くて、他の誰にも埋められない。俺以外には。あんたがここから遠く俺を呼ぶ声を聞いた時それがやっとわかった。だから埋めてやりたいと思った。あんたの傍にいてやらなくてはならない。それは必然だ。そう思った」

 洒落たこと言うじゃない、この子ったら。

「あんたの笑顔を見たい。人から与えられた命令ではなくそれが俺が初めて持った俺の欲望なんだ。人形の俺が、さ」

 きりんはそう言って私の頬を撫でる。

「俺には、マージイが必要なんだ。俺がキールではなく麒麟である以上。俺を必要としてくれるお前が必要なんだ」

「随分な変わりようね」

 あんまり彼が素直なので少し拗ねてみた。

「どうして、あんなに意地悪だったの?」

 お互い、そんなに想い合っていたのに。あんなに無駄に傷つけあって。

「あー、もうっ! だから、好きなんだってば、あんたが」

 何度も言わせるなよなあ、とつぶやききりんはぼりぼり頭を掻いた。

「どうして? こんな可愛げのカケラもない女に?」

 何だかおかしくなって、私はこみあげてくる笑いを噛み殺しながら言った。

「お前、ほんっとうにわかってないなー…もういいよ。わかんないままで」

 きりん、膨れっ面で更に付け加える。

「ただし、言っとくけどな、同情じゃないからな、断じて」

 右手をそっと伸ばし、私の頬に指が触れる。体がビクッと一瞬震えてしまう私を、きりんがクスリと笑う。

「俺だってさー、あんたを諦めるのに必死だったんだ。お互い憎み合うくらい傷付け合わなきゃ、あんたも俺も諦められなかった。…諦める以外ないじゃないか。ロボットが人間に恋するなんてあんまり馬鹿らしくて恥ずかしくてどうしようもないじゃん。まして俺世界一美形のマヌカノイドなんだぜ」

「凄いプライドね」

「ロボットなんて、プライド高いふりしてなきゃ恥ずかしくていきてらんねえよっ」

 照れるように拗ねる、彼。その後俯いて。

「俺、自信が無いんだ」

少し悲しそうに微笑む。

「悲しいとかさ、ウキウキするとか。そういう気持ちを俺、感じることは一応できる。けど、それぜーんぶあいつが…キールが持ってた“感情”の名残でしかないんだよな。五十年人形やってたら、だんだんわからなくなってきてしまった。…誰かを愛しいと思う気持ちも、金属製の回路の中を伝達される信号でしかないわけで。そして…後、ほんの数十年生きれば俺は完全に“感情”を忘れ、ただの電気仕掛けの人形になる」

 そう言って彼は空き缶を握り潰した。

「だから、マージイが気に懸かってしょうがないこの感じも、どうしても信じられなかった。…でも。マージイが呼ぶ声聞いたとき…その声を追いかけようと思ったとき、何か俺自身の中のいろんなもやもやが、すうっと理解出来るような気がしたんだ」

 潰した缶を軽々と丸めて弄ぶ彼。

「俺、姉貴のこともちゃんと愛してるんだな。姉貴が組み込んだプログラムじゃなく、俺自身の気持ちとして愛してるんだって思いたい。キールの魂の名残だとしても、いいよ」

「いい子だね、きりん」

 素直にそう思った。なのに彼は慌てて付け足した。

「でも、やっぱりペリエへの気持ちは、恋とかじゃない。姉貴への気持ちだよ」

 本音でも、私のやきもちを鎮めるための気遣いでもいいや。

 両手を伸ばして、彼の細い肩を引き寄せる。

きりんの体、あったかいよ。サーモスタットがちゃんと作動してるのね。オイルの循環装置の鼓動だって、ほら、こんなに優しい。生きていこうとするために、一生懸命うごいているんだよ。

きりん、あなたは生きている。それだけは完全な真実。信じてもいいよ。


「ところで、マージイ、俺に何を望んでいるの?」

「え?」

「何故、俺を呼んだの? 俺に会って何をして欲しかったの?」

 わからない。始めははっきりしてたように思うけど、今はもう深く思い過ぎて何だかわからなくなっちゃった。

 …でも、あなたが今、私の傍にいてくれることがとても嬉しいの。

「俺をここに置くといいよ。女一人暮らしじゃ物騒だもの。家事だって一通りこなせるし、ロボットだから喧嘩も強いし。いざというときお前の護身くらいはできるよ」

 グレーのセーターの袖をたくし上げて細い腕を見せながら笑う。

「ありがたいけど、どうしてファッションモデル仕様のマヌカノイドが喧嘩強く作られてるの?」

「姉貴の趣味だよ」


 その夜。私達はサンルームの床で一つの毛布にくるまって眠った。

 ロボットに睡眠が必要なんて意外だった。彼は一定時間機能を低下させてエネルギーを体内で作り出すそうだ。だから食事だけは必要ないらしいけど。(では何故アルコールは飲むんだろう?)

 静かな寝顔を眺めながら天使のようだと思った。ビール半ダース抱えて降臨する。

 彼は天国から降りてきた、私だけの天使なのだ。


 ひとつ、わかったこと。

 恋に勝ち負けはない、ということ。…もしあるとすれば、私の今の状態は逆転勝ちということになるのだろうか。

 …先に好きになったほうが負け、と言う人もいるけど、今私は思う。勝ち得た瞬間恋に勝負は無意味なものになる。


 私の人生は、思えばあの夜からクライマックスへとまっしぐらに流れていたのだろう。

 それさえ手に入れば、他には何もいらない。そう思っていたものが、手に入ってしまった、あの夜。

 まるで天使が降臨するように現れた彼。

夢が、現実になってしまう瞬間、時間は本当に止まるものなのだと、その時私は知った。

でも、その瞬間から本当にそれ以外のすべてが、私の手から、流れ去ってしまった。


晩秋の色に満たされてゆく小さなコテージで、ままごとのような暮らしが始まった。夏は避暑の客でにぎわうこの街だが、今は閑散として、地元の少数の人間しかいない。繁華街の店もほとんど閉まっている。

顔色の悪い私を気遣い、きりんは毎日私を散歩に連れ出す。

私は、孤独を求めここに来たわけだし、食料や生活用品は宅配業者に頼っているから、外出の必要はない。だが、こういう何気ないささやかな時間を、ここに来て以来私はどうしようもなく愛するようになっていた。

きりんに少し乱暴に手を引かれ、ススキやネコジャラシが頬をくすぐる草原を歩く。

切り立つ丘の上に並んで立つと、かつて住んでいた都会(シテ)の上空に夕焼けが大きく広がる。鳥が飛ぶあかね空を仰ぐ、そういう古臭い絵画のような幸せが、涙が出るほどいとおしい。

「あんたは、すぐ泣くんだな」

 だっせえ、馬鹿じゃねーの、などと言いながら、私の潤んだ目を覗きこむきりん。…でもね。口で言わないけど、私はあなたがセントラルパークで夕空を見ていたの、知っているのよ。


 ある時、いつもの丘に先客がいた。

 見るからに不良少年、と言った感じの男たちが三人。煙草をふかしながら大声で話し、笑っている。

「行こう」

 きりんの手首をぎゅっと握り、気づかれないうちに立ち去ろうとしたが、きりんはびくともしない。

「きりんってば、帰ろうよ」

「草が燃えてしまう」

 きりんはつかつかと草の間を分け入って彼らの前に立った。

「何だあ? このガキ!」

 髪を高くつきあげて固めた一番大柄な少年が岩から立ち上がる。きりんはそれに構いもせず、彼らの足元の煙草の吸殻を拾って、蛍光色のブルゾンの少年の手の甲に擦りつける。

「アッチイ…!」

手を押さえて飛び回る彼をしらっと一瞥し、きりんは無表情で言った。

「火が完全に消えてないだろう? この草だってそのくらい熱い思いをしたんだ」

「何しやがるんだこいつ!」

 髪を真っ赤に染めた少年が一瞬飛びかかろうとして立ち止まった。一番背の高い少年に何か耳打ちする。

「あんたが、噂のマヌカノイドか。こんなところで拝めるとはねえ」

 そう言って、きりんのつまさきから頭の先を何度も視線で舐めるように往復させた。

「コテージのお嬢様と機械人形のラブロマンス、結構美しい噂なんですよ」

「ごめんなさい。現金はまったく手元に無いの。ここにもうちにも」

 できるだけ冷静を装い、私は笑顔でそう言って歩き出そうとした。マヌカノイドといってもきりんはロボットだ。本気で怒らせたら、彼らの方がただではすまないだろう。

「待てよ」

 すかさず赤髪の少年が私の腕をつかみ、

「お金なんていいですから、詳しくお話ししてくれないかなあ、人生の先輩として」

 鼻先に息がかかるほど、顔を近づけてくる。アルコールの匂いがする。思わず腕を強く

「だーめだめ。お嬢様はお人形にしか興味がないんだよ。俺たちみたいな汚らわしい人間どもにはく触られたくないってよお!」

「これから帰ってお人形さんごっこかい?」

「お人形さんは、アレの方は上手なんだろうねえ」

いやらしく顔を歪めて言う少年の言葉で私の顔が熱くなった。

彼らの下卑な笑い声に、きりんは表情を変えずに言った。

「そこいらのガキよりはましだよ」

 私はびっくりしてきりんの腕をつかんだ。

「行こう、マージイ。くだらない」

 呆気に取られている少年たちを尻目に、きりんは私を抱え込むように連れ出した。

「きりんったら…あんなこと言ったら“火に油を注ぐ”ようなものよ」

「俺、そういう例えってわかんねーんだよな。人形だし」

 都合よくとぼけてカラカラ笑った後、

「だって…あいつらマージイを侮辱した」

彼はナイフのように鋭い瞳で言った。

 私は、溢れてくる涙を堪えながら、黙ってきりんの手を握りしめて歩いた。


 病院へ、行かなければならない。

 前回の診察からひと月以上経っている。毎日の体調の記録も必ず入力を続けていたし、薬も飲み続けていて、一週間前に切れてしまった。

 でも、今回はどうしても気が進まない。

 あの時でさえ、サイリはかなり厳しい診断を下していた。今回の診断結果によっては、私は入院させられてしまう。それはせっかく手にした、きりんとの静かな生活の終わりを示している。

 

「お前、具合相当悪いんじゃないのか?」

 目ざといきりんは、私の顔色の変化を簡単に見抜いてしまった。

「病院、行けよ。掛かりつけのとこあるんだろ?」

「でも…」

「大丈夫。逃げたりしないよ、俺」

 私を安心させる為に微笑む彼。

 あなたのもとを去るかもしれないのは、私の方かもしれないのに。

 私は、自分がカイスの出身だという事実を何故だかまだ、きりんに告げられずにいた。

 きりんなら、大した問題じゃないさと笑いとばしてくれるだろう。

 でも。知られたくない。どうしても言えない。きりんといる時間だけは、私は自分が人間としてもカイスとしても不完全であることを忘れたかった。


 風の強い午後だった。

 セントラルパークの街路樹は、燃えるように紅く色着いて。

 目眩が、する。

 私はコートのポケットに両手を入れ、くらくらする頭を俯かせながら、人口泉のほとりに佇んでいた。

 やはり、どうしても病院には行けなかった。 

 そして、いつの間にか私は、かつての職場のショールームの前にいたのだ。

 ちょうど昼休みの時間。なぜこんなときにこんなところへ来てしまったのか。自分は無意識のうちに、こんなところへ来るのを求めていたのか。

「で、マージイにはあれ以来会ってないの?」

 自動ドアが開き、男の声が聞こえた。レーン。私は慌てて壁の陰に隠れた。

「だって、彼女からの連絡がないから」

「冷たいなあ…幾らなんでもあれからひと月だぞ。女一人であんなとこに放っとかれたら誰だってそれこそ気が変になるぜ」

 壁越しにそっと覗いてみると、レーンとフィーナである。彼女の肩に回したレーンの手を見てびっくりして顔を引っ込めた。再び顔を出した時には、二人の姿は遥か遠くの方へ霞んでいた。

(何だ、あの二人結構うまくやってるんじゃない)

 私はとんちんかんな気分で、とぼとぼ歩き出した。彼らにやきもちを焼くのは筋違いというものだ。きりんの突然の訪問で舞い上がってしまって、彼らの気遣いを思い出しもしなかった薄情者は、私の方だもの。

 仕方なく、目の前の公園へと足を運ぶ。

 大きく溜息を吐いて、炎のような枯れ葉の上をわざとカサコソと音をたてながら歩いた。

 木陰で数人の少女達が着せ替え人形を手に遊んでいる。

“人形ごっこ”…嫌な言葉だ。あの不良たちのことを思い出させる。

 彼女たちはいつかはあの人形を手放してゆく。恋しい男の心をその手に入れ、大人へと成長してゆく。

 …私は今、思春期をやり直しているのだろうか。それならばいつか、私はこの街に戻ってくることになるのか。今は心が一時病んでいるだけで、やがて“治る”ときが来るのか。そのときが、きりんとの別離なのか。

 どうして? 私は今とても満たされているのに。


 その時、突然のつむじ風が足元の枯葉を舞い上げる。目に砂ぼこりが入る。慌てて顔を手で覆った。

 風は紅葉を掬い、渦を巻きながら、前方の楠の根元へと流れてゆく。涙で霞む目で追いかけるとその先に、黒のコートを纏い、髪を赤茶色に変えた彼が待っていた。

「きりん」

 まったくとろいんだからなあ、なんて呟きながら、彼は指で頬の涙を拭ってくれる。

「尾けてきたの?」

「アホか。迎えに来たんだよ」

「どうして?」

 例の力でさっきの私の心の変化が読まれたのかもしれない。そう思って尋ねてしまう。

「何となくさ」

 彼は、ビリジアンの目でいたずらっぽくウインクしてみせた。

「病院は? どうだった?」

「大丈夫。ちょっとした風邪のひきかけだった。安静にしてればすぐ治るって」

 私の答えに安心したように微笑むと、長身の彼は大きめのコートで包み込むように私の肩を抱いた。

「帰ろう、マージイ」

 私は彼の掌の重さを肩に感じながら黙って歩き出した。 

 何故か今、彼の顔を真っすぐに見ることができない。


 逃げたかったのだろうか。

 あの一瞬逃げたかったのだろうか、私は…彼から。

 愛する彼と二人でいられるならば他の物はすべて失くしても構わなかったはずなのに。これ以上私は何を探そうとしているのだろう。

 人工授精という、不自然な形で生まれた私は、物心着いたときから、心の隅でずっと恐れていたのだ、と思う。私はこの世に生きることを本当に許されているのだろうか、と。

 自身の存在そのものを否定してしまう、その恐ろしい疑問を他のことで紛らせて、忘れて。

 それでいて、ひと月ごとに、自分の出生の場を目で確かめては、しまい込んでいた自己否定を繰り返さずにいられなかった。

 なおかつ、自分はかいすとしてさえ失敗作なのだという事実。

 そんな矛盾とコンプレックスを逆手に取って、私は強い女のふりをして生きてきた。

 でも、いつも寂しかった。私は、いつまでこの自分の存在自身に根を張っている不安と戦い続けるのか。…そう、無意識の中で恐れ続けていたのだ。

 ああ、そうだ。こんな当たり前のことに、今の今まで何故気づかなかったのだろう。

 …きりんを愛すること。それが私の生命の意味、そのもの。それ以上、先のことも、それ以外のことも、もう考える必要はないのだ。


 夕暮れの舗道。人混みの真ん中で私は立ち止まって振り向き、きりんの顔を見上げ、それから目を閉じてキスをねだった。フフンと鼻で笑う気配の後、彼は甘く長い長いキスで私を芯から酔わせてくれた。

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