【晩夏(覚醒)】
「乾いた髪をたばね 息をつく
彼女の好きな色はビリジアン
ただスカーフが決まらない
それだけで死にたいと思うこと誰も知らない」
(鈴木祥子「ビリジアン」)
きりんのことを、初めて耳にした頃の話から、始めようと思う。
「ラグジュアリィ社の“マヌカノイド”が引退するらしいぜ」
「ああ、例の、モデル用の看板ロボットか。五十年の使用契約を条件に、製作者に資金援助したっていう」
健康管理のみ重視して作られた、中途半端な味のぬるいミネストローネをひとくち飲み込んだとき、そんな話が私の背中側の席で始まった。
オフィス街の中心に作られた、共同ランチルームは、冷房がほどよく効いていて白っぽい真夏の光が溢れていた。
ラグジュアリィは、創業二百年以上にもなる“伝統(トラッド)”の代名詞のような高級服飾メーカーである。
「へえ、あの人形“五十歳”かい? そりゃ、もう相当ポンコツなんだろうよ」
「だが、あのマヌカノイドの技術は、企業秘密が徹底していて、結局五十年間、他のどこの企業でも作れなかったろう? 相当巧妙なものなんじゃないか。顔の表情だの、体の動きの自然さだの、本当にぎこちなさはまったくないものな」
「製作者、女なんだっけ?」
「女の一念ってのは恐ろしいもんだな。男じゃああいう表情の微妙さは出せないだろう」
「ラグジュアリィが契約延長の交渉をかなりいい条件で持ちかけたらしいが、聞く耳持たずで、解約日早々連れ帰ったらしいぜ」
「しかし、その女、どう考えても七十は越してる計算になるだろ? そんなババァが、人形ごっこでもないよな」
「わからねえぞ。何せ“この世で一番美しい顔を持つ少年”だからな」
そこで、意味ありげな笑い声が湧く。
「しかし“美”ってやつは、男の目は完全に無視されてるよな。あのマヌカノイドだってよ、女みてえな顔に、ヒョロンとした草みてえな体でさ。まあ、女の母性ってやつを基準に作られてるんだろうな」
「引退公演のショーも、女どもが群がる群がる。五十年のキャリアだからさ、客の年齢幅もさぞ凄かったろうよ」
ファッションショーなど一生無縁そうな中年男性たちの無遠慮な会話に、私はつい苦笑してしまった。それに気付いた彼らは、急に声をひそめた。
でもね、安心して、オジさんたち。私も他の女性みたいに、そんなにそのマヌカノイドとやらにご執心なわけじゃないのよ。
“本物に限りなく近い偽物の方が、本物より愛されるなんて奇妙な世の中だ”
その話を初めて耳にしたときの、率直な感想はそうだったのだから。
装飾過多で機能性を無視した、そのくせどう見積もっても材料費の五倍以上の値段のついたラグジュアリィの服も、流行遅れを恐れて話題性でブランド名を上げるために作られた“マスコットドール”にも正直、興味はまったくなかった。
私は勤務先の制服制度を非常に有り難く思う、ファッションなど無関心の女だったのだから。
この時間なら、オフィス街のOL達が好む美食の店は幾らでもある。だがそういう仲間同士キャッキャッと騒いで過ごす時間を、私は必要とは思わなかった。食事は栄養摂取のための時間に過ぎない。
それは、たった三か月前のことだ。なのに化石のように遠い時になってしまった、あの平凡な日々。
私は、今の住み家であるコテージから十キロほど離れた都市(シテ)に住んでいた。
マージョリー・ライル。私の名前である。あの頃は…まだ夏で、十一月の誕生日を過ぎてなかったから二十五歳だった。
中央区のオフィス街にある、建築デザイン会社のショールームが私の勤務先だった。
といっても店頭のフロアで笑顔を振り撒きながら、リビングシミュレーションシステム(LSS)を操作し、客の接待をする、コンパニオンまがいのインテリアアドバイザーではない。地味な作業服を着込み、LSSの調整と、アドバイザーたちへの操作指導を行う、裏方の作業である。
本当の所属は本社の技術開発室。情報処理の大学を十八歳で卒業し、プログラマーとしての入社後半年で、システム企画スタッフとして抜擢された。現在使用されている最新型LSSのシステム設計の半分は私が行なったものである。フロア全体にモデルルームの等身大の立体映像を映し出し、居住疑似体験をするというヴァーチャルリアリティシステムには、女性独特の感覚が不可欠だ、というのが採用の理由らしい。
今年の春。最も来店者の多い中央区支店に派遣された。来年度に予定されているLSSのシステム更新のために、顧客のニーズや捜査上レベルアップの必要な点を研究するのが目的で、企画スタッフのチーフへの昇進を前提とした派遣であった。
女性の職業としては順調すぎるほどだと思う。
しかし気掛かりがないでもなかった。
大学病院。正面玄関のドアをくぐるたびに、襲い来る、猛烈な違和感。
薬品の匂いに慣れるまでに、毎回三度はくしゃみをしてしまう。病院アレルギーとでも言うのだろうか。
ここは私の故郷だというのに。
「やあ、マージイ。楽しくやっていますか?」
診察室に入ると担当の若い医師が手招きをして、目で椅子を示した。
「全然」
鼻をすすりながら言うと、彼はクスクス笑いながらカルテを開く。
私は、彼の穏やかで正直な仕草や態度が結構気にいっている。静かな声で健康状態のことなど尋ねられても、あまりくすぐったい感じがしないのがいい。事務的なわけでもなく、変にべたついた感じもしない。
こういうところが、人工的に作られた“人格者”の長所なのである。
「あまり物事にびっくりしたくないのよ。心臓に応えるから」
「相変わらず虚無主義ですね」
彼…サイリは長い黒髪をオールバックにして後ろで束ねている。仕事の邪魔なら、切ってしまえばいいのにと言っても、母親譲りだからと笑って聞き流す。
ここに勤務しているインターンは、ほとんど私の兄弟姉妹である。
そして。この病院の地下には、まだたくさんの弟や妹たちが眠っている。
私は試験管で産まれた。
十二歳までここで育てられた。
このことが私のコンプレックスの根源。
“カイス計画”。…私の出生の秘密。“カイス”は創始者の名前であるが、今ではこのプランで生まれた“子”の代名詞として使われている。
政治・医療・科学技術・教育等、様々な分野から優秀な人材を選出し、彼らから提供された卵子・精子から、遺伝子操作と人工授精によって、社会の優秀な“部品”を作り出す計画である。
およそ五十年前に開始された、この国家の“公然の機密”のプロジェクトでは、カイス同士の“交配”による純正カイスの初代も既に国家機関のスタッフとして活躍している。…彼らは私の兄弟たちだ。
といっても“部品”としての不良品だって無いわけではない。
生後一か月の乳児期から“病棟”内で英才教育を受け、十二になると最終チェックが行われる。ほぼ一年にわたる入念なテストで心身と学業成績をチェックし、十分の一は不合格品として民間に出される。
私は、不合格品の一人だ。不合格の原因は絶対に教えてもらえない。
カイスとしては能力不足であっても民間人の中ではエリートである。大学卒業時には、カイス病棟出身の頭脳を求め、数十社のトップクラスの企業が入社を求めてきた。
大学の学費も、国から奨学金として全額支払われたし、生活費も十分以上なほど毎月振り込まれた。就職してもう数年経つのに、まだ学生時代の半額は振り込まれているし、例え失業しても生きていけるはずだ。
先のことなどわからないけど、他にしたいことがあるわけでもないし、何もせずにいるわけにもいかないから、ただひたすら目の前の仕事をする。死ぬまで独身で、このまま働き続けるのも悪くはない。
“マージョリー・ライル”という名前は私の両親…つまり精子と卵子の提供者の名をもじって付けられたそうだ。私は結構気にいっている。姓も名も、呼ばれた時の響きがいい。サイリの姓はマジェンだから、多分母親あたりが同じなのだろう。この骨格のがっしりした私の体は父譲りかもしれない。サイリと同じビリジアンの瞳は母から受け継いだのだろう。
名前をつてに両親を探して会うことは出来るけど。不思議なくらい、そういう気持ちにはなれなかった。
私は冷たいのかもしれない。例えばサイリにしたって“髪”程度の母や父に対するこだわりがある。そういう郷愁のような気持ちをかけらも感じたことが無い。やはり、心のどこかに欠陥があるのかもしれない。
カイス病棟出身者は、月一回の通院が義務づけられている。毎晩眠る前に、自宅に設置された専用コンピュータでその日の体調をチェックし、記録する。その記録データを持参するのである。そして毎回最低でも二時間ほどの検査を受ける。
“実験標本”の義務だから面倒でも仕様がない。
サイリはカルテに『順調』とメモを入れた。
「いつもの点滴と食後の薬を受け取っていってください。それから、最近仕事がハードなようだから、充分気をつけて。きみの場合はやや弱い心臓に負担が来る恐れがあります。万一のときは、速やかに周りの人にここに連絡を入れてもらってください」
「わかったわ。いつもありがとう」
「それと」
立ち上がろうとする私の右肩をサイリがそっとつかんで止めた。
「マージイ。あまり無気力になるのは良くない。きみはせっかく人間としての自由な生活を与えられたのだから」
「…忠告は有り難いけど。“自由”なんて、欲しくない人間に与えられても、何も意味はないものなのよ。“兄さん”」
皮肉でもなんでもなく、そう答えると、彼は溜息をついて私の肩から手を離した。
「元気で。また来月」
彼は独特の笑顔で私を送り出した。患者に絶対的な安心感を与える笑顔だ。
ガラス製の柱が林立する中を、私は何を想うでもなく歩く。
柱の中には、人工の羊水に包まれながら安らかに眠る、私の幼い兄弟たちがいる。
毎月、来院のついでに地下の“兄弟”たちに“挨拶”をしていくのが習慣である。
彼らは六歳までこのケースの中で睡眠学習を受けながら育てられるのだ。私もサイリもここが故郷なのである。
ここで生まれた以上、外の世界に私の本当の自由などありえない。生まれた当初の目的通り、優秀な“部品”として生きることがカイスの生きがいではないか。
サイリ。あなたに私の気持ちなどわかるはずがない。
夏も終わろうとしているある日。私は“きりん”と出会った。
きりん。
私のモノトーンの毎日に突然投げ込まれた、大輪のケシの花。
彼と出会ったあの日のことを思い出そうとするだけで、目眩がする。
ひどく暑い夕暮れだった。
水蒸気がねっとりと、ノースリーブの腕に絡みつく。
私はその時、最悪の気分だった。
本社の気にいらない後輩が、支店に出張してきた。夕食の約束を無理やり迫られ、断ったのはいいが、その直後、偶然妙な噂を聞いてしまった。
その彼が私を誘えるか否かで本社の男性社員が賭けをしているらしい。
相手にする気にもならなかったので、後で彼に会っても素知らぬ顔で通したが、夕方職場のドアをくぐる瞬間、緊張が解けてしまった。あまりの馬鹿馬鹿しさに、目の前が真っ暗になった。
職場のビルの前の公園に、何気なく足を向けた。セントラルパークと呼ばれるかなり大きな公園である。
一人暮らしの部屋に、直接帰る気にならない。誰もいない部屋で本当の独りぼっちになるよりは、誰一人声をかけてくれなくても、中東半端な孤独を味わえる場所が今はいい。
第一印象が強烈だったのはそんなグレイな気分の中だったせいもあるかもしれない。
夕暮れ独特の黄金色の空気を身に纏って彼はそこに佇んでいた。
背の高い、十五、六歳位の少年であった。
耳元で切り揃えた蜜色の髪。
真白い絹のシャツが光を乱反射している。細い黒いパンツのポケットに両手を突っ込んで、空を仰いでいる。
少し長めの首筋から肩へ、奇跡のようなバランスを保ちながら流れるライン。
瞳に、燃えるような夕暮れ色を映している。
彼は、突然の天然色だった。
本当に文字通り、絵のような風景だった。私は生まれて初めて本当に目を覚ましたように感じた。
足元を流れている人口川のせせらぎだけが、耳に響く。
「何?」
エコーがかかっているような、不思議な響きの声。変声期を過ぎた男の子にしては透明な声。そう、楽器の…パイプオルガンのような。絵が突然しゃべり出したように、びっくりして私はパチパチと瞬きをした。
「何か用?」
眉間に皺をちょっと寄せ、再び訝し気に聞いてくる。ああ、本当の目の色は淡いブルーなんだ。まるで鏡のように澄んだ瞳。でも、その目に映すものの光を何倍もの強さにしてはねかえしてしまう。
でも。なぜそんなに、息苦しそうな瞳をしているの? 本当はそう聞きたかったけど。
「あなたこそ、ここで何してるの?」
ああ…退屈そうに溜息をついてから、彼はこう答えた。
「待っているんだ」
「ふーん」
待ち合わせか。
「ガールフレンドに待ちぼうけ食らって拗ねてるってとこ?」
「違う。捕まえられるのを待ってるんだ」
妙な冗談を言う子ね。面白くも何ともないけど、取り敢えず話を合わせてみよう。
「追われてるの? 誰に?」
「姉貴に」
fufu。鼻で笑い、私を見下ろす。もしかして、からかってるの?
「捕まえられたいの? お姉さんに」
「帰らなきゃいけないんだ。でも自分の意志で帰るのはいやだ。だから、捕まえられやすいように、目立つところでこうやって待ってるのに、ちっとも見つからない。人間って無能だな、まったく」
「あなただって人間でしょ? お姉さんと喧嘩して、拗ねて駄々こねてるだけの」
彼は、ちょっとキョトンとしてる。
「あんた、知らないのか?」
「何を?」
「俺のこと。俺、結構“有名人”なんだぜ」
この子、自信過剰なようだ。可哀想に、せっかく綺麗な顔してるのに、それが仇になって性格が捩くれてしまったようだ。
「じゃ、何で俺のこと見てた?」
「目立つから」
「ハハハ、仕方ないんだよ。俺を見たヤツは絶対に目をそらせないんだ」
「なあに、それ」
「まあいいや。誰かに声かけられるのを待ってたんだ」
…ったくみんな勇気がねえんだよなあ…彼はおかしそうに、独り言を呟きながらポケットから何か取り出した。
「ここに、通報してくれ」
プラスチック製の小さなカードに電話番号が書いてある。
「自力では帰りたくないんだ。絶対に」
「家出常習犯なのね。電話すれば迎えが来てくれるの?」
カードをひっくり返しながら、そう尋ねた。
「麒麟を見つけたって言えばわかるから」
「“きりんを見つけた”? …何それ。何かの暗号?」
「あんた、本当に知らないんだなあ」
けらけら笑う彼を背中に携帯電話を開いた。これ以上彼と話していると目眩がしそうだ。
カードの番号に電話をかけると、つながったのはペリエ・クゥオンといういう個人名のついた研究所だった。戸惑いながら、私が彼に言われた通りのことを告げると、受付の女性は慌てて『担当の者へつなぐのでお待ちください』と言った。
研究所…? 変なところに住んでるのね。そう訝っていると、初老の男性らしい声が電話に出た。
『麒麟を見つけた…セントラルパークですね。そうですか。ありがとうございます』
「待って。あの子…何者なの? 差し支えなければ教えて」
『ご存知ないのですか。彼はラグジュアリィ社のマヌカノイドです』
パイプオルガンのような、あの低く深く透明な声は、電子音? 青く燃える炎のように強烈な眼差しはクリスタルガラス製?
あれが、本当にロボットなの?
電話を切ったことさえ覚えていない。涙が溢れてくる。
どうしよう。この涙は何だろう。
あんな子供だましに、引っ掛かるものですか。決して。決して。
カードを“彼”に返すことさえ忘れ、私はふらふらと帰路に着いた。
私はその時生まれて初めて恋をしたのだ。
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