自由散文詩掌編『謝花の後悔』

朶骸なくす

『掌編』蝶のやりくち―第壱羽―

 人間より大きい蝶がいた。

 蝶は大きいことが誇りであり、自分を崇める人間が好きであった。

 人間は時の節目に生贄を寄越す。大変、ありがたいことだ。それまでの蝶の生活は山道や川で水浴びをしている女人を襲っては腹を満たしていたので、いつ坊主が払いにくるかと戦々恐々としながら生きてきた。だから今の生活は、大変、満足している。

『神』になる前の話だ。ふらついた旅の中、貧困に喘いでいる村があった。そこが今、私を『神』だと仰いでいる村である。

 当時、痩せ細った人間しかおらぬ村に用は無く、早々に立ち去ろうとした時、ある女人が私の前に躍り出て、

「ケモノ様、ケモノ様、どうかどうか雨を降らしてくれませぬか、なんでもいたします、なんでもいたします」

 私を見つけたことも驚いたが、女が必死に叫び、己を差し出したことに驚いた。

 今まで襲ってきた女は、皆「いやだ」「助けて」「やめて」としか叫ばなかった。それ達を逃げぬよう足で地面に縫い付け、口を心の臓腑に突き刺し食べる。

 目から水が溢れ出し、口の中から音を出し続け、皮膚は真っ青になり動かなくなる。

 蝶は『食べる』という行為がよく分からなかったが、腹が満たされる、女人は死ぬことから家畜や草木の命を刈る人間と同じであるからして、人で言うところの『食事』であると理解していた。

 だから、己の前に出てきた女が手を合わせて懇願してくることに戸惑ってしまった。

 蝶は言葉を話すことができない。地に足をつけ、ゆっくり大きな翅を閉じる。

 それに女は嬉しそうに微笑み、涙を流しながら「ありがとうございます、ありがとうございます」と頭を下げる。

 一頻り頭を下げた後「こちらでございます」と女は蝶の動きに合わせて歩き、村外れの小さな社の前に辿り着いた。

「古い祠でございます。前まではケモノの神様が村をお守りくださっていましたが、十数年前に神の帰る場所へ旅立ったのだと言い伝えがございます」

 古いと言うわりには、祠は朽ちていない。世話された跡があった。

 蝶は、女が自分を見つけた理由がわかった気がした。ここを守る家系なのだ。

 返事の代わりに翅を羽ばたかせると、女は笑い、

「これで雨が降ってくれる。作物も……あぁよかった、よかった」と呟いて、うやうやしく頭を下げると、

「雨乞いの日取りは如何なさいましょう。舞などは出来ませぬし、ああ、でも貴方様を喜ばせる神事は失われておりまして……」

 正直なところ、蝶は神様でもなんでもない。彼女が望む雨、大地の実りをなんとかする神の力などない。

 痩せ細り、傷ついた体を撫でながら女は思案しているようで、少し経つと顔を上げて、目を輝かせながら、

「実を、果実をお持ちします。私が知っている山の中に柘榴やあけびが生る場所がございまして、それをお持ちいたします」

 蝶は怪訝に思った。てっきり女は体を差し出すと思っていたからだ。それを果実で補うとは、騙されたか? と思うも、目の前で今にも踊りそうな女を見て疑惑を拭う。

 馬鹿正直そうな女だ。まずはご機嫌とりなるものをするつもりだろう。そう思うことにした。

 走り去る彼女の背を見届け、蝶は社を見た。

 自分の大きさ程の鳥居、本殿らしき部分の屋根は枯れ草があるものの壊れてはいない。木の床も傷つき色褪せど、蝶が足を乗せて壊れない程度には、しっかりしている。

 翅に気を付けながら中に入ろうとしたが、入り口は狭く入れそうにはなかった。

 蝶は、入り口の前で構えるのはどうかと思い、翅をはばたかせ本殿の屋根に跨る形で身を落ち着かせ、女を待つことにした。

 旱魃、疫病、飢饉、彼女の細い体を見れば分かる。この村は駄目だ。そして自分に神通力などない。しかし、なぜか女を待ってしまう。

 なぜだろう。

 そういえば女は、なぜ果実が生る場所を知りながら、か細い体なのだろうか。

 今まで「なぜか」を考えず、本能のままに生きてきた蝶には少し難しい。生きていく中、染み付いた本能は『食べる』『生きる』『坊主に気を付ける』であった。

 なぜだろう。

 初めての思考の波の中で泳ぎながら女を待つ。

 ふと空を見た。日差しは陰り、段々と水のにおいがする。

 雨だ。

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