4-4 聞きたいこと
心が軽い。
今思えば、家族以外の人とまっすぐ向き合ったのはこれが初めてだったのだ。話す前は正直、怖かった。また同じことの繰り返しになってしまったらどうしようと、思わなかった訳ではない。
でも、宇多は過去の自分も含めて受け入れてくれた。
話して良かった。話せて良かった。逃げずに向き合えて、良かった。
だから、今度は。
――恵麻と向き合う番だ。宇多は言っていた。恵麻は「とあること」で悩んでいて、それを解決できるのは景だけなのだと。
恵麻のためにも、ちゃんと話そう。
景は心に決めて、恵麻の家へ向かう。
(おおお落ち、落ち着、落ち着きましょう)
ついつい、早足になってしまう。緊張なんてまったく経験したことがないはずなのに、さっきから鼓動が速くなっているような気がする。宇多と話をしていた時とは少し違った緊張感だ。
(落ち着……はっ、そうです!)
落ち着け落ち着けと念じていたら、景は良いことを思い付いた。ニヤリと笑みを零しつつ、景は洋菓子店に寄りショートケーキを二つ購入する。恵麻がまだケーキを食べられる体調じゃないかも知れないが、その場合は家族に食べてもらえば良いだろう。とにかく景はケーキを持って行きたいのだ。
「あら、景ちゃん。今日も来てくれたのね。恵麻の体調はだいぶ良くなったから、長居してくれて良いのよ?」
呼び鈴を鳴らすと、笑顔の母親が出迎えてくれた。心なしか、昨日よりも優しい表情をしている気がする。母親の言葉通り、恵麻の体調は順調に回復しているのだろう。
「や、やあけーくん。今日は遅かったね」
ノックをして恵麻の部屋に入ると、ベッドに座った恵麻が出迎えてくれた。格好は昨日と同じパジャマ姿だ。
「ええ、ちょっと友情ルートが長引いてしまいまして」
「……?」
意味がわからないように小首を傾げる恵麻に、景は意味あり気に微笑む。そんな景を見て、恵麻は「何なのもー」と呟いて頬を膨らませた。反射的に可愛いと思ってしまい、景はますますニヤけてしまう。
「……そ、そういえばさ! アニソン戦争の観覧、当選したんだよね? けーくんも犬間くんも」
景から視線を逸らしながら、恵麻が訊ねてくる。
景は、腰を下ろすタイミングを見失ったまま返事をした。
「そうなんですよー。僕も犬間さ……あいや、宇多さんも、無事恵麻さんを見守れることになりました!」
「あ、犬間くんと名前で呼ぶ仲になったんだ」
「ええそうなんですよ! 友情ルートとはつまりそういうことなんです! ……って、今はその話じゃなくて!」
景が乗り突っ込みをすると、恵麻は小さく微笑む。昨日は元気がないように見えたが、今日は体調とともに元通りになったのかも知れない。
「わかってるって。……けーくん。私をひいきしないで、ちゃんとジャッジしてよね。私の大好きな囚われのエリオットのためにも。よろしくお願いします」
恵麻は軽くお辞儀をしてから、景をじっと見つめる。緋色の瞳に、景は思わず吸い込まれそうになった。昨日、たくさん弱々しい恵麻を見てしまったから。アニソンにまっすぐな恵麻を目の当たりにしてしまって、心が震える。
「けーくん、返事は?」
「は……はい! もちろん、わかっていますよ。恵麻さんを応援したい気持ちはありますが、僕も囚われのエリオットが大好きですから。ちゃんと相応しい方に投票しますよ」
「ん、よろしい」
景の言葉に、恵麻は満足気に頷く。
(……おや?)
しかし、ここで何故か会話が途切れてしまう。身体の具合はどうだとか、アニソン戦争が近付いてきて緊張しているか、とか。聞きたいことはたくさんあるはずなのに、言葉が出てこない。
ベッドに座ると恵麻と、その場に突っ立っている景。
傍から見ると変な状態のまま、二人は見つめ合ってしまう。
「……とりあえず、座りなよ」
「あ、そ、そうですね」
ようやく恵麻にそう言われ、景は我に返ったように突っ立っているのをやめ、座り込む。恵麻の隣の、ベッドの上に。
「えっ」
「……駄目、でしたか?」
無意識だとか、体が勝手に、とか。そんな言い訳はしない。
恵麻とじっくり話をするために。わざと、恵麻の隣に座った。拒否されたらすぐに離れるつもりだった。
「い、いいい、いやぁ? べっ、別に良いけどぉ?」
完全に動揺している恵麻がそこにはいた。どうしよう。どう見ても、恵麻は無理をしている。やっぱり、急に距離を縮めすぎただろうか。
「おお、落ち着いてください、恵麻さん! ……あっ」
恵麻とどんな会話をするのか。想像はしていなかったけれど、だいたいの予想はできていた。二人とも落ち着けなくなる状態になる可能性がある、ということを。
だから景は、落ち着けなくなった時の対処法を用意していた。
少しだけ恵麻から離れ、そそくさと買ってきたケーキの箱を取って恵麻の隣に戻る。そして、箱の中身を恵麻に見せながら言い放った。
「恵麻さん! 落ち着ケーキ、です!」
そう。ただそのダジャレを言いたいがために、景はケーキを買ったのだ。もしかしたら、頭のおかしい行動なのかも知れない。でも、いつも通りダジャレを言い放てば落ち着けると本気で思ったし、恵麻も安心できると思ったのだ。
「はっ! ちょ、ちょっと待っててけーくん!」
少しの沈黙のあと、恵麻は何かを思い出したように瞳を開き、その場に立ち上がる。と思ったら、早足で部屋を出ていってしまった。
恵麻の素早い行動に驚き、景は何も言うことができず茫然としてしまう。
(さ、さ、さ……流石に空気の読めない奴と思われたでしょうか……)
恵麻がダジャレに笑ってくれる性格だからと言って、安心しすぎたのかも知れない。ここは真面目モードになるべきだったと、冷や汗が流れる。
「けーくん!」
でも、恵麻はすぐに戻ってきてくれた。
大きめの丸い缶ケースを両手で抱えながら、再び景の隣に座る。頬は朱色に染まり、どこか照れているような様子だ。
缶ケースには、「クッキーアソート」と書かれている。
「お……落ち着クッキー…………。なんちゃって」
えへへ、とわざとらしく笑いつつ、恵麻は恥ずかしそうに景から目を逸らす。
景はビックリしすぎて未だに声が出ない。だって、この返しをするためにわざわざ部屋を出て取りに行ってくれたのだ。照れたように笑う恵麻はとても愛らしい。でも、可愛いと思う感情以上に嬉しいと思ってしまって、景の顔は綻んだ。
「やっぱりけーくんはけーくんだね。昔と何も変わってないよ」
「そうですか? 一瞬だけ引かれたかもと思ってしまったので、少しは変わりましたよ」
「そうなの? でも、引く訳ないじゃん。むしろ、そういうことをしてくるところが、私は……」
言いかけて、恵麻は目を伏せる。
景は咄嗟に、何か言うことはないかと言葉を探した。でも、こんな時に限って何も出てこない自分が情けなかった。恵麻に無理をさせたくない。せめてアニソン戦争の前である今だけは、自分が頑張りたいのに。
「恵麻さん、あの……」
「待って。……あのね、聞きたいことがあるんだけど、さ」
「は、はい」
恵麻が身体ごとこちらを向いて、正座になる。だから景も正座になって、恵麻と向き合った。ベッドの上に正座で向き合うという、やっぱりよくわからない状況だ。
「…………私のこと、どう思ってる……のかな、なんて」
声はどこか弱々しいけれど、緋色の瞳は必死にこちらを向いている。それだけ真剣に訊ねてくれているのだ。
だからこそ景は、何の躊躇いもなく答えることができた。
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