4-5 恋と夢

「好きですよ」


 と、まっすぐ恵麻を見つめながら言い放つ。

 もしかしたら、うっすらと微笑む余裕すらあったかも知れない。


「ふえっ? あっ、いや、あのっ。…………へぇっ?」


 きっと、景が冷静でいられるのは恵麻の大袈裟な反応のおかげなのだろう。耳まで真っ赤にさせて、驚きを隠せないように視線をあっちこっちに動かしている。

 恵麻の反応が楽しくて、景は畳みかけるように言葉を続けた。


「アーティストとしてももちろんですが、人間としても……というか恋愛感情として、ですね。自分のやりたいことに突き進む恵麻さんの姿は格好良くて、久しぶりに会った幼馴染ですけど、幼馴染以上の感情が芽生えました」


 自分でも驚くくらい、すらすらと言葉が出てきた。でも、これが自分の素直な気持ちなのだから仕方がない。先程宇多と向き合ってわかったのだ。どんな結果が待っているかはわからないけれど、本心を伝えるという行為はとても心が軽くなる。

 宇多に対してそうだったように、恵麻に対しても後悔なく接したいのだ。


「けーくんは、さ」

「はい、何でしょう」

「私がアーティスト活動してるからって、出会いがたくさんあって恋愛経験が豊富……とかって思ってる訳じゃないよね?」


 まるで睨むようにして景を見つめながら、恵麻は訊ねてくる。

 景は何でもないように、首を傾げながら答えた。


「そんなこと思いませんよ。高校一年生で恋愛経験豊富だったら違和感を覚えるくらいです。だいたい、今の恵麻さんは非常に……経験豊富じゃないオーラが出ています!」

「うううううううう……」


 自信満々に言い放つと、恵麻は唸り声を上げながら縮こまってしまう。元々小柄な恵麻の姿が、ますます小さく感じた。

 少々、調子に乗りすぎただろうか。宇多と本心で語り合ってから、自分の中の何かが解き放たれてしまった気がする。

 でも、「だから仕方がない」なんて、心の中で言い訳を考えている場合ではなかった。


「……もしかして、アニソン戦争前に言っちゃ駄目なことでした?」


 落ち着いて、景は恐る恐る恵麻に訊ねる。

 体育座りで俯いてしまっていた恵麻は、ゆっくりと顔を上げてくれた。そして、違う違うと言いたいように、小さく首を横に振る。


「い、いや、良いの! 元々私ももやもやしてたっていうか、結野さんに嫉妬してたっていうか……」


 ――紗々里に嫉妬?

 と不思議に思う前に、景の口から思わず零れ落ちる。


「あ、僕も昨日の宇多さんに嫉妬しました」


 と馬鹿正直に言うと、恵麻はわかりやすく「あっ」という口になってフリーズしてしまった。やがて、


「……そっか。そういう風に取られちゃったのか……」


 景が真横にいるにも拘らず、眉間にしわを寄せて独り言を漏らす。


「恵麻さん?」

「あ、あの。それはね。……犬間くんに私の気持ちがバレたみたいで、相談に乗ってもらってただけでね。だから、何でもなくて」


 まるで言い訳をするように、恵麻は震えを帯びた声を出す。

 恵麻の言葉に、思わず景は「どうしたものか」と目を細めてしまう。


「ど、どうしたの、けーくん?」

「いやぁ、あの。突っ込んで良いものかどうか……」

「……な、何が?」

「恵麻さん今、私の気持ちって……」


 悩みながらも、景はまたまた正直に言葉を漏らしてしまう。

 すると――今度こそ、恵麻は完全に固まってしまった。俯く恵麻はもちろん言葉を発しない。ただ、「やっちまった!」という文字だけが浮かび上がって見えた。


「だ、大丈夫ですか? 恵麻さん」

「……大丈夫だよ。私は……私は仏。何を言われても動じないの」


 顔を上げた恵麻の顔は、死んでいた。

 さっきから慣れない話をしすぎて壊れてしまったのだろうか。少し話を逸らそうと、景は笑いながら声をかける。


「仏ですか。つまりは、ほっとけってことですね! ほとけだけに!」

「……ふふっ」


 景の放った一撃は、すぐさま恵麻の心にヒットしてくれたようだ。

 口元に手を当てながら笑う恵麻は、やがて観念したように小さなため息を零す。


「うん、まぁ……その。今更誤魔化すあれでもないんだけど、何と言うか……ね?」


 ダジャレのおかげで仏状態から回復した恵麻は、再び頬を赤らめながら言葉を紡ぐ。しかし、なかなか言葉がまとまらないようで、困り眉になってしまっている。

 景は、恵麻のそんな姿が可愛らしいと思った。今まで恋愛に興味がない――というよりも、深い人間関係を避けてきたのだ。女性を心から可愛いと感じるのは、もしかしたら恵麻が初めてかも知れない。

 なんて、意識をしてしまったら。景自身も落ち着かなくなってきそうだ。


「恵麻さん、可愛いですね」

「う、うるさいなぁ! だいたい、けーくんは落ち着きすぎてるんだよぉ!」


 景が正直な感想を漏らすと、恵麻の顔はますます赤みが増してしまった気がした。このせいで熱が上がっちゃったらどうしよう、なんて今更な心配が頭をよぎる。


「落ち着ケーキ、食べますか?」

「うん、それはあとでいただくから大丈夫だよ。……っていうか、うん。ありがとうね。ダジャレ言うためにわざわざ買ってきてくれたんでしょ? そういうところがけーくんらしいっていうか……きっ、嫌いじゃないよ!」


 勢いよく言い放ち、恵麻は視線を逸らす。

 思わずじっと見つめると、恵麻は両手で顔を隠してしまった。

 可愛い、と言いそうになるのをなんとか堪え、景は小さく息を吐く。


「本当に、一度落ち着きましょうか。このままでは恵麻さんの体力が持ちません。まぁ、僕もなんですけど」

「……そうしてくれると助かるよ。でも、けーくんは結構平気そうだけどな」

「そんなことないですよ」


 不服そうに呟く恵麻の言葉を、景はすぐに否定した。


「僕はまだ、恋愛ってどうすれば良いのかわからないんです。何せ僕は、友達すらようやくできたくらいなんですから。しかも、ついさっきの話です」


 景は自嘲的に笑い、言葉を続ける。


「だから安心してください。っていうのもまぁ、変な話ですが。……今僕は、恵麻さんの質問に答えただけです。ですから、ちゃんとした言葉はいずれ、ちゃんとします。だから恵麻さんも頑張ってください」


 景の言葉に、恵麻は一瞬「え?」という不安気な顔になる。

 だから景は、笑顔で首を振った。


「アニソン戦争を、ですよ。囚われのエリオットには恋愛要素ないじゃないですか。肉親に対する愛情はあっても。関係ない感情を持ち込んだまま、アニソン戦争に臨んじゃ駄目ですよ」

「あ、ああ……」


 そういうことか、という声を恵麻は漏らす。

 でも、何故か不安そうな表情は消えなかった。不思議に思い、景は訊ねる。


「どうしました?」

「う、うん、それなんだけどね。……実はちょっと、アニソン戦争が不安なんだ。だから、けーくんに話を聞いてもらえたら嬉しいなって、思ってて」

「え、そうなんですか?」


 今度は、景が驚く番だった。

 だって、宇多が言っていたのだ。恵麻は景にしか解決できない悩みを抱えているって。恵麻と話をしているうちに、てっきり恋愛的な話だとばかり思っていた。その考えは違っていたのだろうか?


「恵麻さんって、恋の病で悩んでいたのではなかったんですかっ?」

「単刀直入に言うなぁ! それもそうだし、犬間くんに相談しちゃったけど! でもそれじゃあただの恋に腑抜けてる人みたいじゃん。いやそうなんだけど……ああもう、そうじゃなくて!」

「す、すみません。話、ちゃんと聞きますから」


 再び取り乱し始めてしまう恵麻を見つめて、景は正直意外だと思った。

 恵麻は、初めてのアニソン戦争に燃えていたはずだ。原作の囚われのエリオットも大好きだし、完成した曲も自信満々だと言っていた。

 あとはもう、本番で自分の想いをぶつけるだけ、と。

 少し前の恵麻は言っていた気がするのだが。恵麻がアニソン戦争に対して不安だと口にするのはもちろん初めてのことで、景は内心動揺してしまう。


「こんな弱気なこと言ったら、結野さんに鼻で笑われちゃうと思うんだけどさ。……本番が近付いて来るにつれて、負けたらどうしようって気持ちが芽生えちゃってさ」


 ――負けたらどうしよう。


 まさか、恵麻からそんな言葉を聞く日が来るとは思わなかった。驚きで、景は相槌を打つことすらできない。


「正直さ、このチャンスを掴めなかったら一生アニソン歌えないんじゃないかって思うんだ。私はまだ若いかも知れないけど、最近じゃ中学・高校でデビューする人なんていっぱいいる。若さは武器にならないんだよ。やっぱり、自分で掴み取らなきゃ前には進めない」


 弱々しい声で、恵麻は本音を口にした。

 確かに、「オーディションの優勝者は中学生!」とか、「現代女子高生アニソンシンガーがテレビ初進出!」とか、最近よく見かける気がする。

 恵麻は確かに若いけれど、それが武器になるという業界ではないのかも知れない。


「アニソン歌手だけじゃなくて、声優さんとかアイドルとか、ライバルはたくさんいて……。私の個性ってなんだろうって思ってさ。結野さんみたいにツインテールでロックな格好! みたいなキャラ付けもしてないしさ。……あ、今の結野さんには内緒ね。似合ってて可愛くて羨ましいなぁって思ってるだけなんだけど」


 ははは、と恵麻は乾いた笑みを漏らす。

 景もまた同じように笑いながらも、頭の中はぐるぐると回転していた。景はまだアニソン歴が浅い。でも、恵麻の言いたいことはなんとなくわかる。

 この世にはアニソンを歌いたい人がたくさんいて、恵麻はその一人に過ぎない。魅力的な歌手がたくさんいる中で、今恵麻はチャンスが巡ってきている。でも、これを逃してしまったら。

 また、一からやり直しになってしまう。チャンスはもう、巡ってくるかどうかなんてわからないのだから。


「恵麻さんは、何がきっかけでアニソンが好きになったんですか?」


 何だか、考えすぎていたら自分まで弱気になってしまう気がした。景は、自分の気を紛らわせるためにも恵麻に訊ねる。


「あー……っと。けーくん、冒険ぼうけん日和びよりのフリージアって作品知ってる? 囚われのエリオットと同じ魔見夢コミックスから出てる漫画なんだけど」

「……すみません。名前くらいですね」

「まぁ、これも女性向け作品だからね。私が小学四年生の時にアニメ化されたの。ちなみに、OP曲は結野さんのお母さんの結野知由里さんね」


 恵麻の口から「結野知由里」という名前が出た瞬間、景は、「ああ、だからなんとなく名前を知っていたのか」と気が付く。


「元々原作から好きだったんだけど、アニメで火が付いちゃって。私がアニメ好きになったのも、アニソン好きになったのも、この作品がきっかけなの」


 つまり恵麻は、小四の時にアニメとアニソンが好きになって、今から約一年前にゲームソングでデビューをしたのだ。

 きっと、アニメやアニソンが好きだという情熱で、恵麻はここまで頑張ってこられたのだろう。


「そういえば、そうだったね。今までけーくんに自分のこと、全然話せてなかった。私ね、中一の頃からオーディションに応募するようになったの。で、中三の時に受けた三回目のオーディションで優勝できて、デビューできたって訳。……なんか、今更でごめんね? けーくんと再会できたことは嬉しかったけど、やっぱりアニソン戦争のことで頭がいっぱいで……」


 心から申し訳なく思っているように、恵麻は元気のない笑みを向ける。でも、景はその笑顔を見て逆に安心していた。

 大丈夫。好きという気持ちでのし上がってきた恵麻ならば、きっと。

 万が一負けたとしたら、恵麻は物凄く落ち込むだろう。でも、「このチャンスを掴めなかったら一生アニソンを歌えない」ことなんてないのだ。好きという気持ちが消えなければ、諦めるという気持ちにも絶対にならない。


「大丈夫です。恵麻さんは凄い人ですから。僕が保証します」

「……何か、適当に言ってない?」


 呆れたように、恵麻は笑う。

 でも、景は真面目だった。


「適当じゃないですよ。好きという気持ちでデビューできた恵麻さんなら、絶対に大丈夫です。もっと自分を誇ってください。じゃないと、本当に囚われのエリオットのOP曲を結野さんに取られてしまいますよ? 良いんですか?」

「……もう」


 恵麻は小さくため息を吐き、苦笑する。


「そういう聞き方するのは卑怯だよ」

「仕方ないじゃないですか。不安に打ち勝つ方法はやる気しかありません。僕だって、囚われのエリオットが好きになってしまったんです。恵麻さんがOPを担当することになったらどれだけ幸せなことか。だから恵麻さん。勝ってください」


 真面目だけど、へらへらと笑いながら。

 景は何でもないように告げる。別に景は、恵麻が勝つのが当たり前、と思っている訳ではない。恵麻が囚われのエリオットのOPに相応しい曲を披露してくれることを信じている。ただ、それだけなのだ。


「けーくんって、強いんだね。そんなことさらっと言えちゃうなんて」

「いえ、僕は弱い人間ですよ。最弱です。これから強くなっていきますよ」

「なんだそりゃ」


 やっぱり恵麻は、呆れたように笑う。

 でも、元気のなさはもうすっかり消えてなくなったようだ。


「でも、そっか。不安を打ち勝つ方法はやる気、かぁ」

「そうです。恵麻さんだって、まだまだ叶えたいことがたくさんあるでしょう?」


 訊ねると、恵麻の頬が緩んだ。

 もしかしたら本当に、やる気が不安を打ち消してくれたのかも知れない。


「うん、ある。いっぱいあるよ。囚われのエリオットももちろんそうだけど。それ以外にももっとたくさんのアニソンを歌っていきたいし、シングルを何枚か出したらいつかはフルアルバムが出せるかも知れない。そしたら私のワンマンライブをやって、私の名前が入ったTシャツやマフラータオルなんかも出ちゃったりして、それで……!」


 恵麻の瞳は、キラキラと輝いていた。まるで等身大の高校生のように、楽しそうに夢を語っている。でも、どれもこれも無謀なことではないのだ。

 アーティストデビューしている恵麻ならば、叶えられるかも知れないことばかりなのだ。そして恵麻自身も、それを理解していたのだろう。


「そうだ……ね。うん! 私、もっと頑張らなくちゃ。うじうじ悩んでる場合じゃなかった!」


 えへへ、と恵麻は照れたような笑みを向ける。


「ああ、良かったです。僕は恵麻さんのそういう笑顔が好きなんですから」

「うっさいうっさい! ……で、でもまぁ……ありがとう」


 眉間にしわを寄せて、恵麻は恥ずかしそうに視線を逸らす。


「アニソン戦争のことも……れ、恋愛的なものも。けーくんと話せて、すっきりしたから。犬間くんにも心配かけちゃったから、お礼言っといて」

「わかりました。……っと、少々長居しすぎてしまいましたね。そろそろ夕食時ではないですか?」


 景はベッドから立ち上がり、いそいそと帰る支度を始める。恵麻も壁時計を見て六時半を過ぎていることに驚いたのか、目を丸くさせた。


「わっ、もうこんな時間? ケーキとかクッキーとか、食べてる暇なかったね」

「あ、確かにそうですね。ケーキはお母様と一緒に食べてください」

「え? そんなぁ。えっとじゃあ、クッキー持って帰ってよ! 小袋に入ってるから、一つでも二つでも!」


 恵麻はクッキーの缶から小袋を二つ取り出して渡す。「じゃあ家で落ち着クッキーしますね」と言って受け取ると、「私もあとで落ち着ケーキするね」と笑う。


「じゃあ、僕は帰りますね。次会う時は……本番でしょうか」

「だね。……アニソン戦争、気合い入れて頑張るよ!」


 握りこぶしを作って、言葉通り気合いを入れる恵麻。


「恵麻さん。充分元気そうには見えますが、まずは体調を万全にしてくださいね」


 景は苦笑しながら、正論を述べるのであった。



 今日はとても長い一日だった。

 放課後から数時間、二人と紡いだ言葉が一つ一つ浮かび上がってくる。景にとって、初めて自分の心と戦った時間だった。たくさん考えたし、たくさん鼓動が早まった。でも、こんなにも神経を磨り減らしたのは相手が恵麻と宇多だったからだ。

 恵麻に惹かれる気持ちがあったから。宇多とちゃんと友達になりたかったから。

 だから今日は頑張った。頑張って、本当に良かった。

 そして、次に頑張るのは――恵麻の番だ。自分がどれだけ力になれたかどうかは、わからない。でも、ここから先は恵麻の味方になることはできないのだ。

 自分も一人の読者として、囚われのエリオットのOPを見守りたい。

 そう思って、その日の夜は囚われのエリオットの第一巻に手を伸ばす。景も本番に向けて、囚われのエリオットの世界に入り込んでいった。

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