4-3 友情ルート

 まずはどこから話したものか。

 幼稚園の頃は宇多も知っている通り、恵麻と仲が良かった。言い方がおかしいかも知れないが、その頃は何も問題なかったのだ。恵麻は景のダジャレに笑ってくれる性格だったし、景は自由気ままに過ごしていた。まぁ、園児の頃から色々考えながら過ごしていた――なんて言ったら、幼い頃から闇を抱えすぎだろう! という話になるだろう。


 問題は、小学生に上がってからだった。

 初めて恵麻以外の同性の友達ができて、三年生までは仲良く過ごしていた。四年生に上がったばかりの頃だっただろうか。友達の態度が一変したのだ。すぐにダジャレを言ったり、何ごとに対してもへらへらと笑ったりする景が気に食わないらしく、しまいには「何を考えてるのかわからねぇんだよ」と言われてしまう。険悪なムードが続いたと思ったら、友達……だった人が「あいつは変な奴だ」と広め、いじめにまで発展してしまった。それから小学生を卒業するまでは、とにかく耐えて、耐えて、耐えまくった。


 早く卒業しよう。そうすれば、一から始められる。中学生になったらクラスメイトとはそれなりの距離感を持とう。誰に対しても敬語で良い。ちゃんと勉強だけして、クラス委員長のような立ち位置になれば良いのだ。

 中学時代は、本当にそのように過ごした。何も後悔はなかった。いじめられることなんてない。変な奴と思われることもない。それなりにコミュニケーションも取っているから、グループ分けにも困らない。


 完璧だった。だから、高校もそうやって過ごすつもりだった。

 でも、恵麻と再会して、宇多と出会った。

 そしたら気付いてしまったのだ。今まで、自分がどれだけ寂しい生活を送っていたのかということに。――そうだ。本当は、寂しくて仕方がなかったのだ。恵麻や宇多と過ごすのが、あまりにも楽しくて。景は、少し前までの自分を忘れようとしていた。


 でも。

 それはつまり、「今までの自分を隠す」ことになる訳で……。


「犬間さんに訊ねられて、気付いたんです」


 宇多がどんな反応をするかなんて、考えるだけで怖い。だけど、怖い以上に思うことがある。


「犬間さんには、ちゃんと伝えたいって。……ずっと、逃げてましたけど。犬間さんとしっかり向き合って、それで…………友達になりたいって」


 声が震えた。馬鹿みたいだ。

 いつもはへらへらと笑って、躊躇いもなく何でも言えるのに。全然自分じゃないみたいだ。中学生の頃からずっと、「仁藤景」という人物を演じていた。崩れ落ちてしまったら、こんなものなのだ。

 こんなネガティブな発想をするのは、もしかしたら小学生振りかも知れない。今までの景とはギャップがありすぎて、きっと宇多は困惑しているだろう。

 向き合いたいと言いながら、向き合うのが怖い。

 自分はこんなにも弱々しい人間だったのかと、落胆した。


「仁藤」

「……はい」


 返事をしつつも、宇多の顔が見られない。

 何を言われるのか怖いと思ってしまう自分が、嫌で嫌でたまらない。


「お前ってさ。……実は普通な奴なんだな!」

「…………え?」


 だから、ビックリした。心の底から、驚いてしまった。

 宇多の明るい声に、景は慌てて顔を上げる。でも、何故だろう。宇多の表情を確認したいのに、全然見ることができない。視界がボヤボヤで、鼻の奥がツーンとする。

 今、宇多は何と言った? 何と、言ってくれた?


「ふつ、う……? 僕が、普通……ですか?」


 ――普通。宇多は、景のことを普通と言ってくれた。


「えぇ? どうしたんだよ大丈夫か?」


 宇多の心配そうな声が聞こえる。

 景は思わず俯いた。瞳から滴が落ちるのを見て、景は自分の感情が爆発してしまったのだと悟る。

 でも、だって、仕方がないではないか。

 何を考えているのかわからない変な奴。それが仁藤景という人物なのだと自分でも理解していた。小学生の頃の話なんて昔の話だ。だからもう、今は気にしていない。

 と、思っていたはずなのに。


 たった一言、宇多に「普通」と言われただけで――景の心は救われた。


 大袈裟かも知れないが、それくらいの気持ちになってしまったのだ。


「すみません……。普通と言ってくださったのが、嬉しくて」

「おいおい眼鏡に涙付いてんぞ。ティッシュやるから拭け拭け」

「ずみまぜん……」


 宇多が鞄からポケットティッシュを取り出し、景に手渡してくる。涙声でティッシュを受け取り、眼鏡と目元を拭う。

 ようやく、宇多をまともに見ることができた。

 宇多は困惑している――訳ではなく、「やれやれ」といった様子の優しい笑みを浮かべていた。真っ先に「天使だ……」と思ったが、今はその言葉を口にする時ではないだろう。口を噤み、宇多の言葉を待つ。


「何つーか、大変だったんだな」

「……変な話をしてしまって、すみま」

「もう謝んなって。聞きたいって言ったのは俺なんだから。でも、良かった」


 謝罪しようとする景を遮って、宇多は笑いかける。「良かった」と呟く宇多の言葉の意味がわからず、景は首を傾げた。


「俺もさ、小学ん時からつるんでる友達はいるけど、高校では一人だったんだよ。今更オタク趣味の友達を見つけるのも大変だろうし、このまま一人で過ごすんだろうなーって思ってて。まぁ実際、入学して数週間はラノベ読んで時間を潰してたんだけどな」


 一瞬だけ苦笑を覗かせつつ、宇多は話を続ける。


「仁藤に声をかけられて、正直嬉しかったよ。でも、不安もあった。教室内での仁藤のリア充オーラ半端なかったし、こっちの世界に興味があるとか言いつつ、すぐに飽きたらどうしようって思ってた」

「そんな、こと」


 ないですよ、と。ついつい言ってしまいそうになる。でも、宇多は無言で首を横に振り、景に発言させなかった。

 今度は俺が語る番だ、と言わんばかりに宇多がニカッと笑う。


「仁藤、お前は面白い奴だよ。フォローする訳じゃねぇが、全然変な奴だとは思ってない。ただまぁ、ずっと敬語なのもあって距離は感じてたけどな! だから今、お前の本音を聞けて良かったよ……っていう話だ!」


 何か真面目な話するのって恥ずかしいな、と付け加え、宇多は照れ笑いを浮かべる。にも拘らず、景の心はぐわんぐわんに揺れていた。宇多が笑う度に、自分の瞳が赤くなってないか不安になってしまう。

 一度自分の本心をさらけ出してしまったからか、自分の弱体化が止まらない。情けなくて、でも嬉しくて、この感情をどこへ持っていけば良いのかわからなくなる。


「すみません、犬間さん。敬語なのは最早癖みたいなもので、今から治すのは……」

「おう、それはわかってるから安心しろ。今更仁藤にため口で話されたら違和感でどうかなりそうだ。……つーか」


 冗談っぽく笑いつつ、宇多はふと気が付いたように訊ねてくる。


「今は別に、仁藤景を演じてる訳じゃないんだよな?」

「……え?」


 質問の意味がわからない訳ではない。でも咄嗟に頭が追い付かなくて、ついつい聞き返してしまう。


「その、何つーか……いじめられた原因って、ダジャレとかなんだろ? 俺と話すようになる前からダジャレ言ってる姿は見たことあるし、真面目キャラって言うには垢抜けてた印象があったからさ」

「…………」


 ――そういえば、そうだった。


 小学生の頃の記憶がトラウマすぎて、すっかり忘れていた。確か、いじめられた直後はダジャレを一切封印していたはずだ。暗い性格と言っても過言ではないだろう。中学の頃も暗くはないが敬語で話し、クラスメイトとの距離感を意識していた。

 はず、なのに。

 いったい、自分はいつから今の自分になっていたのだろう。


「やっぱりお前、ただの人間だな。ザ・普通人間だ」

「……えっと……?」

「結局、昔のトラウマは昔のものなんだよ。仁藤はいつの間にか自分らしく生きてたんだ。友達ができなかったのは、ただ単にきっかけがなかっただけだろ」


 淡々と語る宇多を、景は思わず唖然と見つめてしまう。

 やがて、乾いた笑いが口から漏れる。確かに、宇多の言う通りだった。宇多と出会う前は友達と呼べる相手がいなかった。ただそれだけの話で、クラスメイトとは仲良く接していた。敬語だけど明るくフレンドリーに接して、時にはダジャレを言って失笑される。でもいじめに発展する程嫌がられることはなくて、クラスのムードメーカー的な立ち位置になっていて……。


 考えれば考える程、宇多の言葉が図星に思えてしまう。

 トラウマは、ただのトラウマでしかなかった。宇多とちゃんと接したいと思ったから引っ張り出してきただけで、結局は過去の話でしかない。


「は、はは……馬鹿ですね、僕は。過去のことを思い出して落ち込んでいる姿を犬間さんに見せているだけじゃないですか」

「だな。……と言いたいところだけど、それは違うだろ」


 情けない笑いが止まらない景に、宇多は妙に照れたように視線を逸らす。


「ようやくちゃんと友達になれたっつーか、その……。俺も小学の時から続いてる奴しかいないから、友達ってどうやって作るんだ? って感じで……だっ、だからつまり! これは必要ことだったんだよ! ギャルゲーで言うと友情ルートみたいな! いや意味わかんねぇなごめん!」


 顔を赤くさせながら早口でまして立てる宇多。

 そんな宇多が微笑ましくて、景はようやく自然な笑みを浮かべることができた。

 トラウマなんて、過去のもの。とは言ったものの、やっぱり心の中にずっと残り続けるものだ。眠っていたもやもやを吹き飛ばしてくれたのは間違いなく宇多のおかげで、景はまた笑いながらも泣きそうになってしまった。


「つーか友情ルート長すぎだろ! 早くメインヒロインのところへ行ってやれよ! 馬鹿かよお前は!」


 しかし、宇多が睨んでくれたおかげで何とか涙を堪えることができた。そういえばそうだった。友情ルート以上に大事なイベントがこの先待っている。というか、待たせすぎなのである。


「ああ、すみません! そうでした、僕にはメインヒロインがいるんでした!」

「お前俺に喧嘩売ってんのかよこの話の流れでよぉ!」

「ひいぃすみません! 犬間さんも早く左山先生とお近づきになれると良いですね!」

「お前らみたいに幼馴染でもない限り無理ゲーに決まってんだろアホかっ!」


 思い切り眉間にしわを寄せて、怒りを爆発させる宇多。

 景は思わずへらへらと笑ってしまい、宇多に力強く背中を叩かれてしまう。


「もう良いから行って来いよ、親友! ……とか言ったら格好良いだろ?」

「犬間さん……」

「いや良いから早く行けってリア充め」


 不意に「親友」と言われて、驚きと嬉しさが混じってついつい固まってしまった。そろそろ宇多もうんざりしてきたのだろう。嫌そうな顔で「しっしっ」とされてしまう。

 わかりましたよーと、ようやく荷物を背負って教室を出ようとすると、


「ああ、そうだ。最後に一つ。……流石に苗字にさん付けで呼ばれるのは距離を感じるから、そこんとこ頼むな」


 と言われる。確かにそうだ、いつまでも「犬間さん」では何だか寂しい――というか、親友に対する呼び方ではないだろう。

 景は「じゃあワンソン君で」と言いたい気持ちをなんとか抑え、言い放つ。


「じゃあ、行ってきますね! 宇多さん!」

 恵麻のことすら今は「恵麻さん」と呼んでいるのだ。呼び捨てはまだハードルが高いから、これで許して欲しい。

 宇多は、一応納得してくれたのか小さく手を振っていた。

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