4-2 景の過去

 翌日の放課後。


「仁藤くん、また明日ね! 犬間くんも」

「はい、また明日! 今日教えた数学の課題、明日までですからねー」

「あはは、先生みたいー」


 クラスの女子(授業でわからなかったところを教えることが多い体育会系女子)に手を振られ、景はいつも通り明るく手を振る。隣で、宇多も控えめに手を振っている。


「仁藤くんと犬間くんって、ホント仲良いよねー」

「ねー」


 すると、去り際にその女子と友達の会話が聞こえて来てしまった。楽しそうにニヤニヤしている二人組を見つめ、景は「ああ」と察する。


「あのお二人は、腐女子ってやつなんですかね?」

「……一応聞くが、お前の言う「ふじょし」ってのは落ち着いた清楚な女性を意味する」

「訳ないじゃないですかー。つまり、僕と犬間さんがターゲットに」

「おいやめろ! マジでやめろ!」


 宇多が本気で景を睨んでくる。毎度の如く、可愛らしい顔では迫力がない。


「だいたい俺は大人っぽい女性が好きなんだよ! だからクラスの女子には興味ないって言うか!」

「大人っぽい女性と言うと、左山先生とかですか?」


 左山先生、というワードに、宇多はピクリと反応する。


「そっ、そうだよ何か問題あるかっ? 左山先生はめっちゃ良い人なんだよ! 抹茶専門店で二人きりになった時、左山先生が「美少年ですね」って言ってくれたんだよ! 俺を可愛いと言わずちゃんと男扱いしてくれたんだよマジ女神だよな!」


 興奮気味に語る宇多を見て、景は思わず「チョロいですね」と思ってしまう。しかしあまりに宇多が嬉しそうなので口には出さなかった。

 その代わり、きっと景の表情はさっきの女子と同じようにニヤニヤしていることだろう。宇多のテンションが徐々に元通りになっていく。


「すまん。何か興奮しすぎた」

「いえ、良いんですよ」

「その優しい笑みやめろ」


 宇多は気まずそうに咳払いをしてから辺りを見渡す。

 いつの間にか、教室の中には景と宇多しか残っていなかった。少々話に集中すぎただろうか。何だかこの状況は、宇多の鞄に付いていたミクスとミリナのキーホルダーを見つけて声をかけた日を思い出す。


「そういや、今日もお見舞い行くんだろ?」


 まるで当然のことのように、宇多に訊ねられる。少し悩んで、景は首を横に振った。


「いえ、今は僕が邪魔をするより、ちゃんと休んでもらった方が良いと思うので……」

「そうか? 加島さん、お前とゆっくり話がしたいみたいだったけどな」

「えっ」


 景の声のトーンが上がる。

 心の中では、すぐに「じゃあ仕方ないですね!」という言い訳が思い浮かんでいた。


「す、少し顔を見るだけですよ? じゃあ……行きましょうか」

「あー、いや。今日は俺行かないから」


 普通に宇多もついて来ると思っていたため、景は意外に思う。何か用事でもあるのだろうか? と思っていると、宇多から理由を話してくれた。


「今日はゲーム実況の撮り溜めしたいしさ。うん、パスで」

「そう……なんですか?」


 別にお見舞いに二人で行く必要はない。恵麻が景とゆっくり話したいと思ってくれているなら、むしろ景一人で行った方が良いだろう。

 でも、景は宇多の発言に違和感を覚えた。

 ただの気のせいかも知れないが、宇多の目が泳いでいるように見えるのだ。


「…………いや、嘘は良くないな」

「犬間さん?」


 諦めたように、宇多は静かに首を振る。

 不思議に思って聞き返す景の声が、意図せず震えた。違和感が嫌な予感へと変わっていくような気がして、怖くなる。

 宇多は、ゆっくりと口を開いた。


「加島さんは今、とあることで悩んでる。それを解決できるのは、お前だけなんだよ」


 まっすぐな視線とともに、宇多の言葉が突き刺さる。

 意味は、すぐに理解することはできなかった。「とあること」と言われても、咄嗟に何も思い浮かばない。逆に頭が真っ白になってしまうくらいだ。

 なのに、景はほぼ無意識のまま問いかける。


「犬間さんは……恵麻さんのことが好きなんですか?」


 ――と。

 訊ねてしまってから、自分自身の言葉に驚いてしまう。でも、きっと、心の中ではずっともやもやしていたのだろう。恵麻と宇多が二人きりで何を話していたのか、本当は気になって仕方がなかった。それが今爆発してしまったのかも知れない。


「くっ……くくっ」

「な、何ですか」


 すると、何故か宇多が耐え切れないように笑い出した。

 確かに突拍子もないことを聞いたのかも知れないが、何も笑うことはないだろう。景は思わず、宇多を睨むようにして見てしまう。


「そんな顔で見んなよ。まったく……馬鹿だなホントに」

「な……っ」


 更には馬鹿呼ばわりされてしまい、自分の眉間にしわが寄るのを感じた。でも、宇多は気にせずに言葉を続ける。


「俺にとって加島さんは、応援したいと思うアーティストでしかねぇよ。ただ、羨ましくはあるけどな。幼馴染っていう立場とか、身長とか容姿とか……くそっ」


 最初は冷静に思えた宇多の口調が、だんだんと荒くなっていく。心の底から景を妬んでいるように、歯をギリギリさせている。わざとらしい――というよりも、きっとわざとなのだろう。

 宇多はすぐにニカッと笑ってみせた。


「とにかく俺じゃ駄目なんだよ、残念ながらなー。だから、今日はお前一人で行ってくれ。お前なら絶対、加島さんを元気にできるから」


 何故だか、とても温かい気持ちに包まれた。宇多のおどけたような態度の中に、たくさんの優しさが見え隠れしている。

 本当に、うじうじと悩みまくっていた自分が馬鹿みたいに思えてきた。


「はい。……わかりました」

「ん、素直でよろしい」


 景の返事に、宇多は満足気に頷く。

 このまま景は恵麻の元へ駆け付ける――と、思っていたのだが。


「あー、ちょっと待ってくれ」


 何故か宇多に呼び止められる。

 頭を掻きながら、気まずそうな様子だ。


「この際だから、聞いておきたいことがあるんだけど、さ」

「はい、何ですか?」


 少しの躊躇いのあとに、宇多は訊ねる。


「仁藤ってさ。背が高くてイケメンで、勉強もできてクラスメイトとも問題なくコミュニケーションが取れる訳じゃん?」

「イケメンという部分はなかなか自分で同意しづらいところがあるのですが……まぁ、そうですね」


 いくら何でも褒めすぎな宇多の言葉に、景は苦笑しつつ頷く。

 しかし、


「……ずっと気になってたんだよ。何で今まで友達を作ろうとしなかったのか、とか。誰に対しても敬語なのか……とか」


 という宇多の言葉に、苦笑すらもできなくなってしまった。

 自分がいったいどんな表情をしているのか。自分自身ではもちろんわからないけれど、言葉がなかなか出てこないのは確かなことだ。


「あー……っと、聞いちゃまずいことだったか? いや、言いたくないなら良いんだけどさ。何て言うか……」


 落ち着かないように視線をあっちこっちに動かしながら、宇多は呟く。


「何だかんだ言って、仁藤のこと何も知らねぇなって思ってさ」


 宇多は微笑んでこちらを見つめる。しかし、その微笑みには力がないように見えた。きっと、自分が否定的な態度を取ってしまったせいだろう。


「……あの」


 ずっと、逃げていた。

 ちょっとしたきっかけで宇多と話すようになって、一緒に行動するのが当たり前になった。居心地が良すぎて、楽しくて、嬉しくて……。景は、この状況に甘えていたのかも知れない。

 でも、駄目なのだ。このままじゃいけない。


「話します、僕のこと。……少し長くなるかも知れませんが」


 ちゃんと、知って欲しいと思った。

 自分のことを知ってもらった上で、これからも宇多と付き合っていきたい。なんて考えは、やはり甘えているだろうか。


「おう。でもその前に加島さんに連絡しとけよ? 今日は見舞いに来ないって勘違いされないうちにな」

「はは、そうですね。メールしときます」


 苦笑しつつ、景は携帯電話を取り出して恵麻に連絡をする。

 そして――景は宇多と向き合い、自分の過去のことを語り始めた。

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