第四章  隠れていたもの

4-1 お見舞い

 七月上旬。アニソン戦争まで、あと一週間。

 景と宇多は――無事、アニソン戦争の観覧応募に当選した。ライブイベントに出る恵麻を応援する、とはまったく違った緊張感が早くも景を襲っている。戦う当の本人である恵麻は、いったいどんな気持ちでいるのだろう。


「あとは本番を迎えるだけだから」


 と、茶谷を説得した時に会って以来、恵麻とは会っていない。本番に向けての様々な気持ちもあるだろうと、景は連絡を取ることすら遠慮していた。

 恵麻からも本番までは連絡が来ることはない――と、思っていたのだが。


「あ、恵麻さんからメールが来てました」

「……いや、うん。いちいち俺に報告しなくて良いんだけどな。で、なんて?」


 放課後。いつものように携帯電話の電源を入れると一通のメールが届いていた。久しぶりに恵麻からメールが来た、と内心喜びながら開く。


「一気に顔がしょんぼりしたな! 何かあったのか?」


 宇多の言葉に、景は思わず苦笑する。

 そんなにわかりやすい表情をしていただろうか。でも、顔に出てしまうのは仕方のない話だろう。実際問題、ショックだったのだから。


「恵麻さんが……風邪を引いてしまったようです」

「えっ、マジか。アニソン戦争まであと一週間だろ? タイミング悪いなー……まぁ、直前に引かなかっただけマシか」

「……それは、「マジか」と「マシか」がかかって」

「ねーよ。ダジャレに逃げんな現実を見ろ。まぁ本番までには治るだろうが……見舞いにでも行くか」


 宇多の言葉に、景は食い気味に「もちろんです!」と頷く。というよりも、宇多が言い出さなくても行く気でいたのだ。幼稚園の頃の記憶を何とか呼び起こして、恵麻が風邪を引いた時のお見舞いにプリンを持っていったことを思い出す。いや、ゼリーだっただろうか。少し曖昧だから、どっちも持っていくことにした。

 宇多とともにコンビニに寄りプリン&白桃ゼリー(果肉入り)を購入。

あらかじめ「犬間さんと一緒にお見舞いに行きますね」とメールをしておいてから、恵麻の家へ向かった。



 恵麻の家の呼び鈴を鳴らすと、出迎えてくれたのはエプロン姿の女性だった。胡桃色のロングヘアーを一つ結びにした女性は、景を見て「景ちゃん、久しぶりね。と言っても、おばさんのことなんか覚えてないだろうけど」と笑いかけてくれた。一瞬だけ「お姉さんなんていましたっけ?」と思ってしまう程、若々しくて美人な母親だ。隣で宇多が鼻の下を伸ばしている気がする。鶴海に対する反応といい、もしかしたら年上好きなのかも知れない。

 そんなこんなで、景と宇多は恵麻の部屋に案内され、扉をノックする。「どーぞ」というくぐもった声がすぐに聞こえてきて、景はゆっくりと扉を開けた。


「あはは、今日はお客さんが多いなぁ」


 ベッドの上に座っている恵麻は、苦笑をこちらに向ける。胡桃色の髪がアホ毛のように跳ねていることから、わざわざ起き上がってくれたのだろうと察した。


「ああ、いやいや、良いんですよ恵麻さん。寝ててください」

「まったくもう。大丈夫だよ? みんな大袈裟なんだから……。犬間くんも来てくれてありがとうね」

「あ、はい。でも予想してたよりも元気そうで良かった。仁藤の奴、早く行きましょう早く! ってすっげー心配してたからさ」


 ニヤニヤしながら宇多が暴露すると、恵麻は「ほう?」とニヤニヤ顔になる。思わず景は「ちょっと言わないでくださいよー」と恥ずかしがる……ことはなかった。いや、少しくらいは照れる気持ちもあったが、それ以上に恵麻の表情が可愛らしかったのだ。ほんのりと緩んだ口元と、うっすら朱色に染まった頬。そして、見慣れないパジャマ姿(薄ピンクの小花柄)も愛らしくて、景はじっと恵麻を見つめてしまった。


「な、何? その微妙な反応は」

「いえいえ、何でもないですよ。そんなことより、今日はお客さんが多いって、僕達以外に誰か来たんですか?」


 華麗に話題を逸らすと、恵麻は唇を不満そうに尖らせるのをやめる。


「あ、そうそう。マネージャーとか、カエミュの先輩とか。あと、さっきまでみっちゃんも来てたんだよ。けーくん覚えてる? みっちゃん」

「みっちゃん……あ、樹原きはら道香みちかさんですね。幼稚園の頃仲が良かった。今も会ってたんですね」

「もっちろん。一番付き合いの長い親友だからね。私が色んなオーディション受けてた時も凄く応援してくれて……さっきも凄い心配した顔で来てくれたの」

「そりゃあ大事なアニソン戦争の前なんですから、仕方ないですよ」


 親友。恵麻からそんなワードが出てきた瞬間、何故か息が詰まる気持ちになる。そういえば、今の恵麻の交友関係をまったく知らなかった。恵麻を支えてくれる親友がいるなんて、嬉しいことのはずなのに。どうして、気持ちがざわざわするのだろう。


「はぁ。やっぱり俺ってお邪魔虫なんじゃねぇかな……」


 しかし、宇多がぽつりと放った一言で景は我に返る。一瞬で名称しがたい悩みが吹き飛び、宇多に笑いかける。


「そんなことないですよー」

「何だよその棒読みと満面の笑みは。つーか買ってきた物渡さねぇのか?」

「ああ、そうでした! 恵麻さんこれ、食べられそうならどうぞ」


 コンビニ袋から、買ってきたプリンとゼリーを取り出す。すると、何故か恵麻は苦笑いを浮かべた。


「あー、ありがとう。私がプリン好きなの良く覚えてたね。……みっちゃんにももらっちゃったけど」

「……なるほど。プリンは正解でしたが先を越されてしましたか」


 まるで「どんまい」とでも言いたいように、宇多に肩をポンポンされる。すると、恵麻は苦笑を優しい微笑みへ変えた。


「でも私、風邪の時は桃の缶詰を食べるんだよね。だから白桃ゼリーも嬉しいよ、ありがとう」


 白桃ゼリーを両手で持ちながら、ニッコリと笑う恵麻。何だろう、風邪を引いているからか恵麻の優しさがオーバーキルしている気がする。少し熱すぎるくらいに心が温かくなった。

 すると、隣の宇多に肩を強めに叩かれてしまう。そんなにニヤニヤしていただろうか。いや、していたのだろう。宇多が眉をピクピクさせて「リア充爆発しろ」と言いたげな顔をしている。


「んんっ。そういえば恵麻さん。結野さんは来てないんですか?」


 軽く咳払いをしてから訊ねると、恵麻はすぐに首を横に振る。


「いやいや、何だかんだ言って結野さんは対戦相手何だよ? そりゃあ仲良くなりたいし連絡先も交換したいけど……。という訳で、結野さんは私が風邪を引いてることすら知りません!」


 恵麻は何故か得意気にピースサインを向けてくる。

 と同時に、ゴホゴホと口元を押さえて咳をしてしまう。もしかして、今まで無理をさせてしまっただろうか。


「あ、ごめんね。お客さん来たんだからマスクしなきゃね」


 と、恵麻は枕元に置いてあったマスクを慌てて付ける。


「もう。そんな不安そうな顔しないでよけーくん。本当にただの風邪だから。すぐに治るよ」


 景の表情は恵麻にはバレバレだが、マスクを付けた恵麻の表情はなかなか読み取れない。でも、「すぐに治る」と宣言しながらも眉はどこか困ったように下がっているようにも見えた。

 いくら何でも、心配性すぎるとは思う。

 でも景は居ても立っても居られなかったようだ。

 そっと恵麻に近付き、か細い両手を握り締める。ほとんど、無意識の行動だった。


「本当に大丈夫ですか、恵麻さん?」

「だっ、だだ……っ」


 訊ねると、恵麻は反射的に手を引っ込める。


「大丈夫! ほんっとうに大丈夫だからぁ!」


 元々赤く感じていた恵麻の顔がますます赤くなったような気がする。一瞬だけ触れた両手もまるで熱があるように熱かった。いや、実際に熱があるのだろうか。

 そういえば、一言で風邪と言ってもどのくらいの症状なのか景はわかっていない。

 なのに。自分でも馬鹿だと思うくらい、心配が止まらなかった。きっと、自分の顔は恵麻とは真逆で真っ青になっているだろう。

 アニメ、アニソン、漫画――。

 景が心から夢中になれると感じたもの達。その扉を開けてくれた幼馴染が、大事な日を直前に弱っている。なのに自分は何も力になれなくて、もどかしい気持ちでいっぱいだ。本人は大丈夫だと言っているのに、どうかしていると自分でも思う。


「仁藤、お前……」

「? 何ですか、犬間さん」


 すると、宇多が何かを言いかけて黙り込んだ。

 景が不思議に思っていると、


「悪いんだけどさ。俺、ちょっと加島さんと二人きりで話したいんだ」


 と真面目な顔で言ってきた。恵麻も特に事情を知らないらしく、首を傾げている。


「ええ、良いですけど……」

「そうか、悪いな」


 何とも言えない苦笑を浮かべながら、宇多は「それじゃあ」と景の背中を押してくる。あははそんなに急かさなくてもと思いながら、景は部屋の外に追い出される。


(……ん……?)


 特に疑問を感じていなかった――というよりも、何も考えずに宇多の言う通りにしてしまった、という方が正しいだろう。

 ぽつりと一人廊下に立たされいるという事実に、ようやく景は不思議に思った。


(あれ、どうして僕は追い出されたんでしたっけ……。ああそうです、犬間さんが恵麻さんに話を……。犬間さんが恵麻さんと二人きりで話したいこと……って、何でしょう。というより、追い出されたということは僕には聞かれたくない話…………っていうことですかっ?)


 誰も見ていないというのに、景はくわっと目を見開くという大袈裟な反応をしてしまう。でも、これは事実なのだ。景には聞かれたくない話を、今二人はしている。

 そう思うだけで、何故か冷や汗が止まらなくなった。

 まるで過去のトラウマがよみがえるように、嫌なもやもやが止まらない。


(ええと、僕はいつまで待っていれば良いのでしょう……)


 はは、と景は一人乾いた笑いを浮かべる。

 二人はひそひそ話をしているのか、まったく会話が聞こえてこない。


(本当に、二人はどんな話をしているのでしょうか)


 未だに止まらぬもやもやを感じながら、景は諦めたように壁にもたれかかる。


「待たせたな、仁藤。もう入って良いぞ」


 すると、意外にも早く話は終わったらしい。扉を開ける宇多と目が合うと、もやもやの中に少しだけ安堵が生まれる。


「加島の風邪、本当に大したことないらしいぞ。熱も微熱だし、咳も一日寝てたらだいぶマシになったらしい」

「……え?」

「何素っ頓狂な顔してるんだよ。仁藤があまりにも心配するから、俺が代わりに落ち着いて症状を聞いてやった。……ただ、それだけだよ」


 何と言うことだ。

 自分の馬鹿さ加減にあごが外れそうになる。


 ――と、言いたいところなのだが。


「本当にごめんね、けーくん。心配かけちゃって」


 うっすらと笑う恵麻の表情は、やはりどこか元気のないように見えてしまう。


(何か体調以外に、心配ごとでもあるのでしょうか)


 心配には思った。でも、自分の心配でこれ以上恵麻を困らせる訳にはいかない。


「ゆっくり休んでくださいね」


 とにかく体調が第一だ。

 そう思った景は、感情を押し殺して宇多とともに帰るのであった。

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