3-4 肩書きなんて関係ない
「お言葉ですが」
恵麻は茶谷をきつく睨み付ける。たれ目で怒っても迫力がないはずなのに、刺々しさが全身に表れていた。
「アニソンにアーティストの肩書きは関係ありません。アニソンアーティストだろうが、声優だろうがアイドルだろうが。その作品に合った曲が選ばれる。そのためにアニソン戦争があるんです」
まっすぐとした恵麻の言葉は、茶谷の心に突き刺さる――訳がなかった。
尚も笑い飛ばし、言葉を続ける。
「若いねぇ。勝負よりも大事なのは結果だよ。君達は視野が狭すぎる」
確かに、自分達の考えは若いのかも知れない。世の中には景達の知らない大人の事情がたくさんあるのだろう。そんなことは、わかっている。でも、せっかくアニソン戦争という楽しいものがあるのに、わざわざ壊そうとする意味がわからない。
景は思った。「そろそろ発言する頃合いだろう」、と。
「視野が狭い、ですか」
まさしく、その言葉を待っていた。話を進めるのには、もってこいのワードだ。ふっふっふっ、とわざとらしく不敵な笑みを浮かべ、景はデスクに近付く。
「その言葉、そっくりそのままお返しします」
「……ところで、君は誰なんだ。加島さんのマネージャー……にしては、少し若いような気がするのだが」
すると、茶谷から今更すぎる疑問をぶつけられてしまった。「ここからが良いところなのに!」と残念に思いつつも、景は咳払いをして自己紹介をする。
「あ、僕は加島さんの幼馴染です」
「……部外者じゃないか。出ていきなさい」
真っ当な反応である。
しかし、ここですみませんと言って出ていく訳にはいかない。宇多から託された情報を、ここで解き放たなければ何も意味がないのだ。
「ま、まぁまぁ。良いじゃないですか」
無理矢理な笑みを浮かべながら、景はさり気なくデスクの上に伏せられていた写真立てを茶谷に見せつける。
すると、景の想像通り、茶谷の眉間にしわが寄った。
「え、何? あたし……じゃない、よね?」
写真の中の女性を見て、紗々里は首を傾げる。恵麻も仰天したように目を丸くさせていた。そのくらい、写真のセーラー服姿の女性は紗々里とそっくりなのだ。でも、そっくりなだけで本人ではない。別人だ。
「ただの妻の写真だよ。高校時代のね。君も、私の妻が亡くなっていることは知っているんだろう?」
「それは、まぁ……」
困惑を隠さないまま、紗々里は頷く。
「だったら何も言うことはないだろう。家族の写真を置いて何が悪いんだい?」
茶谷の言う通りだ。家族の写真を職場のデスクの上に置く。なんら不思議なことではない。でも、高校時代の写真である理由はなんなのか。それに、先程まではその写真を伏せていた。まるで、紗々里に見られては困るもののように。
「茶谷さん。確認したいことがあるのですが」
「……さっきから何なんだ君は。写真のことはもう関係ないだろう」
ギロリとした、茶谷の三白眼が突き刺さる。茶谷のことは、すれ違っただけで怖いと感じたのだ。景は心の中で悲鳴を上げ、逃げ出したい気分でいっぱいになる。思わず視線を逸らすと、恵麻の不安気な緋色の瞳と目が合った。今の目的はなんだ。大切な人の、大事な戦いのために、自分も頑張りたい。だから今は、踏ん張らなくてはいけないのだ。
「奥さんとは、高校時代にバンドをしていたんですよね。二十歳の頃に結婚して、子供も生まれた。でも、奥さんは十年前に交通事故で亡くなってしまった……で、合ってますよね?」
震えそうになる声を必死に抑えて、景は訊ねる。
宇多からもらった情報は、ネットで調べればすぐに出てくるものらしい。ただ、茶谷の奥さんが紗々里に似ている、というのはネット上での憶測でしかないという。だから、間違ったことを言っていたらどうしようと、内心怖かった。
「その通りだよ。このことは紗々里も知っているし、何も問題はない」
「そうですか。……ここから先は憶測なのですが」
茶谷が目を細める。
ただでさえ容姿に迫力があるのだから、睨まないで欲しい。怖いったらないのだから。
「奥さんに容姿が似ている結野さんのことを、特別扱いしていませんか」
この結論が間違いだったらどうしよう。もし、茶谷の怒りを買って、物理的な戦いに移行したら大変だ――なんて、アニメ的な発想まで生まれてしまう。
それくらい、沈黙は長かった。
茶谷が何も言わない。今までの強気が嘘のように、何かを考え込んでいるように見える。もしや、図星なのか。茶谷にはネット上にも悪い噂はない。だから、他のアーティストにはこんな不正行為などしたことがないのだろう。していたら、とっくに噂が広まっていたり、業界から干されたり……なんてこともありえるはずだ。
「やっぱり図星ですか。写真をちゃんと隠さないなんて、本当に視野が狭いですねぇ」
茶谷の威力が薄くなった途端、景の口は自然と動きだした。相手はプロデューサーなのに。どんなに駄目な行動をしたとしても、相手は偉い人なのに。
「作曲のセンスはあるのに、考え方はナンセンスなんですね。あり得ないですよ」
怒りとともに、ダジャレまで解き放たれてしまう。でも、仕方のないことなのだ。自分だって、動揺しているばかりではない。恵麻も紗々里もただアニソン戦争で戦いたいだけなのに、こんな面倒なことをさせるのが悪いのだ。
「……ふっ」
ようやく茶谷が口を開いた。と、思ったら。
「くっ、ふふ……あっはっはっは」
突然笑い出す茶谷に、景は心底驚いてしまう。まさか、ダジャレが受けたというのだろうか。この状況だから、恵麻ですら微妙な表情をしているというのに。
――とまぁ、そんな現実逃避は置いといて。
「面白い。本当に面白いよ、君は」
心からの言葉なのか、茶谷の表情は柔らかい。でも景は、思わず身構えてしまう。
「探偵ごっこが好きなんだねぇ、君は」みたいな、よくありそうなセリフを言われると思ったのだ。でも、茶谷はなかなか真顔には戻らず、威圧感が消えた気がした。
「そして私は、本当に馬鹿みたいだ。他人から言われて、ひしひしと感じたよ」
言いながら、茶谷は観念したように両手を上げる。
正直、拍子抜けだった。今までの茶谷の口調はずっと強いもので、折れる気配すらなかった。最終的には「もうこの話は良いだろう」とうやむやになって追い出される、なんて未来が思い浮かんでいた程だ。
「茶谷さん……」
「どうしたその顔は。私だって、いつまでも頑固なままではいられないんだよ。私は大人なんでね。このまま反発し続けていたら、本当に紗々里のためにならなくなる。そう思っただけだよ」
未だに戸惑いが隠せない様子の紗々里に、茶谷が笑いかける。その笑顔には苦みが含まれていて、茶谷は話す覚悟を決めたように小さなため息を吐く。
「私の妻の若い頃と、紗々里が似ている。……君は微妙な気持ちになるかも知れないが、それは事実だよ」
紗々里の瞳を見つめながら、茶谷は打ち明ける。
性格は違えど、高校生の頃の妻が目の前にいると錯覚していた。結野知由里の娘ではなく、早く一人前のアニソンアーティストとして芽吹いて欲しい。そんな気持ちが募っていく。そして――時間が経てば経つ程、手段を選ばない気持ちや、音楽に対する腹黒い感情が芽生えしまった。
紗々里がデビューして二年。今までずっと堪えていたものが、「ゆびきりトライアル!」のアニソン戦争が残念な結果に終わったことで爆発。次のアニソン戦争では必ずアニメタイアップを手に入れなければならない。
茶谷はここで初めて、手段を選ばない気持ちを行動で表してしまった。
悪い道に進んでいるという自覚は、心の奥底に眠っていたのだという。
「まさか、高校生に説得されてしまうとはね」
乾いた笑みを零す茶谷を、気付けば紗々里が睨むようにして見つめていた。紗々里の桔梗色の瞳に、情けない茶谷の姿が映り込む。
先程までの困り顔はどこへやら。紗々里は怒りを爆発させるように腕を組み、思い切り嫌そうに顔を歪めていた。
「あたしは、あなたのことが嫌いです。でも……あなたの作る音楽は、好きです。特に囚われのエリオットのために作った曲は、OPに相応しいと思っています。だから、あたしはシトリンレコードを離れたり、今から別の方に作曲を頼んだりしません。囚われのエリオットのためですから」
紗々里は小さくため息を吐き、更に言葉を加える。
「ただ、茶谷さんは反省してください。あたしが認めるまで、あたしは茶谷さんに冷たい態度を取り続けますから」
傍から見ていて、紗々里の言葉は等身大の高校生のように子供じみていると思った。でも、茶谷にとっては救いに感じる態度なのかも知れない。
迫力がなくなり、ただのおじさんのようにも見える茶谷。威圧感のあった太い眉も、何とも言えない感情が溢れてハの字になっていた。
「すまなかった。と言っても、君は許してくれないと思うが……」
「もう、こんなことしないでください。お願いですから」
茶谷を一瞥もせずに、紗々里は吐き捨てるように言い放つ。凍てついた声色は不機嫌オーラに溢れていた。
「それは、もちろんわかっている。君に本音を話したことで私も気持ちを改めることができたよ」
「…………あまり長く話さないでください。耳が腐る……じゃなくて、言い訳臭いので」
どうやら、茶谷のことが本気で嫌いになってしまったようだ。ようやく茶谷を見たと思ったら、目を見開くようにして思い切り睨みつけていた。まるで牙をむく子犬のように。迫力はないが、ガチギレしているのが丸わかりだ。
「茶谷さん」
「……何かな」
「あたしは、あなたの期待に応えますよ。あなたの性格は最悪ですが、曲は素晴らしい……この曲で囚われのエリオットのOPを飾りたいと思ってますから。……まぁ、今のあなたには綺麗ごとにしか聞こえないと思いますけど」
淡々と言い放ってから、紗々里は急に景と恵麻を見つめる。茶谷に向けていた表情とは正反対の、温かい笑みを浮かべている。
「二人とも、今日はありがとう。……帰ろうか」
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