3-3 プロデューサーとの戦い

 夕日も沈み、辺りはもう暗い。忘れないうちに帰りが遅くなる旨を家族に伝え、シトリンレコードに向かった。

 すでに紗々里が抗議を始めてしまっているだろうか、という心配はあった。そうなってくると、一般人である景はあとから入りづらくなる。というか、中に入ることすら難しいだろう。

 なんて心配をうだうだ考えながら向かっていたが、どうやら杞憂だったようだ。


「あ、結野さん……」


 シトリンレコードのエントランスには紗々里の姿があった。いつもと違って髪を下ろしていて、慌てて駆けつけてきたのだろうと感じる。赤いチェックのスカートに黒いTシャツ(自分のライブTシャツと思われる)を見るに、部屋着のまま来てくれたのかも知れない。

 とまぁ、問題はそこではなく。


「……な、何で恵麻さんもいるんですか……?」


 紗々里の隣には、恵麻の姿もあったのだ。デニムワンピースに白いカーディガン、そしていつもの黒タイツとキャスケットを身に着けている。


「ちょうど家に帰ってきて部屋着に着替えようと思ってたら、犬間くんから連絡があってさ。急いで来たんだよ」


 確かに、よく見ると汗ばんでいる気がする。最近暖かくなってきたとはいえ、流石に汗を掻く程ではなかった。相当急いで来てくれたのだろう。


「まったくもう。私だけ仲間外れなの?」


 景に不満をぶつけるように、ジト目を向けてくる。しかし、景は恵麻ではなく紗々里と視線を合わせてしまった。明らかに困惑しているのだ。


「あたしも一応あなたを待ってたら、加島さんが来てビックリした。……あまり、迷惑をかけるのは……」


 紗々里は眉根を寄せて、目を伏せる。

 景がついて来ること自体も、しぶしぶといった様子だったのだ。そこに恵麻が加わるなんて、景すら考えていなかった。紗々里の心には、再び申し訳なさが芽生えているのかも知れない。


「このままじゃフェアな戦いにならないから」


 恵麻はそっと紗々里の両手を掴み、きっぱりと言い放つ。内側の気持ちを真剣に伝えるように、視線はじっと紗々里の瞳を見つめていた。


「私だって馬鹿だと思うよ。ただの綺麗ごとだと思う。でも……もし不戦勝で私が勝ったとしても、何も嬉しくない。だって、自分が好きな作品の主題歌が正当な方法で選ばれなかったら残念な気持ちになるもん」


 言いながら、恵麻は何故か楽しそうに微笑んだ。紗々里はそんな恵麻から視線を逸らさない。ただ、困惑顔だけが深まっていく。


「……そんな綺麗ごと、茶谷さんがわかってくれるかどうか」

「うん、それは……どうだかわからないね。だから一緒に戦おう? アニソン戦争で戦うために、戦おうよ」

「何でそんなに笑って……ポジティブでいられるの? あたしには、わからない」


 紗々里の声が、徐々に小さくなっていく。同時に、一瞬だけ恵麻の笑顔の元気がなくなった。傍から見ていて、弱々しい紗々里の姿に景の心も苦しくなる。


「ええと、その。私、まだ結野さんのことそんなにわからないけど。でも……多分、好きだと思うんだ。アーティストとしても、物ごとの考え方も。だから絶対にアニソン戦争で戦いたい。で、絶対に囚われのエリオットの主題歌を歌いたいんだ」


 へへへ、と恵麻は照れたような笑みを浮かべる。

 紗々里の表情にも、ようやく変化が表れた。


「加島さんって、本当に馬鹿。……でも、あたしもあなたと戦いたい。だから……少しの間、協力してください。お願いします」


 諦めたような笑みを零し、紗々里は小さくお辞儀をしてみせる。すると、恵麻の笑顔に満開の花が咲いた。


「良かった、やっと頷いてくれた。それじゃあ結野さん、けーくん。行こうか。いざ、戦場の地へ!」


 果たしていつまでこのテンションが持つのか。なんて心配を抱きつつも、景は紗々里とともに頷く。

 こうして茶谷の元へ――向かおうと思ったのだが。


「あ、すみません電話です。……犬間さんからですね」


 こんなタイミングで宇多から電話がかかってきてしまった。恵麻には苦笑され、紗々里には不満をぶつけるように睨まれる。


「す、すぐに終わらせますから」


 乾いた笑みを零しつつ、景は電話に出る。

 携帯電話から聞こえてきた声は、至って真面目だった。「何ですかこんな時に」とも言えず、景は黙って宇多の言葉に耳を傾ける。

 その内容は――茶谷に関する情報だった。



 本社ビルの最上階の一室に、茶谷は待ち構えていた。黒を基調としただだっ広い部屋の中にはCDがズラリと並んでいて、圧倒される。そこにぽつりと茶谷のデスクだけがあるのがまた、異様な光景だ。


「何だ、もう伝わっているのか」


 茶谷は、こちらに顔だけを向けて何でもないように呟く。茶谷の顔を見ると、景の息が止まりそうになった。身長は景よりも高く、柿茶色のオールバック。少し焼けた肌に、鋭い三白眼。どこかで見たことがあると思ったら、鶴海と会う少し前に見かけた怖そうな男性だった。まさかこの人が紗々里のプロデューサーだったなんて。容姿から漂う威圧感に、景は早くも負けそうになってしまう。


「よく見れば、加島恵麻さんもいるじゃないか。どうした。対戦相手と仲良しこよしか?」


 恵麻と目を合わせて、茶谷は呟く。一瞬だけ景とも目が合ったが、スルーされてしまった。まぁ、「部外者は出ていけ」と言われないだけ良かったのだろう。


「違う。……そんなことより、勝手なことしないで。誰もそんなこと頼んでない!」


 紗々里は、怒りを抑えられないように声を荒げる。

 すると茶谷は、まるで紗々里を馬鹿にするような呆れ顔になった。


「紗々里。私は、君にはちゃんとした実力があると思っている。だからこんな行動をしたんだよ」

「言っている意味がわかりません」

「……はぁ。紗々里。綺麗ごとばかり言っていては先に進めない。君は羽ばたくべきアーティストだ。チャンスは自分で掴み取らなくてはいけないよ」


 まるで自分の子供をなだめるような、優しい口調。それが逆に、紗々里の……いや、三人全員の怒りを買っていた。実力のあるアーティストだと思っているのに、こんな行動を取る意味がわからない。羽ばたいて欲しいと思っているのなら、囚われのエリオットに相応しい楽曲を作り上げれば良いだけの話だ。


 色々と反論したい気持ちはある。でも景はぐっと堪えた。自分はただの部外者でしかないし、紗々里の感情が抑えられなくなったら支えよう。景はそう決意し、部屋の中を見渡す。すると、デスクの上に伏せられた写真立てを見つける。景は密かに「なるほど」と思うのであった。


「まぁ、今回は残念だったよ。左山先生が予想外にお堅い人でね。自分の意見をあまり主張できない人だと思っていたから、想定外だった」


 相変わらず、棘のある発言を続ける茶谷。苛立ちが募り、恵麻が耐えられなくなったように「茶谷さんってこんな人だったの」と呟く。景は知らなかったが、宇多の説明によると茶谷は作曲家としても有名で、数々の名曲を生み出しているらしい。なのに、正体はこの性格だ。紗々里が愕然としていることから、茶谷は今回の件で化けの皮が剥がれたのだろう。紗々里もショックでたまらないはずだ。


「茶谷さん、あたしは勝ちますよ。今は加島さんの力を借りてますけど、勝負は勝負ですから」


 しかし、紗々里はめげずに宣言する。

 鋭い紗々里の視線を――茶谷はあろうことか、鼻で笑って吹き飛ばす。


「そりゃあもちろん君の実力は信じている。しかし君は、アイドル如きに負けた」


 何故そこで、「アイドル」というワードが出てくるのか。全然、まったく、わからない。

 空気が震えた気がした。誰かの怒りが爆発したような、稲妻が落ちたような感じ。耐え切れないように発言したのは、紗々里ではなく恵麻だった。

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