第三章  大事な戦いのために

3-1 まさかの再会

 恵麻のステージを見てから一ヶ月程経った、六月の中旬。

 あれから恵麻とは会っていないが、時々電話で連絡を取り合っている。恵麻の作詞も完成し、曲はほぼ出来上がっているらしい。アニソン戦争に観客として参加する気満々の景は、本番が楽しみで仕方なくなっていた。


「良いか仁藤。買うのは一冊だけだからな。複数応募したりしたら落ちるのは確実だからな、気を付けろよ」

「わかってますって。だいたい、同じ漫画を二冊以上も買う人なんているんですか?」


 今日は、囚われのエリオットの新刊の発売日。――の、前日だ。所謂フライングゲットをするために、景は宇多とともにアニメショップに向かっていた。学校帰りに友達と寄り道をする、という行為自体新鮮で、景の心は踊っている。しかし残念なことに、梅雨のため当然のように雨が降っていた。


「複数応募が可能な場合は、そういうことをする人もいるだろうなぁ」


 新刊には、アニソン戦争の抽選参加券が付いてくる。アニソン戦争の会場のキャパは八〇〇程のため、倍率は結構高そうだ。もう完全に囚われのエリオットの虜になっているし、恵麻の勇姿を見届けるという意味でもアニソン戦争に参加したい。結果は運でしかないが、なんとなく景は緊張してしまう。


「ところで、さ」


 二人で一本ずつの傘を差しながら歩いていると、不意に宇多の顔が険しくなるのがわかった。何か不服なことがあるように、こちらを睨んでくる。


「俺の生放送してるコミュニティに……210っていうメンバーがいるんだけどさ」

「あ、それ僕です」

「やっぱりかよっ!」


 握りこぶしを作って怒りを露わにする宇多。一方で景は、「何でわかったんですかぁ!」と訴えかけるように目を見開いてみせた。


「俺が視聴者に薦めてもらったゲームが面白いって生放送で言ってたんだよ。そしたらコミュの掲示板に、「そのゲーム、動画にするのはどうがなぁ?」……って!」

「ダジャレなんて誰でも言うじゃないですか!」

「少なくとも俺のコミュメンバーにはいなかったんだよ! 仁藤みたいな奴だなって思ったら、210ってもしかして」


 きっと満面の笑みだったのだろう。「うわぁ」とでも言いたいように、宇多の口が開く。だから景は、得意気に言い放ってみせた。


「ええ、210で仁藤と読みます! ちなみに僕は二月十日生まれでして……」

「あ、ああ」

「……?」


 またもや誕生日自慢をしようとすると、何故か宇多は気まずそうに目を伏せた。景の話にだんだんと飽き飽きしてきたのだろうか。なんてネガティブなことを一瞬思ったが、どうやら違ったようだ。

 三白眼でオールバッグの、景以上に身長の高い男性がこちらに向かって歩いてくる。関わりたくないと反射的に思ってしまう程、強いオーラを放った男性だった。


「随分身長の高い人ですね。慎重に歩きましょう」

「背が高いお前が言うセリフかよ。……でもまぁ、そうだな」


 声のボリュームを小さめにして、景は宇多とアイコンタクトをする。若干早足になりながらも、無事その男性と何事もなくすれ違うことができた。


「あの人の顔、どこかで見たことあるような……」


 小首を傾げつつ、宇多は呟く。でも結局思い付かなかったようで、「まあいいか」と考えるのをやめていた。

 今はとにかく、囚われのエリオットの新刊だ。

 気分を切り替えて、景と宇多はアニメショップに向かうのであった。


 ***


「アニメショップというのは、誘惑が多いですね……」

「まぁ、グッズ売り場をついでに覘いちまったのが悪かったな」


 アニメショップで買い物を済ませ、景はホクホクとした顔で外に出る。もちろん新刊も買ったのだが、グッズ売り場に足を運んでみたら囚われのエリオットの商品をたくさん見つけてしまったのだ。基本的にシュシュやポーチなどの女性向けグッズが多かったのだが、ちょうど欲しいと思っていた眼鏡ケースを見つけてしまい、ついつい買ってしまった。予定にはなかった収穫に、妙な満足感を覚えてしまう。


「……おや。恵麻さんからメールが来てました」

「囚われのエリオットのの新刊を買ってる時に、アニソン戦争の出場者からメールとは……。幼馴染とはいえ、やっぱりすげぇな。で、何て?」

「良い曲ができた! とのことです。ちょっと電話しますね」


 邪魔にならないように店の出入り口から離れ、景は恵麻に電話をかける。すぐに出てくれた恵麻の声色は、底抜けに明るかった。余程完成した曲に自信があるのだろう。姿は見えないのに、嬉しそうな恵麻の笑顔が目に浮かぶようだ。当然のように、こちらも嬉しくなってしまう。


「ええ。ええ。実は今、新刊を犬間さんと買ったところなんですよ。……もちろんです。ちゃんと囚われのエリオットのことを考えて投票しますよ。……はい。それでは、また」


 宇多を待たせていることもあり、短めに会話を終わらせる。「お待たせしました」と振り返ると、そこには宇多の捻くれた表情があった。


「いや。幼稚園振りに会った幼馴染のくせに、仲が良いなって思っただけだ。何も羨ましいとか思ってねーし」

「えっ。犬間さん、もしかして恵麻さんのことが……」

「ちげぇよ! ただちょっとリア充爆発しろって思っただけだよ。ったく、とにかく今日はもうこの辺でな」


 軽く手を振って、宇多は一方的に帰ろうとする。「リア充」は最近意味を知ったが、爆発とはいったいどういうことなのだろうか。いくら何でも暴言がすぎるのでは、と景は思わず焦ってしまう。

 しかし宇多は何でもないように帰ろうとしているので、景は帰ったら検索しようと心に決めるのであった。こうしてまた、景のオタク知識が増えていくのだ。



「あ、そういや、帰ったら早速応募するのか?」


 急に思い立ったように、宇多が最後に訊ねてくる。反射的に「当然です!」と思った景は、明るく返事をしようとした。


「もちろんですよ! 僕も犬間さんも、当たると良いです……ね」

「……ん。どうした?」


 歯切れの悪い景の言葉に、宇多は不思議そうな顔になる。景の視線は宇多ではなく、何かをじっと見つめている。宇多はハッとしたような表情になった。


「まさか、さっきの怖そうな人がいるんじゃ……っ」


 宇多も景と同じ方向を見る。すると、口をあんぐりと開けたまま動かなくなってしまった。どうやら、宇多も景と同じ感想を抱いたらしい。

 やはりあれは、どう見てもあの人にしか見えないのだ。


「あの人、左山先生……ですよね?」

「折り鶴の髪留めしてるし、何か番傘差して目立ってるし……。何より、そんな和風なアイテムが似合ってる……つったら、もう……」


 アニメショップの近くだというのに、こんなに目立った格好で良いのだろうか。なんてあらぬ心配をしてしまう程、目の前の状況についていけない。


「あっ」

「……え?」


 しかも、目が合ったと思ったらこちらに向かってくるではないか。一瞬気のせいだと思ったが、鶴海らしき人はじっと景を見つめ続けている。一応顔見知りではあるが、こんなことがあって良いのだろうか。


「左山……先生?」


 恐る恐る声をかけてみると、鶴海らしき人――いや、もう鶴海と断言しても良いだろう――の表情が安堵したように柔らかくなった。


「ああ、やっぱり。加島さんの彼氏さん、ですよね?」

「あ、あの……正確には幼馴染ですけど。でも、あの時加島さんと一緒にいたのは僕で間違いないです」

「……良かった」


 何がそこまで鶴海を安心させるのか。景と宇多にはよくわからなくて、二人して顔を見合わせてしまう。


「そちらの方は……お友達、ですか?」


 か細い声で訊ねられると、宇多は「は、はいっ」と緊張気味に返事をする。気のせいか、恵麻に会った時よりもカチコチになっているように見えた。


「すみません、あの……。今ちょっと誰かを頼りたいと思っていまして……。ご迷惑でなければ、お話しがしたいんです」

「へっ?」


 突然の申し出に、景にしては珍しく素っ頓狂な声が漏れてしまう。鶴海とはほとんど接点がない。というか、景と宇多が一方的にファンなだけだ。そんな二人に「話がしたい」なんて、言う訳がない。

 きっと気のせいだ――と現実逃避したくなる。しかし、鶴海の瞳は不安気に潤んでいた。誰でも良いから頼りたい、という出来事があったのだろうか。

 話を聞かなければ事情はわからないし、自分達が力になれるかどうかがわからない。


「えっとぉ、仁藤……さんと左山先生が一瞬顔を合わせたという話は本人から聞いてるんですけど。お、俺は流石に他人すぎるっていうか……」


 顔を引きつらせながら、宇多は呟く。ちらちらと景の様子を窺っていて、助けを求めているようだ。

 だから景は、笑顔で言い放つ。


「わかりました。でしたら、僕だけでも話を聞きましょう」

「ちょっと待てぇ!」


 景の想像通り、宇多も鶴海の話を聞く気でいたらしい。全力で突っ込む宇多を見て、景はふふ、と微笑む。

 しかし鶴海はそのやり取りについていけないようで、困ったように眉をひそめていた。


「あ、いや、他人の俺でもよろしければ、話を聞かせてください」

「は……はい! ありがとうございます」


 宇多の言葉が素直に嬉しかったようで、鶴海の声のボリュームが少しだけ上がる。一瞬だけ覗いた笑顔は、口元のほくろも相俟って色っぽく感じた。

 改めて「夢なんじゃないか」と思ってしまう。隣の宇多を見てみると、口をポカンと開けつつも興奮の笑みが止まらないという、アホ面になっていた。

 景は、自分も変な表情になってないか気になりつつ、必死に平常心を保とうとしているのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る