2-5 私が勝つから

「だ、だいたいあたしは、あなた達と慣れ合う気はないから」


 小さく咳払いをしてから、紗々里は冷たく言い放つ。


「そうなの? 何か、仲良くなれそうな気がするけど……」


 言ってしまってから、恵麻は両手で口元を押さえる。

 今は戦う相手なのに、甘ったれた考えなのかも知れない。でもきっと、こうして紗々里と接してみて感じた、恵麻の素直な気持ちなのだろう。


「……あなた、馬鹿なの? アニソン戦争が終わっても、負けた方はタイアップを取られた相手と思うことしかできない。レーベルメイトでもない限り、仲良くなんてなれないから」


 しかし、紗々里には冷たく突き放されてしまう。想像できた反応ではあったものの、少し寂しい気分になる。恵麻と視線が合うと、苦笑で返されてしまった。


「それって、さ。私が勝ったら結野さんは私を恨むってこと?」

「それはない。あたしが勝つから、安心して」

「またそういうこと言う……」


 恵麻は眉間にしわを寄せ、小さくため息を吐く。わかりやすく困った表情の恵麻を見ても、紗々里の表情は一ミリも変わらなかった。


「随分と弱気なのね。……初めてのアニソン戦争だから、もっと燃えてるものだと思っていたけど」

「そういう訳じゃ……」

「もしかして、余裕?」


 反論しかけた恵麻の言葉が、ピタリと止まる。いったい何を思って「余裕」だと感じたのか、まったくわからない。

 恵麻は訝しげな表情で、じっと紗々里の言葉を待っていた。


「あなた、元から囚われのエリオットの読者みたいね。ブログに書いてあったから」

「……意外と、対戦相手のこと調べるタイプなんだね」

「う、うるさい」


 一瞬だけ、紗々里は戸惑い気味に目を伏せる。恵麻に的確なことを言われ、恥ずかしく思ったのだろうか。キリッとしている姿よりも等身大の高校生という感じがして、景は安心感を覚えた。まぁ、すぐに鋭い桔梗色の瞳を向けられてしまったのだが。


「……原作ファンっていうのは、大きな武器だと思うから。好きだからこその障害もあるかも知れないけど、有利だと思う」

「そう、だね。作詞は私がやるんだけど、書きたいことが多すぎて大変なんだ。でも、大変だけど楽しいし、何より燃えてる」


 恵麻の表情はいつの間にか笑顔になっていた。原作ファンだから余裕の笑みを浮かべている――という訳ではないように見える。心から楽しくて燃えている。そんな風に景には見えた。


「結野さん。悪いけど、絶対にこの勝負、私が勝つから」

「……そう」


 恵麻が得意気に宣言すると、紗々里も満足気に頷く。まるで「その言葉を待ってました」とでも言いたいように、表情が緩み出した気がする。


「あたしは囚われのエリオットを知って日が浅い。でも、この物語が好きだと思った気持ちは負けないし、絶対にこの作品の曲を歌いたい」


 まっすぐな視線が、恵麻に突き刺さる。恵麻ももちろん、紗々里から視線を逸らさない。景はそんな二人の姿が、とても眩しく感じた。本当に、最初紗々里のことを疑ってしまったのが馬鹿だと思うくらいに。

 そして――この空間において自分がどれだけ邪魔な存在かということも。もちろん、わかっていた。だからこそ、景は黙って二人の様子を眺めていた。


「…………まぁ、今日は話せて良かった。誤解を解くのが目的だったけど、加島さんが悪い人じゃないってわかったから」

「ふふ、何それ。でも結野さんも、本当は優しい人だってわかったから、良かったよ」

「……あたし、そろそろ帰るから」


 おもむろに立ち上がり、紗々里は鞄から財布を取り出す。コーヒー代四百円をテーブルの上に置くと、そのまま立ち去ろうとする。


「また、アニソン戦争で」


 最後に恵麻が声をかける。紗々里は、素っ気なくはあるものの、「ん」と小さく頷いてくれた。今度こそ立ち去る背中に、もう後悔はない。そう言いたいように、恵麻はすぐに景と視線を合わせた。


「いやぁ、まさかこんなことになるなんてね。ごめんねけーくん、居心地悪かったでしょ? 珍しく挙動不審に見えたから」

「バレてましたか……」


 頭を掻きながら、景は苦笑する。

 でも仕方のない話なのだ。アニソンをかけて戦う歌手二人の間にただの一般人が紛れ込んでいたのだから。アニソンファンからしたら羨ましい状況だったかも知れないが、恵麻は幼馴染だし紗々里のことはまだよく知らない。なのにも拘らず「誕生日が二月十日で仁藤なんですよ凄くないですか」とかいうよくわからない会話をしてしまった。いつかは自慢したいことではあったが、いかんせん言うタイミングが悪すぎた。

 珍しく、景は頭の中で反省会を開いてしまう。


「あの、さ。けーくん」


 すると、恵麻が遠慮気味に上目遣いになる。

 突然目に飛び込んできた可愛さにうろたえながらも、景は頷いた。


「結野さん、良い人だったね。話せば話す程、この人が対戦相手で良かった~って思ったよ。格好良いし可愛いし、アニソンに対する強い想いもあって……。きっと、結野知由里さんの娘じゃなくても、人気が出てたと思う」

「ですね。早くアニソン戦争で戦うお二人の姿が見たいって思いましたよ」

「そう? へへ……。で、でもさ」


 空になったコーヒーカップを持ち上げて、恵麻は顔半分を隠す。でも、ほんのりと熱を帯びた頬は、ちらちらと覗いてしまっていた。


「結野さんって、気が強いって言うか……攻撃的な人だったでしょ? だから、けーくんがいて心強かったよ」


 それだけ。と付け加えて、話は終わったと言わんばかりに目を伏せる。

 景は、何も言い返すことができなかった。

 いつもの自分だったら、「ほうほう?」とか言って喜びを露わにしていただろう。でも、恵麻があまりに正直な言葉を言ってくるものだから、むず痒くなってしまう。つまり何が言いたいかというと、恥ずかしいということだ。


「ちょ、ちょっと。何か言ってよけーくん。ダジャレとかさ」

「ダジャレは言いたくなった時に言うものです。ダジャレをどうぞ! という振りはただの苦痛でしかないんです」

「そういう拘りはあるんだね……」


 ごめんごめん、と恵麻は笑う。

 こうして笑っている姿を見ていると、やはりただの高校生なんだなと思う。隣にいるのが心地良くて、安心できる。


「あはは、ちょっとデレデレしすぎたかな。結野さんくらいつんけんした方が良いのかもなぁ……」


 後半は独り言のように、恵麻は呟く。言葉の意図がわからず、景は頭に「?」マークを浮かべた。


「え? デレデレって……僕達いつの間にか付き合っていたんですか……っ?」


 そうではないとわかりつつも、景は大袈裟に驚いてみせる。すると、恵麻はわかりやすく顔を真っ赤にさせた。


「何でそうなるかなあ! ツンデレとかそういうことだよ……あいや、結野さんはクーデレか。ってそんなことはどうでも良くて、とにかく……か、勘違いだからっ」


 早口でまくし立てて、恵麻はそっぽを向く。鞄を手に取って、帰る支度まで始め出した。まぁ、窓の外はもう暗くなってきたから、仕方のない話だろう。


「とにかく! とにか……く。ああ、ごめんけーくん。何か、ゆっくり話す予定がこんなことになっちゃって……」


 でも、恵麻は勢いのまま帰る、ということはしなかった。申し訳なさそうに揺れる瞳を景に向ける。苦い笑みが、景にとってはとても優しいものに感じられた。


「いやいや、良いんですよ。僕も緊張しましたが、結野さんのことが知れて楽しかったです。本当は今日のイベントの感想を長々と伝えたかったのですが、それはまた後日ということで」


 景がニヤリと微笑むと、恵麻は力が抜けたような笑みになる。


「長々って……ふふ、ありがとう。今日は犬間くんも来てくれてたんだよね? ええと……身長の問題なのか、けーくんの姿しか確認できなかったけど」

「ええ、そうですよ。元々一人でも行く予定だったのですが、犬間さんから誘ってくれたんですよ!」

「そうなんだ。てっきりけーくんが誘ってたんだとばかり思ってたけど」


 得意気に胸を張る景だったが、恵麻の言葉でピタリと思考が停止した。まるで、宇多を自分から誘うという選択肢が「始めからなかった」かのように、景の頭の中に衝撃が走る。自分でも意味がわからないが、何故か冷たい風に吹かれたような気分になった。


「それじゃけーくん、またね」


 喫茶店の外に出て、恵麻と手を振り合う。

 辺りはすっかり真っ暗だ。何だか、今日は長い一日だった気がする。


「はい。……あ、そういえばたい焼きは」

「んー、流石にこの時間までやってないんじゃないかな。また出直すよ」


 最後に苦笑を覗かせた恵麻と別れる。

 今日は恵麻のアーティストとしての姿が見られたし、偶然に紗々里のことを知ることができた。

 良いことだらけなはずなのに、頭の中には小さなもやもやが渦巻いていた。

 理由は全然わからなくて、景は首を傾げながら家路につくのであった。

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