2-4 親の七光り

 ずっと困惑した様子だった鶴海とは別れ、景、恵麻、そして紗々里の三人で別の喫茶店へ向かうことになった。冷静になって考えると、「アニソン戦争で戦う二人とお茶をする」という、よくわからない状況だ。幼馴染が歌手というだけで驚きなのに、最早意味がわからない。ぶっちゃけ景は邪魔者でしかないため、今日はもう帰ろうかとも考えていた。しかし、


「お願い、一緒にいて?」


 と、シャツの袖を引っ張られながら囁かれてしまったため、今こうして一緒にいる。恵麻も紗々里とは初対面なはずだし、雰囲気もただならない様子だった。一人では不安なのも仕方のない話だろう。あと、あんなに不安そうな顔で頼られて、一緒にいない訳がないのだ。



 十分程歩き(その間は無言だった)、老夫婦が営む小さな喫茶店に辿り着く。先客は一人だけで、ゆっくり話すにはちょうど良いような静かな時間が流れていた。

 四人がけの席に座り、景と恵麻が隣同士で紗々里と向かい合う形になる。三人分のホットコーヒーを注文すると、さてどうしたものかと景は悩んだ。

 何から訊ねたら良いのだろうか。わからなくて、そわそわと恵麻と紗々里を交互に見てしまう。


「……勘違い、してないで欲しい」


 すると、唐突に紗々里が口を開いた。

 勘違い、というあまりにも突拍子のない言葉に、恵麻は「え?」と聞き返す。景も驚きはしたが、言いたいことはなんとなくわかった気がした。


「すっとぼけないで。……あたしが左山先生と一緒にいたことで、何か怪しいって思ってたんでしょ」


 紗々里の言葉に、恵麻はピクリと眉を動かした。紗々里と遭遇してからここまで、結構な時間が経っている。そりゃあ、色々な想像もしてしまうだろう。

 紗々里は有名なアニソン歌手、結野知由里の娘だ。デビューから注目されていて、すでに人気もある。でも初めてのアニソン戦争は周囲の想像よりも残念な結果になってしまった。そんな中、すぐにまたアニソン戦争が行われる。

 今度こそ勝ちたいと思っている紗々里は、原作者の鶴海に直接……。

 なんて、嫌な妄想が膨らんでしまう。紗々里のことを何も知らないのに、申し訳ないとは思う。でも、他に原作者と会う理由が思い付かなかったのだ。


「肯定はしないけど、否定もしない……か」


 紗々里はため息交じりに呟く。

 すると、そんなタイミングでコーヒーが運ばれてきてしまった。気まずい空気が流れるけれど、言葉が上手く出てこない。恵麻と二人して、コーヒーに口を付けることしかできなかった。


「ああもう。……あたしの言い方が悪かった。だからそんなに怯えないで。ちゃんと説明するから」


 言いながら、紗々里もコーヒーを一口飲んだ。しかし「あちっ」という声が漏れ、顔をしかめる。どうやら猫舌だったようだ。

 恥ずかしそうに視線を逸らしてから、紗々里は説明を始める。少しだけ緊張の糸が解け、冷静に紗々里の話を聞くことができそうだ。


「あたしが結野知由里の娘……ってことは、知ってるんでしょ?」

「それは、もちろん」


 恵麻が頷くと、紗々里はわざとらしくため息を吐いた。さっきからため息だらけで、景は思わず「幸せが逃げますよ」と突っ込んでしまう。もちろん心の中でだが。


「……あたし、嫌なの。母の名前の出されるのが。今はまだ、結野知由里の娘だからって理由であたしの名前は広まっている。でも、あたしは早く「結野紗々里」になりたい。早く親の七光りが関係ない人間になりたいって思ってる」


 紗々里の桔梗色の瞳は、まっすぐ恵麻を見つめている。

 恵麻も、逃げずにじっと見ていた。


「だからあたしは、直接左山先生に伝えに行ったの。結野知由里の娘だとか、今度こそはアニソン戦争に勝てると期待されているとか、そういうの一切気にしないで公平なジャッジをして欲しいって」


 ――ただそれだけ。逆の意味に捉えられたら困るから。


 呟いて、紗々里はコーヒーをふーふーしてから口を付けた。


「…………」


 正直、反応に困ってしまった。

 格好良いことを言い放ったと思ったら、何気なく「ふーふー」という可愛いらしい行動をしている。

 そして今は、すべて説明し終わって満足しているのか、小さく微笑んでいるのだ。


「あの、結野さん」

「何? あたしの顔に何か付いてる?」

「いやいやいや」


 小首を傾げながら、紗々里はまたコーヒーを飲む。「よしっ」と呟いたことから、ようやく飲める温度になったのだと察した。


「……ごめんなさい、結野さん。私、結野さんの言う通り、疑っていたのかも知れません。でも、真逆の人だったんですね」


 恵麻が頭を下げると、紗々里はようやく気が付いたように目を丸くさせた。首を横に振って、恵麻に優しく微笑みかける。

 先程まで感じていた冷たさは、いつの間にか吹き飛んでいた。


「謝らないで。ただあたしは……正々堂々戦う相手に誤解されたくなかっただけだから」


 温かい笑顔で、きっぱりと言い放つ。

 景は紗々里の笑顔を見て、はっとなる。アニソン戦争を心から楽しみにしているように見えるその笑顔が、恵麻の笑顔と重なった。そっくりなのだ。アニソン戦争に燃えている姿が。嬉しくて、ついつい景も笑みを零してしまう。


「でも良かったね、加島さん」


 徐々に心の壁が薄れてきたのか、紗々里は頬杖をついて前のめりになる。


「アニソン戦争に選ばれるだけで知名度はぐっと上がるから。きっといつかオファーとかでアニソンデビューできると思う」

「……ん?」


 柔らかくなってきたはずの恵麻の表情が、訝しげになる。景も口には出さずとも「おやおや」と思った。

 結局は、気が合おうが何だろうが関係ない。

 恵麻と紗々里は、アニメタイアップを取り合う敵同士でしかないのだ。


「ちょっと待って。私、一度も結野さんに勝ちを譲るとか言ってないよ?」

「わかってる。……そんなこと言われなくてもあたしが勝つから」


 余裕で飲めるようになったであろうコーヒーをすすり、紗々里はまるで恵麻を煽るように上から目線で見つめる。確かに紗々里の方が色々とサイズは大きいが、態度まで大きくならなくても。

 当然のように、恵麻は不満たっぷりにふくれっ面になる。


「何それ。彼氏の前だからって可愛い子ぶらないで欲しいんだけど」

「かっ、彼氏じゃないよ! ただの幼馴染!」

「……っ!」


 一瞬で顔を朱色に染める恵麻をよそに、紗々里は心底驚いたように目を剥き、景を睨むように見てくる。


「幼馴染とか……都市伝説でしょ……?」

「突っ込むところはそこなんですかっ?」


 今まで黙って二人の様子を見ていた景だったが、真顔で変な発言をするものだから耐えられなかった。


「……というか、自己紹介をしなくちゃですね。僕は仁藤景です。残念ながら彼氏ではなく幼馴染です」

「一応聞きたいんだけど、幼馴染ってことは……同い年?」


 景と恵麻を指差してくるので、二人してコクコク頷く。


「嘘でしょ……。大学生とかじゃなくて、高校一年生ってこと?」

「はい。二月生まれなので十五歳ですよ」

「せめて一歳下だと思ってた……」


 余程大人っぽく見えていたということなのだろうか。紗々里も十七歳にしては大人びて見える方だと思うが、景はそれ以上に老け――いや、大人っぽく見えるのだろう。

 褒められているのだと受け止ると、景は嬉しくなる。


「ちなみに僕、誕生日が二月十日なんですよ。210にとうの日に仁藤が生まれたんですよ! 奇跡じゃないですか?」


 嬉しいついでに、景はずっと自慢したかったことをうっきうきで投げかけた。


「……いや、それはちょっと何言ってるかわからない」


 しかし、紗々里にはいまいちピンとこなかったようだ。というより、初対面なのにいきなり何を言っているのだと今更冷静になった。でも恵麻は素直に凄いと思ってくれているようで、「おぉ」と声を漏らしている。優しさなのか素の反応なのかはわからないが、あとでたい焼きを奢ってあげようと思う景なのであった。

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