2-3 二人との遭遇

「けーくん、おまたせ!」


 宇多と別れた数十分後。

 水色のサロペットスカートに白いカットソー、そしてお馴染みのキャスケットと黒タイツという私服姿になった恵麻がやってきた。場所はまだイベントをした駅前のため、顔バレ防止でマスクもしている。

 マスク以外は見慣れた恵麻の姿に、景はなんとなくほっとする。


「いやぁ、先程のステージは凄かったですねぇ。別人かと思いましたよー」

「それ、褒めてるの?」


 緋色の瞳が景を突き刺す。

 マスクをしているから口元はわからないが、きっと不服そうにへの字になっていることだろう。


「褒めてますって。というか、褒めたいことは山程あるのでゆっくり話しましょう」

「あんまり褒められても反応に困るんだけど……」


 本当に困っているように、眉間にしわが寄る。やれやれといった様子で小さく咳払いをして、恵麻は歩き出す。


「ま、まぁとにかく行こっか。私の知名度はまだまだとはいえ、さっきイベントに出たばっかりだから。桜見川の方まで行こうよ」


 意外な提案に、景は目を丸くさせる。

 てっきり、近くの喫茶店にでも行くのかと思っていた。しかしよくよく考えると、近くだとイベントに参加した人と遭遇してしまうかも知れない。だったら遠くの方が良いと納得しつつも、景は眉をひそめる。


「え、僕は良いですが……恵麻さんの家とは逆方向ですよ?」

「……たい焼き、買って帰りたいの。良いでしょ?」


 遠回りしたい理由がたい焼きだとは。気に入ってくれたのを嬉しく感じつつ、景は恵麻の提案に頷くのであった。



 恵麻と再会した思い出の桜見川商店街――の近くの喫茶店に二人は向かう。景にとってはよく足を運ぶ喫茶店に入ろうとすると、恵麻が何かに気が付いたように足を止めた。


「あ、そうだ。今お金がないんだった。ごめんけーくん、ちょっとコンビニで下ろして来ても良い?」

「良いですけど、僕が奢っても良いんですよ?」

「それは駄目。デートでもない限り奢られないよ。あ、いやデートでも奢られるのは申し訳ないけど……って何の話をしてるんだ私はっ」


 別に普通のことを訊いたはずなのだが、恵麻は一人で勝手に顔を朱色に染めている。


「ナンの話……インドカレーですか?」

「ふふっ……じゃなくて、すぐに行ってくるから、ちょっと待っててね!」


 照れたり、ダジャレに笑ったり、慌てたり、まったくもって忙しい子である。

 微笑ましく思いながらも、「急がなくても良いですからねー」と去っていく背中に声をかける。しかし数分経って一人でぽつんと突っ立っていると、「やっぱりついて行けば良かった」と後悔するのであった。



「すみません、左山先生。今日は話を聞いてくださってありがとうございました」

「いえ、そんな。……こちらこそ、ありがとうございました」


 すると、喫茶店の扉が開き、二人の女性が出てきた。不意に聞こえてきた「左山先生」という言葉に反応し、景は思わず二人の女性を見つめてしまう。


「…………えっ」


 小さく、驚きの声が漏れてしまう。

 ゆるくカールした、菜の花色のツインテール。つり上がった桔梗色の瞳。黒いワンピースに包まれたモデル並みのプロポーション。

 どこからどう見ても、結野紗々里にしか見えない。

 そして、紗々里が「左山先生」と呼んだということは、隣の女性は囚われのエリオットの作者、左山鶴海先生、ということなのだろうか。鶴海のビジュアルの知らない景は、とにかく困惑することしかできない。


「……あの……」


 突然の出来事すぎて、景は我を失っていた。紗々里らしき人が不審に思っていることにも気付かずに、じっと見つめすぎていたのだ。

 桔梗色の瞳が、しっかりとこちらを捉えている。目が、合ってしまった。まだまだ春の陽気だというのに、額から汗が伝うのを感じる。景の人生において、こんなにも焦ったことはないと断言できるくらい、頭の中はぐるぐる回転していた。


「あー、えっと。結野紗々里さん、ですよね」

「……ああ、ファンの人」


 険しい表情をしていた紗々里だったが、紗々里の名前を出すと少しだけ表情が柔らかくなった。「今ペンとか持ってないから」と、手を差し出してくる。


「あ、ああ、ありがとうございます」


 厳密にはファンではない。なんて、わざわざ否定する必要もないだろう。景は紗々里の手を握り、予想以上の冷たさに驚く。

 何だか、嫌な予感がする。

 そう、例えば――紗々里と握手している時に恵麻が戻ってきて、見られてしまうとか。


「けーくん、何してるの」

「ひぃっ」


 いや、そろそろ戻ってくるだろうなぁとは思っていた。このままだと紗々里と鉢合わせをしてしまうだろうなぁとも、頭の中ではわかっていた。

 でもよりによって、握手をしている瞬間に戻ってこなくても。

 景は慌てて手を引っ込め、愛想笑いを恵麻に向ける。


「え、恵麻さん。おかえりなさい」

「…………」


 恵麻は無言のまま、紗々里と鶴海らしき人を交互に見つめる。きっと、先程は景が見知らぬ女性と握手をしている、くらいにしか思っていなかったのだろう。頭の中のクエスチョンマークが溢れるように、恵麻の口はポカンと開いていく。

 一方で紗々里は、目を細めて恵麻を見ていた。妙な緊張感が漂う沈黙に、ただただ息が苦しくなる。でも、景からはこれ以上何も発することができなかった。


「結野紗々里さん、ですよね。対戦相手の」


 ようやく、恵麻が紗々里に向けて言葉を発する。恐る恐る振り絞ったような声で、若干震えていた。そりゃあ、まさかこんなところで対戦相手に会うなんて思ってもみなかったのだ。突然の出来事に緊張するのは仕方のないことだろう。


「ええ。……ということは、あなたは加島恵麻?」

「は、はい! ええと、よ、よろしくお願いします」


 未だ困惑状態のまま、恵麻はお辞儀をする。紗々里も小さく会釈をするが、恵麻と違って落ち着いている。恵麻達よりたった二つ年上なだけなのに、大人びた印象をひしひしと感じた。


「あの。隣の方はもしかして、原作者の」

「……あ、はい。原作の、左山です……」


 ペコペコ頭を下げながら、鶴海は小声で返事をする。

 漆黒のロングヘアーをサイドテールにしていて、ヘアゴムには折り鶴の飾りが付いている。整った顔立ちで、口元の右下にほくろがあるのが色っぽい印象だ。しかし服装はTシャツにジーンズというラフな格好で、ギャップに驚いてしまう。


「す、すみません、こんな格好で。……取材の時とかは着物を着るんですが、普段はこんなでして……」


 申し訳なさそうに、徐々に声が小さくなっていく。

 そういえば、恵麻から鶴海は和装美人だという話を聞いたことがある。確かに和服が似合いそうな美人な人で、景は思わず見惚れてしまう。

 しかし、それはそれとして。


 ――何故、紗々里と鶴海が一緒にいるのだろうか。


 喫茶店で、いったい何の話をしていたのだろうか。

 鶴海はずっとオロオロした様子だし、紗々里は時間が経つに連れ眉根を寄せ始めた。このまま時間が進み続けると、景の頭は嫌な方向へ進みそうだ。


「……加島さん」

「は、はいっ!」

「話があるんだけど、良い? 連れの子も一緒でも良いから」


 だからこそ、紗々里から話を振ってくれて安心した。少なくとも、うやむやのまま終わる訳ではない。


「ああ、あのっ。結野さん、近いです……」


 紗々里はぐっと恵麻の顔に近付き、まるで凶器のように刺々しい視線をぶつけている。動揺丸出しの恵麻をよそに、紗々里は真剣そのもののように真顔だ。


「悪いけど、逃げられる訳にはいかないから。……あたしの話を聞いて」


 有無を言わさないような冷徹な声。桔梗色の瞳は、しっかりと恵麻を捕まえて放さない。恵麻は瞬き多めに紗々里を見つめ返し、やがて、


「……はいぃ」


 と、観念したように頷くことしかできなかった。

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