第二章  彼女の本音

2-1 ステージ上の彼女

 ゴールデンウィーク真っ只中のある日。

 景にとってとても重要な、まさしく「わくわくの真骨頂」とも言えるイベントが待ち受けていた。

 家族や友達との旅行――という訳ではない。それはそれで楽しそうではあるのだが、楽しいのベクトルが違うのだ。


 恵麻が所属するレコード会社は「カエデミュージック」と言い、アニソン・ゲーソン歌手や声優アーティストが多く所属している。設立十五周年を迎えていて、アニソンのレコード会社と言えば「カエミュ」という程の大手だ。

そんなカエミュ主催のフリーライブが、今日駅前のイベントスペースで行われるのだという。


 カエミュフェスVol.7

 定期的に行われているフリーライブイベントで、恵麻はこれで二度目の参加らしい。


「楽しみですねぇ犬間さん! 恵麻さんの生歌ですよ!」


 恵麻のステージが見られるだけでも嬉しいのに、宇多からこのイベントに誘ってくれたのだ。テンションが上がらない訳がないって話だ。


「わかったから落ち着けって。いやまぁ、かく言う俺も結構楽しみではあるけどな。きっかけはともかく、もうファンみたいなもんだし」


 時刻は午後一時。

 イベントが始まるのは三時からで、まだ二時間も余裕がある。もっとゆっくり来ようと思っていた景だったが、あまりギリギリだと見づらいかも知れない(宇多は背が低いから特に)とのことだったため早めに来たのだ。


「……い、犬間さん! 座席がもう埋まってる……ような気が」

「あー、まあこんなもんだろ。それぞれのアーティストのファンがいる訳だからな」


 人気なのはやっぱりあの声優ユニットか、と宇多がぼそりと付け足す。

 座席に座る人々を見てみると、法被を羽織った人が妙に多い気がした。赤や青や緑と、カラフルなのも気になる。


「法被の人なんているんですね」

「ああ、出演者の中に声優ユニットがいるんだよ。そのファンだな。最近人気なんだよ」

「ほう。法被を着てハッピー、ですね」

「お前それが言いたかっただけだろ」


 宇多の冷たい視線が心地良い……訳ではもちろんないが、わざわざ突っ込んでくれる宇多は優しいと思う景だった。


 駅地下で買った栗まんじゅう(左山鶴海先生のおすすめの店)を食べながら、なるべく近い場所で待機する。


「そういえばブレード使うか? 一応仁藤の分も持ってきたんだけど」

「ブレー……ド? 剣ですか?」

「ペンライトだよ、光る棒」


 宇多はトートバッグから二本のペンライトを取り出す。流石の景も実物を見ると「あー」と納得した。少し前までの景の認識としては「アイドルのライブで振るもの」という印象が強い。アニソン歌手や声優アーティストのライブでも主流であることは、当然のように理解できた。


「手元のスイッチで色が変えられるんだけど……。まぁ、無理に勧めることもないか」


 一瞬だけ苦笑を覗かせて、宇多はペンライトをしまう。


「ああっ、しまってしまいました! 犬間さん、しまってしまいました!」

「……二回言わなくて良いから。つ、使うのか?」


 若干躊躇いつつ、宇多は再び訊ねてくる。

 きっと、まだオタクになって日が浅い景に遠慮をしているのだろう。確かに、どうやって振れば良いのかとか、何色を振れば良いのかとか不安はある。しかし誰にだって初めてはあるのだ。しかも今日はぼっち参戦ではない。隣に経験者の宇多がいる。初挑戦の環境としては完璧と言えるのだ。


「恵麻さんをちゃんと応援したいですから、使いますよ」

「恥ずかしいセリフを簡単に言う奴だな、相変わらず……。まっ、なんとなく周りの動きに合わせれば良いから。振るのに必死で加島さんを見てない……って状態にならないようにな」

「了解です、先生!」


 ビシィッ、と敬礼をして答える景。

 宇多も照れ笑いのように微笑む。が、すぐに真顔になった。


「景だけに、けいれいってか……」

「はっ! それは思い付きませんでした! 犬間さん、天才ですかっ」

「…………言うんじゃなかった」


 ニコニコと満面の笑みを浮かべる景とは裏腹に、一気にテンションが落ちてしまった宇多なのであった。


 ***


 ライブイベントが始まり、座席に座っていた観客も一斉に立ち上がる。ここでようやく気付いたのだが、時刻はまだ午後三時だ。辺りはまだ明るく、今回はペンライトの出番はないようだった。宇多は「やっちまった」とでも言いたいように顔を赤くさせ、景からペンライトを回収。そっとトートバッグの中にしまうのであった。

 今回のライブイベントは五組の出演者がいて、恵麻の出番はちょうど真ん中の三番目だった。

 恵麻の衣装は真っ赤なドレス姿で、普段より大人な雰囲気がある。しかし、しましま好きのアピールは忘れていないようで、足元はモノクロのストライプ柄のハイヒールだった。また、恵麻はいつも黒タイツを履いているイメージがあるため、生足なのも珍しい気がする。思わず薄卵色の肌をじっと見つめてしまった。

 とまぁ、見た目のことはともかく。


「…………っ」


 わかっていた、つもりだった。でも、本当は何もわかっていなかったのかも知れない。

 恵麻と再会してから、ただの女の子としての姿しか見ていなくて。CD音源の歌声を聴いても、幼馴染の恵麻とは結び付かなくて。

 でも、今、恵麻は歌っている。

 CDで聴いたような力強い歌声が、景の耳に響く。アップテンポながら歌詞は優しく、心なしか歌声も表情も柔らかく感じる。それがまた耳に心地良いのだ。

 恵麻は「まだステージ慣れしてないから」と恥ずかしそうにしていたが、正直ただの謙遜と思えてしまう程、堂々としている。観客一人ひとりを見つめて、間奏中には手を振る余裕もある。

 と、思っていたのだが。


(あ……っ)


 見つけてしまったのだろう。景と宇多の姿を。

 恵麻は一瞬だけ瞳を大きくさせてから、慌てて視線を逸らした。その後数秒間だけ眉間にしわを寄せていて、動揺しているのが丸わかりだ。


(良かった。あれは間違いなく恵麻さんですね)


 素の恵麻の姿に何故か安心感を覚えつつ、景はニヤリと微笑む。すぐにアーティストモードに切り替える恵麻を見つめ、「あの人が僕の幼馴染なんだ」という謎の優越感に浸る景なのであった。

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