1-3 結野紗々里
午後二時六分。
予定の時間から数分遅れで、アニソン戦争はスタートした。
景達はちゃぶ台の上に置かれたノートパソコンを食い入るように見つめる。本当はテレビに繋げて大画面で観たかったようだが、やり方がいまいちわからなかったらしい。景も機械に強い訳ではないので、何も言うことはできなかった。
「この作品、俺も結構期待してるんだよなー」
少々遠慮気味にクッキーをつまみながら、宇多が呟く。透かさず景が「クッキーを食う気ぃですか」と言うと、「ちょっと無理があるな」と正直な感想をもらってしまった。恵麻にはやや受けだったが、今日はダジャレを言わない方が良い日だと、景は密かに判断するのであった。
咳払いをして、気を取り直す。
「ゆびきりトライアングル! でしたっけ。原作はなくて、オリジナル作品なんですよね。確か、アニメと同時にゲーム化も決まってるっていう」
「そうそう。私、オリジナル作品のアニソン戦争って初めて観るんだよね。どういう感じなんだろう?」
アニソン戦争自体を初めて観る景にとっては、恵麻の動きに合わせて首を傾げることしかできない。何もかもが新鮮なのだ。ネット中継とはいえ、わくわくが止まらない。
「原作がないから、直観で投票するしかないってことだよな。それはそれで面白そう……あっ」
宇多が言葉を途中で詰まらせる。ちらり、と恵麻の様子を窺って、景も思わず恵麻を見てしまう。
「な、何? 私、初見な訳じゃないよ? ネットの生放送に出てるのとか、観たことあるし。……ああ、やっぱり可愛いなぁ、結野さん」
パソコンの画面の中には、結野紗々里が映し出されていた。
菜の花色のゆるくカールした髪は、黒いリボンでツインテールにしている。桔梗色の瞳はつり上がっていて、気の強そうな印象だ。黒いワンピースに身を包む紗々里は、胸は大きめでウエストは細い、まるでモデルのような体系だ。ちなみに、景がネットで調べた情報によれば、実際にモデルのスカウトをされたことがあるらしい。
「犬間くんは、結野さんのことどのくらい知ってるの?」
「あーえっと、ささりんの……結野さんのことは」
「あ、うん。今のでだいたいわかったから大丈夫だよ。何かあれだね。私が結野さん……ささりんだったら良かったね、犬間くん」
顎に手を乗せながら、ニコニコと微笑む恵麻。
宇多はヒィ、と小さく漏らしてから、へこへこ頭を下げた。
「すんませんすんません! 俺、囚われのエリオットのアニソン戦争に参加する予定なんですけど、加島さんとか結野さんとか関係なく、ちゃんと作品のことを考えて投票しますからぁ!」
「そんなの当たり前なんだよねぇ」
呟き、恵麻は楽し気に笑みを零す。宇多を煽っているとかそういう訳ではなく、心の底から楽しそうにしている感じだ。
「ごめんけーくん。何か面白くて友達からかっちゃった」
「いえいえ、良いんですよ。恵麻さんが楽しそうで何よりです」
「な、何だよそれー。……あ、そういえばもう一組はアイドルなんだよね」
ニヤニヤ顔のまま、恵麻は画面に注目する。
確かに、恵麻の言う通り紗々里の隣に立つ対戦相手は三人組のアイドルユニットだった。アニソン歌手でも、声優アーティストでもなく、アイドル。景にとっては意外なことだと思った。アニソンを歌うのは、やはりアニメファンが良く知るアーティストが良いような気がする。ファン層が少し違うアイドルでは不利ではないかと思うのだ。
「わりとアイドルがアニソン歌ってたりもするんだぜ。まぁ、アニソン戦争に出るっていうパターンは珍しいかも知れないけどな。俺も全然、名前すら聞いたことのないアイドルだし、実際不利だと思うなぁ」
宇多の言葉に、恵麻がうんうんと頷く。
紗々里の対戦相手は、「みつぼシスターズ」という三人組のアイドルユニットだ。景も聞いたことのないアイドルだが、名前の通り三姉妹のユニットらしい。メンバーは星瀬みこと(高三・十七歳)、つくし(高一・十五歳)、ぼたん(中二・十三歳)で、恵麻や紗々里とだいたい同世代だ。それぞれ黄、白、青の衣装に身を包み、ふわりと広がるスカートには星模様が散りばめられている。
「アイドル業界では有名なんですかね?」
「まだデビュー二年目みたいだけど、CD売り上げ的には人気っぽいぜ? シングルもアルバムも一万超えてる」
「へー」
恵麻がジトーっとした視線を宇多にぶつける。
「犬間くんって、売り上げとか気にしちゃう人なんだ。へー」
恵麻の発言がぐさりと突き刺さったように、宇多の表情が引きつる。
「い、いやぁ……そんなに気にする訳じゃないって言うか。今回は俺もこの中継観る気でいたから、偶然調べただけって言うか……」
「変に気まずそうな顔するね? どうしたのかな、犬間くん。ん?」
恵麻の視線から逃げ惑う宇多。
二人の様子を見て、景もなんとなく察しが付いた。
きっと――いや絶対に。宇多は恵麻のミニアルバムの売り上げも調べ済みなのだろう。
「犬間さん、結野さんはどのくらいの売り上げなんですか?」
とりあえず宇多に話を振ってみる。
わかりやすく宇多の表情に花が咲いた。
「みつぼシスターズよりもちょっと少ないって感じかな。ノンタイのシングル二枚出してるんだけど、ギリギリ一万に届かないかなって感じ」
「ノンタイ……ああ、ノンタイアップってことですね!」
「って、気になったのはそこかい! まぁ、仁藤はまだまだオタク知識が足りないから仕方ないよな。あははー」
わざとらしく笑い飛ばしてから、宇多は正座になってパソコンの画面に集中した。もうこの話は終わりということだろう。「あはは、すみません」と笑い、目の前のアニソン戦争に意識を持っていく。
「……ギリギリ四桁」
「え?」
と、思ったら。
どうやら話は終わっていなかったようで、小さく呟く恵麻の声が二人の耳に届いてしまう。気まずそうな顔で、恵麻は言葉を続けた。
「私のミニアルバムの売り上げ! なんとか四桁だったの。ド新人にしては売れた方だって! 結野さんやみつぼシスターズが化け物なだけだよ!」
数字よりも、わざわざ告白してくれた恵麻に驚きが隠せない。
「お、落ち着きましょう恵麻さん。気持ちはわかりましたから! アニソン戦争に勝てば恵麻さんの知名度はうなぎのぼり! 売り上げも二倍三倍どころか十倍ぐらいになりますよ!」
「別に売り上げなんて気にしてませーん」
唇を尖らせてそっぽを向く恵麻は、明らかに拗ねているようにしか見えない。きっと、言葉とは裏腹な感情が渦巻いているのだろう。
妙に子供っぽい恵麻の姿に笑ってしまいながらも、景は正直な感想を口にする。
「恵麻さん」
「な、なぁに?」
「ちゃんと映像観てます?」
「……観てるよー。うん、観る観る」
一瞬の沈黙。慌ててパソコンに注目したようにしか見えない恵麻の表情は、苦さで溢れている。
恵麻の苦笑につられるように、景と宇多も苦い笑みを零す。このままでは話が「CDの売り上げについて」で盛り上がってしまうところだった。確かに売り上げも大切なものの一つかも知れない。しかし、今日は違うのだ。
一つは、まだアニソン戦争を観たことがない景が、アニソン戦争を知るため。というのが、景個人としては大きなポイントだろう。
もう一つはやはり、結野紗々里を知るためだろうか。紗々里がアニソン戦争に出るのは今回が初めてらしく、恵麻が紗々里のことを知る絶好の機会なのだ。
今はまだ、曲を披露している訳ではない。
先程まではアニメ版の監督が大まかな内容や登場キャラクターを説明していて、今はゲーム版のプロデューサーがゲームシステム等を説明しているところだ。「ゆびきりトライアングル!」は、約束をテーマにした三角関係の学園ラブコメで、メインヒロインは二人しかいない。
しかしゲーム版は別で、主人公は二人の中から選べ、ヒロインが四人いるという。また、アニメ版よりゲーム版の方が、シリアス度が高いらしく、シナリオを読んだ紗々里やみつぼシスターズのメンバーが驚きの声を上げていた。
「アニメとゲームで全然違う曲調になりそうだな」
宇多が呟くと、恵麻は無言のまま頷いていた。
時間が経つに連れ、恵麻の口数が減っているような気がする。少なくとも、先程のように関係のない売り上げの話をぺちゃくちゃ喋っている時とは大違いだ。
「は、は、始まる、ね」
説明パートが終わり、ついに歌唱パートが始まった。恵麻は徐々に緊張が高まっていたようで、ハンカチを握りしめながら食い入るように画面を見つめている。
まずはゲーム版が先ようだ。バックにゲームの場面写が映し出される中、みつぼシスターズが曲を披露する。予想以上に歌唱力が高く驚きつつも、アイドルらしいダンスを取り入れたポップな曲調になっていた。
「三女の子ってまだ中学生なんだよな……すげぇ」
宇多の言う通り、景も思わず見入ってしまっていた。ただの偏見だが、アイドルは歌唱力よりも容姿や衣装、ダンスが重視されるものだと勘違いしていたのだ。
でも違う。アニソン戦争に選ばれる時点で察するべきだった。ただのオファーとは違って、戦わせる程の実力がある。それをひしひしと感じ、景は思わず妙な冷や汗を掻いてしまった。きっと、このあとに歌う紗々里には凄いプレッシャーになっているのだろう。――と、思っていたのだが。
「……っ!」
恵麻の、息を呑む音が聞こえたような気がした。
それくらい、紗々里の出番になった途端に空気がガラリと変わったのだ。バックの映像は先程と変わらないはずなのに。みつぼシスターズとは印象が一八〇度違う。
景は恋愛シミュレーションゲームをプレイしたことがない。でも、可愛い女の子が出る恋愛のゲームだし、さっきのポップな曲調は凄く合っていると感じた。
しかし、同時に違和感を覚えたのも事実だ。
ゲームはアニメよりもシリアス。と、さっき説明があったではないか。確かにみつぼシスターズの曲にも、ポップな曲調の中に恋に悩むシリアスな歌詞が含まれていた。でも、バックの映像が加わった時、真っ先に作品の世界に入り込めるのは紗々里の曲だった。アップテンポながらも切ない歌詞と、敢えてブレスを多めに入れた大人びた歌声。所謂ギャルゲーと呼ばれるものをやったことがない景が、こんなにも惹かれているのだ。
「これは……もう決まったようなものですね」
ほとんど無意識のままに、景はそんな感想を漏らす。
恵麻は画面を見つめたまま、無言で頷いていた。
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