1-2 恵麻の部屋
とある休日のお昼頃。恵麻の家の最寄り駅の時計台にて。
景の目の前には恵麻がいて、その隣には何故か宇多がいる。という、謎の現象が起きていた。
「けーくん……仁藤くんの友達なんだよね。私は加島恵麻、よろしくね」
「こ、ここ、こちらこそよろしくお願いします! 俺、囚われのエリオットが好きなんで、アニソン戦争に出る人っていうのはもちろん知ってて、ええと……」
宇多はわかりやすく感情を高揚させているようで、早口になりつつも恵麻の顔をガン見している。
わたわたとトートバッグ(もちろんミクスとミリナが描かれたデザイン)の中に手を突っ込み、恵麻のミニアルバムを取り出す。
「CDも買いました! サインお願いします!」
しっかりとペンも用意しつつ、宇多は恵麻に頭を下げる。
清々しい程に、ミーハー心に溢れた笑顔だった。
「アニソン戦争に選ばれるだけこんな効果が……! いやなんか本当にありがとう。喜んで書かせてもらうね!」
恵麻も恵麻で、素直に喜んでいるようだ。ひっそり色紙とペンを持ち歩いている恵麻にとって、サインを頼まれるのは嬉しくてたまらないのだろう。鼻歌を歌いながら、ゆっくりと渡されたCDにサインを書いている。景は、おぼつかない手付きでサインを書く恵麻の姿に思わず笑ってしまった。
「恵麻さん、サイン書くの慣れてないんですね」
「う……っ。うるさいなあ! まだサイン会とかは経験がなくて、数回しかサイン書いたことないんだから仕方ないでしょ!」
怒りながらも、恵麻は丁寧にサインを仕上げる。宇多に名前の漢字を聞いて、「犬間宇多さんへ」と名前まで添えていた。
「はい、犬間くん。どうぞ。……書き慣れてなくてごめんね」
苦笑しながら恵麻がCDを渡すと、宇多は首をブンブンと振りながら受け取った。そして、ジト目で景を睨み付ける。
「幼馴染だからって、もうちょっと優しくしろよなー」
宇多の言葉に、景は首を傾げた。
「いやぁ。可愛らしいんですから仕方ないじゃないですか」
「おまっ、お前って奴は本当に……!」
何故か宇多は驚いたように目を丸くさせている。隣で恵麻は、口元に手を当て気まずそうに視線を逸らしていた。
そんな恵麻の今日の服装は、小花柄のピンクのワンピースに黒タイツ。帽子は被っていなかったが、靴は白黒のストライプ柄のパンプスだった。やはりしましま好きは今でも変わらないようだと景はニッコリする。
「加島さんを見つめてニヤニヤしてんじゃねぇよ! 何か俺だけ仲間外れみたいじゃねぇか! ……いや、まぁ実際問題今日の俺の立ち位置って何だろうなって言うか。だいたい、何で俺は呼ばれたんだ……?」
そういえば、宇多の私服姿は初めて見たような気がする。(灰色パーカーにジーンズ。厨二病的な恰好を想像していたから意外だった)
なんて思いながらじっと宇多を見ていたら、確かに不思議に思えてきた。景も、今日景と宇多が恵麻の家に招待された理由を知らないのだ。
「ああ、そういえば言ってなかったね。今日は皆で、アニソン戦争を鑑賞しようかと思って。今日、アニソン戦争のネット中継があるのは知ってる?」
恵麻の問いかけに、景はようやく「なるほど」と自分の中で納得がいった。宇多も恵麻の意図を理解したようで、コクコク頷いている。
「
――結野紗々里。
恵麻より二つ年上の歌手で、囚われのエリオットの主題歌を歌うことになるかも知れない女性。
つまり、恵麻の対戦相手だ。
「対戦相手のことを知るのも、重要なことじゃない? まぁ、何て言うか。いくら幼馴染でも部屋で二人きりはちょっとね。……ということで、犬間くんにも来てもらいました。へへ……と、とにかく行こっか」
照れ笑いを隠すようにして、そそくさと歩き出す恵麻。
宇多から不服そうな視線を感じながらも、景は恵麻のあとを追うのであった。
***
ハンバーガー屋で腹ごしらえをしてから(恵麻の手料理を若干期待したのだが、残念ながら料理はあまりしないらしい)、恵麻の家へ向かう。
恵麻の両親は「今日は久々のデートだからいないんだ」とのことだが、小学生の弟はいるらしい。赤ん坊姿は見たことがあるらしいのだが、流石に覚えていなかった。よそよそしく挨拶をされ、なんとなく気まずい空気になってしまう。景もアホではないので、ほぼ初対面の相手にダジャレを言う勇気はなかった。
「ごめんね。うちの弟、無愛想だったでしょ?」
「いえいえ、初対面なら誰だってああなりますよ。僕と気が合いそうです」
「そうなの?」
恵麻の部屋に向かいながら、景は何気なくダジャレを零した。
……つもりだったのだが、恵麻は気付いていないらしい。愛らしく小首を傾げ、景を見つめてくる。
「あ、いえあの……。い、今のは無愛想と気が合いそうっていうのをかけたダジャレで……。よくよく考えるとあまり上手くないですね、ああぁ……」
「あー、なるほど」
恵麻の苦笑が目に痛い。いつもだったらどんなダジャレに対しても笑ってくれるのに。意味が伝わらないというのは、冷たくあしらわれるより辛いものだと実感した瞬間だった。こんな時に限って宇多が茶化してくれないなんて、酷い話もあったものだ。
「さぁ、入って入って。始まるまでは……あと十分くらいか。ちょっと飲み物持ってくるね。オレンジジュースで良い?」
頷くと、恵麻は「適当に座ってて」と言い残し去っていく。
部屋の中は、意外と女の子らしさはなかった。だからといって散らかっている訳ではなく、綺麗に整理整頓されている。大きな本棚とCDラックには漫画やライトノベル、声優・アニソン歌手のCDがぎっしりと詰まっていた。壁にはアニメや声優のポスターやタペストリーが沢山飾られていて、いかにも「オタク部屋」といった雰囲気だ。
「散らかってない俺の部屋みたいだ……。女性向け作品が多いと思ったら、そうでもないんだな。何か親近感……」
でも加島さんは囚われのエリオットの主題歌を歌うかも知れない歌手な訳で……ああ何だこの気持ちは……。
――などと、宇多がぶつぶつと呟いている。
まだまだオタク知識が少ない景にとっては「?」が浮かんだが、壁のポスターは女性の声優だか歌手が多い印象だ。中にはサイン入りのものもあり、「レーベルの先輩に書いてもらったのだろうか」と勝手な想像が膨らむ。
「まさか突っ立ったまま部屋をじろじろ見られるとは思ってなかったよ」
すると、背後から呆れたような声が降り注ぐ。
振り返ると、お盆を持った恵麻が立っていた。お盆の上には三人分のオレンジジュースとクッキーが置かれている。
「すみません。あまりにもオタクっぽい部屋で驚きまして」
「この正直者めぇ! もう。良いから座って。アニソン戦争観るよ」
腰に手を当てて怒る恵麻を内心可愛いと思いながら、景と宇多は大人しく座布団の上に座るのであった。
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