第一章  対戦相手

1-1 仁藤景オタク化計画

 恵麻と再会してから、一週間。

 景の生活が一八〇度変わった。と言っても過言ではない程、景はアニメやアニソンなどの所謂「オタク文化」にのめり込んでいた。

 今までの景の趣味といったら、しいて言えば読書とゲームだ。あとはまぁ、ダジャレも趣味と言えば趣味だろうか。

 でも、読書は暇な時に読むだけだし、ゲームは弟とやることが多いし、ダジャレはただの日常だ。趣味と断言するのは何か違う気がする。

 そんな仁藤景が。特に友達も作らず、自由気ままに過ごしてきた仁藤景が。

 ここに来て、オタクになろうとしている。

 何とも不思議な話だが、ハマってしまったのだから仕方がない。


 まずは、全巻購入した「囚われのエリオット」。

 女性向けの作品だが、何の問題もなく読むことができた。

簡単に説明すると、双子の姉妹、ミクス(辛抱強くまっすぐな姉)とミリナ(心優しい妹)が囚われた弟を助ける話だ。心理描写がしっかりしていたり、服装や街並みがお洒落だったりしていて、そこが女性の心を掴んでいるらしい。しかし、個性的な女性キャラが多く出てくることもあり男性読者も多いらしく、景としても「少女漫画を読んでいる」という気分にはならなかった。


 次に、恵麻のミニアルバムだ。

 迷わず買おうと思ったが、CDを探すのに手間取ってしまった。加島恵麻だから「か行」を探したが見つからず、ゲームのタイトルで探してようやく見つけることができた。

 恵麻の歌う曲はどれもアップテンポで格好良く、また歌声も「本当に恵麻さんの歌声なのか」と疑いたくなる程に力強く、圧倒された。しかし、力強さの中に温かみを感じるというか――例えるなら、囚われのエリオットのミリナのようなイメージだ。だから恵麻が囚われのエリオットのアニソン戦争に選ばれたのだろう。

 そのことに気付いた途端、景の中に火が灯ったのかも知れない。もっとこの世界を知りたい。色んな漫画を読みたいし、アニメソングにはどんなものがあるのか色々聴いてみたい。でもその前に、アニメを観なくては。


(……あ)


 景の好奇心は、学校にいても渦巻いていたらしい。

 見つけてしまったのだ。囚われのエリオットの主人公、ミクスとミリナのキーホルダーが鞄に付いているのを。

 持ち主は、隣の席の男子生徒だった。


「ミクスとミリナじゃないですか!」

「……えっ」


 遠慮なく景が声をかけると、男子生徒は気まずそうに顔を引きつらせながら視線をよこす。

 これが景の好奇心を加速させる出会いになると、この時点で景はなんとなく予感しているのだった。


 ***


 桜見川高等学校の一年A組である景は、窓際の一番後ろの席に座っている。その右隣の席に座る男子生徒とは、普通に世間話くらいはする仲だった。

 いったい、いつからキーホルダーを付けていたのだろうか。入学してから三週間程経つが、もしかして最初からだろうか。

 とにかく景は、入学して三週間が経った放課後というタイミングで気が付いた。景が囚われのエリオットを一気読みしたのが一週間前だから、一週間近く気付いていなかったことになる。まったくもって節穴だった。


「ええっと……今、何て?」

「その鞄に付いているキーホルダーのことですよ。囚われのエリオットのミクスとミリナですよね? 犬間いぬまさんも好きなんですねぇ!」


 男子生徒――犬間宇多うたは、驚いたように口をポカンと開けている。

 男子にしては低めの身長である宇多は、恵麻と同じく中学生くらいの幼さを感じる。女の子に見えると言っても過言ではないのだが、本人的には「女の子みたい」や「可愛い」といったワードはNGらしい。景も一度「可愛らしいですね」と言って怒られたことがある。髪は萌葱色で、鬱陶しくないのか前髪は右目を隠すようにして伸びている。得意気に「格好良いだろ?」と言っていたため、精一杯の足掻きなのだろう。


「……マジで? 仁藤、囚われのエリオット知ってんの? 一応少女漫画なんだけど」

「おや? やはり犬間さんは女の子だったんですか?」

「おい」


 一瞬で宇多の視線が鋭くなる。しかし何か文句を言うでもなく、咳払いをして表情を緩めた。


「……ま、まぁそうだな。男が少女漫画読んでても何も問題はない。俺はただ、仁藤が漫画を読んでるってのが意外だったっていうか」

「漫画は元々読みますよ。ただ、最近になってオタク文化に興味を持ったんですよ」

「……へぇ」


 宇多は何かを疑うように、こちらをジト目で見つめてくる。

 景が首を傾げると、宇多は小さく息を吐いた。


「馬鹿にしてるって意味じゃない、興味なんだよな?」


 また、宇多の表情が鋭くなる。さっきと違って、すぐに表情は崩れなかった。じっと景を見つめて離さない。景も茶化さずに本音で返した。


「当たり前じゃないですか。……どうしてですか?」

「そりゃあお前……」


 言いながら、宇多は不機嫌そうに顔をしかめる。


「そんだけ背が高くて顔が良くて、誰とでも仲良く話せるようなコミュ力があるリア充だからに決まってるだろ! 言わせるなこのやろー!」

「ほう?」


 叫ぶようにして褒めまくる宇多に、景は謙遜せずに口角を上げる。素直に「いやはや、ありがとうございます」と言うと、宇多はわかりやすく歯をギリギリさせた。


「でも、残念ながら友達はいないんですよねぇ」

「……ん。それは意外だな。あれか、ダジャレを言うからか」

「あー……いえ。それはむしろ好かれるポイントだと思うんですけどねぇ。でも最近、可愛い幼馴染と再会したんですよ」

「へー。…………はあぁ、幼馴染ぃっ? やっぱりリア充じゃねえか!」


 さっきから叫びまくりの宇多に、景は内心「大丈夫でしょうか」と不安になる。

 恵麻の話をしたら、驚きのあまり腰を抜かしてしまうのではないだろうか。再会した幼馴染が歌手になっていて、囚われのエリオットのアニソン戦争に出る。改めて口に出そうとすると、驚きの展開だなぁと思う。


「犬間さん、加島恵麻って知ってますか?」

「ん? いや、知らない……ような、知ってるような」


 宇多は顎に手を当て、考え始める。

 少しの沈黙のあと、宇多はようやく思い出したように「あっ」と声を漏らした。


「囚われのエリオットのアニソン戦争の! ああ、思い出した。知名度の低い方な」

「え? ああ、はい、その通りです」


 宇多の「知名度の低い方」発言に、景のテンションががくっと下がる。囚われのエリオットの読者である宇多なら必ず興奮すると思っていたのだが、現実は甘くないようだ。


「確か、ゲーソン歌ってる人なんだっけ?」

「ゲーソン……ああ、ゲームの曲を歌っていますよ。恵麻さんがさっき言っていた僕の幼馴染なんです」

「お……おお?」


 景の発言に、宇多は興奮を取り戻したようだ。

 ああなるほどそういうことか突然アニソン戦争の話になったから何だ何だと思っていたらそういうことかよー、などとぶつぶつ呟いている。


「驚きました?」

「いや、うん……。何か、微妙な反応取っちまって悪いな。つまりあれか。仁藤は囚われのエリオットのOP歌うかも知れない歌手の幼馴染がいるってことか」


 コクリと頷くと、宇多は頭を抱える。


「何だその羨ましいシチュエーション。仁藤、変わってくれ!」

「無理ですよー。でも、再会できて本当に良かったです。囚われのエリオットを一気読みしたり、恵麻さんの曲を聴いたりして……。それがきっかけで、オタク文化に興味津々なんです。こうして犬間さんと話すきっかけになりましたし、良いことだらけですよ」

「……仁藤って、恥ずかしげもなく色々話せるのな」


 視線を逸らしながら苦笑する宇多の姿を、景はニコニコと微笑みながら見つめる。

 でも、実際に嬉しいのだから仕方がないのだ。恵麻と再会してアニメやアニソンに興味を持ったというだけで怒涛の展開なのに、友達までできそうになっている。

 今まで、寂しいと感じたことはなかった。自分で言うのも何だがコミュニケーション力はある方で、修学旅行のグループ分けなどにも困ったことはない。家に帰れば仲の良い弟がいて、休日も弟と過ごす率が高かった。

 だからもう、無理に友達を作る必要はないと思っていた――はずだったのだが。


「な、何ニヤニヤしてるんだよ。気持ち悪い」

「楽しいんですよ、凄く。……あっ、そうです!」

「何だよ、慌ただしい奴だな」

「犬間さん、おすすめのアニメってありますか? アニメに興味があるって言いつつ、まだ見てないんですよー」


 訊ねた途端に、宇多の両目が大きく開かれた。

 同時に、ニヤリと口を綻ばせる。心なしか、今までで一番嬉しそうな反応に見えた。


「良いのか? 薦めて」

「ぜひともお願いします!」

「いっぱいあるぞ、山程あるぞ? うはー、どうしようかな」

「何だか楽しそうですね、犬間さん。僕は部活に入っていない暇人なので、いくらでもかかってこいって感じですよ!」


 放課後にだらだらと世間話をしている時点で、宇多も部活には所属していないのだろう。「奇遇だな、俺も暇人だ」などと笑いながらも、ゆっくりと思考を巡らせている。


「やっぱり最初は一般受けが強い作品にすべきか……うーん、難しいな」

「とか言いつつ、やはり楽しそうな犬間さんなのでした」

「変なモノローグ付けるな! でもまぁ、楽しいのは事実だよ。人に自分の好きなものを勧めるって、すっげえ楽しい行為だと思うんだよな。好きなものを共有したいっていう欲があるんだよ。オタクにはよくある現象だと思うぜ」

「ほうほう。その気持ち、なんとなくわかる気がします。……それで、どうしますか?」


 気が付けば、教室に残っているのは景と宇多だけになっていた。

 窓の外はまだ暗いとは言えず、茜色に眩しく輝いている。だから、まだこのまま宇多とオタク話を続けることもできた。


「始めに見るアニメって、結構重要なんだよ。だから、今慌てて決めるよりもじっくり考えた方が良いと思う。だから、あとで連絡するよ」


 言いながら、宇多は鞄の中から携帯電話を取り出す。景も、自然な動作で携帯電話を出していた。


「まぁ、何て言うか。小中学校の頃の友達とは高校が別々でさ。このクラスにはオタクっぽい奴がいなかったから、ひっそりと過ごしてたんだけどさ」

「ほう。僕と出会えて良かった、という訳ですね?」


 自分の身長が高いのを良いことに、景は上から目線で楽し気に微笑む。


「自意識過剰な奴だな、まぁ事実だけど! と、とにかく交換すっぞー」

「まぁまぁ、もっと僕に好感を抱いてくださいよ。交換だけに」


 決まった! と思って宇多を見ると、まったく目が合わない。


「…………よーし、交換完了だな。じゃあ、良いアニメ思い付いたら連絡するから」


 渾身のダジャレは華麗にスルーされてしまった。まぁ、ダジャレを言うとだいたいの人がこういった反応をするため、無視されるのは慣れている。むしろ気持ち良い――という領域にはまだ達していないので安心して欲しい。



 ダジャレのことはともかく、景の心は満足感で溢れていた。

 桜見川高に入学して三週間。初めてクラスメイトと連絡先を交換した。中学の頃は学級委員長だったため、事務的な連絡をするためのアドレスはいくつか知っていた。

 でも、今回は違う。

 まだ宇多のことを友達だと断言するのは早いと思う。しかし、少なからずオタクの師匠だとは思っている。これから宇多に様々なオタク知識を教わるのが楽しみで仕方がないのだ。


「では犬間さん。また明日」

「おう。仁藤景オタク化計画、必ず成功させてやるからな」

「何ですかその楽しそうな響きは!」


 過剰反応する景に、宇多は一歩引く。「うっ」と気まずそうな声を漏らしながら、じっと景を見つめた。


「……そんなに嬉しそうな反応すんなよ。何かこっちが恥ずかしくなってきた……」


 視線を逸らしながら、宇多は頭を掻く。


「? 格好良いじゃないですか、仁藤景オタク化計画」

「わざとらしく首を傾げるな! ……も、もう俺は帰るぞ。お前に勧めるアニメ、今晩中に決めるからな! 覚悟しとけよ!」


 ビシィッ、と景を指差してから、宇多は小走りで教室を出ていく。しかしすぐに「はい、廊下は走らない」という教師の声が聞こえ、「すんませーん」という宇多の心ない謝罪が聞こえてきた。

 そんなやり取りに思わず笑いつつ、景はゆっくりと教室を出ていくのであった。



 結局、宇多から薦められたアニメはライトノベルが原作のファンタジーものだった。二年程前に放送された二クールのアニメらしく、第二期も決定している人気作らしい。

 景は宇多に薦められた瞬間、レンタルショップに走った。無事、全巻レンタルすることができ、翌日宇多に驚かれたのは無理もない話である。

 全二十四話を四日で観切った景は、ついつい大きく息を吐きながらベッドに横たわった。頭の中では物語を彩ったOP曲やED曲、挿入歌がぐるぐると再生される。原作のライトノベルにも興味が出てきたし、二期があるのが何より嬉しい。

 薦めてくれた宇多に連絡せねば、と思って携帯電話を取り出す。すると、ちょうど手に取ったタイミングで着信があった。

 相手は恵麻で、簡単に言えばこうった内容だ。


 ――私の家に遊びに来ない? と……。


 流石の景も、「い、家ですか?」と動揺を隠せなかったのだった。

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