アニソン戦争

傘木咲華

プロローグ

プロローグ

 四月も半ばに差しかかり、散った桜が風で舞う。

 まだ高校に入学したばかりだと思っていた仁藤にとうけいは、桜を見ながら呟いた。


「散った桜が錯乱してますねぇ」


 桜だけに、ふふふ。と心の中で付け足し、満足気に微笑む。すれ違った大学生らしき女性に睨まれた気がしたが、景は特に気にしていない。幼い頃からずっと、ダジャレが大好きなのだ。周りに冷たい態度を取られるのは慣れっこで、強い心を持っている自分自身をむしろ褒め称えている。


 今日は休日。

 景は、家のすぐ近くにある桜見川さくらみがわ商店街に来ていた。好きな漫画の新刊が出たので本屋に買いに来たのだ。

 霞色のミディアムヘアーの髪に、銀縁眼鏡。身長はすらりと高く、右目には泣きぼくろがあり、優しい印象がある。きっと、黙っていればイケメンと呼ばれる部類になるのだろう。まぁ、口を開けばダジャレが飛び出してしまうのだが。


「おや……?」


 本屋に着く前に、景は足を止める。

 景の視線の先には、たい焼き屋があった。目の前のベンチに、一人の少女が座っている。中学生くらいに見える小柄な少女は、胡桃色のボブカットの髪で、たれ目がちの瞳が可愛らしい印象だ。左手でたい焼きを持ち、右手で漫画らしき本を持ち、膝の上にも漫画が数冊積まれている。――そして何より気になる点は。


「扉を開けて……うーん、何でもかんでも扉を開ける訳には……。二人三脚で……っていう程二人が協力してる訳じゃないし…………」


 眉間にしわを寄せながら、独り言を呟いていることだった。独り言にしては大きなボリュームで、かなり集中している様子だ。それにしては、呟いている言葉の意味がわからない。いったい何を考えているのだろう。


「あのー、すみません」


 景の足は自然と少女に向かって進み、気が付けば声をかけていた。

 少女は驚いたように顔を上げ、「あっ」と小さな声を漏らす。


「も、もしかしてファンの方ですか? ええっと、そんなこともあろうかと小さな色紙とペンを持ち歩いてまして……」


 景と目が合ったのは一瞬だけだった。少女はきっと、色紙とペンを取り出そうとしたのだろう。鞄に手を伸ばすと、膝の上に乗っていた漫画がバランスを崩してしまった。バサバサと落ちていく漫画を見て、少女は「うっ」と気まずそうな声を漏らす。


「す……すみません。今拾いますね、あはは……」


 乾いた笑いを零しながら、少女は漫画を拾う。

 そんなおっちょこちょいな少女の姿を、景は思わずじっと見つめてしまった。決してドジなのが可愛いと思った訳では……なくもないのだが、理由は別にある。


加島かしま恵麻えまさん、ですよね?」

「えっ、あ、そうです!」


 漫画を抱えながら少女が頷くと、景の心が晴れていくのを感じた。


「ああ、やっぱりそうだったんですね。しまえさん!」

「…………へっ?」


 景の発言に驚いたのか、少女は再び漫画を落としてしまう。まぁ、少女が驚くのも仕方のない話だろう。

 いきなり、幼稚園の頃のあだ名で呼んだのだから。


「覚えていませんか? 幼稚園の頃によく遊んでいた、仁藤景ですよ、しまえさん」


 落ちた漫画を拾いながら、景は微笑みかける。


「ほ、ホントに……けーくん?」

「はい。良かった、覚えていてくれたんですね」


 幼稚園の頃の幼馴染である恵麻は、唐突の再会に動揺が隠せないようだ。口を半開きにして、緋色の瞳をまっすぐこちらに向けている。


「ビックリしたよ。まさか会えるとは思ってなかったからさ」


 恵麻とは小学生から別々で、会うのは本当に幼稚園の卒園式以来だ。別々の小学校になるだけで引っ越す訳ではなかったから、遊ぶことはできた。でも何もしないまま時が過ぎて、高校生にまでなってしまったのだ。


「僕も見かけた時は驚きましたよー。しまえさんに似た小柄な人がいる、と思いまして、勇気を出して声をかけてみた訳です」

「こ、小柄……。うーん、それは昔から変わらないなぁ。でも、それでも私も高校生になった訳だしさ。なんで私ってわかったの?」

「あー……、それはですね」


 景は恵麻の服装に注目する。

 白いチュニックに、デニムの短パンに黒タイツ。そして、頭には白黒のボーダー柄のキャスケットを被っている。


「その帽子を見てハットしたんですよ、帽子だけに」

「……っ!」


 景のダジャレ発言に、恵麻は目を見開く。


「そ、そうだった……けーくんって、幼稚園の頃からすでにダジャレが好きで……ふ、ふふっ、帽子を見てハット……ふふふっ」

「……はっ」


 お腹を押さえながら笑みを零す恵麻を見て、今度は景が思い出した。

 恵麻は唯一、景のダジャレに笑ってくれる人物だということを。


「そうでした、しまえさんは笑ってくれるんでした……。いつも周りから冷たい態度を取られるので、不思議な気分です……」


 目をパチクリとさせて、景は久しぶりの感覚に驚きを隠せない。

 そんな景の様子を見て、恵麻は表情をだんだんと苦笑へと変えた。


「まぁ、普通は冷たい態度を取るんだろうけどね。……で、何の話だったっけ?」

「ああ、その帽子ですよ。しまえさんって幼稚園の頃からしましま模様が好きだったじゃないですか。だからこその「しまえ」っていうあだ名なんですけどね。帽子、しましまですね」

「……なんか、改めて自分の好みを指摘されると恥ずかしい」


 帽子を両手で押さえながら、ジト目で景を見つめる。まぁまぁ良いじゃないですかと笑い飛ばすと、今度は薄卵色の頬がほんのりと赤くなった。


「そんなことよりも、しまえさん」

「な、何。というか、今更だけど……しまえさんっての、やめようよ。呼んでるのけーくん……仁藤くんだけだよ」


 ぼそぼそと小さな声で話す恵麻。

 仁藤くん、という響きに寂しさを覚えつつ、景はズボンの尻ポケットから財布を取り出す。「?」を浮かべながら首を傾げる恵麻に、景は言い放った。


「じゃあ、恵麻さんって呼びますよ。でもけーくんはけーくんのままでオーケーです! むしろそっちの方が嬉しいので、お願いします!」


 少しの沈黙のあと、恵麻は「ふふっ」と笑みを零す。


「そっか、そうだね。そういえばけーくんって、すっごい正直者なんだった。……それで? どしたの?」


 心なしか嬉しそうに微笑を浮かべながら、恵麻は財布を指差す。


「そろそろ本題に入ろうかと思いまして。先程の独り言とか、山積みの漫画とか、色々と気になるんですよ。なので、そこのベンチに座るために、たい焼きを買ってきますね」


 言って、景はそそくさとたい焼き屋へ向かう。

 今日は漫画を買いに来ただけなので、正直たい焼きは想定外の出費だ。でも、そんなことは微塵も気にならないくらい、恵麻との再会が嬉しかった。

 一瞬だけ、ニコニコしていたはずの恵麻の表情が気まずそうに曇った。もしかしたら、簡単に伝えられる問題ではないのかも知れない。

 だからこそ、景の心はわくわくしているのだった。


 ***


「実は私、歌手になったの。一年くらい前にオーディションで優勝したんだ」


 買ったばかりのたい焼きを、思わず落としそうになってしまった。

 色々と想像は膨らませていたが、まさか恵麻の口から「歌手」という言葉が出てくるとは。まったくもって想定外だったのだ。


「あはは、驚いてる」

「そりゃあ驚きますよ! 確かに幼稚園の頃は歌が好きだったような記憶はありますけど……。CDとか出してたりするんですか?」

「一枚だけ、ミニアルバムをね。ええっと……私、ゲームの主題歌を決めるオーディションでデビューしたから、ゲームのボーカル曲を集めた感じなんだけど……」


 何故か、恐る恐るといった様子で告白する恵麻。

 景は、恵麻の様子とは対照的に興味津々だった。前のめりになって、恵麻の話を聞いている。


「けーくんって、ゲームはあまりやらない印象だからいまいちピンとこないかも」

「いやいや、弟と結構やりますよ! そのCDとゲーム、すぐにでも買いたい気持ちですよ! いやぁ、本当に凄いですねぇ恵麻さん! タイトルを教えてくださいよ!」

「けーくんけーくん、落ち着いて。いや気持ちはわからなくもないんだけど、まだ全然本題に入ってなくて……」


 まさか幼馴染が歌手として活動しているとは。

 興奮する気持ちと、今まで知らなかったという悔しい気持ちで頭がぐるぐるする。しかもまだ話が本題に入っていないというではないか。どういうことなんだと思いつつ、景は詰まれた漫画に視線を移す。


「囚われのエリオット……?」


 漫画のタイトルを読み上げる。作者は左山さやま鶴海つるみで、魔見夢まみむコミックスという月刊誌から出ているらしい。確か、魔見夢コミックスは女性向けのファンタジー雑誌だったか。それくらいの知識で、詳しいことはわからない。


「その漫画、アニメ化が決定してるんだけどね。私が主題歌を歌えるかも知れないんだ」

「ええっ」


 いったい、今日は何度驚いたら良いのだろう。

 しかし、よくよく考えると首を傾げるところがある。「主題歌を歌えるかも知れない」とは、いったいどういうことなのだろうか。


「凄い……ですけど、かも知れないというのは……?」

「うーん。どこから説明したものか……」


 景のまっすぐな視線から逃れながら、困ったように頬を掻く恵麻。やがて小さく深呼吸をして、景と視線を合わせた。


「アニソン戦争。……っていうのが、あるんだけどね」


 ここから先は、景にとって初めて知ることばかりだった。

 もちろん恵麻が歌手になったことも衝撃的だ。でも、アニメやアニメソングに詳しくない景には、未知の領域だったのだ。


 ――アニソン戦争。

 正式名称は「アニメタイアップ争奪戦」というらしいが、最近は短くてわかりやすいアニソン戦争が定着しているという。

 普通、アニメのOPやEDはオファーで決まるものだろう。もちろん今も、オファーでアーティストが決まる場合が多い。

 しかし、今から五年程前にアニソン戦争が始まった。きっかけは、アニメ化する作品が少年漫画原作の熱いバトルものだったため、主題歌もアーティスト同士が戦って決めたら面白いのではないか、というものだった。それが予想以上に盛り上がり、五年後の今も続いているのだ。

 ルールは正式には決まっておらず多々あるが、多いのは一対一の戦いだろう。

 原作サイドやアニメ制作サイドが二人に絞り、OPやEDをかけて会場で曲を披露する。曲は、まずテレビサイズ(89秒)を披露し合い、そのあとフルサイズを披露するのが決まりになっている。

 観客は原作ファンから抽選で招待されることが多い。ネット中継もされることはあるが、ネット視聴者には投票権はない場合がほとんどだろう。投票方法は、会場側が用意したペンライトの色で決まる。見ただけで結果がすぐにわかってしまう時もあれば、集計しなければわからない場合もある。だいたい、原作サイド、アニメ制作サイド、観客の計三票で結果が決まることが多い。


「……とまぁ、だいたいアニソン戦争の説明はこんな感じで良いかな?」


 はぁ疲れた、と呟き、恵麻はすっかり冷めてしまったたい焼きを一口食べる。


「いえ、あの、ありがとうございます」


 興奮している心とは裏腹に、上手く言葉が出てこない。まさか、アニソン業界がそんなにも熱いことになっているなんて、まったく知らなかった。アニメは見ないし、音楽もゲームのサントラを聞くくらいの景にとって、驚きの連続だ。


「あ、あのさ、けーくん。……引いてたり、しない?」


 すると、恵麻の口から想定外の言葉が出てきた。

 景は不思議に思ったが、恵麻の顔が強張っているように見えて、景は本気で聞いているのだと察する。


「どこに引く要素があるんですか? 凄いじゃないですか、もっと威張れば良いんですよ! しまえさん、威張ってしまえー」

「くくっ。……じゃないよ。しまえさん禁止」

「わかってますよ。笑って欲しかっただけです」


 まったくもう、と呟いてから、恵麻は揺れる瞳を景に向ける。


「けーくんって、アニメとか観たりしなさそうだから。そういうの引いちゃうかなってちょっと思っただけ」


 不安そうな恵麻の表情に、景はようやく恵麻の問いかけに納得する。


「確かにアニメは観ませんけど、別に偏見はありませんよ。むしろ今、興味津々です」


 言いながら、景はあることに気が付く。財布を取り出し、いくら残っているか確認した。今月は漫画以外に買いたいものはなかったはず。意外と金銭的な余裕はあった。


「恵麻さん。囚われのエリオットは何巻まで出てますか?」

「えっ、六巻だけど」

「恵麻さんのCDはおいくらで」

「……二千ちょい、だけど……もしかして」


 恵麻の問いかけに、景は大きく頷く。


「買いましょう! 今から本屋に向かいます!」

「い、いや、ちょっと待って!」

「あ、そうですよね。CDショップはどこにあるんでしょうか。僕、音楽はまったくなのでわからないんですよねー。……というよりも、音楽プレイヤーというものを買うべきでは? おや、これは流石にお金がまずいですよ?」

「うん。けーくん、ちょっと落ち着こうか」


 財布とにらめっこを始める景の肩に、恵麻が優しく手を置く。緋色の瞳に映る自分の顔は、あまりにも満面の笑み過ぎて気持ちが悪かった。しかし、この短時間に「これでもか!」という程の情報が頭の中に入ってきたのだから、仕方のない話である。と、自分自身を納得させた。


「だいたい、けーくんは何でこの商店街に? 買い物を頼まれたとか?」

「あーいえ、漫画を買いに来ただけですよ。というよりも、恵麻さんはどうして……あ、ちょっと待ってください。今当てますから」


 わざわざ商店街に来て、たい焼きを食べて、主題歌を歌えるかも知れない漫画を用意して、独り言を呟く――。


「ここに来た理由はちょっとわかりませんが……もしかして、作詞ですか? アニソン戦争で歌う曲の」

「そう、正解。ここに来た理由は、原作者の左山先生が和菓子好きで、ここのたい焼きをおすすめしてたから来たってだけだよ」


 えへへ、と照れ笑いを浮かべながら、恵麻は最後の一口になったたい焼きを小さな口で頬張る。「美味しかった、また来よう」と満足気に呟く恵麻を見て、たまにここのたい焼きを食べる景は何故か誇らしくなる。


「ごめんねけーくん、長々と話しちゃって。でも、久しぶりに会えて嬉しかったよ。作詞、ちょっと行き詰ってたから良い気晴らしになったし」


 言いながら、恵麻はトートバッグに漫画を入れ始める。確かに、腕時計を確認すると一時間近く経過している。自覚はなかったがかなり時間が経っていたようだ。これ以上ベンチを占領するのも気が引けるし、そろそろ話を切り上げるべきだろう。景的にはまだまだ気になることだらけで、寂しい気もした。


「囚われのエリオットと私のCDだけど、ここからそんなに遠くないところにアニメショップがあるから、そこで買うと良いよ。囚われのエリオットは今キャンペーン中で、一巻買うごとにポストカードが貰えるから!」


 親指を突き立てながら言われ、景も「了解しました!」と親指を突き立て返す。


「それじゃあ、私は家に帰って作詞の続きをしようかな」

「そう、ですか」

「うん」


 恵麻が片手を上げたので、景も同じように上げる。しかし、そこから手を振る訳でも、それぞれの道を歩み出す訳でもなかった。

 ただぼーっと突っ立って、見つめ合ってしまう。


「あの、恵麻さん」

「な、何?」

「僕、恵麻さんを応援したいです。具体的に何ができるかわかりませんけど、このまま恵麻さんと別れたら後悔しそうで」


 苦笑を浮かべながら、景は携帯電話を取り出す。

 恵麻は何も言わないまま目を伏せ、静かに携帯電話を出す。両手で差し出す姿はまるで名刺を渡しているようで、景は思わず笑ってしまう。


「……がとう」

「え、何ですか? ちょっと声が小さいです」

「うるさいなぁ! ありがとうって言ったの! 私もまだまだ話し足りないし、連絡取り合えたら嬉しいなって思ってたけど、言えなくて! だからだよ!」


 うっさいうっさい、と顔を真っ赤にさせて怒る恵麻。本当に歌手なのかと疑いたくなる程、子供っぽくて可愛らしい姿がそこにはあった。

 思わずニヤニヤと笑ってしまいながらも、景は恵麻と連絡先を交換する。


「と、とにかく、またね。けーくんと話すと気晴らしになるから、また会えたら嬉しいよ。それじゃ」


 今度こそ手を振り、恵麻はそそくさと去っていく。

 しかし、景は言い忘れていたことを思い出し、小さな背中を呼び止める。


「恵麻さん! その帽子は顔バレ防止のためですかー?」


 恵麻はピタリと足を止め、両手で口元を抑えた。振り返り、満面の笑みを向ける。


「顔バレ防止……帽子だけにね! あっ……それじゃ!」


 嬉しそうに反応する恵麻だったが、少々声のボリュームが大きいことに気付いたらしい。キョロキョロと周りの様子を気にしてから、恵麻は小走りで去っていった。



「さて」


 微笑みながら恵麻の背中を見つめ、景は呟く。


「教えてもらったアニメショップとやらに行きましょうか」


 携帯電話で地図を確認しながら、景は一人頷く。

 笑みは相変わらず止まらない。きっと、一人で笑うその姿は、傍から見たら気持ちの悪いものになっているだろう。

 でも、仕方のないことなのだ。


 恵麻との再会で、これから新しいことが始まる。そんな予感がひしひしとして、景は思わず駆け足になっていた。

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