カーニバル

 試験期間最終日、今日1日耐えきれば、文化祭へ向けてまっしぐらだ。赤点があれば話は別だが。

 わたしはいつものように、静音と学校へ向かう。

「んー! 今日が終われば練習再開だー」

 思いっきり背伸びをして静音に話しかける。

「ゆーちゃんバンド忙しそうだねぇ」

「あ、ダメだ。一人赤点確実なひとがいる」

「えっ、それって大丈夫なの?」

「た、たぶん……?」

 そういえば、無駄に堂々と赤点を受け入れる覚悟をしていたあかりがいた。

 流石に、ギター抜きでの練習は難しいだろうか……。考えると頭がいたい。そうしている間に、昇降口へたどり着いた。

 他愛も無い、いつも通りの朝のように、自分の下駄箱の扉を開けた時だった。

 学校指定の上履きの周りに、緑色の小さな破片か何かが散乱している。

「あ……これ……!」

 理解した瞬間、心音が早くなる。グッと喉の奥が酸っぱくなるのをなんとか堪えた。以前の練習の際、楽器ケースのポケットから消えた愛用のピックたち。それらが切られ、折り曲げられた無残な姿で散らかっていた。

 下駄箱の扉を開けた状態で固まっていたようだ。怪訝な顔で静音が覗き込んできた。

「どうしたの、ゆーちゃん? なにこれ……イタズラ!?」

「こ、これ、この前無くした、わたしのピック……」

 静音と嶺には、練習の際、不自然にピックがなくなっていたことを伝えてある。ここ数日、学校では嫌な視線のようなものも感じなく、あれから特に何もなかったのですっかり忘れてしまっていた。

 明確に向けられた悪意に吐き気がする。もう3年以上も前のことになるのに、今だにフラッシュバックする記憶。いよいよ、高校でも同じようなことになってしまうのか。恐怖と怒りに手が震える。

 わたしは思わず、静音の袖を掴んでいた。

「ゆーちゃん……。大丈夫だよ、私たちがいるから……」

「う、うん。あ……ありがとう……」


 その日は、何事もなく終わった。

 不安で散らかりがちな頭を、なんとかねじ伏せて過ごしたせいか、頭の疲労感が尋常で無い。試験期間のため、いつもより早い終業時間だ。せっかくだし、静音と何か食べて帰ろうか。

「ねえしずちゃん。わたし甘いもの食べて帰りたい」

「ああー行きたいけど太りたく無いしでもテストのご褒美欲しいしどうしよう」

「つまり行くってことだね、しずちゃん」

「やっぱり、自分へのご褒美は必要だよね……」

 どうやら静音は、最近体重が気になっているらしい。陸上部時代の貯金が尽きてきたとのことだ。もしよければ、夜一緒に走るのもアリかもしれない。いや、嶺が拗ねるかな。

「ういーっす、ゆうぽんおつー! テストどうだったー?」

 ここで、別のクラスの奈緒がやってきた。彼女は最近よく教室に遊びに来る。いつもわたしとお菓子を交換したりしているが、そのおかげで静音たちとも交友が生まれたようだった。正直、誰とでも友達になっていく奈緒が羨ましい。

「おつー。テストはまあまあ、かな。そうだ、今からなんか食べに行くけど一緒にいく?」

「わーいくいく! しずにゃんも?」

「私も行くよ」

 そうして、わたし達三人は甘味を求めて学校を後にした。


「結局さ、チェーン店に落ち着くよね」

「それな。今みたいな速効でカロリー欲しい時に映えとか考えらんない」

「なんかゆーちゃんと奈緒ちゃん意外と気が合うよねぇ」

 あれこれ迷った結果、パフェが売りの喫茶店に来た。テストで煮詰まった頭には、これくらい安直な方がちょうどいい。特に捻りのない甘みが嬉しい。


「そういやゆうぽん、あん時のピック見つかったってマジ?」

 スプーンを咥えた奈緒が、目だけでわたしを見る。

「ああ、うん。今朝下駄箱の中にこんな感じで……」

 わたしはポケットに入れていたピックのかけらをテーブルに出した。

「うわーひっでー。これってさぁ、結局誰がやったんだろうね」

「それが……全然心当たりとかも無くて。怪しい人見たって話も聞かないし……」

「ま、同じ学校の人でしょうけど。わざわざ盗ったもの、下駄箱に戻すようなことするんだから」

 静音がプリプリと怒っている。こういうことが許せないんだろう。とてもありがたい。

「でもさー、楽器はずっと教室に置いてたんしょ? 移動教室中は施錠するし、いつ盗ったんだろ」

「そう、なんだよね。あとは、学校出る前にトイレ寄って、少しだからいっかなって廊下に置いてたくらい……。正直、今のクラスにそういうことする人はいないって思いたいけど……」

「私もうちのクラスはそんなんじゃないって思いたいな……。これから文化祭も修学旅行もあるのに」

「だーよねー! 思ったよりめんど臭いことになってんなー」

「あっ、いや、なんかごめんね! せっかくテストお疲れ会なのに」

「うんー、大事なベーシストに何かあったら大変だ。奈緒様が黙っとらんよ」

「そうだよゆーちゃんは気にしないで! もし見つけら懲らしめてやる」

「いいゾーしずにゃん!」



 それから、特に事件もなく、高校二回目の文化祭当日を迎えた。時たま、あの嫌な視線を感じるような気がするだけで、直接の被害などは一切なかった。モヤモヤだけが心の底に蟠る。いったい、誰がどうしてあんなことをしたんだろうか。

 わたしは、モヤモヤを振りほどくべく頭を何度か横に振った。今年の文化祭は、バンドもあるせいか、去年より何倍もやる気がある。クラスの模擬店も、幾分か料理っぽいお好み焼きに進化した。そして、このシフトが終われば、いよいよ出番だ。一応30分前には控え室の教室で集合しようと話を合わせている。

 ライブ会場は、別館にある大講堂だ。学年集会などで使われているため、体育館ほどではないがステージもある。そこに業者さんからレンタルしたスピーカーやアンプ、ドラムセットがセッティングされている。なかなか本格的な設備でテンションが上がった。


「それじゃ、わたしもう出るね」

「はーい。優有ちゃんライブ頑張ってねー見に行けたら行くよー」

「うわー緊張するー!」

 わたしはエプロンと被っていた帽子を脱ぐと、軽くまとめて自分のカバンにしまった。そして、スパッツとタオルを持つと、控え室として楽器など運び込んでいる教室へ向かう。さっきから緊張で胸が高鳴っている。はやく、メンバーに会って緊張をほぐしたい。そうだ、隣のクラスの明依と一緒に行こう。

「明依ちゃんいますかー?」

「お呼びでしょうかお嬢様」

「うおっ執事だ! 似合うねー」

「なかなか様になってるでしょ? ちょっと着替えるから一瞬待ってて」

「了解!」

 明依の着替えが終わると、一緒に控え室へ向かった。


 わたしと明依、そしてあかりの三人、和気藹々と教室のドアを開けた瞬間、目に飛び込んできたのはショッキングな光景だった。わたしのベースが、無残な姿で床に転がっている。クリーム色のボディーの端が大きく欠け、木材がはっきりと見えている。

「えっ……何これ、なんで、わたしのベースが……?」

 わたしは転がるベースに駆け寄った。弦も細い側の2本が切れ、4弦にはニッパーのようなもので切ろうとした跡。

「わっ、嫌、なんで!?」

 ガタガタ震える手で楽器を抱き寄せる。ぐるぐると全体を見回すが、塗装のいたるところが割れている。1弦のペグがグニャリと曲がり、今にも折れてしまいそうだ。あまりの衝撃に、うまく空気が吸い込めない。

「床板が割れてる。ここでロンドンコーリングしたな? 優有、楽器見せて」

「あ、あかりちゃん、楽器死んじゃったかな……!?」

「ボディーの欠けくらいだったら問題ないと思うけど……」

 ベースを受け取ったあかりが、全体を確かめていく。重大な診察結果を待つような時間。目が回りそうだ……。

「優有……ダメだ……ネックジョイントから割れてる……。こうなるともう楽器として、使えない……」

「わ、私、誰か先生呼んでくる。あと、代わりの楽器貸してくれる人も!」明依は血相を変えて教室を飛び出した。

「ど、どうして……大事なものなのに……」

 もう楽器として機能しないと言われた、を抱きかかえると、虚しさと喪失感が込み上げてきた。

「ゆうぽん大丈夫!?」いつもの倍大きく通る声で叫びながら、奈緒もやってきた。

「なおちゃん……わたしの、先生のベース、壊れて……」

 息も絶え絶え言うと、床にへたり込んだわたしの横にしゃがみ、そっと抱き寄せてくれた。静音や嶺とは違った、包み込むような柔らかさ。わたしはいつも、こんなのばっかりだ……。泣き虫で、なにひとつうまくいかない。今だって、ギリギリ泣いていないだけの自分にうんざりする。口から、身体中の力が出て行ってしまったように感じた。鼻の奥がツンとする、いつもの刺激。

「ゆうぽん、大丈夫、大丈夫。きっと、誰かが力を貸してくれるよ……。そしたらさ、全部音楽にぶつけよ」

「うん……」

 刻一刻と出番は近づいていた。もしも、楽器を貸してくれる人がいなければ、わたしたちの出番はなくなる。それだけは嫌だ。今日のために頑張って練習して、みんなとも仲良くなれたのに、なにもできないのは死んでも嫌だ。そう思うと、少しずつ体に力が戻ってくるのを感じた。

「優有。私、おまえのベース好きだよ。このメンバーじゃなきゃやりたくない」

 あかりがわたしの手を握って言う。カッコつけているが、メガネの奥の瞳が潤んでいる。

「あかりん、ありがと……」

「おまえ、こういうときになんでそんな呼び方すんだよぉ」

「おまたせー! ベース確保!」

 その時、席を外していた明依が文字通り滑り込んできた。ショートカットの毛先が汗でまとまっている。相当駆け回ったようだ。肩で息をする明依の後を追うように、ヒョロ長い男子がパタパタとやってきた。上履きの色を見ると、どうやら同級生らしい。

「うわぁひどいなあ。ちょっとまってね……。ハイこれ、使って」

 彼は楽器置き場の中から、真っ青なベースを取り出し、たわしに手渡して言った。

「あ、あの、いいんですか?」

「いいのいいの。楽器壊されて出れないとか普通に胸糞悪いじゃん。安物だからガンガン弾いちゃっていいよ」

「あっ、ありがとうございます! ほんとうにありがとうございます!!」

 わたしが思いきり頭を下げると、彼はヘラヘラと笑いながら自分の教室に戻っていった。どうやら模擬店のサボりがバレそうでちょこちょこ逃げ回っていたそうだ。また、わたしは優しい誰かに助けられた。


 大講堂のステージ、それぞれのセッティングを終えた私たち。講堂の中には、見知った顔や知らない先輩や後輩、見慣れない制服姿もある。そして思ったより男子が多い。ただ、ステージ真ん中あたりに多いので、目当ては奈緒だろう。おっぱい大きいしね。しょうがないね。

 私たちは、一度ドラムを中心に集まる。

 明依はもうおなじみのハーパンにスカート。半袖のシャツをさらに捲り、制服のリボンは取っている。

 奈緒はいつもよりメイクに気合が入っている上に、ヘアマニュキュアでピンクのインナーカラーを入れている。

 あかりはあかりで謎のこだわりを発揮し、何故か黒いシャツを着ている。いつも長めのスカートとあいまって、ある意味突き抜けている。

 そしてわたし。スカートの下にスパッツを履いて、上半身は悔しいので急遽バンTにした。もう、左腕の傷跡くらいなら気にしていない。奈緒とあかりは却って雰囲気が出るなんて笑ってた。

「それじゃ、いきますか」

 明依が全員の眼を見つめてから言った。

「奈緒ちゃんオンステージ! これは伝説になる……!」

「ブチかまして行こうぜ、優有」

「エモエモのエモでいきます!」

 みんな好きなことを言っている。明依ももう慣れたのか、いちいちツッコミを入れるようなことはしない。

「じゃ、楽しんでいこ」

 みんなで頷いた。


『ハーイ、お待たせしましたぁ! それじゃ、奈緒ちゃんと愉快な仲間たち、始めまーす!』

 奈緒がマイクを握り、左手を高く掲げ、歓声。いよいよ始まる。緊張で指先がピリピリする。左を見ればニヤニヤしているあかり。そのままさらに後ろを見れば、明依が頷き両手のスティックを合わせた。カウントが始まる。


 実は、あんまりステージのことは覚えていない。今回は5曲演奏したが、最初から最後まで、まるで夢を見ていたかのようだった。回線が弱くて途切れ途切れになった動画のようにしか思い出せない。ヘロヘロになってステージを後にして、ようやく実感が湧いてきた。

「うんー! 楽しかったぁ! ほんとに、楽しかった!」

「ね! ね! めっちゃウチら良かったよね!」

「いやあーブチかましたわー、あっははは」

「まあまあ、良かったんじゃない? 楽しかったよ!」

 わたしたちは、思い思いの感想を口に、大講堂を後にする。汗だくの体に、渡り廊下を渡る秋の風が心地よかった。自然と顔が綻ぶ。みんなの顔を見ると、みんなそうだった。じっとしていられなくなるような気持ちが溢れてくる。楽しくて嬉しい。それに達成感。

「いやあ、優有めっちゃ暴れんなー。さすがハードコア女子、振り切ってていいわ」「ゆうぽんすごい顔してんの! あとでインスタ上げとくわ!」

「うぎゃあやめて! せめて普通のにして!」

「うわーこういうのドラムって損だなー。背中しか見えないもん」


 こうして、わたしたちの文化祭ライブは成功した。わたしの問題は、わたしがしっかり解決しないと。

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