つめたいほし
わたしは最近、体力作りのため夜のジョギングを始めた。
「おまたせおまたせ、待った?」
「いや? さっきまでおばあさんと学校の話ししてた」
「うおん。変なこと言ってないよね」
「特に、なにも……?」
「なんで疑問形なんだよー」
これまでも、参戦してきたライブで体力が尽きかけたり、ペース配分に気を取られ、微妙に楽しみきれなかったことがある。それに、バンドで楽器を弾いて動いたりコーラスをしたりするのには意外と体力が必要だと分かった。あれ以来、何度かスタジオ練習を重ねているが、予定している曲目をまるっと通すと結構疲れる。経験豊富な明依やあかりが言うには、本番は緊張でいつもより力んだり、アドレナリンでテンションが上がりすぎたりでより疲れるらしい。ということで、嶺に指導してもらい、ジョギングを始めたのだ。
わたしは運動用のスパッツと短パンを重ね着した足をストレッチする。経験者が見てくれるのと、あくまで体力作りがメインのジョギングなのであまり本気すぎない格好だ。そんなにお金もかけられないので、専用の靴だけ買った。上半身はいつもの長袖インナーにメッシュ地のTシャツ。柄が全くないことに不安を覚えるので、タオルだけはロゴ入りのものを用意した。
「いやあいつもごめんね。部活でも毎日走ってるんだよね?」
「ん、優有に合わせてるから全然余裕」
「くそぉ、なんも言えねえ……」
「まあ、体力つけるなら続けないと何の意味もないし、それに、その、この時間は嫌いじゃない」
「あらあら、嶺くん照れてんの? うん?」
「うっせ。ほら、ウォーキングから行くぞ」
「あっちょ、待ってって」
嶺は、もともと貧弱なわたしに合わせて、いつもウォーキングから始めてくれる。15分刻みでウォーキングと軽めのランニングを組み合わせてくれているので、何とか付いていけている。休憩時間もしっかり考慮してくれているため、今まで挫折せずにやってこれた。
こうやって一緒に走っていると、嶺の心遣いがありがたい。いつもわたしの調子に合わせて、無理のないようにエスコートしてくれていた。ぶっきらぼうで少し無愛想だけど、体調や気温、疲労の溜まり具合などよく気がついてくれる。普通に頼もしい。一応、夏祭りの日から付き合っていることになってはいるが、あまり進展がない。ふとした時にドキッとすることはあるが、未だに恋愛感情なのかははっきりしない。でも、嶺はそんな曖昧なわたしを急かすことなく付き合ってくれている。
一度、いつも負んぶに抱っこでごめんねと伝えたら、
「俺、待つのは慣れてっから。優有のペースでいい」
とだけ言われた。
「よし、じゃあここから10分ウォーキングな」
「うぇっ、はぁっ、はぁ、りょうかいっす……」
本日2回目のランニングを終えると、もう限界近い。身体中に熱が溜まって、息が上がりまくる。これでも、短期間のうちにかなり走れる距離は伸びている。嶺曰く、普段から結構食べてるからかもしれないそうだ。お菓子常備キャラは無駄じゃなかった。
「ああぁー、死にそうー」
「ゆっくりでいいから10分は歩け」
「うぉおん、髪の毛が、鬱陶しい……」
「少し切った方がいいかもな。涼しくはなったけど走ると暑いだろ」
「そう、ねえ。はぁ、文化祭、前に切りに行こう……」
息も絶え絶えな会話だ。さすが嶺はほとんど息が切れていない。確か短距離走の方が得意だそうだが、わたしに合わせたレベルだと余裕らしい。悔しいような、申し訳ないような気持ちになる。ただ、この時間が嫌いじゃないのは、わたしも同じだった。
「ん、おしまいだ。頑張ったな」
いつかの日に静音に助けてもらった児童公園がゴールになっている。街灯も多く、治安も良さそうなのでここで少し雑談するのがいつものパターンだった。
「あーしんどい、ほんとしんどい。わたし走るの好きになれないわ……」
「でも頑張ってんじゃん」
そういうと、嶺がわたしの頭を一度ガシッと撫でた。
「いやっちょっ汗だくだからやめろっ」
運動で上気した頬がさらに温度を上げる。思わず嶺の腕を躱すように身を捩った。
「あっ悪ぃ。頭の高さががちょうどよくて……」
確かに、わたしと嶺には30センチほど身長差がある。
「ちくしょう、漫画で勘違いした非モテみたいなことしやがって、このっ」
ちょうど持っているタオルを鞭のように嶺に振るう。このやろ、お仕置きだ。
「喰らえ! 優有ちゃんアタック! デュクシ!」
「うわっ、このっ、やめっ、やめてくれ……!」
ビシバシとタオルをぶつけていくと、どんどん嶺の態度がおかしくなっていく。薄暗い街灯でもはっきりとわかるくらいだ。
えっ、なにこいつ、なんでこんなに照れてんの? わたしはポカンだ。
「その、めっちゃ、いい匂いする……」
「はぁぁあああああ!? うわっ!! あっ汗!? やめろ! 全部忘れろバカ!! 変態!!」
「いや俺悪くねえじゃん! 女子なんだからいい匂いするだろ!?」
「何言ってんだお前はー!? 幻想は捨てろ! ソースはおれ!」
「ふええ」
なんだこれ、めっちゃ恥ずかしい。お互いにわけがわからなくなっていると思う。嶺は日頃の部活で真っ黒に焼けているから顔に出にくいが、わたしは一瞬で全部赤くなる。すっかりインドア派になってしまって、ずっと真っ白だから、何かあるとすぐ顔に出る。
嶺はさっきからなかなか目を合わせてくれない。クソ気まずい。なんでこんな気分にならなきゃいけないんだ。
「ウオー帰る! さっさとストレッチして寝る!」
「いや、悪ぃ、ごめんって。ちょっと待てよお」
一体、これはなんだろう。嬉しいのか、恥ずかしいのか、情けないのか、よくわからない。ムカつく。あれかな、走ったからだ。きっとそうだ。
先を行くわたしに、嶺はすぐ追いつく。体格の違いを思い知らされるようで嫌だ。
「それより、優有、学校でなんか相談あるっていってたろ。あれ結局なんだったんだよ」
そういえば、今日学校で、ジョギングの時話したいことがあると伝えていたことをすっかり忘れていた。
「んん……なんかさ、わたし、誰かから見られてる? かもしれない。夏休み明けてちょっとしてから、そんな感じがする」
「マジでか……? なんか、されてないか?」
「ものがなくなったりとかはまだしてないけど、嫌な感じ……。もしも、嶺のこと巻き込んじゃったらごめん……。だから、先に言っておくことにした」
「うるせえ、気にすんな。ちゃんとそういうの周りに頼れんの、偉いよ。もしなんかあったらすぐ言えよ」
「ありがとう、嶺。ちょっと、昔のこと思い出して怖くてさ……」
「そっか……」
流石に、もうあの頃の自分とは違う。そう思いたい。つい最近感じるようになった、嫌な視線のようなもの。もしも、何かあったら、わたしは立ち向かえるだろうか。亀のように丸まって、何も出来ないのはもう懲り懲りだった。
「庄子ー、練習熱心なのはいいけど、テストも近いんだから程々にしとけよー」
「はーい先生、ちゃんとやってますよー。それじゃ、さようならー」
「うぃー、お疲れさん。気をつけて帰れよー」
後日、テスト前最後のバンド練習。わたしは教室の後ろ、ロッカーの上に置いていたベースを担ぐと、須藤先生と挨拶を交わし意気揚々と学校を出た。いつものスタジオへ向かう途中、ギターケースとトートバッグを抱えたあかりとたまたま合流する。
「あかりちゃんお疲れー」
「あー、優有かー。おつかれ」
いつものように挨拶をするが、なんかいつもよりテンションが低い。
「どうしたの、具合悪い?」
「うーん、まあね。アレの日が近いんだわ」
「うわータイミング悪ー。大丈夫、トートバッグ持とうか?」
「いいの? めっちゃ重いから助かるわー」
「お任せあれ。実は最近ジョギングと筋トレしてるんだー」
「ほーん。じゃああれやってよ、ギター回し」
「身長的に、無理かな……」
「知ってた。じゃ、お願い。落とすなよー」
「へーい。うん!? 重ッ!」
このトートバッグめちゃくちゃ重い! なんだこれ、何キロあるんだろう? そっと中身を覗いてみると、纏められたケーブル類と、板に固定されたエフェクターがみっちり入っている。ちなみに、このエフェクター達、今回の曲では使わないものも入っている。もっと厳選すればいいのに……。
「あっはっは、なんか私がいじめてるみてー。大丈夫?」
「いや、大丈夫だけど、いつもこんな重いの持ってるの?」
「まあね。本当はエフェクターボード組めばいいんだけど、あれ持ちにくくてさ。角当たると痛えし」
「いつも半分くらい使ってないよね。使わないの置いてくればいいのに」
「えー、バラすのめんどくさい」
「ぐえー、だから重いんじゃん、ずぼらー」
「言うねー」
通常、エフェクターは10センチ程度の短いケーブルで連結して使うことが多い。接続順や相性もあるので、確かに一度全部バラしてセッティングし直すのは手間がかかるが、そのせいで不要な体力を消耗していてはしょうがないのではないか。
「でも、あかりちゃんのジャズマスはいつも綺麗だよね。弦もピカピカだし」
「コイツはねー、中学の時に買った最愛の相棒だから。実はピックアップとか電装も換えててさ、ほとんどオリジナル残ってないんだよね」
「えーヤバーい。めっちゃ音いいもんね、命かけてるー」
「いやあ、そこまでじゃないよ」
あかりはどうやら褒められ慣れていないようで、特に楽器関連を褒めると嬉しがるようだ。
「優有のジャズベはどうしたの? 結構年季入ってるけどさ」照れ隠しに、わたしの楽器について訊いてきた。
「これね、担任の須藤先生に借りてるの。あの先生バンドやっててベースも教えてくれてるんだ」
「えぇー須藤先生が? 楽器教えてるなら軽音の顧問やってくれればよかったのに。あ、一年の時奈緒と直談判しに行ったんだよ。ダメだったけどさ」
「えっそうなの、知らなかった。まあ、あの人性格に難アリだよね」
「わかる。音源とかめっちゃ貸してくれるしアイスくれるけど」
「あー、資料室行ってるでしょ」
「あの先生のアジトなー」
なんだか、共通の秘密を分け合ったみたいで、二人して笑いあった。
「あれっ、ピックがない……」
「どうした、妖怪ピック隠し?」
スタジオにて、楽器の準備をしていると、楽器ケースのポケットに入れているピックが減っていることに気が付いた。ケース中のポケットを探してみるが、明らかに足りない。おかしい、いつもは同じポケットにまとめて入れている分が一枚もない。嫌な予感がして、急いで楽器本体を確認するが、特に何もないようだ。どこかのタイミングで、ポケットからピックを出したんだろうか。いや、そんな記憶はない。背中に嫌な汗が滲むのを感じた。
「一枚も無い感じ?」
「あ、いや、予備があったから大丈夫」
「ピック一枚百円って考えると無くした時ダメージでかいよね」
「えっ、そんなすんの? プラの板だぜ!?」
横で話を聞いていた奈緒が驚く。そう、わたしが愛用しているピックは一枚あたり百円で売られている。まとめて買うと若干安いが、正直使いきれないので都度買っていた。もし、まとめて無くしたのだとしたら、結構凹む。
「優有さん、大丈夫? 弾けそう?」
「あっ、全然大丈夫。家にもまだ同じのあるし、今日はこれで弾けそうだから」
「そう、ならオーケー。じゃあテスト前最後の練習、鬱憤晴らしていくか」
本番が近づいてくるに従って、明依の本気度がモリモリ上がってきていた。制服のスカートの下には、ジャージのハーフパンツを履いて、心置きなくペダルを踏めるようにしている。音圧も本気モードで、見ていて気持ちがいいくらいドラムをしばき倒している。
「いやー! テスト殺す!」
奈緒が叫ぶ。
「私レベルになるとすべて悟るよね」
「あかりちゃん自信あるの」
「まあね。補習の覚悟はいつでもできてる」
「あ、そっち」
練習が終わってから、近くのハンバーガーチェーンで屯す。こうやって、制服で楽器を携えたまま寄り道すると、なんだか青春そのものみたいでワクワクする。やっている音楽のジャンルこそ理想と違えど、夢のシチュエーションだ。正直嬉しくてそわそわした。
「いやあ叩いた叩いた」
明依がハンバーガーとセットで買った野菜ジュースを飲み、今日の感想を吐き出した。存分に発散できたらしい。
「ゆうぽん食うねえ! あたしも結構食うけどさ」
「あ、じゃあナゲット一緒に食べる? ポテトLは多かったかも」
「マ? やーりーゆうぽんだいちゅき」
「奈緒は食いもんくれれば誰でもだいちゅきだもんな」
「あんた達太んないの……?」
ゾッとした顔で明依がこちらを見る。もしかしたら食べたものが体につきやすい体質なのかもしれない。わたしはよく食べる方だが、腹にも胸にもつかない。どこに行ってんだろ。
「残念だったな明依。奈緒は食ったもの全部胸に行くマンガ体質だ、諦めろ」
「ハァー何それ!? そんなのアリ?」
「やっぱ肉だよ。肉食え肉」
奈緒が煽る。これは戦争か? そう思ってると、あかりがニヤニヤしながらわたしに耳打ちする。
「優有は何カップ? 私、見栄張ってB」
「ふぇっ、お、おんなじくらい……」
突然何を言い出すかと思えば、胸のサイズの話だった……。
「平たい胸族には関係ない話だな、全く」
あかりはわざとらしく両手を広げて、やれやれといったポーズをとる。なんだその目は、シンパシーか。
「クッソ腹たつー。まぁ、いいや。それで、当日はどうする?」
明依が本来の目的に軌道を修正する。さすが我らがバンマスだ。拉致られてきた立場なのに、しっかりと役目を果たしている。
「曲順は練習の通りだよね」
奈緒が確認したように、今までの練習は本番の曲順を想定している。例えば、何曲目の終わりはずっと伸ばしたまま、カウントを入れてすぐ次の曲に移るなどの段取りも練習中に確認していた。
「問題ないよね」「私もそう思う」
「それじゃ、間のMCとかは全部奈緒に任せるから。得意でしょ?」
「奈緒様にまかせなさい」
はち切れそうな胸をさらに張り踏ん反り返る。すごいぞ、胸のボタンの間に隙間ができている。そして、その隙間を見逃さず、あかりが手を差し込んだ。
「憧れは止められねえんだ!」
「いやんエッチ!」
奈緒の必殺チョップ! あかりの脳天に直撃。
「むぇっ」
「じゃあ次、当日の格好はどうする?」
「あっすごいスルーするんだ」思わず口から出た。
「いや、もうこいつら放っておこう。優有さんはどうしたい? 文化祭だし制服が無難だと思うけど」
「制服で、いいんじゃないかな。わたし下にスパッツ履いていくよ。見えてもいいように」
「だってさ、お二人さん」
「「うぇーい」」
こうして、愉快なミーティングは諸々の決め事をし、解散した。本当に、急に世界が広がり出している気がする。まさかこんなに高校生活が楽しいものになるなんて思いもしなかった。いつものクラスメイト達とはまた違った楽しさがある。もしも、何か部活をしていたらこういう仲間にも恵まれたんだろうか。
いや、入学当初の自分では、そんなコミュニティーに馴染めたかわからない。あまり「もし」「だったら」と考えるのは止そう。今日だって、こんなに楽しく過ごせたんだ。
ただ、何枚も入れていたピックが一気に減っていたことだけが、しこりのように胸に残った。
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