はじまりのくに 2

「それじゃ、何かワンコーラス合わせてみる? 試しに」

「いいね。パラモア好きなんでしょ、弾ける?」

「バ、バッチコイっす……」

「じゃあカウント3つからスネア一発で入ろう」

「あーあーあー、えへん、よっしゃ奈緒ちゃん絶好調! いつでもいいよ」

「はーいじゃあカウントいきまーす」

 明依が両手に持ったドラムスティックを三回鳴らすと、4拍目のアタマでスネアドラムを叩いた。4拍目の裏拍、スネアドラムの残響が残る瞬間、息が止まるような緊張。直後ギターとベースがユニゾンを奏で、音楽が始まる。


 一瞬だった。奈緒がサビの最後を気持ち良さげに歌い上げたところで演奏を止めるまで、本当にあっという間だった。優有はほぼぶっつけ本番で、しかも初めての合奏だ。突貫で覚えた曲を、テンポから外れないよう弾ききるのに精一杯で、内容はほとんど覚えていない。

 自分の演奏の評価を求め、優有は恐る恐る視線をあげた。


「なんだ、結構弾けんじゃん。及第点かな」

「初めてから一年くらいだっけ。ミスはしょうがないけど、休符のミュートを意識するともっといいかも」

「あたし? あたしは良くわかんなかった! でもいい感じじゃね」


 メンバーがそれぞれ講評する。自分が想像していたよりも、好意的な評価に安心する。今まで肩に入っていた力がスルスルと抜けていくようだ。

「あの、ということは……」

 これは一種のテストだ。テストである以上、採点が必要だ。

「どうすかバンマス」あかりが面白がるように明依を見て言った。

「まあ、ここまで練習してきて、文化祭出れないのも嫌だし。優有さんも問題なければ、これでいけるんじゃない?」

「やったー! よろしくー!」奈緒がバンザイの格好で優有に飛びつく。制汗剤の爽やかな香りがした。

「ふぇ、ゆうぽん……?」

「コイツ、すぐ適当なあだなつけるんだよ」

「あー、だからあかりん……」

「何? あかりんもハグしてほしいって? この欲しがりさんめ!!」

「わーバカやめろあばば」

 すごいなあ、と惚けていると、ドラムセットに鎮座する、バンマスこと明依と目が合った。興味本位で、前任のベーシストが抜けた理由を訊いてみた。

「あの、前のベースの人、なんで抜けちゃったんですか?」

「あぁ、なんか、親の仕事の都合で、夏休み中に引越しちゃったんだよね。それで、向こうも気まずかったのか、直前まで私たちも知らなくて。ちょっと、最後は喧嘩別れみたいな……」

「あー、なるほど。なんか、ごめんなさい」

「ふふっ、優有さんが謝る必要ないでしょ、バンド続けられるんだもん。むしろウチの奈緒が突然ごめんね」

「いやあ、いつも一人で練習してたので、楽しいです!」

「ベース一人でって……地道ね……」

「まあ、そう、ですねぇ……」

 ベースはギターのようにコードを弾くことはほとんどない。ひたすらメトロノームに合わせてボンボン単音を弾くだけだ。なかなかに地味な練習期間だった。明依の同情が得られ、少しだけ苦労が報われた気がする。

 そんな明依が視線を前に戻すと、先ほどから奈緒とあかりがふざけ合っている。

「あいつら飽きないなぁ……」

 二人は壁ドンごっこをしていた。長身な奈緒が平均身長ドンピシャなあかりにキメ顔で迫るが、あかりは虚無の顔をしながらギターでおぞましい不協和音を発している。

 流石に乳繰り合っている二人が目に余ったのか、明依がマイク越しに怒鳴った。

『ほらー、そこ、いつまでもイチャついてない!』

 めちゃくちゃ仲いいじゃん、と優有は思った。


「というか、優有弾き方固すぎ。もっと自然に弾きなよ。多少ラフでいいからさ、楽しくやってみ」

 奈緒から解放されたあかりがギターを弄びながら言う。赤いジャズマスターがいい感じにサブカルくさい。

「優有さんあんまり信じちゃダメよ。ギタリストなんて信用ならない人間トップクラスなんだから」

「どうせドラマーは太鼓に隠れて見えないからいいだろ。こっちはフロントマンなんだから見た目や弾いてる姿も大事なんだよ」

「いや、あかりんはもっと別の見た目を気にした方がいいよ」

 先ほどのテンションから急に真面目になった奈緒が追い討ちをかける。

「うるせー見た目にかける金があったら機材買うわ」

「あっ察し」

 確かに、女子の身だしなみにはお金がかかる。優有も、楽器を始めてから、意外と消耗品にコストがかかると実感した。それにどうみても、あかりはギターオタクだ。できれば全てを楽器に注ぎ込みたいところだろう。

「ところで、優有はピック弾きだけ? スラップとかは?」

 話の矛先が優有に向いたが、どうやら内容は単純にあかりが訊きたいことだった。

「ス、スラップ……」


 ンベッ、ブボン、ベイーン……。


「できないのね」明依がやさしく合いの手を入れてくれる。

「あっでも最近タッピングは練習してます!」


 デロロデロロデロデロ……。


「最近ベースもバリバリタッピングするバンド増えてるよなぁ」

「とにかく、もう一度合わせてみよう。同じ曲、フルコーラスいける?」

「あっはい大丈夫です!」

 がだ、確かに硬くなりすぎたかもしれない。一人で練習している時は、もうちょっと楽しく弾けたはずだ。もう少し、ノリを良くしてみよう。それに、奈緒は先ほどの合奏の時も、身振り手振りを交え歌に没頭していた。あれくらいスタジオ練習の時からできないと、本番棒立ちで終わりそうだ。せっかくメリハリの効いたノリやすい曲だ。やってみようと思った。


「なんか、急に弾き方が男らしい……」

 やりすぎた。

「いや、あの、わたし背が低いので、楽器立てないと手が届かないんですよ……! それで弾きやすい格好すると足が開いちゃって……」

「弾き方が完全にメタルのそれ」

 つまり、どんな格好かというと、両足を肩幅以上に開き、右足を少し後ろに下げる。アキレス腱を伸ばす運動に近いそれだ。そうすると少し姿勢が低くなるので、左膝は自然に曲がることになる。両足の間にベースのボディーを落とすように構えれば完璧だ。弾きやすくヘドバンもしやすい。動画サイトでPVやライブ映像を見ると、よくこんな姿勢で楽器を弾く姿が見られる。単純な憧れから、優有はその弾き方を真似ているが、結果男気溢れるプレイスタイルになってしまったのだ。

「ゆうぽんめっちゃいいね! あたしもヘドバンしよ!」

「あわわ……」

 家ではガニ股でブレイクダウンを弾く練習もしていることを、言わないでおこうと決心した。



 その後、2時間のスタジオ練習はあっという間に終わりを迎えた。優有は、弾ける曲は混ざり、弾けない曲は構成やアレンジを確認した。文化祭まで余裕はないが、なんとかなりそうだと皆で安堵する。

「ねーねーみなさんまだ片付けかかるの? あたしどうすればいい? 踊ろうかな?」

「勝手に踊ってろファッキンビッチ」

「いや超清楚だから! ちゃんと見て、この立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花なあたしを」

「なんでそういうのばっかりスラスラ出てくるんだよ」

 後片付けをしながら奈緒とあかりがふざけ合っている。奈緒は全ての片付けを終えているが、あかりは無駄に広げたエフェクター類がかさばり、なかなか捗っていない。

「あーもうめんどくせー家でやるわ」

 そう言うと、あかりはケーブルが刺さったまま、一式をトートバッグにぶち込んだ。どんどんガサツ度が上がっている。

「ねえねえ、明依さん。あのふたりっていつもああなの?」

「あぁ、あんな感じ。いっつも二人でイチャイチャしてる。あかりもああ言ってるけど、あとで絶対乗っかっていくから」

「はえーん」

 明依はスネアドラムをケースに仕舞うと、スティックケースと一緒に背負って立ち上がった。

「今日はありがとうね。スタジオ代おごるよ」

「えっいや、わたしも出しますから」

「いやいいよいいよ、平日だし、学割あるし、今日ガールズバンド割も効くから」

「あっそうなんですか」

 さすが幼稚園からドラムを叩いていると違うな、と優有は思った。

「片付け終わり! よっしゃ踊るか!」「いえーいあかりん朝まで踊ろうぜー!」

 この人たちはいよいようるさいな、とも思った。

「ツッコミが増えて心強いよ。よろくね、優有さん」

「はっ、はい! よろしくお願いします!」

 奈緒とあかりのわけがわからないノリも好きだが、明依のために黙っておく。実際には、ここまでふざけられる関係性が羨ましかった。

「ホラホラホラちゃっちゃと出るよーお姉さんがた。時間厳守ー」

「「いやだー踊り足りなーい」」

「ンフッ」

 見事なユニゾンに吹き出した。



 その日の夜、スマホで嶺と通話しながら宿題をする。もう入浴は済ませ、明日の分を終わらせればすぐ就寝できるようにしてあった。

 しぶとい暑さが居座っていて、まだまだ扇風機は仕舞えそうにない。空気自体は時折季節が進んだことを告げるが、どうもあと一押し足りないようだ。最近上げることの多くなった髪が重く感じた。いっそのこと短くするのも手だが、どうしようか。


「そんでさー、奈緒ちゃんて結構派手めな子と、あかりちゃんてギターオタクの子が小学校から一緒らしくて。あかりちゃん最初はちょっとツンツンしてたんだけど、慣れてきたらずっと奈緒ちゃんとふざけてんだよね。めっちゃ仲良しじゃんって」

『なんかまたキャラ濃そうだなーそれ。で、どうだったよ』

「めっちゃ楽しかったー。なんかもっとキラキラーってしてるかと思ったけど全然そんなことなくて、わたしでも馴染めそう。というかさっきの二人がずっとふざけてるから、ドラムの明依さんが大変そうで大変そうで」

『その人だけ年上なん? さん付けだけど』

「あ、いや、タメだけどなんかあるじゃん。この人は『さん付け』だなって」

『あーわかるわー』

「あと、初心者って聞いてたのに奈緒ちゃんめっちゃ歌上手いの。すっげー声大きくて、音程もバッチリでさー。何かやってたか訊いたら、カラオケしかしてないって。やっぱ才能って存在してるんだなって思いました」

『……、お前やっぱ自分の部屋と俺の部屋でだけそんな喋り方になるのな。おもしろ』

「なっ、別にいいじゃんばーか。なに、それともずっとしおらしい方がいいの?」

『いーや、俺はどっちでもいいよ。優有が楽な方でいい』

「んあー……。じゃあ、もうちょっとこの感じで……。正直、しずちゃん達だと意識しなくても女の子できるけど、今日みたいなのはちょっとしんどいかも」

『そんなもんか。そんじゃ、文化祭みんなで見にいくから、楽しみにしとく』

「あっ、みんなくんの!? いや、そりゃ見るか! うわー忘れてたー緊張するー!」

『緊張すんの早すぎでしょ』

 しっかり嶺に笑われた。

 定期試験が終わればすぐ文化祭だ。きっと、あっという間だろう。

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