ハロー、ダークネス
「あのっ、先生……。本当に、ごめんなさい……」
「こりゃまた派手にやられたなあ……。あーあーあーボディーの継ぎ目から割れたのかぁ」
わたしは、ステージが終わった後、居ても立っても居られずに須藤先生の元を訪れた。借り物の、ベースの亡骸を抱えて。
「本当にすみません……。わたしが借りてたのに、こんなことになってしまって……。あの、弁償、させてください……!」
叫ぶように言い切ると、思いっきり腰から頭を下げた。文化祭前に慌ててセットしてもらった、ゆるいウェーブをかけた髪がばさっと広がる。
「んー、いいよいいよ。やったのはお前じゃないし、これくらいなら俺も直せる」
「えっ、でも、もう直らないって……」下げたのと同じ勢いで頭をあげる。すると、先生は初めて見る寂しげな表情で楽器を眺めていた。
「完全な状態には、直らないね。インテリア兼お遊び用としてリビングにでも置くよ。これ、初めて買った楽器だからさ、それで供養ってことにするわ」
最悪だ。年季が入っているとは思っていたけど、まさか先生の思い出の楽器だとは。
「あっ、あの、ほんとうに、ごめんなさい……。先生の、大事なものなのに……」
「ほんとだよ。庄子おまえ俺に面倒事ばっか持ってくるよなあ」
ぐうの音も出ない……。須藤先生には、なんだかんだ言って面倒をかけてばっかりだ。それなのに、態度や口こそ悪いけれどいつも親身になってくれる。迷惑かけてばかりの自分が情けない。
「いつも、ほんとうにすみません……」
「反省しろよお。まあ楽器のことは気にすんな。十分頑張ったよこいつは」
先生はそういうと、開き直った笑顔でわたしを追い払った。教室の床については、犯人が分からないためなあなあに処理するそうだが、本当にそれでいいのだろうか……。
「先生どうだった?」
後片付け中の教室に戻ると、心配げに眉を曇らせた静音が話しかけてくれた。
「なんか、あんまり怒ってなかった……。ただ、あのベース、先生の初めての楽器らしくて。わたし、最低だ……」
「いやいやいや、ゆーちゃんは悪くないでしょ!」
「でも、もしもちゃんと自分の楽器を買ってたらって思うと……」
「ゆーちゃん……。とりあえず、片付けしよう。反省会はそれから、ね」
わたしは、テキパキと動く教室内を見渡すと「うん」とひとつ頷いて、クラスの輪の中に戻った。文化祭は明日もおよそ半日分残っている。やらなければいけない仕事はたくさんあった。
簡単な後片付けを終えた教室で、わたしたちは現状を確認している。他のクラスメイトは下校したり、中夜祭に出払っていて、ここには私たちしかいない。
「そんで、やった奴の証拠も心当たりもねえんだよな」
目の前の机に座った俊琉が、空になったペットボトルを両手の中で転がしながら言う。
「うん……。ただ、ピックの件と同じ人だと思う」
「思う、じゃなくてほぼ確定だろ。似たような楽器ケースばっかり集まってんのに、ピンポイントで優有のだけ狙ってんだ」相槌を打つ嶺の声には、苛立ちが見え隠れしている。
並べた隣の机に座る静音が、ルーズリーフの一枚に状況を箇条書きにしている。女の子らしい優しく丁寧な文字が踊る。
「ゆーちゃん、最近嫌な感じするって言ってたけど、いつから、どんなタイミングでしたの?」
紙から顔を上げた静音が訊く。
「ええと、夏休みが明けて、ちょっとしてからかな。タイミングは学校にいる時がほとんどで、逆に放課後はあんまりしなかったかも」
「ピックと楽器以外には何もなかったんだっけ」静音がどんどん整理を進めていく。
「そ、そうだね。教科書とか、バッグとかの定番の品は特に……」
「定番の品ねえ……」
俊琉がなんとなく嫌なものを見たような表情になり、小さな掛け声とともにペットボトルを投げ捨てる。放り出されたペットボトルは、見事な軌道で教室のゴミ箱に吸い込まれ、パコンと心地よい音を奏でた。
「うーん、さっぱりわかんない。なんで急にベースを壊すようなことしたんだろ……。普通もっと順番とか……」
「おい静音。優有が怖がってる」嶺が咎めるような声音で静音を遮った。
「へ……わ、わたし……?」
わたしは短い中学時代の経験を振り返っていた。強がってとぼけた返事をしたが、たぶん、わたしの目は泳ぎまくっていて、少し震えていたかもしれない。わかりやすい集団からの悪意と無関心。教科書や所持品は思いつく限りの方法で台無しにされた。そこまでたどり着くのに、大して時間はかからなかったはずだ。
「うわー! ごめん、全然悪気はなくって……!」
「だ、大丈夫。心配かけてごめんね……」
自分で勝手に落ち込んでいる場合じゃない。ここにいるみんな、わたしのために頭を捻ってくれている。
状況が行き詰まっている時、近頃お馴染みの底抜けに明るい声が響いた。
「いえーいおつーおつー」
「あっ奈緒ちゃん」
「げっ、うるさいのが来た」
「んもー俊琉ったら恥ずかしがっちゃってぇ。あたしと君の仲じゃないか、ん?」
奈緒がポーズを決めウインクをバチバチ飛ばすが、俊琉は手を払うジェスチャーで受け流している。
「あ、そういえば、さっきなんかここ覗いてる一年の子いたけど、知り合い? 声かけたら逃げちゃったんだけど、ゆうぽんのファンかな」
その言葉に、嶺が片眉を上げ、奈緒へ向き合った。
「なあ、それ、どんな子だった……?」
「ほん? 短めのポニーテールで、普通の子だったよ。運動部かな、ちょっと日焼けしてたかも」
「やべえ。俺、心当たりあるかもしれねえ……」
嶺が苦虫を噛み潰したような顔になる。それと、静音も思い当たる節があるようだ。
「あんた、もしかしてだけどさ、『櫻井ちゃん』からまだアタックされてた……?」
「あ、あいつすげーしつこいんだよ……。まさか高校まで一緒になると思ってなかったし……」
なんのことだかさっぱりだ。いや、今まで聞いたことのない話だが、なんとなく察した。精一杯据わった目を作って嶺を睨む。
「ねえ、嶺、どういうこと? その子となんかあったの?」
「わお! ゆうぽん嶺きゅんのこともしかして……!」奈緒が顔を輝かせて茶々を入れる。そういえば、バンド練などでは特に何もわたしから言ってなかったっけ。
「いやっ、特に、言う必要もないと思っててさ、俺中学から同じ子に付きまとわれてるんだよ」
俊琉と奈緒がニヤニヤとし、静音が疲れた顔でこめかみにペンの頭を押し付けている。
「ふーん、そうなんだ。わたし嶺くんの彼女なのに初耳だなあ」
本当に初耳だった。嶺はあまり自分のことを話さないから、こういう時くらい意地悪してもいいだろう。それに対して、嶺は大きな体を目一杯縮めて、反省の意を表しているつもりだろうか。まだ余罪がないか確認すべきである。
「え、ゆうぽん、嶺きゅんと、付き合ってんの……!?」
「なに、お前一緒にバンドやってるのに知らなかったん?」
「だって! ゆうぽんキャラじゃないじゃん! それに、全然そんな雰囲気出してなかったし、ふつー彼氏持ちJKなら馬鹿みたいに頭から砂糖出すっしょ!? うわーなんか嬉しいようなショックのような……」
「奈緒って意外とそういうとこドライというか一歩引いてるよな」
奈緒はしきりにうわーやうおーなどうめき声を漏らしながら、なんともいえない表情をしている。まあ、奈緒たちバンドメンバーには後で根掘り葉掘り訊かれるだろうなと覚悟した。
「それで、なんでその子に心当たりがあるの?」
曰く、『櫻井ちゃん』とは同じ陸上部の後輩で、中学からしきりに嶺にアタックを繰り返しているらしい。これまで特に色恋沙汰に興味の薄かった嶺は、別段好みでない上に部活以外で関係のない『櫻井ちゃん』の告白は全て断っているそうだ。ただ、嶺が中学3年生の頃から、彼女の手癖の悪さが目立ってきたという。ちょこちょこ嶺の持ち物がなくなったり、その後ひょっこり出てきたりといったことが増えたらしい。つまり、若干問題のある子のようだった。
そして、今は同じ高校の1年生となり、部活も変わらず続けているそうだ。頻度こそ減ったものの、アプローチは続いているらしい。
「ちょっと俺、連絡取ってみるわ。多分連絡行った時点で感づかれると思うけど……」
嶺がここまで負の感情を表に出しているのを初めて見た。よほどいい思い出がないのだろうか、横から静音がしきりに何か言っている。そうか、同じ中学校で部活の後輩となると、静音も他人ではないのだ。少し、疎外感を感じる。
「はー、あいつストーカーちゃんがいるレベルでモテんのかよ。やってらんねー」
いつのまにか隣に来ていた俊琉が頬杖をついて、どんよりとした目で嶺を眺めている。わたしを挟んで反対側には奈緒もいる。
「んんー、ゆうぽん。これはちゃんとリード繋いどかないと、嶺きゅんちょっかい出されまくっちゃうかもねぇ。知ってた? 嶺きゅん他のクラスの女子からも人気あんの」実に楽しそうに奈緒が擦り寄ってくる。いつもの香水と制汗剤の匂いがした。
「んあーなんとなく知ってたー。クラスの子からもおんなじこと言われるもん」
「だってよ俊琉ゥ! どうする? あたしらもより戻す?」
「だーれがお前なんかと」
「えっ二人ともそうだったの!?」
翌日、高校2回目の文化祭の日程がすべて終わった。装飾と浮かれた雰囲気だけが学校中に残っている。
まさに、祭りの後といった感じで、それぞれ撤収に追われている生徒たちが駆け回る廊下も、いつもと違った表情を見せる。わたしは、はけていた机を教室に運び込みながら、甘酸っぱい寂しさを感じていた。
気がつけば教室は元どおりになり、あれだけあった装飾品などは一つにまとめられ、持ち運ばれるのを待つだけになっている。最後の仕上げに、教室を箒かけしながら、クラスメイトとの雑談に興じていた。
「優有ちゃん、昨日のライブかっこよかったよー」
「うわーっ、ありがとう由貴ちゃんー。わたし……変顔になってなかった?」
「ちょっと全力過ぎ感あったけど、となりの黒い人もヤバめだったからセーフセーフ」彼女は笑いながら感想を述べる。
確かに、あかりのライブへの没入感もヤバかった。そこに、文化祭委員会の一人が教室にやってきた。
「この掃除が終わったら各自解散だってー。月曜は振替休日だから、忘れないでねー」
「はぁーい」
心地よい倦怠感のようなものが教室中に流れる。何はともあれ、これでひとまず文化祭はおしまいである。ドタバタありの二日間、単純に疲れてしまった。去年とは、自分も周りも、少しずつ変わっているんだなと思いながら、清掃道具を片付けた。
「なんか三人で帰るのも久しぶりだよねぇ」
静音が一息つくように言った。
今日は全校的に部活がないため、嶺と静音と合わせて三人で帰ることにする。正直、昨日の今日で一人で出歩くのは怖い。例の『櫻井ちゃん』がどんな子なのか、わたしだけがわからないので、ある意味ボディーガード的な役割を買って出てくれた経緯もある。そうでなくても、嶺は部活人間なので、こうやって揃って下校すること自体あまりないのだった。
「それで、なんかお返事とかあったの?」
昨日のことについて、左側を歩く嶺に訊く。
「ん、既読無視だった」
「ほかのSNSとかも最近だんまりみたい」
どうやら、静音もSNSなどの巡回をしてくれたようだ。心強い反面敵に回したくないなとも思う。
「うおぉおん。嶺ー、わたしが刺されそうになったら守ってね?」
「冗談にならないんだよなぁ……」
昨日の夕方から、色々げっそりとしている。いつもより覇気がなく、心なしか若干貧相な感じすらする。思っていたより心の傷が大きいのだろうか……見ているこっちまで不安になる。
「ね、ねえしずちゃん。その子ってどんな子なの」
嶺へのツッコミを飲み込んだわたしは、右側を歩く静音に会話の対象を切り替えた。
「ちょっと暴走しちゃうのを除けば、おとなしいけど部活熱心ないい子なんだけどねえ……。故障しちゃった時、嶺がつきっきりになったことがあって、それでもう嶺一筋になっちゃったみたい……」
あぁー。嶺はクソ真面目人間だから、そういうところか。
というか、クール系で高身長、運動ができて成績優秀な高スペック男子に、つきっきりで面倒見てもらえば、そりゃそうなってもおかしくない。逆にわたしなんかが、曲がりなりにも彼女というポジションに収まっているのが不思議だ。もしかすると、今後もこういうことが起こるんじゃないか、そう想像すると背筋にひんやりとしたものを感じた。
一応警戒しながら下校していると、先に静音たちのマンションが見えてきた。ここで静音と別れ、嶺が家まで見送りに来てくれる手はずになっている。すると、マンションを目前に、建物の物陰から制服姿の女の子がぼたりと飛び出て来た。
「おまえ、櫻井か……」
一目見ると、嶺が呻くように呟いた。
「櫻井」と呼ばれた女の子は、疲れ果てたような目をしている。少しの間の後、繊細ながらも芯の通ったソプラノが響いた。
「なんで、なんで嶺先輩は私を見てくれないんですか!? こんなメンヘラリスカ女のどこがいいんですか!?」
メンヘラリスカ女のところでわたしに指を突きつけてきた。さすがに、面と向かって言われると、心が痛い……。
だが、嶺がわたしを庇うように一歩彼女へ近づき、言葉を続けた。
「櫻井。昨日連絡した件、本当にお前が全部やったんだな……?」
「そうですよ、全部私がやりました! 私は、先輩の目を覚ましてあげようと思って……! こんなわけわかんないのより、私の方がずっと先輩のこと知ってます、見てきてます! 全部先輩のためなんです! ずっと、ずっと好きだから!」
話を聞いているあいだ、嶺の手は硬く握りしめられていた。なんだか、初めて見る嶺がいっぱいだと思っていると、静音が隣で、わたしの右手をそっと握ってくれる。
嶺と向き合う彼女の顔は、その結末を実のところ全て知っているような、悲痛な面持ちになっている。しかし嶺は、苦しそうに、静かに怒りの滲む声音で告げた。
「中学から、ずっと言ってんだろ、俺はお前のこと、ただの後輩としか見てないって。今までの告白も全部断ってきたし……。それに、櫻井。俺はな、人の大切なもの盗って壊して、そういうことができる奴は大っ嫌いなんだよ。全部俺のため? ふざけんじゃねえ、優有に手ぇ出して気を引こうとか、マジでクソ野郎だな。ここまでヤバイ奴だって思わなかったわ……」
——あぁ、やってしまったな。そう思った。
「そっ、そんなっ、私……先、輩のこと、ほんとに好きで……うあぁ……」
あまりに辛辣で容赦のない言葉が、彼女の20センチ上から降り注ぎ、たまらずうずくまり泣き出してしまった。
気づけば、わたしと静音は、小さくなった彼女に駆け寄っていた。ふたりで、年相応に柔らかな肩を支える。
「ちょっと、嶺、言い過ぎだよ……」わたしなんかより、よほど彼女のことを知っている静音が嶺を責める。
「櫻井ちゃん、だっけ。嶺のこと、ほんとにずっと好きなんだね……」
「んぐっ、あんたが、せんぱい、やめてよ……! やめて、くださいっ」
息も絶え絶え否定されるが、わたしは背をさする手を止めたくなかった。振り払おうとする彼女の腕には、ほとんど、力がこもっていない。
うずくまってしまった櫻井を支えた状態で嶺を見上げると、嶺もまた、限界まで眉をひそめ、唇を噛んでいた。まるで、痛みに耐え、今にも泣き出しそうな少年のようにも見える。何かを確かめるように、拳を落ち着きなく握ったり開いたりしていた。
しばらくすると、若干落ち着きを取り戻した櫻井が、顔を覆う手のひらの間から絞り出すように語り始めた。
「嶺先輩のこと、ずっと、中学からずっと、大好きです……。かっこよくて、ぐずな後輩の私の面倒見てくれて……。振られた後も、だれとも付き合ってなかったから、まだ私にもチャンスがあると思ってたんです。でも、正直、先輩私のこと嫌ってるなっていうのも分かってました。でも、もう、どうしようもなくて……わかんなくなって……」
「そっかぁ、今まで頑張ってきたんだねぇ……」
静音が、ゆっくりと頭を撫でている。
「おい、優有、そいつが全部やったんだ。どうするんだ……?」
「ねえ、嶺。嶺はちょっと何考えてるかわかりにくすぎるんだよ。そりゃ毎日部活で顔合わせてさ、ずっと近くにいたら希望も捨てきれないよ。この子……本気で嶺のこと好きなんだよ……」
なんだか悔しい。わたしは、こんなに全力で人を好きになったことがない。男子として過ごして来た小学校時代は、そういうのはなんとなくダサいような空気だってあったし、それにかこつけて、他人にあまり興味のない人間だった。中学時代なんて、それこそ人間不信に陥いった。いまのわたしが、こんなにも人間関係に恵まれているのは奇跡と言っていいほどなのに、こんなにも彼女が羨ましいと思ってしまう。わたしは、まだ満たされないのかと自分に失望した。でも、わたしはもうこの子を許すつもりになっていた。
「ねえ、櫻井ちゃんだっけ。きみがね、壊した楽器、すっごく大切なものだったんだよ。担任の須藤先生から貸してもらって、大事に使わせてもらってた。先生のこと知ってるかな。いつも適当でいい加減で、子供っぽい先生なんだけど、壊れた楽器見てとても寂しそうな顔してたんだ。初めて買った思い出の楽器なんだって」
わたしが、精一杯怒りや悲しみを抑えた声でそう言うと、初めて正面から櫻井ちゃんと目が合った。
「そんな、私、知らなくて……」
「そうだね、知らなかったんだよね。みんな、ちゃんとよく見てもわかんないんだよ。あなたの大切なもの、わたしの大切なもの、先生の、嶺の大切なもの。見てるだけじゃどれだけ大切なのか、ちっともわかんないんだよ。わたし、とても辛かったけど、もうあんまり怒ってないよ。しっかり、謝ってくれれば、それでおしまい」
ゆっくりゆっくり、区切るように伝えた。彼女は、再び泣き出して、それぞれの名前を呼びながらしきりに謝罪の言葉を、嗚咽まじりに繰り返している。もうほとんど怒りもない。どちらかといえば、虚しさや寂しさのような気持ちだけが残っている。
今なら、なんとなくこの子の気持ちもわかった。半ば望みはないと悟っててもなお、想いをずっと捨てきれずに、幼稚な嫌がらせに走ったその気持ち。
不器用でバカなわたしだから、つまらない意地や記憶が邪魔してたけど、分かってるんだ。わたしもちゃんと嶺のことが好きになってきている。たぶんそう。
なんだろう、こういうの、苦しいなあ。
結局、櫻井ちゃんは楽器を壊したこと、教室の床を傷つけたことで反省文と一定期間の部活動停止の処分となった。須藤先生のところにもしっかり顔を出したらしく、「あんな大人しそうな子も実は色々抱えてるもんよねえ」なんて白々しいことを言っている。
「ねえ、嶺は櫻井ちゃんのこと許せる?」
夜のランニングも、すっかり日課になった。近頃は急に涼しくなって、ゆっくり歩いたりすると汗が冷えて寒いくらいだ。
「優有が……許せてるならそれでいいよ。俺は直接何かされたわけじゃないし」
「でも、あそこまで厳しいこと言ったの、辛かったんでしょ?」
今もたまに思い出す。泣き出しそうな少年のような顔を。
「半分、本心だったよ。人の真ん中になっているところ、バカにしたり壊したりするのって、やっぱ許せねえから」
「……そうだね。多分、わたしの煮え切らない態度が、あの子の大事なところ、バカにしてるって思われちゃったんだろうね」
「ん。俺が、ゆっくりでいいって言ったせいだ」
「ねえ、わたしの、おれのどんなとこが好き?」
「全部。髪の毛も目も首も、こころも全部」
「うわ、クッサ」
嶺は真面目な顔をして、わたしの目を覗き込んだ。
「優有は、どうよ。少しは惚れてくれた?」
「ん、んんー。……前よりは、ずっと」
「そっか」
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