あと十秒で

 高校生活2度目の夏祭り。わたしは一歩踏み出してみようと思った。


「お母さん、わたし、おかしくない?」

 初めて、女物の浴衣を着てみた。今日は、お母さんが昔着ていた浴衣を貸してもらい、着付けや、ヘアアレンジもしている。

 お母さんは、「娘がいたらやってあげたかったことリスト」を嬉しそうにチェックしている。こんなふうに嬉しそうなお母さんは久しぶりに見た。

「大丈夫、おかしくなんかないわ。髪をあげた方が表情も明るく見えていい感じ」

「そうかな。これ、自分でやるの難しい?」

 全体的に髪を後ろでまとめてもらっている。一応、左眉の傷跡が隠れるように前髪を流しているが、こういったアレンジは初めてだ。バレッタとヘアピンでこんなことができるのかと感心する。

「そうねえ、三つ編みができないと難しいかも」

「ああー、しずちゃんに教えてもらお」

「そうしなさいな」

 お母さんが着ていた浴衣は、紺色に白で牡丹の柄が抜いてある、スタンダードなものだ。でも、飾りすぎない感じが素敵だと思う。それに朱色の帯がパキッと映える。

「やっぱりこれ、思ってたより動きにくいね……。予想はしてたけど」

「当たり前じゃない。でも、今は足元が自由で羨ましいわ。時代なのねぇ」

「うん。サンダルで行くつもり。ちょっとヒールがあるやつだから、まだ慣れないけど。なんか、スニーカーを合わせるのもありみたい。ネットで見た」

「ヒールがある靴も慣れておいた方がいいわよ。それに、優有は小柄なんだから、少しぐらい背伸びしたっていいじゃない。その方が彼もドキッとするかもね」

「ちょ、ちょっとお母さん、そんなんじゃないって」

「急に浴衣が着たいなんて、それ以外にないじゃない!」

 お母さんは、笑いながらリストにあった、「娘と恋バナ、レベル1」にチェックを入れた。

 そりゃそうか。友達同士で着るならこうならないか。図星を突かれ、恥ずかしさに耳が赤くなる。


「うーん。ねえ優有、そのピアスホールはもう出来上がってるのよね?」

「え、うん。両耳ともできてるよ」

「もうすこし飾りっ気がほしいわね。こういうのとかつけてみない?」

 アクセサリーケースから、半透明な鬼灯の飾りが揺れるピアスを取り出す。

「わあ、綺麗。鬼灯?」

「そう。お母さんの友達がハンドメイドやってて、たまに買ってるのよ。どう?」

「う、うん。つけてみたい」

 わたしが今つけているピアスを外すと、お母さんが新しいピアスをつけてくれた。そのまま鏡を覗き込んでみる。

「やっぱり似合ってるじゃない。ばっちりね。それあげるわ」

「ほんと? ありがとう。でもちょっと、気合い入りすぎじゃない?」

 メイクにヘアアレンジ、大ぶりなピアスのせいか、まるで別人だ。いつもより濃い色の口紅もあって、ずいぶんと大人びて見える。

「えー、これ、ほんとにわたし? やっぱりもうちょっとシンプルなほうが」

「あら、あらあらもうこんな時間! 優有ちゃん、もう出なきゃ。お友達待ってるんでしょ。ほらほらほら」

「うわあハメられたぁ」

 パタパタと準備し、玄関から放り出されるように家を出た。


「これ、歩きにく。ちゃんと練習すればよかった」

 慣れないヒールにぶつくさ文句をいいながら、集合場所である静音たちのマンションへ向かう。今年もちゃんと誘ってくれて一安心だ。どうやら、嶺もしっかり来るみたい。わたしの方はもう決心がついたが、嶺はそうもいかないだろうなと想像する。キャンプ場の仕返しだ。存分にうろたえるがいい。

 そうほくそ笑みながら、実はかなり緊張している。準備の時はノリノリだったけど、本当におかしくないだろうか。みんなの反応が怖い。

 あぁ、もうすぐ見えてくる。胃がキリキリする。


「ぎゃー! ゆーちゃんどうしたの! 可愛い!!」「かわいい!!」

 見つかった瞬間、静音姉妹は揃って叫び、わたしに駆け寄ってきた。二人とも、去年と同じ浴衣を着ているが、髪型や小物で変化をつけている。

「じゃじゃーん。お母さんから借りてみました。えへへ」

「うわあ、素敵な浴衣。めっちゃ似合ってるよー! 可愛すぎてなんだかムカついてきた」なんでそうなる。

「ゆーちゃん今年はちゃんとしてるね!」

「しずちゃんは置いといて、ミサちゃんありがとー。ミサちゃんも少し身長伸びたかな? もう10センチくらいしか違わないね……」

 静音の妹だけあって、すくすく成長しているみたいだ。背を抜かれるのも時間の問題かもしれない。

「ちょっとゆーちゃんひどい! わ、可愛いピアス。どうしたのこれ」

「お母さんにもらったんだ。いいでしょ」

 少しくらい自慢してもいいだろう。軽く指で揺らしてみせた。

「ゆーちゃん、綺麗になったねえ」

「ちょっとぉ、なにそれ。あはは」


「そういえば、嶺はどうしたの?」

 そろそろ集合時間だが、嶺の姿が見えない。土壇場で逃げるようなことはしないと思うけど、何かあったのだろうか。

「なんかね、ちょっと準備に手間取ってるみたい」

「えー、男なんて適当でいいじゃん。楽なもんだよ」

「あはは、ゆーちゃんが言うと説得力が違うね」静音が耳元で囁く。

 笑いあっていると、マンションの自動ドアが開く音がした。それと、小気味良い下駄の音。

 振り返ると、グレーの浴衣を着た嶺がいた。下駄まで履いて、すいぶんな気合の入りようだが、ガタイのせいか様になっている。

 気恥ずかしそうに片手を上げて挨拶をしてきたが、同じく浴衣姿のわたしに気づくと、びくりとして足を止めた。

「おっす、お待た、せ……。優有、なんだそれ、どうしたんだよ」

「ちょっと嶺ー、女の子にそのリアクションはどうなのよ。これはモテない」静音が白い目で嶺を見る。

「どう、びっくりした? 嶺だって気合い入ってるじゃん。下駄まで履いてどうしたの」

 ポーズをとっておどけてみせる。

「お、お袋が着てけってうるさくてさ。そしたら時間食っちまった」

 わかりやすく耳が赤くなった。おもしろい。

「え、嶺が照れてる。気持ち悪」

「静音てめえ覚えてろよ」

 よかった。いつもみたいにちゃんと話せてる。なんだか安心した。


 今年は俊琉とも合流予定だけど、現地集合にしてある。俊琉だけ家が反対方向なのだ。なので、いつもの四人でお祭りへ向かう。特に何か合わせたわけではないが、みんな浴衣姿になったのは驚いた。これで俊琉も浴衣だったら面白いのに。

 神社に近づくにつれて、街並みに提灯の灯りが目立つようになる。コンビニの前では店員さんが氷水に入ったラムネやジュースを売っている。去年より自分に余裕があるのか、いろんなものが目に入ってきた。

「お、あれ、先生じゃん」

 最も身長が高い嶺が真っ先に気づく。指差す方を、背伸びして見てみると、確かに須藤先生がいた。

 でも、なんでワイシャツなんて着てるの?

「なんか、先生ちゃんとした格好してない? ヒゲも剃ってる……」

「だよね。何かあったのかな……」

 挨拶と事情聴取のため、先生に近づく。

「先生、こんばんは」嶺が代表して声をかける。

「おう。元気にしてたか」

 なんか変だ。いつもならもっと適当に、『うーす、なんもねえか。ねえな』みたいに済ますのに。しかもどうやらシラフだ。

「先生、どうしちゃったんですか?」

 静音がいつもよりワントーン低い声音で尋ねると、先生は虚ろな目で答えた。

「去年の、反省です。こってり絞られたんだよ」

「「「あー」」」

 たっぷり反省しているようだ。ぜひそのまま、まっとうな先生になってほしいと思う。


「なんだ俊琉、今日は甚平か。クソガキスタイルだな」

「うっせバーカ。お前も色気付きやがってコノヤロ」

 現地集合の俊琉と合流すると、早速嶺が絡みにいった。なんだかんだいって二人とも仲がいい。ふと、自分が男のまま、あの輪に加わることを想像した。きっと、嶺と俊琉のことだから、仲良くしてくれるだろう。でも、今こうしていられるのは、自分が女になったから。

 そう思うと、今この瞬間が尊いものに感じた。

 結局、ぜんぶ巡り合わせなんだと実感した。

「ゆーちゃん、何か考え事?」

「ん、とくになにも」

 にへっと笑って返す。

「おお!? お前優有か! いつもと全然違うから気づかなかった。いいじゃんそれ、似合ってんな」

「ほんとー? 嶺より見る目あるんじゃない。ありがと」

「いっつもバンTだもんなあ。そういうのもたまにはいいじゃん」

 ほらほら、嶺くん。こういうのは俊琉の方が何枚か上手だぞ? どうする?

「やっぱり、ゆーちゃんは磨けば光るんだよ。ねー」

 んーだめだこりゃ。嶺は特に何も言ってくれない。ヘタレめ。

「さてさて、今年の夏祭り、楽しんでいこうぜ! な、美沙希ちゃん!」

「いえーい!」

「じゃあまず射的から行くぜ!」

 キャンプ以来、美沙希はすっかり俊琉に懐いているらしい。とは言っても、どうやら精神年齢的に近いのか、お互い無邪気にはしゃぎあっている。

「美沙希ねー、ほんとはもっと遊びたいんだけど、あの時期ってさ、やたら女子と男子で意識が別れるじゃん。だから学校では結構周りに合わせてるんだってさ。そのせいか俊琉くんがいると、気兼ねなく遊べるみたいで嬉しそうなんだよねぇ」

「はえー、俊琉くんににそんな才能あるとは思わなかった」

「大丈夫か? あいつに美沙希ちゃん任せて」

「嶺よりは気がきくし大丈夫っしょ」

 静音と嶺の息のあった掛け合いが心地いい。やっぱり、みんなでいるのが楽しい。もっと一緒に遊んでいたい。


「おー、美沙希ちゃんうまいねー。次四匹目いってみよう」

「まかせといて! ミサちゃん天才だから!」

 夏祭りといえばやっぱり金魚すくい。だけど実は、わたしは苦手だ。いつも網でガサればいいのにと、無粋なことを思ってしまう。だから、水風船釣りの方が好きだった。あとで遊べるし。

 でも、無邪気に遊んでいる美沙希を見ていると、こっちまで楽しくなってくる。すくった金魚は持って帰らなくてもいいようで、遠慮なくやっている。人のことはいえないが、なんだか残酷な光景だ。

「ミサちゃん上手だねー。次出目金いってみようよ」

「これはなかなか終わらないねえ。ゆーちゃん、別のとこ見てきていいよ。私みてるから」

 これはチャンスだ。

「ほんとに? じゃあ、嶺、わたしたこ焼き食べたい」

「えぇ、俺が払う感じ?」

「よっ男前!」

「しゃーねえなあ……」

 ようやく二人きりになれそうだ。いまだに緊張するが、せっかくのチャンスだ、無駄にはできない。早速みんなと別れる。


「ねえ、嶺、わかってるでしょ。この前の続き」

「お、おう。とりあえずなんか食うか?」

「……。たこ焼きはちゃんと食べたい」

「了解」

 わたしは嶺の手を引いて、どこか、人目のつかない場所を探した。

 嶺の手は、思っていたよりも大きくて、少しドキリとした。


「優有、この前は悪かった……。その、今日の格好も、似合ってると思う……」

「うーん、ようやく褒めてくれた。わたし、今日のために結構頑張ったんだよ? ま、嶺だって、浴衣似合ってるじゃん」

「お、おう。サンキュ。優有も、普通に美人でビビった。髪あげた方がいいかも」

「うわ、なんだよ急に、照れるなぁ……」

 神社の参道、少し往来から外れたベンチに並んで座る。赤提灯の間を歩く人々を眺めると、それぞれに夏祭りを楽しんでいるようだ。家族や恋人、友人と、もしかしたら、これから恋人になるかもしれないふたり。みんな、この時間を共有している。


「優有。俺、改めてちゃんと伝えようと思うんだ」

 嶺は一度眉間を指でつまむと、真剣な顔でわたしを見る。


「自分勝手で悪いと思ってるけど、優有が昔男だったとかそんなの関係ないんだ。俺は、今の優有が好きだ。もしよければ……俺と付き合ってほしい」

 顔真っ赤じゃん。たぶん、わたしもそうなっていると思う。

 一度唾を飲み込んだ。用意して来たこと、しっかり伝えなきゃ。


「この前は突然すぎてびっくりしちゃった。わたしね、全然自分に自信がなくて、そんなこと言ってくれて、ほんとは少し嬉しかったよ。嶺のこと、異性として好きになれるかまだ分からないけど、その想いに付き合ってみたいと思う。でも、ごめんね、嶺。わたし、腕以外にも、いろんな汚いところがあるんだ。もしも、いつかそういう時が来たら、きっと失望すると思う。それでもいい?」

 緊張で少し声が震えた。なんとか目をそらさずに伝えられたことに、少しだけ安心したけど、まだ終わりじゃない。

 嶺は、なんて答えるだろう。急に、蒸し暑さが気になった。じっとりと首筋に汗をかく。


 より一層真剣に、難しそうな顔をしている嶺が、ようやく口を開いた。

「そういう傷跡とか、『こころ』のこととか、俺の想像もできないようなことが沢山あったと思う。大きなお世話かもしれないけど、少しでもその重荷を分け合いたい。それに、俺は、これからどんなことがあっても、優有の味方でいたい。だから全部、まとめて今の優有が好きだ」


 泣いてしまいそうだ。

 

 話を聞いてる側から熱いものが目に溜まっていく。胸のあたりがギュウギュウと締め付けられる感じ。なんて真剣な顔で、そんなことを言えるんだろう。嬉しすぎて、消えてしまいたい。

「い、いいの? ほんとに? こんなわたしでいいの? おっぱいだって小さいよ?」

「そ、そんなの関係ない……。フフッ、ちょ、ダメだ、なんでいまおっぱいって、あはは」

「な、なんで爆笑してんだよ! こっちは真面目なんだぞ!」

「へへへ、いや、わりい……。やっぱ優有はおもしれえな。でも、そんなところが好きだ」

「うわ、うわ、今のずるい」

 わたしは、急いで巾着からハンカチを取り出して、顔を覆った。嬉しいやら恥ずかしいやら、感情が追いつかない。身体中がムズムズする。なんだか、もうどこにも男らしさが残ってないような気がする。まあ、実際どこからどう見ても女の子だろうし、しょうがないか。

「うあー恥ずかしい、しにそう……」

「俺だってめっちゃ恥ずかしかったわ。それで、優有、答えは?」

「こ、こんなちんちくりんですが、よ、よろしく……」

「ああ。これからも、よろしく」

 去年は、拳を合わせる挨拶。今日は、手を繋いだ。

「じゃあ、優有、さっさと戻ろうぜ。茶化されると面倒だし」

「うーん、ムードがない……。嶺だししょうがないか!」

「なんだそれ!」

 なんだか、全部うまくいったような気分。正直、なにが変わったかはわからないけど、これからのことは未来の自分に任せてみようと思った。



 夏休み最後の1日、簡単に買い物でもして、だらだらおしゃべりしようということで、わたしは静音と街にでた。それぞれ買い物袋を下げたわたし達は、おしゃれで落ち着いた雰囲気のカフェでくつろいでいる。濃い色の床板に漆喰の壁、ビンテージな風合いのローテーブルに、いい意味で統一感のないソファ。天井の配管はむき出しで、空調のファンがゆっくり回っている。どうやら、静音のお父さんの友達のお店らしい。

「それで、ゆーちゃん。私に言うことあるんでしょ?」

「え、ああ、あはは。バレバレですか」

「そりゃそうよ。嶺のことでしょ」

「うん……。わたしね、嶺と付き合うことにした」

「そっか……。はぁー、ゆーちゃんと嶺がねぇ……」

 静音はどこか上の空で、アイスティーをストローから一口飲む。

「もしも、嶺がゆーちゃんのこと傷つけたら、私があいつのことボコボコにしてやる」

「うん。なにかあったらしずちゃんに言うね。やっちゃって」

 いつものように笑いあうが、静音はなんだか浮かない顔をしている。


「ゆーちゃん、嶺のことよろしくね。あいつ実は弱虫で泣き虫だから、ずっと本当の弟みたいに思ってた。でも、もう違うんだね。ゆーちゃんも、いつのまにかこんなに可愛くなっちゃって。うわー、なんだか私本当にみんなのお母さんみたい……」

「わたし、そんなしずちゃんが大好きだよ」

「うん、ありがとう……。うんー、みんな変わっていくんだね。私も、変われるかな」

「しずちゃんは、何になりたいの?」

「私はね、小学校の先生になりたい。最近ずっとそう思ってる」

「うん。すごく似合うと思う。しずちゃんは素敵な先生になれるよ」

 グラスの氷が崩れて、涼しげな音がなった。高校二年の夏休みが終わろうとしている。

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