ロング・ロスト・フレンド 3

 目の前に、裸の優有が立っている。なんでこいつ、素っ裸なんだ。でも、大事なところはぼやけて見えない。

 そうか、夢だこれ。納得すると俺は、思わず白っぽく小さい体を抱きしめていた。

『嶺、おまえのこと、信じてたのに……』

『あの約束はどうなったんだよ』

『俺ら、男同士だぞ……?』

 腕の中の優有はいつもと変わらない顔をしているが、でそう言った。


「いや違う!!」

 俺は飛び起きた。と、同時に、強烈な頭痛と吐き気。

 なんだこれ、これが二日酔いか!?

 スマホをかろうじて掴んだ俺は、テントを飛び出し一目散にトイレへ向かう。まだ夜明け直前、ぼんやりと青っぽい時間だったが、おじさんと俊琉は爆睡していた。ひたすらに気持ちが悪い。頭がガンガンして、足がもつれる。


「うえっ、うっぷ……。おええ」

 ギリギリ、キャンプ場のトイレに間にあった。なんとか胃の中身を全て吐き出す。こんなに吐いたのは、子供の頃にかかったインフルエンザ以来だ。よく、酒を飲みすぎて吐いている大人を見るが、こんなにも辛いとは思わなかった。ふらつく足取りでトイレの個室を出ると、水道でうがいをし、顔を洗った。

 山の水道水は冷たい。おかげでぼやけた感覚が戻ってくるようだ。生き返る。人心地つくと、スマホを見る。まだ午前四時すぎだ。気づいたら眠っていたため、何時間寝たのかすら覚えていない。とにかく、ひどい目にあった。

 空は白み始め、清涼な夜明けの空気が漂っている。もう一度水道水をしっかり飲むと、力を振り絞りテントへ歩き出す。眠れそうにないから、椅子で休憩でもしていよう。


「あれ、嶺、おはよう。どうしたの?」「おっ、はよ……」

 テントに戻ると、そこには小さな鍋を火にかけている優有がいた。今朝方見た夢を思い出し、耳が熱くなるのを感じる。なんでこんな時間にいるんだ。

「あー、もしかして二日酔い? 昨日テントで騒いでたの聞こえてたよ。何言ってるかはわからなかったけど、お酒飲んでたんでしょ」

 優有が悪戯を見つけたような、得意げな顔で問い詰める。一瞬ゾッとしたが、ありがとう神様。話の中身までは聞こえていなかったようだ。

「そ、そうなんだよ。さっきまで吐いてた。めっちゃ具合悪いわ」

「んふふ、おじさんには黙っていてあげよう。インスタントだけどコーヒー飲む?」

「飲めるかな」

「お父さんが二日酔いの時はいつも飲んでたよ。効くのかは知らないけど」

「マジで? じゃあ、試しに」

「ん。おっけー」

 なんだか慣れた手つきでカップを並べ、インスタントコーヒーを適量入れていく。


 あ、やべ、俺ブラックだと飲めねえ。


 いや、そんなこと、恥ずかしくて言えるわけがない。あってないようなプライドが許さない。というか、優有は飲めるのか? コーヒー用のミルクとか見当たらないけど。


「いやあ、おれ、キャンプの朝にブラックコーヒー飲むのやってみたかったんだよね。中二病引きずってるから」ころころと笑いながら言う。

 そうですか、飲めますか。

「へ、へえ。ずいぶん渋いのな」

 精一杯の強がりだ。なんて情けない。不自然にならないような距離に、椅子を持ってきて座る。

「はいどうぞ。熱いから気をつけてね」

「ん、サンキュ」

 横目で優有を見ると、両手でカップを持ち、息を吹きかけている。実際にはまだ眠いのか、半開きの目が可愛い。

「ん、なんだよぉ。なんかついてる?」優有はへにゃりと笑う。

「い、いや、なんでもねえ」

 無意識に見つめてしまっていた。

「そお? まあいいや。こうやってぼーっとするの気持ちいいよね。朝だーって感じで」

 確かに、いままで見たことのないような景色だ。河原に漂う朝靄を、はっきりとした朝日が照らし出し、どこかで鳥が囀っている。さっきまでひんやりしていた空気に、いつのまにか熱が戻ってくる予感があった。なんとなく、苦手なブラックコーヒーも飲めそうな気分になる。

「あー、確かに。なんかいいかも。すっげーキラキラしてる。朝になって全部生き返ってるみたい」

 隣でちいさな笑い声が聞こえる。

「嶺って、けっこう純粋だよね」

「な、なんだよ。悪いか?」

「ううん。そういうとこ好きだよ」

「んぐっ、あっつ!」

 全くの無防備だったところに、予想外の言葉が突き刺さった。動揺し、コーヒーにむせてしまう。

「うわっ、大丈夫? はいこれお水」

 めちゃくちゃダセえ……。

「あっちー、ベロやけどしたわ……」

「あはは、ドンマイ」

 ほんとに、よく笑うようになったと思う。最初の頃なんて、全部に力が入りすぎてるような、強張った表情ばかりだった。


 ——それに、事情を知っている、俺にだけ見せるこのへにゃっとした表情。


 正直、一番魅力的だと思う。しかも、この表情を向けてくれるのは俺だけだろうという根拠のない自信もある。静音にだってこんなに間抜けな顔はしない。

 でも、これは俺が優有の『こころ』と同性だからこそ見せられる顔なんだと思うと、遣る瀬無い気持ちになる。ずっとだ。優有を好きになって、ずっとそのことがつっかえている。やり場のない胸の痛みは、大きくなるばかりだった。



 キャンプ場の側を流れる川の少し上流に釣り堀がある。実際の川を利用した釣り堀らしく、石で区切られたところで釣りをするらしい。ここでもまた、優有が張り切っている。

「見て見て、これ」

 優有が手に持ったプラスチックのケースを俺に見せる。なんだ? 中に丸めたダンボールが入っている。

「これね、ここを剥がすと、出てくるんだ。はい、餌のブドウ虫」

 笑顔で差し出された手のひらには、乳白色の芋虫が一匹乗っている。カブトムシの幼虫をそのまま小さくした感じだ。

「うお、なにこれ気持ち悪。幼虫?」

「なんかの蛾の幼虫らしいよ。ぷにっとしててかわいいよねー。まあお尻から針刺して頭から貫通させるんだけどさ」

 かわいいの評価から急に残酷な話だ。釣り人ってみんなこうなのか?

「こ、これ静音とか美沙希ちゃん触れるか? あいつら虫苦手だろ」

「あっちはね、おじさんが『いくら』でやるって言ってた。こっちはこれで大物狙い

い。それじゃ、釣り方だけど——」

 優有は実際にブドウ虫を針につけ、説明を始める。手慣れた所作に感心した。

「嶺は初心者だからウキ釣りだね。流れの上からそっと入れて、そのまま流していって。釣れなかったら、もう一回上から流す。それじゃ、はこっちからやるから、何かあったら呼んで」

 立て板に水のように説明すると、優有はせかせかと別のポイントに向かう。早く釣りがしたいんだろう。ただ、周りに人がいるせいか、一人称が「わたし」に戻っている。やっぱり、意識して使い分けているんだろう。


「うおっ! また釣れた!」

「調子いいね、嶺……」

 さっきからなぜか俺だけ釣れ続いている。どうも優有は調子が悪いらしく、場所を替わってみたがどうにも俺の方がよく釣れる。何かを悟ったのか、さっきから隣でサポートをしてくれていた。

 曰く、

『今日はもうダメみたい、完全に嫌われてる。釣りってこんなもんだよね……』

『わかってはいるけど、悔しいー。ビギナーズラックに負けたー』

 だそうだ。

「いやぁ、ほんと型もいいし、きれいなトラウト」

「これって全部食べれる魚なのか?」

「そうだよー。おいしそうな顔してるでしょ」優有が魚の顔をこっちに向ける。魚って、正面から見るとなんだか不思議な違和感がある。

「いや、わからん」

 優有は魚から優しく針を外すと、そのまま逃してしまう。

「ほーらおかえり。元気にやれよー」

「あれ、逃しちゃうのか」

「これ以上キープしてもしょうがないし、もし大物釣れたらそれで最後にしよう」

「ん、わかった」

 もう何匹か釣ったら終わりにしようと言ったあと、結局小さいのが2匹だけ釣れた。


「あんなこと言ったから微妙な終わり方に……。ま、これも釣りだよね」

 俺たちは餌がなくなったので、木陰のベンチに座り、静音たちが釣りをしているのを眺めている。

「釣りってさ、釣れない時どうすんの」今日は釣り堀だからか順調に釣れていたが、実際はどうなんだろう。

「どうしたら釣れるか色々考えてるよ。雨が降ったか、降ってないか。太陽は出てるか、出てないか。水は濁ってる? 澄んでる? そのときそのときでやり方が違うから、あれこれ試してみる。これが海だともっと大変。でもね、わたしそういうところが好きでさー。あと、釣れない時はなにやっても釣れないから、諦めてぼーっとしたり。そういう時間も好き。なんか、お年寄りみたいなこと言ってるね」

「いや、いいんじゃね? なにかやってるだけで楽しいとか、好きとか、それが一番だと思う」

「嶺は、走ってるのが好きなの? ずっと陸上部なんでしょ」

「それもあるけど、陸上は数字が出るから、わかりやすくて好きだ。昨日より、少しでも早く走れると気持ちがいい」

「おおー、コツコツタイプだ。昔から強い子だったんだろうな、嶺は」

 ……そんなことない。俺は、誰かの後ろにいることが多かった。そんな自分が嫌で陸上を始めた。感情抜きの数字で結果が出るからだ。走る時は俺一人だけ、そんな種目を選んでやっている。

「俺は、優有にはそう見えるか?」

「みえるよー。背も高いし、スポーツできるし。わたしの持ってないものばっかり持ってる」

「優有には、音楽があるだろ。今日だってキャンプに釣りに、意外と頼りになってんだぜ」

「えへへ、そうかなあ。そう言われると、なんだか照れるね」

 そうだよ。優有はちゃんと強えよ。


「お父さん、釣りする人はお魚捌けなきゃだめなの?」美沙希がおじさんの裾を引っ張りながら小声で訊いている。

「うん? できないよりできる方がいいんじゃないかな。ちゃんと命をいただくんだって実感も持てるかもね」

 今、釣り堀で釣った魚の下処理をしている。

「ゆーちゃん手際いいねえ。うわっ、まだ生きてる」

「しずちゃん貸して。ごめんね、美味しくしてあげるから」

 そう言うと、優有は包丁の背で魚の頭を数回強打する。ゴンゴンと音がこっちにも聞こえてきた。

「はいどうぞ」

「ゆーちゃんバイオレンスだ」

「ほら、早く捌かないとかわいそうでしょ」

 なんだか、初めて優有が静音をリードしているところを見た。ちゃんと作業しないと、こっちに飛び火してきそうだ。

「俊琉、けっこううまいな」

「両親共働きで、俺が飯作ったりするからさー」

「やべえ、なんもできねえの悔しいな」

「ハハハ、精進したまえ精進したまえ」

 そこに、おじさんがやってくる。

「おお、俊琉くんは結構上手だね。嶺くんは、なんだ、今は男も料理できなきゃダメだぞ」

「面目ねえっス」

 おじさんはうんうんと頷くと、俺と俊琉の間に上半身を割り込み、肩に手を乗せ言った。

「嶺くんに俊琉くん。昨晩は何もなかったからよかったけど、あんまり羽目を外しすぎないようにね。まあ、僕が先に寝ちゃったのも悪いんだけどさ」

「「アッハイ」」

 やっぱバレてんじゃん。

「嶺、今日はやめておくか」

「最初からやめとけっての」


 今日の夕食は、昨日が肉中心だったため、昼に釣った魚がメイン食材だ。塩焼きにホイル焼き、マリネした身が入ったサラダや、アクアパッツァなんかもある。このほとんどをおじさんが作った。さすが、静音の親父さんだ。基本的なスペックが高い。それに対し、優有は塩焼き用のかまどや、鍋を吊るす三脚を木の枝から作っていた。なんか役割が逆じゃないか。

「パラコードは超万能。今だから通販とかで買えるけど、秘密基地作るときに欲しかったな」

 この子ワイルドすぎない? こんなキャラだっけ。

「ゆーちゃん秘密基地なんて作ってたの? やっぱりなんか男の子みたーい」

「そうだよー。木登りしてね、木の上に作ってたんだ」

「ほんとに? すごい」

 なんだか、うまく美沙希ちゃんのことはあしらっているみたいだ。しかし木登りまでしてたなんて、元男とはいえ、育った世界が違いすぎる。俺は、ずっと本ばかり読んでいたから、ここまで成長したことに驚かれることも多い。

「優有ちゃんはもしかして、静音よりお転婆さんだったのかな」おじさんが笑いながら会話に混ざる。

「私もびっくりだよー。運動なら私の方ができるんだけどなあ」

「嶺くんは、小さい頃は読書が好きなおとなしい子だったよね。いつも静音に引っ張り回されてて、なんだか懐かしいな。やっぱり、人は見かけによらないってことかな」

「ちょっとーお父さんやめてー」

「マジで? 全然イメージできねえ」

「うっせ。俺だってここまででかくなると思わなかったよ」

「わたしもなー、せめてしずちゃんくらい身長あればよかったのに」

「ゆーちゃんはポジション的にこれぐらいでいいの」

「そんなあ」

 今日のおじさんは、なんだか高級そうな蒸留酒をちびちびやっている。ちなみにおじさんは洋酒が好きだ。聞いた話によると、楽しみにしていたお酒を静音がお菓子作りに使ってしまい、いじけてしまったことがあるそうだ。

「いやあ、静音のことは嶺くんが貰ってくれると安心だなあ」

「お父さん、嶺だけは絶対ありえないから。マジで。冗談でも、やめて」

「そんなあ、お父さんをそろそろ安心させてくれよ静音ー」

 空気自体は和やかなままだが、自分の顔が強張るのを感じる。俊琉が隣で、なんだか面白そうなものを見つけたような顔をしている。こいつ実は性格悪いな?

「うわー、嶺、しずちゃんとミサちゃんから振られてるー」優有が面白そうに俺をからかった。

「あっちゃー美沙希ちゃんもコイツのことダメかー! 残念だったな? 嶺」

 俊琉がオーバーな動きで俺の肩に手をかけ、哀れみをかけるアクションをする。

「うっぜー。別に残念とかねーから……」

 そう吐き捨てながら、横目で静音を見やる。おじさんとじゃれあっていた。

 何故だかひどく安心したが、すこし寂しいような気もする。



「それじゃあ、明日は片付けもあるし、もう消灯してしまおうか」

「りょうかいーっす」

 男子テントでは昨日のような酒盛りもなく、明日に備え早めの就寝となる。確かに、テントが二つもあると、撤収に時間がかかりそうだ。なんだかんだ、楽しい二日間になったかな、と思う。

 思ってはいるが、散々俊琉にいじられた。なんか最後に悪戯でもしてやろうか。そうでもしないと溜飲が下がらない。ただ、日々を過ごせば過ごすほど、優有への想いは大きくなるばかりだ。

 そんなことを考えていると、いつの間にかみんなが寝静まっていた。時計を見れば、日付が変わってさほど経っていない程度。


 ——眠れねえし、ションベン行くか。


 キャンプ場のトイレは地味に遠い。あまりトイレに近いところに設営すると、匂いが気になったり、人の往来が激しくて落ち着かないなどデメリットがあるそうだ。幸い、道の途中から照明がいくつか設置されていて、夜中でも迷うことはない。

 すると、トイレの前に見慣れた背格好が佇んでいる。

「なんだ、優有か。今日はよく一緒になるな」

「れ、嶺? よかった。どうしよう、なんだか、じ、女子トイレが使えないみたいで……」

「はあ、マジで?」

 持参したライトで照らしてみると、確かに、使用不可のメッセージがドアに貼ってある。

 どうやら、生ゴミを流したせいでトイレが詰まり、トイレの中が水浸しになってしまったため、明日の清掃まで使えないと書いてある。不届きものがいたもんだ。優有を見ると、冷や汗をかいている。限界が近そうだ。

「わ、わかった。ちょっと、男子トイレ使えるか見てみる」

「あ、ありがと……」

 男子トイレをのぞいて見ると、特に問題なく使えるようだ。都合のいいことに、個室は一つしかなく、誰もいない。すぐに戻ると優有に声をかけた。

「大丈夫だ、使える。個室も空いてるから今のうちに行け」

「ほんとに!? 助かった」

「だ、誰か来たら合図するから、終わったら教えてくれ」

 すると、トイレの中から、了承の声が聞こえた。


「嶺、助かったよ。ありがとう……」

 若干顔を赤らめた優有がトイレから出てくる。

「俺もちょっくらしてくるわ」

「う、うん。わかった」


 用を足し、トイレから出ると、優有は道端のベンチに腰掛けて待っていた。

「おまたせ。どうだったよ、久しぶりの男子トイレは」

「ちょ、ちょっと懐かしかった……。て、なに言わせんだぁ」

 隣に立ち、軽口をたたくと、肩を小突かれた。

「もっと別のトイレ行けばよかったんじゃねえの?」

「こ、ここに着いたときから結構ヤバかったんだよ……」

「あぁ、わりい。そんじゃ、テント戻るか」

「うん」

 な、何か話さないと。なんだか微妙な空気だ。

「なんだ、やっぱこういうとき男は強いよな。最悪立ちションすればいいし」

「あはは。それ、めっちゃ思った。久しぶりになんでこんな目にあうんだって思ったもん」

 ——やっちまった。笑ってるけど、声に力がない。

「あー、すまん。この話やめよう」

「いや、なんかごめんね。えへへ」

 またあのへにゃりとした顔で笑う。

「なんだか、おれがピンチのときはいつも嶺がいる気がする。頼りになるなあ」

「そ、そうか? 静音だって、いつもいるだろ」

「うんー、しずちゃんは、なんというか、親友だよね。いっつも支えになってくれるし。で、でも、嶺はここぞってときに助けてくれるから、憧れちゃう。うわー、おれ何言ってんだろ」

 恥ずかしいのか、赤くした頰を冷やすように、両手でパタパタと扇いでいる。


 思わず、歩みを止めてしまった。

「ん、どうしたの?」

 数歩先を行く優有がくるりと振り返ると、さらっとした髪の毛が広がり、キャンプ場の控えめな照明にきらきらと瞬いた。

 胸が苦しい。酸欠に喘ぐように、勝手に言葉が溢れた。

「お、俺、優有のこと、すげえと思ってる。俺なんかより、めっちゃ強いよ。今日聞いただろ。俺も小さい頃は、静音に守ってもらってたんだ。いじめっ子に大事なもの隠されたり、仲間はずれにされたりすると、いっつも静音が助けてくれたんだよ」

 全力疾走した後のように息が切れる。

「俺、図体ばっかりデカくなってさ。いつかちゃんと静音に恩を返そうと思ってたけど、気がついたらもうお互いそんな感じじゃなくなってんの。そしたらさ、優有がやって来て。最初はちょっと変なやつだと思ったよ。でも、どんどん自分から変わって行くんだ、優有は。俺にはできなかったこと、あっという間に……」

 なんでだ。なんで言葉が止まらないんだ。ほら、優有だって戸惑ってる。

 いつの間にか、俺と優有の距離は縮まっていた。腕を伸ばせば、十分に届く距離。


「そしたらさ、だんだん、自分の気持ちに気がついたんだよ。綺麗に笑ってる優有を見てると、嬉しくて、苦しいような、そんな気分になるんだ。だ、だから、俺! 優有のこと、好きになってた」


 まるで時間や空気がなくなったみたいだ。俺たちを囲う小さな範囲だけが、全宇宙から取り残されたように感じる。頭からサッと血が引き、耳の奥がキーンとする。鼻の奥がツンとした。


「あっいや、わ、忘れてくれ……。き、気持ちわりいよな、お、男同士で。なんでもない……。すまねえ、先戻っててくれ……」

 絞り出す声は震えている。本当に図体ばっかりデカくなって、俺の本体はまだ小さいままなんじゃないか。

 まともに顔も上げられそうにない。視線は自分のつま先から離れない。べったりとくっついてしまっている。


「れ、嶺……? 好きって、どういうこと? それって、お、おれを、女として見てるってこと?」

 はるか彼方から聞こえるような、小さな声だ。まるで、高校入学当時の、ささやくような声。

「ごめん。俺は、優有のこと、女として好きになってる……。そういう、関係になりたいとも思ってる……」

 ついに、伝えてしまった。暴発したような言葉で。しばらく、無言が続いた。


「うぅ、あぁ……。ごめん、ごめんね、嶺。おれ、まだ、わかんなくて……、わたしっ、嬉しいけど……、いやっ、なんで……わかんないよ……」

 

 泣き声に視線が跳ね上がる。そこには、顔を耳まで真っ赤にして泣き出した優有がいた。珠のような涙を、両腕で拭っている。


 ああ、まただ。こうやって泣きじゃくる優有を目の前にして、俺は何してんだろ。


 思うより早く、抱きしめていた。最初は弱く、存在を確かめるように。次第に力を込めて、しっかりと、強く抱きしめる。


「んっ、ばか、やめろよぉ……。なに、してんだよぉ、ばかばかばか。離せよぉ……」

「今は、無理。な、泣き止むまで待つから。これじゃ、テント戻れないだろ」

「れ、嶺のせいだろ。な、なんてこと、しやがるんだっ」

「わかってる。わかってる……」


 そうして、そのままの格好で、優有が泣き止むのを待った。



「ほんとうに、悪かった。こっぴどく振ってくれていい」

「ちょっと、時間を頂戴。まだ今は、答え出せない……」

「そんなこと言われると、期待するだろ」

「まだわかんないって言ってんじゃん。バカ嶺。ばーか」

「ふふっ。今の静音みてえ」

「あーもう、絶対目元腫れた。みんな起きてたらどうしよう。全部嶺のせいだ」

「わるい。ごめん……」

 それだけ言って、お互いのテントに戻った。



 それでも翌朝はやってくる。朝食をとり、後片付けを始める。撤収も、優有が男子組のサポートに就く。

「それじゃ、テント解体しよっか」

 驚くほど自然だった。まるで昨夜のことなんて、無かったかのように振る舞う。

「うーす」

 寝癖すら直していない俊琉が、テントの解体に着手する。俺も、ちゃんとしなきゃな。うまく会話できないかもしれないが、このあと、帰りのこともある。

 俺は、優有の目元に残る、涙の跡に気づかないふりをしながら作業を続けた。



 高速道路を飛ばす車の中、俺は窓の外を眺めている。だんだんと緑が減り、ひとの世界へ戻ってきたようだ。今まで培ってきた関係が壊れるようなことをしてしまったことを、誰も知らない自然の中へ置いてきたようにも感じる。

 ただ、そんな現実とは裏腹に、意外と心はすっきりとしている。俺はなんて無責任なんだと自嘲した。

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