ロング・ロスト・フレンド 1

「んぐっ、あ、ありがとう、しずねちゃん……」

「大丈夫だよれいくん。あいつはわたしがこらしめたから。本もね、ちゃんと見つけてきたよ。おとこの子でしょ、泣いちゃだめ」

「でっ、でも、本が、おとうさんにもらったのに」

「れいくんはよわむしだなあ。わたしが守ってあげる」


 ずいぶんと遠い記憶だ。確か、近所のガキ大将に、当時宝物にしていた本を隠されたうえに、急に降り出した雨のせいでぐちゃぐちゃになった時の記憶。あの時から静音は強かった。幼稚園の中でも内気で、いつも絵を描いたり本を読んでいた俺は、格好のからかいの的だった。本やクレヨンを隠されることは日常茶飯事で、大人しく言い返せない性格だったから、何かあるとすぐに責任転嫁され、不条理を味わった。


 その当時、俺にとってのヒーローは静音だった。体格が上の相手にも怯まず立ち向かい、腕力が通じなければ持ち前の明るさで周囲を巻き込み事態を解決した。

 それも、小学校に入学すると終わる。妹の美沙希が生まれて程なく、静音の母は蒸発し、家の全てをおじさんがすることになり、もともとしっかりしている静音は、自分が美沙希の母代わりになるんだとばかりにより一層自立するようになった。

 俺も、守られていたこと、静音に何もしてあげられないことが悔しく、人一倍運動して、食べ、眠った。気がつけば体は勝手に成長し、静音をはるかに超えた。そんな今でも、静音には敵わないと思うことがたくさんある。俺は、あそこまで人のことを自分のように想うことができるだろうか。

 6人と荷物が満載されたミニバンの中、そんなことを考えながら俺は流れる風景を目で追った。



「夏休み中にさ、キャンプ行こうよ!」

「キャンプ!? 行きたい行きたい!」

 高校二年の夏休み、俺の部屋で夏季課題を片付けていると、静音が提案した。

「私の家ね、結構キャンプとか行ってるんだけど、それで今年はみんな連れておいでってお父さんが。事故の時のお礼も兼ねて」

「しずちゃんのお父さんキャンプできるの? 意外」

「お父さんね、私たちより色白なのにアウトドア大好きなの。ずるいよね」

 静音と優有は、楽しそうに笑い合う。優有の怪我以来、より強い信頼関係を築いているように見える。それに、優有はたまに半袖のシャツやショートパンツを着るようになった。痛々しい傷跡は化粧品で薄くカバーしているが、どうしても消しきれていないところもある。それでも、優有は時と場所を選び、自分をあまり隠さなくなった。

「キャンプかぁ。俺行ったことないんだよね。ウチ超インドア派なの」

 今年は俊琉もいる。相変わらずこいつは本心が見えない。見えないが、自分から他人のあることないことを話したり詮索しないので、信頼はできる。

「俊琉くんもおいでよ。多分大丈夫だと思うけど、お父さんに訊いてみるから」

「まーじで? 夏のイベント確保ぉ!」小さくガッツポーズを決める。

「それじゃ、おじさんと俺と俊琉でちょうど男女3人ずつだな」

「お? 女子もう一人? 誰?」

「私の妹だよ。ちな小四」

「あちゃー、小四かぁー!」

 俊琉が大げさに頭を抱える。俺の部屋に笑い声が響く。

「そういえば優有はキャンプやったことあるん?」俊琉がペンの頭を軽く優有に向けて訊く。

「わたし、実はここに比べると田舎の生まれでね」

「知ってる」

「あれ、そうだっけ。だから外遊びは任せて」

「マジかよー! なんか心配になってきたわ」

「なんだとー?」



「うんー……。森の匂い!」

 キャンプ場に到着した車から降りると、優有は大きく伸びをして言った。よく自然の匂いとか聞くが、正直どれがどの匂いなのかわからない。あいにく子供の頃から整備された場所しか知らなかった。山奥の、森と川に囲まれたキャンプ場だ。何度か連れて来てもらったことはあるが、最後に来たのは小学校低学年の頃だろうか。

「優有ちゃんはクサイって言わないんだね。苦手な人もいるでしょ」

 おじさんが笑いながら運転席から降りてくる。運転お疲れ様です。

「わたし結構好きですよ。腐葉土の匂いとかワクワクします」

「お、やるねえ」

 道中の会話で、優有が見かけによらず外遊びが好きなことを聞いたおじさんは上機嫌だ。どうやら静音達は、あまりアウトドアに興味がないらしい。体を動かすのは好きな姉妹だが、キャンプや登山といった自然と触れ合うのは得意ではないそうだ。

「眞鍋おまえわかる? 腐葉土の匂いって」

「いや、ぜんぜんわかんね。腐ってんじゃね?」

 俺と俊琉が疑問をぶつけ合う。

「わかんない? なんかちょっと甘いような酸っぱいような」優有が口を出す。

「「わっかんねえなぁ」」

「ええー?」

 優有はTシャツとショートパンツの下に迷彩柄のインナーを着込み、いつぞやのアロハなチューリップハットを被っている。柄の渋滞だ。

「それじゃ、荷物下ろして設営しようか。男子チームは手伝ってくれるかな?」

「あっ今行きます。おじさん」


「それじゃ、わたしが組み立て方を説明するから、二人ともテキパキね」

「なんで優有は動かないんですかー」俊琉がわざとらしく頰を膨らませる。

 優有は鼻で笑うと、肩をすくめニヒルな演技で言う。

「手がね、届かないのだよ……」

「アハハ! それじゃしょうがない」

 今回のキャンプは男女でテントを分けている。道具類はほとんどおじさんから借りているが、素人ではどうにもならない。そこで、優有が男子用のテントを組み立てる指示を出し、おじさんと静音達が女子用テントを組み立てることになった。


「そうそう、そのポールをここに通して、反対側の穴に固定して。そしたらグッと曲げてこっちも固定する」

「ええーこれ折れねえ? めっちゃ曲がるよ?」

「曲がるようにできてんだろ。きっと」

「はい。よくできました。それじゃ向こう側もおんなじ感じで、今のとクロスさせるように」


「おー、立った。テントが立った!」

「はい俊琉くん、このポール持って」

「アッハイ」

「そことそこに固定したら、次これ。テントのカバーみたいなやつを上からかぶせる」

「確かにこれは優有じゃ手が届かないわけだ」

「寝袋の中にカエル入れてやる」


「最後に位置を微調整するから、風で飛ばないように抑えてて」

「「へーい」」

「おじさーん、こっちのテントの位置は大丈夫そうですかー?」

 優有がおじさんに駆け寄り、なにやら相談している。


「女子用のがワンポールなんで、男子用のを動かして調整しましょう」

「そうだね、間にタープを張ってリビングにしようか」

「おおーかっこいいですね」

「ロープの結び方はわかるかな?」

「おまかせください! 父にだいたい仕込まれてるので」

「ははは、頼もしい」


 明らかに経験者同士の会話だ。俺は俊琉と目を合わせると、俊琉がにへらと笑う。

「こりゃ俺たちお荷物だな」

「力仕事ぐらいはしようぜ」

「せやなー」


「昔からヴェルヌとかいろんな冒険記とか読んでたんですよー」

「おやおや、筋金入りだねえ」


 優有とおじさん、会話が盛り上がり手が止まっている。そこへ静音がやってくると、おじさんの腕をはたき、優有に優しいデコピンを食らわす。

「口より手を動かす! 日が暮れちゃうよ!」

「アッハイ」

 そこから優有が戻ってくると、再び指示を出す。

「テントの位置だけど、もうちょっとこっちに来れる? そう、下に敷いてるシートも一緒に」

「「うぇーい」」

「はいストップ。じゃあペグ打っていこうか。多分そこらへんの石でいけると思う」


「でーきたー」

 ようやく全ての準備が終わった。

 女子用の三角形のテントと、男子用のドーム状のテントの間に、タープと呼ばれる幕が上手いこと張られている。そしてその下にはテーブルや椅子、バーベキュー用コンロなどが綺麗に収まっていた。それぞれ荷物をテントの中に入れると、ようやく一息つけそうだ。

「おとーさん、テントの中暑すぎる」美沙希が滝のような汗をかきながら、テントから這い出てくる。

「あはは、日中はタープの下にいなさい。風が気持ちいいぞ」

「お父さんもうビール飲んでる」

「いいだろー、お父さんのたまの贅沢だ。川で遊んできてもいいぞ。バーベキューの準備はしておくから」

「はあい」

「川遊びか! テンション上がってきた!」

 俊琉が叫ぶと、一度テントに戻り水着姿で飛び出してきた。

「美沙希ちゃん! 早速いこうぜ!」

「ロリコンかよ」

「ちげえやい!」


 キャンプ場の隣には綺麗な川が流れていて、自分たちの他にも川遊びを楽しむ人々がちらほらいる。夏真っ盛りにはもってこいだ。

「ゆーちゃんどうしたの、そんな険しい顔して」

 Tシャツにスポーツ用のハーフパンツを履いた静音が、さっきとほとんど変わらない格好の優有に問いかける。足元がサンダルになったくらいだろうか。

「いやあ、この河原虻がわいてるなって……。しょうがないか、夏だし、キャンプ場だし」

「確かにさっきから飛んでるね……」

「俊琉みたいに海パン一丁だといつか刺される。あいつらめっちゃ動いてても刺してくるからきらい」

「苦い経験が?」

「まぶたを刺されて真っ赤に腫れたことが」

「あららかわいそう」

 河原から眺めていると、俊琉と嶺、美沙希の三人が川に入りはしゃぎ声をあげている。涼しげで楽しそうだ。

「ねえゆーちゃん、私たちもいこ?」

 静音が笑いかけると、優有は神妙に頷き、頭に水泳用のゴーグルを装着した。

「潜ってれば刺されないでしょ」

「おーいいねー私もゴーグル持ってくればよかった」

「ちょっと上流から潜って流されてくるね」

「えっなにそれは。泳がないの?」

「泳ぐと疲れるから、いつも流されて遊んでた」

「ちょっとなにそれゆーちゃんおもしろ」

 二人で笑い合うと、川の手前で別れる。優有は少し上流まで行き、流れの緩くなったポイントから入水した。

 清潔でピンと冷たい水が心地よい。地元の川と若干勝手が違うことに戸惑いながら、ゆっくりと腰まで浸かる。その状態で何度か腕や肩を回すと、ゆっくり息を吸い込み潜水した。

 若干淵になっているため、流れは緩く、水面から差し込んだ光が水底へ複雑な模様を描いている。水中に沈んだ大きな岩の影に、何匹かの小魚が逃げ込む。ヤマメの稚魚だろうか。ハヤの仲間かもしれない。

 しばらく観察していると、肺の空気が足りなくなってきた。一度立ち上がり、しっかり空気を吸い込むと、ふたたび水中へ戻る。両腕で水をかき、さっき魚がいた岩へ向かい、下を覗き込んでみる。

 小さいハゼの仲間が岩の隙間から、飛び出した両目でこちらを見ている。

 ——あら、おじゃましました。

 小さく笑うと、気泡が水面へのぼっていく。久しぶりの水泳に気分がいい。満足すると、浅瀬へ移り、大き目の石をひっくり返す。超インドア派だという俊琉を脅かしてやろう。いくつか石をひっくり返し、何匹かの川虫を捕まえた。潰さないように手を握ると、指の間で蠢く様子が伝わりこそばゆい。そのまま流心へもどると、水に身を任せ、静音たちが遊んでいるあたりまで流されていく。自分より先に肩先まで伸びた髪が流れていく。おもしろい。ひとりでくつくつと笑った。


「あっ見て。流しゆーちゃん」

「なにやってんだあいつ」

 上流から流されてきた優有が、浅瀬で遊んでいる俺たちにザバザバと近づいてくる。Tシャツが透けているが、中に長袖のインナーを着ているので、あまり眼福とはならない。だが、どうしても濡れて透けたシャツにはドキリとしてしまう。男子高校生の悲しい条件反射かもしれない。

「ハァーイみなさんごきげんよう。俊琉くん、虫って大丈夫?」

「えっ俺? 別に普通」

「じゃあこれをあげよう」

 優有が俊琉の手を取り、何かを渡した。

 手と手が触れ合っていることに嫉妬してしまう。

「はい」

「えープレゼントぉ……、ってうわあ何これ何これ気持ち悪!!」

 自分の手のひらに渡された物を見た瞬間、俊琉は何かに慌てふためいた。

「あっはっはっはっ大成功ー!」

 どうやら上流で拾ってきた何かを使ったイタズラだったらしい。優有は顔を真っ赤にして、お腹を抱えて笑っている。なんというか、いつもの数倍イキイキしている。

「うーっわ今の何? 虫? めっちゃキモかった!」

 俊琉も笑いながら優有に何事かを訊く。

「こういうねー、河原の石をひっくり返すと虫がいるんだよ。よく釣りの餌にしててさー」

「ぎゃーゆーちゃん! やめて! ここで出さないで!」

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