ユウ・ゲット・ウェット

 初めてのライブ以来、優有は積極的にライブイベントに出向くようになった。それと同時に、聴く音楽の幅も大きく広がった。もともとメタル色の強い音楽が好みだが、関連するジャンルにも触手を伸ばしている。もっとも、ブレイクダウンやスクリームなどの奏法はハードコア由来のものも多く、ルーツを追う体験は優有の視野を広げた。

「先生、最近叙情系ハードコアにハマってるんですけど、何かおすすめありますか?」放課後、おなじみの社会科資料室のあるじである須藤先生に問いかける。

「叙情系ねえ。嫁がやってたな」

「彩芽さんが!?」予想外の名前に驚く。

「なんだ、面識あんの? どこで知り合った?」

「んふふ、秘密です」

 あの日、彩芽さんと先生のライブを観たことは先生に秘密にしてある。発案は彩芽さんで、理由は『なんとなく面白そうだから』らしい。

「なんだよニヤニヤしやがって。確かEP出した時にPVも撮ってたはずだな。見る?」

「ぜひぜひ」

 先生はくるりと椅子を回転させると、私物のマックブックで動画サイトを開き、何かしら検索を始めた。ちなみに、ネットワークも自前のWi-Fiらしい。

「あったあった。これよ」

 再生ボタンをクリックすると、卓上スピーカーから音楽が流れ、画面には薄暗い廃墟の映像が映る。そこに、ドラムのアップから強烈なフィルインが入る。

「ギャー彩芽さんかっこいいー!」

「えっなに庄子おまえキャラ違くない?」

「いやこれたまんないですね! 速い重いエモいの三拍子ですよ!」

 思わずテンションが上がってしまう。実際にスピーカーから流れる音楽は、最近よく聴くジャンルにばっちりとハマり、求めていたものが満たされる満足感が得られた。意外なことに、ネットだと検索キーワードによって欲しい情報が得られないことが多い。特に音楽関係はジャンル名やスタイルが膨大すぎて迷子になりやすかった。

「おまえ、だいぶ明るくなったな。そんで図々しくもなった」

「えー、先生の勘違いじゃないっすかー?」

 白を切るが、確かに最近少し調子に乗っていたかもしれない。失敗する前に、少し反省しなければと思った。


 今日は、街の小さなライブハウスに来ている。メタルコア系のイベントがあり、そこそこ売れているバンドがゲストで出演するとのことで、喜び勇んでチケットを購入したのだ。実際にライブイベントに足を運ぶようになり、お金が出て行くスピードが半端ない。今まで使っていなかったお年玉などを動員しているが、いつかはアルバイトなどで資金を調達しなければならないかもしれない。

「あっ竹中さん。こんにちは」

「おー、優有ちゃん。今日も来ると思った」

 いつも眠そうな顔をしている竹中さんとは以前のライブで知り合ってから、何度かライブハウスなどで遭遇している。聴いている音楽の傾向も近く、バンドの転換中などによく話すようになった。

「それにしても、随分ライブにハマってんね。結構なペースじゃない?」

「いやあ、あの衝撃が忘れられなくって」

 すこし理由が幼すぎるだろうか。

「あー、いいライブ観ると燃えるよね。わかるわ」

 どうやらおかしくないようだ。共通の認識を持てることに喜びを感じる。アンダーグラウンドな印象のライブハウスも、慣れれば居心地が良い。

「今日どんな感じでした?」

 学校が終わってから来ているので、途中からの入場だ。先に来ていたはずの竹中さんに状況を訊く。

「もう2バンドぐらいやったかな。なんか次のバンド、メタルコアだけどハードコア寄りでゴリゴリのビートダウンが売りみたい。これはフロアが荒れそうだね」

「ハーコーモッシュに巻き込まれるとめちゃくちゃ痛いですよね」笑いながら相槌を打つ。

「優有ちゃん結構アグレッシブに行くもんな。女の子なんだから、怪我とか気をつけなよ」

「なんだか竹中さん保護者みたい」少しムッとする。

「そんな気分にもなるよー、なかなかこういうライブに女子高生は来ないし」

「あはは、気をつけます。わたし、もうちょっと前で観ますね」

「うん。俺はなんか飲んでるよ」

 会話を終えると、もう少し会場の奥に進む。自分もベースを弾くからか、ステージ下手のPAスピーカーの前あたりが定位置だ。というのも、通常ライブハウスではベースを下手側にセッティングすることが多く、ベーシストを見るにはここが調度いい。あと、安全面からも、ステージより2メートルくらい離れて観るほうが良いと感じていた。

 ステージ上では、出番を控えたバンドが準備を進めている。楽器をそれぞれのアンプへ接続し、リハーサルで確認したセッティングに復元する。その間ボーカリストは柔軟体操をしたり、他のメンバーの手伝いをしている。ガヤガヤとしたフロアに対し、ピリッとした空気が張り詰めているようだ。特に話し相手もいないので、自然と作業を眺めることが多くなったが、バンドごとに雰囲気が違っていて面白い。このバンドはなんだか生真面目そうだ。各々がテキパキと動いている。


 ぼんやりと眺めていると、バンドメンバーがステージ中央に集まり、何かやりとりをしている。ボーカリストがフロアを向き、右腕を掲げた。すると、客席側の照明が落とされ、BGMが消えていく。フロアからは掛け声や拍手があがり、彼らのステージが始まりを告げる。


 さっき話した通りだった。メタリックなリフをそのままハードコアにしたようなサウンドだ。激しい縦ノリで否応にもフロアの熱が上がっていく。重厚なビートダウンパートになると、狭いフロアはハードコアモッシュで一気に危険地帯だ。気がつけば隣に竹中さんがいて、回し蹴りのような姿勢で突っ込んできた人を一緒に押し返す。これもまたライブの楽しみ方のひとつだ。

 何曲目かの演奏が終わり、ギターのフィードバックだけが会場に響く。MCは最低限で、ボーカリストは曲の間に水分をとっている。やっぱり、生真面目でストイックなバンドだ。一息ついたボーカリストが目で合図すると、それを受け取ったギタリストがハードコア直系のリフを奏でる。かなりテンポの速そうな曲だ。ステージ上手から、革ジャンを着た青年がステージに乗り上げると、勢いよく下手側へ駆け出した。ステージの柵へ足をかけると、そのまま身を捩るようなステージダイブ。


 そのとき、視界に何かが迫り、ゴツリと音がした。


「痛ッ!!」


 激しい衝撃に吹き飛ばされる。そのまま壁に背をぶつけると、立っていられずしゃがみこんでしまった。咄嗟に手で抑えた左目のあたりが激しく熱い。


「優有ちゃん!」


 竹中さんの声がかろうじて聞こえる。なにやら、数少ない女性客の悲鳴も聞こえてくる。顔の左半分に、柔らかな布を押し付けられた感覚。


 そして、この手に伝わると顔面のには馴染みがある。


「てめえこの野郎!」


 温和なはずの竹中さんの怒声が響く。いつのまにかバンドの演奏は止まり、会場の照明も戻っている。誰か、知らない女の人が肩を支えてくれているなか、右目だけの視界で眺めると、なにやら揉め事が起きているようだ。


「安全靴でダイブする奴があるかバカ野郎! あ!? 酔っ払ってんじゃねえよ!」


 どうやら、さっきの革ジャンの青年の足が直撃したらしい。

 竹中さんが革ジャンの胸元を掴んで詰め寄っている。誰かが制止しようとするが止まらない。


「大丈夫!? 立てる? 外出ようね!」

「あ……、はい」


 なんだか久しぶりの救急車だった。



 結局、左側の眉のあたりを何針か縫った。

 相当鼻血も出ていたが、こちらは幸い骨折などはなく、外傷としてはそれだけ。ただ、もう少し当たりどころがずれていれば、左目の視力に影響が出たかもしれないそうだ。最悪失明もあり得たという。

 病院では、迎えに来た祖父母にこっぴどく叱られ、意気消沈して帰宅した。



 そして、翌日。日常生活には支障ないため、通常通り登校するつもりだ。眼帯とガーゼで左目ごと覆っているからか、若干視界が狭いようだが問題ない。

「いってきます」

 心配そうに見守る祖母に対し、素っ気無く告げると玄関のドアを開けた。


 登校途中、いつもの場所で静音と待ち合わせ。静音は、なんだかひどく驚いた顔をしている。

「ちょっとゆーちゃん! どうしたのそれ! 何があったの!?」

 悲鳴のような声音で問い詰められた。なんだか申し訳ない。

「なんてことないよ。ちょっと転んじゃって」

「そんなわかりやすい嘘やめて。昨日あんなにライブのこと楽しそうに喋ってたじゃん。もしかして、喧嘩に巻き込まれた?」

「そんなんじゃないって。もういいよ、関係ないでしょ。はやく行こ」

「ちょっと、ゆーちゃん!」

 なんだか、気持ちを取り繕うのも面倒に感じ、冷たい態度をとってしまう。わたしはバカなんだ。放っておいてほしい。


 結局、ギクシャクしたまま、学校に着いてしまった。教室へ入ると、クラスメイトからざわめきが上がる。普段から親しくしている何人かが、心配げに声をかけてくれるが、ちょっとドジをしてしまったと言うと、追求はなかった。

 嶺も驚いた顔をしている。


「おい、優有。どうしたんだよそれ」

「だから、ドジしちゃったんだって」

「おまえ……。これ、見たか? 俊琉に教えてもらった」

 嶺がなにやらスマホを操作すると、とあるSNSのキャプチャー画像を見せつけて来た。誰かの投稿らしい。


 そこには、タオルで顔を抑え、うずくまる自分の姿が写っていた。


 顔こそ全て写っている訳ではないが、昨日着ていた白いシャツは血でグショグショで、床には飛び散った血が模様を描いている。相当にショッキングな画像だ。


「これ、昨日の……」

「やっぱりそうだよな、優有だよな。何があった?」

「これに、書いてある通りだよ。ダイブして来た人の足が当たっただけ。誰も悪くない」

 投稿には、昨日のライブハウスで女の子が酔っ払いのダイバーに蹴られ、流血しているといった、少々事実と異なる内容が書かれている。

「これ、ネットで炎上してんだよ」

 どうやら、この投稿が元で様々な議論や意見が吹き出しているらしい。


『ライブなのだから自己責任』

『ライブでの危険行為は禁止すべき』

『男の世界にノコノコやって来た方が悪い』

『写真を撮っておいて救護しないのかこのクズ』


「どうでもいい。なんでこの人たち、勝手に人の写真であーだこーだ言ってんの」

「ほんとうだよな。優有の関係ないところで勝手に何言ってんだって感じだよな……。でも、もっとほら、危なくないようにできないのかって。静音も心配して」

「うっさいな! こっちは好きでやってんだよ!!」

 わたしの叫びに教室が静まる。視線が突き刺さる。最悪だ。みんな優しいのに、その優しさを払いのけて怒鳴っている。頭の中がぐちゃぐちゃして、無性にイライラした。



「あと、庄子。清掃時間が終わったら進路指導室来い」

 終業のHRにて、須藤先生から呼び出しの旨を伝えられた。

 掃除中も、クラスメイトからやさしい心配の声がかかる。その度、イライラと情けなさが増し、どうしていいかわからなくなってくる。

 まともに受け答えできず、逃げるように進路指導室へ向かった。


「まあ、今回のことは警察のお世話になった訳でもないし、幸いネットの炎上の件も収まりつつあるみたいだな。これが制服だったりしたら一発でアウトだったぞ」

「はい」

「学校としては、生徒が怪我したりすると、なにかしら対応しなきゃいけない。反省文と1ヶ月のライブハウスへの出入り自粛だそうだ。ちゃんと守れよ。ったくなんで観てただけのおまえに処分を下すんだよって話だよなぁ」

「大丈夫です。わかりました」

 須藤先生はため息を吐き、ソファにどかりと身を委ねた。

「竹中から話は聞いたよ。最近よくライブ行ってたみたいだな。しかもかなり積極的に暴れてるみたいじゃん。若いねー」

「いいじゃないですか。楽しいんですから。先生だって、ライブで指怪我するくらい暴れてたじゃないですか」

 わたしはうなだれながら、ぶっきらぼうに言い返す。

「あんときか……。まあ、俺はいいんだよ。いい大人だから。でも、優有。おまえはまだ高校生だ。もっと自分を大事にしてほしい。おばあさんから相談を受けてるんだ。最近おまえの体に痣がある、学校で何かあったんですかって。全部ライブでできたやつだろ?」

「大人なら、何やってもいいんですか? わたしがまだ、大人じゃないから満足にライブも行けないんですか」

「そういうことじゃない、落ち着け。おまえたちはまだ高校生で、不自由かもしれないが、その分いろんなことから守られてる。ライブだって正直いい奴ばかりじゃない。お前はある意味運がよかったんだよ。守られたくないとか思っても無駄だぞ。そういう風にできてんだ、諦めろ。そんでな、陳腐かもしれないけど、高校生はまだ将来が選べる時期だ。台無しにするな。自分を労われ。あと担任の俺も労われ」

「じゃあ、どうすればいいんですか。好きなものも、諦めなくちゃいけないんですか」

「だーめんどくせえなおまえ。適度に付き合えっての。ダメなんて一言も言ってねえんだから。それに好き嫌いあるのはおまえだけじゃねえよ、16年生きてんだからわかるだろ。みんな、それぞれ自分を持ってる。そんな中で、自分が好きなものを大声で好きだって言い続けるのは、それなりに体力がいるんだよ。これは大人でも変わんねえ。むしろどんどんしんどくなる」

 須藤先生は、しっかりとわたしの目を見て言う。自分はどうだ、何か言う時、人の目を見れているだろうか。

「それに、菅原や眞鍋、武田だっているだろ。若者同士で切磋琢磨してくれー。今日1日、心配しっぱなしだって言ってたぞ」

 全て言い切ったのか、それとも意固地な態度に業を煮やしたのか、一度わたしの頭に手を置くと、大儀そうに立ち上がり退室していった。

 結局、どうすればいいかはわからない。苦しいものは苦しいし、ちっとも楽にならない。重い気持ちのまま、後を追うように部屋を出る。すると、相変わらず心配そうな顔をした静音と、バツの悪そうな顔の嶺がいた。


「しずちゃんに、嶺も。どうしたの」

「どうしたの、じゃないでしょ!」

 静音は一歩近づくと、わたしの肩を掴んで言った。

「今日1日ずっと心配だったんだから! 自分で好きなことするのはいいけど、それで周りに心配かけたり、挙句ウザがったりするのは最低だよ!」

 カチンと来た。

「なんでだよ! 俺の勝手だろ! 俺が死んでないだけの時、どれだけ助けられたか知らないくせに!」

「わかるわけないよ!」

「じゃあなんでそんなこと言うんだよ!」

 静音は苦しそうな顔をすると、絞り出すように言った。

「それは、ゆーちゃんが友達だからだよ。大切な友達に何かあったら、私は心配だから……。それだけじゃダメなの?」

 今度はわたしの息が詰まる番だった。

「音楽は、わたしにとって大切だから、他人に指図されたくらいでやめたりできないよ。わたしは好きなのもは好きって言い続けてやる。それでもいいの?」

 精一杯の強がりを込めて、静音の目を見て問いかける。

「それでいいよ! 当たり前じゃん! 私はゆーちゃんのそういうところも全部ゆーちゃんだと思ってるから!」

 静音がわたしを抱きしめる。どうしても、静音の方が背が高いから、抱きしめられるかたちになる。上気した体温と柔らかさ、息遣いを感じた。


「イエーイ! 青春だーいいぞー! もっとやれー!」

 廊下の奥から須藤先生が顔を出し、腕を振り回しながら野次る。

「ウッザ! あのバカちょっと懲らしめてくる!」

 嶺が駆け出し、須藤先生は顔を引っ込める。なんであの人、彩芽さんと結婚できたんだろう……。

「うわっ! ゆーちゃん鼻血! 大丈夫?」

「えっ、鼻血?」

 気がついたら、昨日の傷が開いたのだろうか、鼻血が垂れていた。いけない、静音のシャツにも付いている。大変だ。

「保健室! ほら、下向いて」

「いや、でも、しずちゃんのシャツに付いて」

「そんなの後でいいから行くよ!」


 保健室では養護教諭の先生に、安静にしろとしこたま叱られた。そしてふと、いたずらを思いつく。鼻血で汚れた自分の顔と、アイ・ゲット・ウェットのジャケットを表示したスマホを並べて静音に見せる。

 静音にも叱られた。

「私そういうところ好きじゃないな!」



【ライブ中の危険行為・事故について】

作中の表現は、ライブ中の危険行為について推奨するものではありません。

また、実際に安全靴による傷害事故の例もあります。

最低限のマナーを守り楽しみましょう。

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