スリープトーク 2
「いやあほんと日が短くなったねえ。ホラホラ、早くいくよ」
「んえー、待ってしずちゃん。靴擦れが痛くって」
泣き言をもらす。優有は先ほどの全力疾走により、両方の足に靴擦れができてしまっていた。
「あらら、大丈夫? 絆創膏貼る?」ポケットから絆創膏を取り出す。
「……やっぱりお母さんだ」
「ふざけてると怒るよ」
「ごめんなさい」
実のところ、優有のこういう態度は自分の心を紛らわすための強がりだということを静音は知っていたが、口に出しては台無しだとも思う。
「下タイツだから、家まで我慢する」
「ん。えらいえらい。じゃあゆっくり歩こうか。大丈夫?」
静音が優有の手を取り歩き出す。靴擦れに気を使い、歩調も合わせてくれている。
少しドキリとした。そういえば、女の子と手を繋いで歩いたことなどほとんどない。夏休みの美沙希の件は相手が小学生なのでノーカウントとして、静音も実はこういったスキンシップは控えめだ。そこが今までの自分でも付き合いやすかった要因ではあるが、今こうやって手を繋ぐと、どうしても意識せざるを得なかった。
「あらー、鼻赤くなっちゃってる。日が暮れると一気に寒くなるよねー」
「う、うん。寒いね」
喉が乾く。
空いている右手でマフラーを口元まで引っ張り上げ、すこしでも顔が隠れるようにする。たぶん、赤くなっている原因は寒さだけではない。そう思うと左手に伝わる体温が存在感を増した。
静音に手を引かれ、祖父母の家まで戻って来た頃、すっかり陽は落ちあたりには夕食の気配が漂っていた。
「お父さんご飯の続き作ってくれてるかな」
「あっ、もしかして、しずちゃん晩ご飯作ってたの?」
「そうそう。お父さん今日は早いはずだから、メッセージだけ入れてたんだけど、既読ついてるのに返事ないんだよね」
「うわ、ごめん。わたしがダメダメなせいで……」
「じゃあ明日、いろいろ期待しておく。ほら、帰った帰った。……もしも辛かったら言ってね。バイバイ」
「ありがとう。気をつけてね。また明日」
家の前で別れの挨拶を交わすと、静音は元陸上部らしいペースで走り去った。その後ろ姿が見えなくなると、優有は玄関の扉へ向かい合う。もしかしたら、もう二人とも帰ってるかもしれない、などと往生際の悪い期待をしてしまう自分が情けない。どちらにしろ、このまま外に居続けることもできない以上、腹をくくれ、自分。そう決意し、ドアノブに手をかけ、扉を開けた。
そこには、夕方と同じ二足の靴があった。
思わず息を飲む。なんとか声を絞り出し、「ただいま」とつげる。そこから、マフラーを外し、靴擦れの元凶の、未だに柔らかくなりきらないローファーを脱ぐ。ピリリと痛い。血が滲んでいるかもしれない。緊張と合わさり泣き出しそうだ。
そうしていると、廊下から祖母の声がした。
「おかえりさない、優有ちゃん。お母さんとお父さん、待ってたわよ」
「ただいま、おばあちゃん。今行くね……」
心臓が飛び出しそうだ。廊下の向こう、ドア一枚隔てたところから、かすかに話し声が聞こえる。両親と、祖父のものだろう。足取りが重い。リビングへの廊下が、ぎゅうっと遠ざかるような感覚に襲われた。いけない。目を閉じて静音の言葉を思い出す。きっと大丈夫。
そうして、リビングの扉を開いた。
「優有……、おかえり」
「……ただいま」
久しぶりに両親と目を合わせた。穏やかな目をした父と、なぜか泣き出しそうな母。しばらく立ちすくんでいると、祖父が口を開く。
「優有、カバンぐらいおろせ。ほら、こっちに座りなさい」
「はい」
肩にかけていたままの通学カバンを、ソファの横に置く。静音から貰った絆創膏をポケットにしまうと、少しだけ心強さを感じた。
そして、祖父の隣へ、スカートにシワがつかないよう正座で着席する。長方形のテーブルの長辺に、両親と対面するかたちだ。祖母は短辺側に座り、穏やかな表情で場を見渡している。しばらくの無言のあと、祖父が促す。
「私たちは先に夕飯を済ませてあるから、ゆっくりと話し合え。ずいぶんと時間がかかったな。あとは任せたぞ、智」祖父は優有と父に声をかけると立ち上がり、隣室へ向かって歩き始めた。
「すまない、親父」
「優有ちゃん、お腹空いたらいつでも言ってね」祖母が微笑み、あとを追って退席する。
壁掛けの、古びた時計の秒針が進む音だけが響く、息がつまるような空間。優有はいまだ二人を直視できず、テーブルの木目を眺めている。
「優有、久しぶりだな。体の方はどうだ。変わりないか」父がついに切り出す。
「……特に、なにもないよ」
自分でも驚くほどに消えそうな声だった。
「そうか」父はひとつ頷くと、母が言葉を繋ぐ。
「お義母さんと先生から聞いてるわ、ちゃんと友達もできて、しっかり学校も行ってるって」
「は? 先生からも聞いてる?」
「遠くにいても、私たち家族じゃない。あなたのことを見守りたいの」
感情が突沸した。
「なんで今更!! なんで今になってそんないい親ぶってんの!? だったらあの時、どうして助けてくれなかったんだよ!!」
テーブルに両拳を叩きつける。ソーサーに乗ったカップがガチャリと音を立てた。
「なんでおれを、なんで……、あのときずっと放っておいて!」
「優有、親として情けないことだと思うが、少しでもいい、話を聞いてくれないか」
涙のにじむ瞳で父を睨んだ。
「優有、おまえはあの時、医者も匙を投げるような状態だったんだよ。あまりにも稀有な病気で、いや、病気ですらないのかもしれないが、3ヶ月眠り続けた。父さんたち、本気で神様に祈ったよ。直前まで元気にしていた優有人を助けてくださいって。だから、意識が戻った時、心から嬉しかったんだ。でも、俺たちもボロボロだった。毎日、もしかしたら今、おまえの目が覚めてるんじゃないか、冷たくなってるんじゃないかと思い続けて、仕事も失いそうになった」
朧げながら、昏睡状態から回復した時の記憶を呼び起こす。確かに、両親ともにひどいやつれようだった。
「それから、おまえはしばらく自分に起きたことがわかっていないようだったな。まるで体と心がバラバラになってるようだった。退院してからも、あんなことがあって、父さんたちもこころが壊れそうだった。正直、学校に行きたいくないって言ったあのとき、少し安心したんだ。家の中なら安全だろうって。情けないだろ」
優有は退院後短い間だが、通学していた期間があった。その時は男子と女子、両方から疎外され、嫌がらせや暴行などのいじめを受け、次第に登校を拒否するようになった過去がある。
「そして、父さんと母さん、必死で元に戻れるような手を探してる間に、おまえは自分の殻にこもってしまった。おまえのためを想いながら、実際はおまえをしっかり見れていなかったんだ。今思えば、最後のチャンスだったんだな。あの時もっと寄り添っていればなんて、今でも夢にみる」
「何を聞いても答えてくれないおまえに、俺たちも途方にくれた。まるで死んでるような日々だった。かけてやる言葉も尽きてきた頃、お前はどんどん不安定になっていって、母さん毎日泣いてたよ。この時期かな、救急車にも乗り馴れただろ」
どうやら間に砕けた態度を織り交ぜるのは父親譲りらしい。母が睨みつける。
「そうしてな、親父から話があった時、もう限界だと思ったんだ。おまえにその気があるなら、俺たちは一度離れた方がいいって。母さんと話し合ってそう決めたんだ。そんな時、おまえは一人、自力で力を取り戻していた。本当に未熟な親ですまない。俺たちよりよっぽど強く育っていたんだな、優有」
ひとしきり語り終えた父は、肩の重荷が取れたような顔をしている。腹が立った。
「つまり、ぜんぶただのすれ違いだったってこと? おれには父さんと母さんしかいなかったのに……」
語気を強めたが、勢いは続かなかった。
そうだ。本当にただ、言葉が、ふれあいが足りなかっただけだった。静音の言う通りだった。そんな簡単なことで、こんなにもすれ違ってしまえることに驚く。空しさに似た悲しみが心に流れ込んだ。
「ごめんなさい、優有。本当にごめんなさい。できるなら、これからもあなたのお母さんとお父さんでいさせて。少しでも、今までのこと、これからのことを見守らせて……」
母が身を乗り出し、優有の手を取り訴えるが、もう優有の耳には届いていない。重ねた手に、大粒の涙が滴る。小さな嗚咽から始まり、次第に肩を揺らし、声をあげて泣きじゃくる。優有を支えるように父と母が寄り添う。数年の間離れていたかのような家族の温もりに、しばらく涙は止まらなかった。
「優有、ずいぶん優しい顔つきになったのね。あら、可愛いピアス」
母が慈しむように頭を撫でながら、真新しいピンクゴールドのピアスについて問いかける。
「んっ、これ、しずちゃんと開けた。学校のっ、友達の」
嗚咽の間を縫うように答えた。
「そう、素敵なおともだちね。お母さんにもっと聞かせて。どんなひとなの?」
ようやく涙がおさまったころ、遅めの夕食をとった。すっかり泣き疲れてしまったため、即席のお茶漬けで済ましてしまう。なんだか最近泣いてばかりいる気がした。
「そういえば、優有のこの制服姿を見るのも初めてね。似合ってるじゃない」
「おまえはその制服でよかったのか?」「ちょっとお父さん」母が咎める。
優有はコップの水を一口流し込むと、ぽつりとかえした。
「これはこれで……、結構気に入ってるから」
「そうか。それならいい。どんな服を着てても、お前は俺たちの子供だからな」
「……、うん」
その後、今までの隙間を埋めるには到底足りないが、会話を続けた。二人は今日、市内にホテルを取っているらしく、これからそっちに帰るらしい。また、今後は定期的に両親のどちらかが様子を見に来ることが決まった。親子の関係は、元どおりとは行かないが、回復の兆しを見せている。
『ちゃんと話せたよ! ありがとう!』
静音にお礼のメッセージを送る。すっかり擦りむけてしまった靴擦れには、いつのまにか握りしめてくしゃくしゃになった絆創膏を貼った。またひとつ、前に進めただろうかと自問する。本当に、一人じゃ何もできない自分に嫌気がさすが、案外こんなもんかとも思う。羽毛布団の中で丸まりながら、ふふっと笑った。
ちなみに、翌日のクリスマス会は寝坊した。
「わたしのバカー! おっちょこちょい! ポンコツー!!」
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