スリープトーク 1
月日は慌ただしく過ぎ去り、気がつけば師走。近年急速に市民権を得てきたハロウィンが終わったと思えばもう冬だ。木枯らしにより、すっかり裸になった街路樹が寂しげに見えた。よく晴れた日が続いているが、冷え込みは日々強まり、年の瀬を肌で感じる。優有は教室の机の下、若干の底冷えを感じ足をすり合わせる。タイツのデニールを限界まで上げた方がいいかもしれない。いくぞ男の110デニールだ。いや、男はタイツを履かないか。また、制服のブレザーの下にカーディガンを着てはいるが、いまいち暖かさが足りない。いっそのことフーディーでも着てしまおうか。生徒手帳には、ブレザー内に着る防寒着の種類について明確に定義する項目がないため、生徒は自由な組み合わせで制服を着用している。そのなかでもフーディーは定番のようだ。新しく買ったやつが、学校でも着れそうな、大人しめのデザインなのでちょうどいいかもしれない。
「微妙に廊下側も寒いんだよなあ」授業の間、休憩時間。思わずぼやく。
「ホッカイロいる? めっちゃ買ってるから一個あげる」前の席の男子が振り返り、使い捨てカイロを恵んでくれた。
「おーありがとう長谷川くん。かわりに、はい。飴ちゃんあげる」
「庄子って結構食べるよねー」
結局、文化祭の準備や開催期間、その打ち上げを経たため、クラスメイトとは雑談をするようになった。普通にしていれば優有もおとなしそうな女子高生の一人なのだ。もっぱら先生が1番の問題児だと評判のクラスだったので、時間はかかったがようやく馴染んできている。入学から半年以上経過しているが。
なお、最近は空気の乾燥がひどく、喉を労わるためにのど飴を常備している。先ほど長谷川へのお礼にあげたのもそれだ。通学カバンの内ポケットに大袋のまま突っ込んである。祖母が「食べ盛りだから」と用意してくれる、女子にしては大きめの弁当と合わさり、小柄ながらよく食べる子、というキャラが確立されつつあった。実際に通常の女子より食い意地が張っている自覚はある。しかし、食べた分はどこへ消えているのか、体つきに変化はなかった。
優有は、ハロウィンに静音と開けたファーストピアスを気にしながら、落ちてくる髪を耳にかけ直す。この授業が終われば今日はもうおしまい。暖房の効いた教室は午後になると空気が淀み、すぐ眠くなってしまう。油断して居眠りしてしまいノートに不備があると、嶺に勉強を見てもらう際に注意される。背も高く、ちょっとつっけんどんなところのある嶺に、マンツーマンで叱られるととても居心地が悪い。それは嫌だ。そんな心意気で授業の残りを耐え切ると、スピーカーが解放のチャイムを奏でた。
「はーいHRはじめまーす。みんなお口チャックしようねー先生声出ないんだよ」
1日の授業が終わり、ガヤガヤとした教室。須藤先生はいつの間にか教壇に立ち、手を2回叩いてホームルームの始まりを伝える。
「たかぴー先生声ヤバ。風邪?」「朝のHR阿部先生だったから休みかと思ってた」クラスメイトが須藤のガラガラ声に茶々を入れる。
「インフルかと思ったら普通の喉風邪だったわ、くそー。みんなも気をつけろよ。今風邪引くと年末年始丸かぶりだからなー」
マスクをしているため、呼吸の度にメガネが若干曇る。いつものジャージは一番上まで閉められており、重ね着のセーターのせいか着膨れを起こしていた。
「あー、そうだ。クラス替えについての連絡。職員会議を重ねた結果、来年度から、二年次への進級に際し、クラス替えは行わないことになりました。三年次への進級に関しては、文理選択などの希望進路によって振り分けられるので、そのつもりで。後日カリキュラム等変更についてのプリント渡すから、保護者の方に周知するように」
「おー」「じゃあこのクラスで修学旅行?」「先生も同じ?」
「そうだよ来年も俺が君たちの担任だよ。担任めんどくせえから誰か代わってくれぇー」
力なく教員用の机にもたれかかる須藤の姿に笑いが起こる。
どうやら、馴染み始めたこのクラスで来年度も過ごせるらしい。優有は素直に嬉しいと思った。
「今日で学校も終わりかー。早いねー」
「うん。あっという間だった」
今年最後の学校を終え、教室で静音と談笑しながら帰り支度をする。学校指定のオーバーコートはないため、それぞれ思い思いの上着を着たクラスメイトたちが教室を後にしていく。随分と日も短くなり、すでに窓の外は西日で色づいていた。厚ぼったいウールのAラインコートに袖を通すと、カバンを手に取り教室を後にする。
「いやあ来年もおんなじクラスで安心だね。修学旅行も一緒だし。京都だっけ、私行ったことなーい」
「ほんとに安心した。もしクラス違かったら毎日遊びに行こうと思ってたもん。修学旅行か……、想像できないや」
「来年の11月だもんねー」
昇降口を出ると冷たい風が二人を出迎える。
「うひー寒いー」「寒いー」
寒さで思わず身が縮こまる。
「ゆーちゃんのタイツめっちゃ分厚いよね。何デニール?」
「これね、裏起毛の160。超あったかいよ」
「やっばーそれもうズボンじゃん。可愛くなーい」笑いながら静音が言う。
「そうなんだけどねー、見た目より防寒重視。風邪もひきたくないし」
今なら、真冬にも関わらず生足や薄めのタイツにこだわる女子の気持ちもわからなくはない。ただ、これまで長ズボンで生きてきた経験から、真冬の薄着は耐えられなかった。そこで見つけたのが裏起毛タイツである。その辺のズボンより暖かく、スキーなどにもいいかもしれない。近場の量販店で見つけてから愛用している。
「あっ、そうだ。明日のクリスマス会、私の家に11時集合ね。 美沙希がケーキ作るって張り切ってるよぉ」
「りょうかーい、11時ね。美沙希ちゃんケーキ作れるんだ」
「いやいや、ほとんど作るの私だよ。美沙希は横からちょっと手伝うだけ。あの子飽きっぽいんだ」
「ふふ、そうなんだ」
校門を出ると、いよいよ休みへの開放感を感じざるを得ない。
染み入る寒さと裏腹に、気持ちは弾んでいた。
静音と別れ、もうじき家へ着くだろう。
今日はこれから明日のプレゼント交換のための仕込みをして、おばあちゃんの手伝いをして、お風呂に入って、早速寝てしまおうか。それとも明日から休みなのをいいことに、夜更かしでもしようか。確か、まだ読んでない本がいくつかあったはず。積ん読解消もいいかもしれない。
そんなことを考えながら、玄関の扉を開ける。鍵はかかっていなかったので、祖父母のどちらかは在宅しているだろう。
「ただい、ま……」
こじんまりとした玄関に、見慣れぬ靴が二足。黒いパンプスとブラウンのビジネスシューズ。しかし、このビジネスシューズには見覚えがあることに一瞬で気がついた。「ただいま」の言葉尻が壁に吸われる。
父の靴だ。
——どうして? 両親がここに?
唖然としていると、玄関から続く廊下に二人分の影が現れる。
「
二人同時に声をかける。
自分の名前を呼ぶその声が耳に届く前に、優有は踵を返し駆け出していた。
——どうして今更! なんで!? なにしに来たんだ!
自分が一番辛かった、一番誰かにいて欲しかった時に、何もしてくれなかった人たちが、なぜ今更自分の前に姿を現すのか。すべて見限って、ようやくやり直せると思っていたタイミングで、一体何が目的なんだ。
驚くほど頭は冴えているが、久方ぶりの全力疾走に息があがり、足がもつれる。自分の体力のなさを呪う。もっと勢いに任せ、遠くまで走っていきたかったが、息も絶え絶えたどり着いたのは近所の児童公園だった。ふらふらと公園の敷地に入ると、木陰に古びたベンチを見つけ腰を下ろした。今まで足りなかった酸素を補うように肺が空気を求め、肩で息をする。冷たい汗が額を伝い、得体の知れない不快感が襲う。目を閉じ、汗をぬぐい、両手で顔を覆った。
しばらくそうしていると、ようやくあがっていた息が整い、体に篭った熱が逃げていくのを感じる。一つ息を吐き、周囲を見渡した。誰もいない、夕暮れ時の公園。いくつか住宅をまたいだ主要道から、往来のノイズが薄く聞こえる。背もたれに体を預けると、首にかけたままのヘッドホンを、恐る恐る外した。両親から最後にもらった、手切れの品。急に恐ろしくなり、急いでカバンの中にしまった。
「どうしよう……」
胸が苦しいのは走った後だからだろうか。どうしようにもいたたまれなくなり、縋るようにSOSを発した。
優有からのメッセージを受信した時、静音は妹の美沙希と夕食の準備に取り掛かろうとしていた。
「しずねえ、スマホ鳴ったよ」
「んーありがとう。ちょっと待ってね」静音は研ぎたての白米を炊飯器にセットすると、テーブルの上に置いたままの端末を手に取る。
そこには、ひとこと「たすけて」というメッセージが表示されていた。
「ゆーちゃん? どうしたんだろ……」
スマホのロックを解除すると、慣れた手つきでアプリを起動する。若干の起動画面がもどかしい。起動が完了し、優有のアカウントをタップしてメッセージ画面を呼び出す。そして表示されたメッセージは簡単なものだった。「たすけて」のテキストのみが送られてきている。あまりのシンプルさに血の気が引く。何かの事件に巻き込まれたのかも知れない! あわてて通話ボタンをタップすると、程なくして優有に繋がった。
「ゆーちゃん!? どうしたの? 大丈夫!?」
静音は優有の居場所を聞き出すと、急いでエプロンを脱ぎ去り、美沙希へ言付ける。
「ごめんね美沙希。私ちょっと出かけてくるから、ご飯ちょっとだけ待てる? 多分お父さんがそろそろ帰ってくるけど、連絡があった時以外にドア開けちゃダメだよ」静音は父との連絡用のスマホを美沙希に手渡す。
「う、うん……。わかった。お姉ちゃんどこ行くの?」剣幕に気圧されつつも美沙希は、必要最低限の行き先を聞き出そうとする。
「ゆーちゃんのところ。今すぐ行かなきゃ」
静音はオレンジのパーカーを羽織るやいなや家から飛び出した。
静音とのやりとりから、どれくらいたっただろうか。フリースの手袋に包まれた指先はすっかり冷え切り、吐く息は白さを増した。
ふと、目の前に誰かがやって来た。両手に缶入りのホットココアを持っている。静音だ。
「はい、ゆーちゃん。冷えたでしょ。あげる」
「しずちゃん……、ありがとう」力無い声で受け取る。
「そこに座ってるのが見えたから買って来た。で、どうしたの?」
静音はベンチの隣に腰を下ろし、缶のプルタブを開け、熱そうに息を吹き込む。
「ほら、ゆーちゃんも飲んで。私は味方だよ」
「あのね、さっき、家に帰った時——」
鼻をすすりあげると、優有はいきさつを話し始めた。
「なるほど、ゆーちゃんは逃げちゃったんだねえ」
言葉にされると情けなくて返事ができない。
「お父さんとお母さん、心配でやってきたんだと思うけどなー」
「そんなこと、じゃあなんで今更……」
「さっき自分で言ってたけどさ、大学までの学費や諸々はお父さんが出してくれてるんだよね。公立校でも制服や教科書だったりお金かかるんだよ?」
「うん。そういう条件でこっちに来てるから」
「本当に家族の縁を切ったなら、そこまでする、普通? 離婚とかもしてないんだよね」
「してないって、おじいちゃんから聞いた」
「それじゃあ、やっぱりゆーちゃんの思い違いだよ! 絶対心配してるね! 大体ゆーちゃんは思い込みが激しいところあるし、ちゃんとお父さん、お母さんとコミュニケーションとったことある? 今までの話聞いてると、自分で辛い辛いって思ってるだけで、全然伝えようとしてないんだもん……」静音はすっかり空になったココアの缶を弄んでいたが、改めて優有の目を見て言う。
「大丈夫。ゆーちゃん、今までのこと、私や嶺にもちゃんと教えてくれたじゃん。だから、ちゃんと伝えてみようよ。親だって一人の人間なんだから、話さなきゃ始まらないよ」
「わたし、できるかな……?」
「いけるいける! 頑張れ!」
「うう……、どうしよう、吐きそう」
「マジか」
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