断章:ソーリー・ユース

 いよいよ夏休みが終わり、学校生活が再開したが、なかなかに頑固な残暑が居座っている。

 優有は夏休み中に交友を持った武田をきっかけに、ようやくクラスに関わりを持ち始めていた。とは言うものの、日常の挨拶程度で、「関わりをちょっと遠慮したい奴」から「まあよくいる目立たない奴」レベルの変化だ。また、思っていた通り、武田はその性格からか顔が広く、それとなく優有に対するイメージを改善していってくれた。

 そして、夏期課題の提出や前期の期末考査を終えた頃、高校生活最大のイベントの一つ、文化祭の季節がやってきた。とはいうものの、すっかり日陰側の人間になっていた優有にとっては、憧れがありつつもどこかしら憂鬱なイベントだ。文化祭のステージ発表でお気に入りのバンドをコピーする妄想をしてみるが、そもそも楽器が弾けない上にメタル系の音楽で盛り上がるイメージが一切できない。そのことについては、優有も学んできていた。大多数の人は洋楽の、さらには特定のジャンルの音楽に興味はなく、話を聞いてくれるだけでも幸運な方だと。


 試験後の席替えで、廊下側の壁際に移動した優有は、右腕で頬杖をつき漠然と教壇の方を眺めている。教壇には二人のクラス委員が立ち、文化祭に関する説明と催しものの募集をしている。クラスでもキラキラしている人種たちがしきりに意見と冗談を飛ばしているのを横目で追いながら、もしも自分がこのからだにならず、生まれ育った土地で高校生になっていたら、と考えてみた。ダメだ。あんな感じのグループに所属しているビジョンだけは絶対に見えない。そもそも、昔から若干斜に構えていて、どちらかというとおとなしい側の人間だった。先生からは暗すぎず、うるさすぎず、都合のいい子ども。なんとなく、今の境遇もぜんぶなるべくしてなったのかな、と思う。人一倍きらびやかな雰囲気の女子生徒を眺めた。校則にギリギリ反しない、もしくは反した装飾品やヘアアレンジ、短いスカート。自分とは正反対だ。髪の毛もほとんどいじらず、スカートは膝丈、せいぜいカバンにバッジやキャップをつける程度。今度ピアスでも開けてみようか。などと、思考を散らかしながら、遅々として進まない時計の針を恨んだ。


 ほとんど時間を無駄にしたようなすったもんだの後、優有のクラスはクレープと飲み物を出すカフェ兼休憩所のような模擬店を開くことになった。クレープといっても、冷凍の生地と出来合いのものを組み合わせた平凡なものだ。まあ、1年生の模擬店なので、これぐらいで十分かもしれない。さらに文化祭二日間のシフト表も出来上がっていた。どうやら誰かが気を使ってくれたのか、優有は静音か嶺と一緒のシフトだった。ありがたいが、ほとんど自分が関わることなく進んでいく。


 なんだか、全員が「こんなもんだろう」という意識でいるかのようだった。そこでは「誰か」が「何か」をしたいというような意思の存在は否定されている。それこそ、優有も何か意見があるわけではなかったが、そこはかとない居心地の悪さを感じた。


「なんだかモヤモヤする」

 テーブルを合わせて一緒に昼食を取っている静音に対し、思いを言葉にした。

「え、なに、ゆーちゃん、女の子の日の話? 今ご飯中だよ」

「いやいや違くて、文化祭の話」慌てて否定する。

「なんか、こんなに適当に済ますなら、別にやってもやらなくてもいいんじゃないかなって思って」

「あーその話。実は私もちょっと思ってた。でも、他のクラスもそんな感じらしいよ。うちの学校、3年生が2階の教室じゃん。だから一番人が入るのも3年のお店で、それに合わせて予算もやる気も増えていくんだって」

「そんなもんかあ」

 なるほど、腑に落ちなくもない。確かに、公立高校の特に見所もない文化祭にて、わざわざ最上階である1年生の教室へ足を運ぶかと言われると少し微妙だ。

「たかぴー先生が特別やる気ない訳じゃなかったんだ」実際に話し合いの最中、先生は窓際の椅子にどっかりと座り船を漕いでいた。

「それはなんか、自主性を育むためーとかで先生は口出ししないってルールがあるみたい」

「ふんー」優有は野菜ジュースのストローを咥えたまま相槌をうつ。

 そのままジュースを飲みきってしまうと、それぞれに後片付けを始めた。


「そういえばしずちゃん、ピアスって興味ある?」

「えー、ピアスー? なに、開けたいの?」

「やっぱりピアスくらい開いてた方がロックかなって」

「普通に可愛いのにしなさい。またちんちくりんって言われるよ」

「グエーひどい」

 なんてことのない穏やかな時間がすぎていく。しかし、モヤモヤはくすぶったままだった。


「失礼しまーす。須藤先生いますかー?」

 その日の放課後、社会科資料室へやってきた優有は、返事を待たずのドアを開く。

 はたして、そこには汗だくでエレキベースを振り回す須藤の姿があった。

「えっあっ失礼しました」

「馬鹿野郎逃げるな。ちゃんとCDを返せ」

「先生って……、ちゃんと仕事してるんですか?」

「してるしてる。超してる。さっきのはあれだ、衝動ゲージの発散だよ。一度発散すると仕事が捗る」

「へえ……」

 冷めた目線を送り、部屋の奥のスペースへ向かい、散らかった机の上に借りていたCDを置く。

「先生、CDここに置いておきます。ありがとうございました」

 優有に続きやってきた須藤に見えるようにCDを戻した。須藤はベースをスタンドへ戻しながら頷く。

「それどうだった。結構一押しのバンドなんだけど」

「嫌いじゃないです。ちょっと音が軽すぎますけど」

「低音ばっかりだと聴き疲れしねえ? おっそうだ、アイスをあげよう」

 須藤は机の下の小型冷蔵冷凍庫の扉を開け、ビニール袋に包まれたアイスを取り出す。連結されたコーヒー味のアイスだ。連結部を手で引きちぎると、片割れを優有に手渡す。礼を言い受け取ると、鮮烈な冷たさを感じる。部屋の空気がこもっているせいだろうか、はやく口に含んでしまいたい。

「どうぞ召し上がれ。いやー残暑でざんしょ、暑い暑い。今窓開けるわ」

「いただきます」

 言うが早いか、優有はアイスを口にしていた。うん、うまい。

「あ、そういえば、先生。この学校って、1年生の文化祭っていつもこんな感じなんですか?」

「んー、何が言いたいの?」

「えっと、なんかやる気がないというか、やってもやらなくてもいいんじゃないかって」

 昼食時に、静音に対してこぼしたのと同じことを伝えた。

「なるほどなるほど。意地悪じゃないけどさ、あの時間君は何か発言したか?」

「いや……、特に何も」少し居心地が悪くなり、俯いて上履きを見る。

「まあほとんど皆同じ感じだと思うけどね、先生は。加藤とか池田とかも冷やかし半分みたいな発言ばかりで、具体的な話は全部雰囲気で決まっていったね。だいたい毎年あんな感じだな、1年生は」

「じゃあ、3年生になったらそうでもないんですか?」

「んんー、どうだろうね? 中には本気で無駄だと思ってる人もいるかもしれない。そもそも、一つのクラスに30人以上の人間がいて、全員が同じ思いを共有するのは難しいと思うよ、実際。特に高校生なんて、自意識ばっかり高くて、そのくせ周囲の目が気になりすぎる生き物だし」

 須藤は自分の分のアイスを一気に流し込み、言葉を続けた。

「あっ頭キーンてきた。ちょっとタンマ。——よし。お前が何を言いたいかはなんとなくわかった。ムカつくんだろ、こういう空気とか環境が。浮ついた雰囲気でなんとなく楽しそうにしてるくせに、実のところ、みんなやりたいこととかが見えてこない感じ。わかるわかる」

「それです、その感じ」

「わかるわー。俺もそんな感じだったもん。へらへらしてる奴ら頭の中でバカにして、俺はみんなと次元がちがうなんて勘違いしてんの。だからモテなかったんだよな」

「いや、先生のそういう情報はいらないです」調子に乗らないよう釘をさす。

「とてもつらい……。先生がこんなこと言うのどうかと思うんだけどさ、しょうがないなあって受け入れるのが一番。特にお前は自分の柱がある分難しいかもしれないが、周りに合わせたからって、自分に落ち度なんてないじゃん。適当適当」

「考えすぎなんですかね……」

「もっと力抜いてもいいと思うけどね。せっかくの高校生活だし、良くも悪くも悩んだり楽しんだりは財産になるよ。試しにベースでもやってみる? 楽しいぜ」

 先生はそう言うと、スタンドに戻したばかりの楽器をじぶんに手渡した。


「右利きだっけ。そうそう、右のふとももに楽器を乗せて、左手はそんな感じ。いいじゃん、それっぽい。あとはこれ、ピックでドーンって。やるならこの楽器貸すよ。安もんだし持ってけ持ってけ。ヘッドホンアンプも付けてやる。弾き方は今ネットにいくらでもあるし、自分で音楽やってみるのもなかなかいいもんだぞ」

「おおお、いいんですか、先生。貸してもらっても」

「実は家にあと3本くらいある。知ってるか、楽器は増えるんだ」

 先生は無邪気に笑って、ベースについてをレクチャーしてくれた。


「ただ、スカートの時は足閉じた方がいいかもな」

「あはは、ほとんど男同士みたいなもんですし」

「お前がよくても絵面がよくねえ」

「なるほど」

 そうして優有はベースを始めることになった。


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