アナザー・モーニング
夏休みも順調に経過し、折り返しをすぎた頃、優有は焦っていた。なんなら、課題は全て終わり、祖父の店でのアルバイトも順調だったが、あるひとつのことが胸に引っかかっていた。
——静音にも全て打ち明けなければ。
成り行きではあったが、嶺は打ち明けたのに、静音に対して何もしないのは気持ちが悪かった。正直、全て話してしまうのは怖いが、それ以上に実感として、これ以上アンバランスな関係を続けたくないと思う。なにより静音は恩人だ。祖父母からは高校に入学してから、見違えるように明るくなったと言われる。それも全部、静音がチャンスをくれたからだ。たとえ今の関係にヒビが入るとしても、このまま隠し続け、より大きな傷を負うよりマシだと思う。そう思わなければやっていけない。
こんど、静音に面と向かって伝えるんだ。そう決意した。
その機会はトントン拍子にやってくる。夏季課題をやっつける会の後も、嶺の家へ集まり遊ぶことが増えたのだ。高総体も終わった嶺は、今年もとどまることを知らない猛暑のため部活が中止になりがちで、暇を持て余している。そんなタイミングなどに合わせて嶺の家に集まり、ゲームをしたり街に出たりを繰り返していた。
「次集まる時、静音に全部打ち明けたい」そう嶺にはあらかじめ伝えてある。嶺は、「自分で決めたことなら、したいようにした方がいい」とあとを押してくれている。一応、信用してもらえるよう、病院の診断書や中学の頃の学生証なども用意してみた。少し大袈裟だろうか。ただ、今まで「偽っていた」ことには変わりない。誠心誠意伝えてみる以外になかった。
そして、その時が来る。
今日は朝からしとしとと雨が降り続き、真夏にしては少し肌寒さすら感じる天気だった。まるで今までの自分を呪うかのような空模様に気分が塞ぎ込む。心なしか静音たちのマンションが城塞のように見える。いけない、気持ちが負けてれば伝わるものも伝わらない。行かなきゃ。
気を取り直し、インターフォンへ部屋番号を入力すると、呼び出しのチャイムに続き嶺の声が返事をする。自分が到着したことをつたえると、オートロックの自動ドアが開く。かっこいい。
もう馴染みのエレベーターだ。迷わず目的のボタンを押下し、ドアが閉じるのち軽い上昇感。それはあっという間に終わり、地上4階に吐き出される。心なしかいつもより廊下が長く感じる。胸につかえるような緊張感とともに歩く。最近こんな緊張ばかりしているが、いつまでたっても慣れない。
長く感じた廊下も気のせいで、特に感慨もなく目的のドアの前に立つ。少し肺に残った空気を吐き出すと、改めて空気を吸い込んだ。ドア横のインターフォンを押す。覚悟を決めなければ。
「静音はまだちょっとかかるってさ。適当に座ってて」
「はぁーい。あ、新しい漫画」
もはや定位置になりつつある、嶺の部屋、窓側の丸いラグにあぐらで腰を下ろす。やっぱり自室の次に落ち着く。なんとも都合のいい話だが、親族以外の理解者がいると安心できる。はしたなくなりすぎないように気を抜いた。
「この漫画、人死にすぎじゃない?」
「そんなもんじゃね? ゾンビものだし」
「うえー、読むのやめようかな。苦手なんだよね」
「そんなTシャツ着てるヤツに言われたくねー」嶺がたまらず吹き出す。
優有は気合いを入れるとバンドマーチの着用率が上がる。今日はちょうど女性のゾンビが前面にプリントされたTシャツだ。言ったそばから本人が矛盾している。
「いやあこれはバンドへの愛があってこその……」
「へーいお待たせみんなの静音ちゃんだよぉ」
「おー来た来た」
予想外のタイミングで静音が入室してきた。いつもの癖で、とっさに座り方を入れ替える。いよいよ正念場だ。
「さーて、今日はどうする? 雨だし、部屋でダラダラ?」静音が嶺のベッドに腰を下ろす。彼女もそこが半ば定位置だ。
「あー……、しずちゃん、今日はね、ちょっと言わなきゃいけないことがあって。聞いてくれる?」
「え……、何? ゆーちゃん何かあった?」
意を決して、自分から切り出す。無意識に正座までしていた。真剣な雰囲気を感じとったのか、えーなになに、と言いながら同じ目線の床へ座り直す。
「えっと、静音にね、わたしのことをちゃんと話さなきゃって。嶺はこの前倒れた時とかに伝えてあるんだけど、やっぱり静音にだけ黙ってるのも、嫌だから」
「えっちょ、何よー急に、何が始まるんです?」
「まあ聞けよ静音。な。優有、ゆっくりでいいぞ」
「うん。あのね、わたしね、実は——」
そこからは持参した資料や回想を交え、今日ここまでの経緯をゆっくり話していった。途中途中でコロコロと表情を変えて話を聞く静音を、元気のいい小動物みたいで可愛らしいと思った。実際には160センチを超えているため、優有よりはるかに高身長だが。
「つまり、ゆーちゃんは、原因不明の病気で女の子になっちゃって、それをみんなに隠してるってこと? それで、隠してることを悪いと思って今日こんな風に話してくれたんだ」
「そういう、ことだね。今まで黙っててごめん。つい2年くらい前まで男子だったこととか、自殺に失敗してることとか、もしも知られちゃったらまた、嫌われそうで……」あまりに静音がまっすぐ見つめるので、うまく目も見れず、言葉が途切れ途切れになってしまう。しばらくすると、静音はずいと身を乗り出した。
「そんなことない! ちゃんとこうやって教えてくれたじゃん! ゆーちゃんはいい子だよ!」
静音はしっかりと優有の手をとって言う。
優有はびくりと背を震わせ、静音を見つめ返した。静音の丸い瞳に映る自分と窓辺が揺れている。
「やっぱり、なんだか放っておけないって思ったのは正解だったんだ。だって女の子初心者じゃない! 生まれたてだよ!」
静音は真剣な眼差しで言い放つ。が、独特の言葉選びに耐えきれず、嶺が笑い出した。
「う、生まれたてって、もっと他に言い方あるだろっ」スマホをテーブルに投げ出し、座椅子から崩れ落ちるように笑っている。
「うるさいバカ嶺は黙ってて!」振り向きざま、静音の右が嶺の懐に突き刺さる。優有は一瞬の出来事に目を剥いているだけだが、無念、嶺は沈黙した。
「大丈夫安心して! これからは、私が先輩として手取り足取り女の子を教えてあげ……る。あれ、でも、そういえばゆーちゃん今まで普通に女の子……、あれ?」身振り手振りを交えて熱弁するが、尻すぼみになってしまう。
「あはは、ありがと。やっぱりしずちゃんでよかった。本当にやさしいね。妹さんがいるからなのかな」確か、小学生の妹がいると聞いていた。
ひとまず、自分のことはわかってもらえたが、これまで以上のお節介が約束されてしまったのは想定外だ。
「あっ、そうか、ゆーちゃんには言ってなかったっけ。ウチね、片親なの」
事も無げに静音は言った。
「えっ」唐突なカミングアウトに思わず凍りつく。
「妹が生まれてしばらくしてからね、お母さん蒸発しちゃって。それからずっとお父さんと私、妹で暮らしてるの。妹はまだ小3だし、私がほとんど母親代わりって感じかな。だから気づいたらこんなになっちゃった」
まるで失敗談を語るような、バツの悪い顔をしている。
「そ、そんな、すごいよ。いいことじゃん!」
思わず言葉尻が強くなる。そうすると、静音はすこし影のある笑みを浮かべた。
「痛ぇ、マジで痛ぇ……。まあ、隣同士ってこともあってさ、家族ぐるみの付き合いなんだよ、こいつとは」ダウンから復活した嶺が補足を入れる。長身の男子が身を折りたたんでうずくまっているのは面白い光景だが、あまりの容赦の無さに哀れみを感じる。
「
「そのまんまちっちゃい静音だよな」
「ほんとお転婆が服着て走り回ってる感じでさー、まったく誰に似たのか。だからゆーちゃん妹レベル高いよ。色白でちっちゃいし、……その服のセンスさえなければ」
「なっ、わたしからメタルをとったら何が残るんだ!」
「病弱」「メンヘラ」「イキリ」「隠キャ」
「ひっどい!!!」
ひとしきり笑いあったあと、3人でファミレスに行ってデザートを奢ってもらった。そして今週末、地元の夏祭りに行くことが決まった。
「ゆーちゃんさ、それ狙ってやってない?」
「いやあ、さすがに浴衣は恥ずかしくって」
「そういうことじゃないと思うぞ」
「お姉ちゃん服の趣味わるいね!」美沙希が初対面にも関わらずズバリ言い切る。
「美沙希ちゃん、ほんとしずちゃんにそっくり……」
夏祭り当日、夕暮れ時、一度マンションの前に集合した優有達の格好はまるでちぐはぐだった。静音ととその妹、美沙希はそれぞれ浴衣を着ている。静音が青い花柄で、美沙希がシンプルな白ベースの麻の葉柄。着付けまですべて静音がやったらしく、隠された才能を感じる。それに対し嶺は、すこしお祭り感のある柄物の開襟シャツに短パン、につま先を覆うタイプのサンダルを合わせている。涼しげな装いだ。問題は優有である。バンド名が刺繍されたフラットバイザーのキャップを被り、アームプリントの入った無駄にイカついロングTシャツにマキシ丈スカートを合わせ、靴はいつもの黒いスリッポンを履いている。曰く、どうやらスカートは最大限の譲歩らしい。相変わらずの気合の方向音痴ぶりだ。
「ほんと、ゴールデンウィークの時に見た服、ちゃんと参考にしてる? ゆーちゃんちんちくりんなんだからミスマッチすぎてヤバイよ」
「ち、ちんちくりんって……」
「そのまんまだろ。なんだこれ、後ろ髪結んでキャップの穴から出してんのか。小型犬みてえ」
「しずねえちゃんみたいに大っきくないし、変なの! 似合ってないよ!」
「こら美沙希、思ったことすぐ喋ると大変だよ!」
まるで袋叩きである。
「でも、これがゆーちゃんのスタイルだもんね。私にはできないし、かっこいいと思うよ」
「ほんとにぃ? 本気でそう思ってる……?」
「本気本気ー。それよりも、はやくお祭り行こ。小さい神社だけど人いっぱいくるからさ」
なお、音楽関係に関しては折れない心の持ち主である。優有は今後もバンドグッズを遠慮するつもりは毛頭なかった。
「あっ、そうだ、ちゃんと虫除け塗ってこうね。ほら、腕出して」
「はーい」
静音が声をかけると、生返事をした美沙希がその場で両腕を突き出す。もー、横着しないー、と叱りつけながらちゃんと腕に虫除けスプレーを噴射してあげている。おもしろそうなので、優有も隣に並び、両腕を突き出してみる。すると、嶺もそれに習って腕を突き出す。
「あんたたちは自分でやる! はいこれ!」
「あっはっは、本当にお母さんみたい」
「美沙希ちゃんいるといつもこんな感じなんだよ。面白いよな」
「もー! 置いてくよ! ほらほらほら」
ちょっとの間、嶺と笑いあっていたが、あわてて美沙希と手をつなぎズカズカ歩いていく静音を追いかけた。
「なんかもっと、こじんまりとしたの想像してた」
「そう? こんなもんじゃない?」
「いやあ、前住んでたとこのはもっとショボかったというか」
「隣町の花火大会とかすげえエグイぞ。出店でなんか買ったら一瞬ではぐれる」
「じゃあゆーちゃん美沙希とてー繋ご」なんていい子だろう。静音の教育が行き届いている。
「わぁーありがとー美沙希ちゃん。これで安心だねぇ」
思わず眉が下がってしまう。一人っ子だったため、初めての気分だ。
「あらあら、あらあらあら」静音が口元に手を当てニヤニヤしているが、無視に限る。
美沙希の右手側に静音、左手側に優有、嶺は一歩後ろを歩く。小さいとはいえ、神社の前の広場には、会場を囲うように出店が並び、そのまま参道まで続いている。一つ一つ見て回ったらそれだけで時間が経ってしまいそうだ。こんな夏祭りに張り切って出かけるのも子供の時以来のため、雰囲気だけでもワクワクしてくる。
ゆっくり歩きながら、出店を物色していると、人ごみの中に見慣れたメガネ姿が現れた。
「あっ、あれ須藤先生じゃない?」
「お、マジじゃん。というか私服ジャージかよヤベェ」
「おーいたかぴーセンセーイ!」一部の生徒は、須藤の名前をもじり『たかぴー先生』と呼んでいる。
静音が大きく手を振り声をかける。
「んー、なんだ菅原ー、このやろ、そういう風に先生を呼ぶんじゃありません! 他の先生も見回ってるんだからよお」
どうやら、先生方での見回りらしいが、右手には数個重ねたビールのプラカップが握られている。メガネの奥の、眠たげな目はさらに細まり、顔から首まで真っ赤である。
「うっわ先生、お酒くさーい。何時から飲んでるんですか」
静音がたまらず聞く。すると、須藤は無駄に真剣な顔で答えた。
「何時だっけ……? 提灯灯る前から飲んでたっけ? んんーまあいいだろ。ビールがあるのが悪い」
「ばかたれお前、4時からだよ。君たちこいつの教え子? ごめんねーこんなダメ人間が先生で。僕が代わりに謝っておくよ」
隣にいた友人らしき人物が須藤の代わりに謝る。年相応に落ち着いた、いたって真人間という出で立ちだ。軽くあしらっているのが、長い付き合いを感じさせる。
「いえいえ、なんだか先生がすみません。それじゃ、私たちいきますね」
「いやあお気遣いありがとう。あと、他にも先生いるのは本当らしいから、気をつけてね」
別れ際にかけられた声に、嶺がウス、と体育会系な会釈で返す。
「しずねえ、今の誰?」
「あのメガネでべろべろだったのが、私たちの学校の先生。なんか嫌なタイミングだなぁ」
「えー! 酔っ払いじゃん!」
静音以上に美沙希はズバズバ言うのではないかと、初対面からの短い間に察した優有だった。
無駄に高い焼きそばや鮮度の悪いりんご飴、舌まで染まるかき氷など、大分夏祭りを堪能した。美沙希も足が痛いとぐずり出し、そろそろお開きかというタイミングで、嶺に声がかかった。
「おー眞鍋じゃん、来てたん?」
「ん、武田か。ま、ぼちぼち帰るところだな。お前は?」
どうやら、嶺がクラスでつるんでいるグループの一人らしい。
「俺もさっき解散したとこ。なんだあ、ハーレムかあ?」
「ちげえよアホ」
「あっ、思い出した! 同じクラスの武田くん! 私わかる?」
「菅原さんと庄子さんでしょ。眞鍋とは小中同じなんだっけ。そっちは菅原さんの妹?」
「そうそう、私の妹。あとゆーちゃんとは高校からの友達」
「こいつ面白いよ。どんな雑なフリでも絶対拾ってくれんの」
「バカやめろ! そういうこと言うから皆んな俺の扱いが雑になるんじゃ! あと簡単に面白いとか言ってハードル上げるな」
素晴らしいレスポンスだ。少しのやりとりでも、気さくでいい人なのが伝わってくる。
「拾うけど面白いとは限らないもんな。悪い悪い」意地悪な返事をする嶺。
「ヤメロォ! 憐れむな!」
優有と美沙希はクスクスと笑いながら掛け合いを眺める。随分と親密なのだろう。大げさに頭を抱えていた武田は、ふと何かを思い出したかのように優有を見る。
「あ、そういえば庄子さん洋楽聴くんだよね。その帽子、なんだっけ、めっちゃ重いやつだよね?」その言葉に優有の目が輝く。
「え! 武田くん、エミュアわかるの!?」優有は語り出したいのを、辛うじてこらえる。
「兄貴がめっちゃ洋楽好きで、色々聴いてるんだよ。俺はポップパンク系が好きだけど、何かおすすめあったら今度教えてよ」
「うわー本当に? それじゃ、RAIL教えて! 今度ちゃんと話そうね」
「オーケーオーケー。そんじゃ、よろしく」
それぞれ、メッセージアプリの連絡先を交換して別れる。なお、連絡先交換中、静音が子供の成長を見守るように自分を眺めていたことに、優有は気づいていない。
そうして、若干空いてきた夏祭りの会場を後にした。
「いやあ、武田くんいいやつだな! 初めてリアルで洋楽聴いてる人に会った!」優有はわかりやすく舞い上がっている。
「あれ、先生も聴いてんじゃなかったっけ?」
「あ。カウントに入れてなかった」
悲しい現実である。しかしながら、生徒と教師では、個人差はあるが何か別な感じがした。
「たかぴー先生かわいそーう」「かわいそーう」静音がころころと笑いながら水風船で美沙希と遊ぶ。
「よかったじゃん。武田いいやつだし、コミュ障治るかもな」
「最近嶺の当たりが強い……」
心地よい疲れを感じながら、帰り道をゆく。まだまだ暑さは続いているが、いよいよ夏休みが終わろうとしていた。
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