こころを袖につけて 1
「私ブルータルデスメタルで頭ブッ飛ばさなきゃまともに日常生活も送れないような病み系JKなんですっ! て顔してんな」
「なんすかそのピンポイントな悪口。あとわたしあんまりブルデス聴かないですよ」
「そうなん? なんで」
「いやあ、なんというか、キャッチーさが足りないというか」
「すみません先生たち何話してるかわかんねぇっス」
夏休み直前、社会科資料室の整理を命じられた優有と嶺、部屋の主、須藤の3人は、埃の溜まった部屋をヒーヒー言いながら片付けていた。
「そもそも先生、こんな中途半端な時期に大掃除みたいなことしてるってことは、アレで注意でも受けたんですか」
優有が指差すのは須藤が占有している部屋の一角だ。ついにはエレキベースや電気ケトルまで増えている。いよいよ他の教員たちの目に余るようになったか。いい気味だ。しかしながら今は七月の中頃、ついに暑さも本番だ。エアコンのある教室はいいが、この部屋は北向きの窓が一面あるだけで風通りもわるい。しかも長らく使われていない箇所もあるため、ひどい状態になっている。なかなか厳しい環境だ。
ことの始まりは先日、終業のHRの際だった。
「えー、夏休みの前に、ちょっとね、資料室を整頓しなければなりません。ということで2人ほどお手伝いを募集します。きてくれた人にはアイスあげちゃう」
須藤が教壇から教室を見渡す。須藤の格好は、何かの柄が透けた半袖のワイシャツにスラックス。足元は裸足にサンダルになっている。教壇に立っていても全く教師には見えない。
須藤は汗でずり落ちるメガネを一度押し上げて口をひらく。
「じゃあ、適当に選びまーす。庄子お前帰宅部だろ。ちょっと手伝え。掃除機かけるだけでいいから」
須藤が優有を指差し告げる。そのタイミングで静音と嶺が『貧弱な優有だけではマズいのでは』と、アイコンタクトをとった。
「じゃあ先生、俺たちも行きます」嶺と静音が挙手して言う。
「んー、女子二人もいらねえな。よし眞鍋お前こい。俺よりでかいんだ頼んだぞ」
「ええー」
「それじゃ明後日の放課後よろしくな。眞鍋は陸上部だっけ。顧問の井上先生には借りるって言っておくから安心せえ。それじゃあHRおしまい。はーいみなさんさようならバイバイ」
「それにしても、めっちゃ自由ですね、この一角。ソファなんてどうしたんですか」
一度清掃のため運び出した資料をラックへ戻しながら嶺が問うた。
「そのソファ俺が独身時代に使ってたやつ。いらないから持ってきたんだわ。結構評判いいんだぜ」
「評判って、誰からのですか」
「知らない? ここ俺さえいれば適当にダラダラしていいことにしてんだよ。だからよくサボったりたかりに来るんだ、生徒も先生も。まあー最近は暑くてみんな来ねえけどな。アイスばっか食ってるわ」
「そんな、先生が人気あるなんて」
「ひどーい庄子さん、もうCD貸してあげないんだから! んもう!」
須藤は大げさにしなをつくった声と動きで非難する。まるで男子学生と同じレベルだから、確かに人気はあるのかもしれない。ごく一部から。なお、授業自体は好評である。
しかし、外はもうすっかり夏の様相、近頃じゃお馴染みの炎天下だ。いくら窓を開け放っても死ぬほど暑い。この国はいよいよエアコンが生命維持装置になりそうである。滝のような汗が止まらない。
「優有、汗やばいぞ。ちょっと休んでもいいぜ。俺やっておくから」
「あ、ありがとう、嶺。お言葉に甘えて、ちょっと休憩……」
「ソファより普通の椅子のがひんやりしてていいぞ」
いくらスカートでもむせ返るような熱気には勝てない。スラックスより圧倒的に通気性では勝るだろうが、もはや関係ない。傷跡が気になるため、長袖シャツはかかせなかった。体の熱は溜まる一方である。
ひどく頭がぼんやりする。あ、確かに普通の椅子の金属部分がひんやりして気持ちいい。んん、少しくらい腕まくりしてもいいかな、暑いし。
あっだめだ頭痛い。気持ち悪……。
これ、やばいやつじゃ。や、立てない。世界が、ぐるぐるって……。
「よーしもう終わるな。クソ暑いしお前も部活気をつけろよー。俺もおとなしく職員室で仕事するかぁ」
「そうっすね。中学の時暑すぎて部活中止になったことありました」
「俺のガキのころはこんな暑くなかった気がするんだけどなぁ」
最後の棚を復元し終わり、漏れがないか簡単にチェックする。特に問題ないようだ。職員室から拝借してきた掃除機を戻せば全て完了である。
そういえば、さっきから優有が嫌に静かだ。休憩中の優有へ終了の報告をするべく、嶺が部屋の奥を覗き込む。
「優有ー、もう終わったぜ……。優有!? 大丈夫か! 先生!! 優有が倒れてます!」
優有は、吐瀉物とともにうつ伏せの状態で床に倒れこんでいた。頬は上気し、呼吸が浅い。
「なんだと!? あークソ熱中症か! 眞鍋、お前保健室まで運べるか。俺は先に行って確認してくる。ついでに諸々手配しておく。頼んだぞ」
「わっわかりました! 何度か熱中症診たことあるんで大丈夫です!」
須藤が勢いよく資料室を飛び出し、先んじて保健室へ向かう。役割を確認すると、嶺は優有に駆けつけた。
「んん……、おっおれ、大丈夫……」意識を若干取り戻した優有が、仰向けになり虚勢を張る。
「うるさい黙ってろ! いいか、シャツのボタン外すぞ、ごめんな」
「や、だめ……」
か弱い抵抗も虚しく、嶺の手によってシャツのボタンが解放されていく。一通り開けられるところを開けた段階で嶺は伺う。
「よし、おぶるぞ。大丈夫か?」優有が首肯だけで返答する。
「せーのでいくぞ。……、せーのっ!」
背中に感じる体温は予想以上に熱く、力のこもっていない体は支えにくかった。しかし、無駄に成長した肉体にとって大した障害ではない。軽々と持ち上げられた優有は、そのまま保健室へと運ばれていった。
朧げながら、保健室に担ぎ込まれ、例の経口補水液を飲まされ、体を拭かれ横になった記憶がある。冷房の効いた保健室は快適そのもので、効果は覿面だった。靄がかったような意識は次第に鮮明になり、不快感もよくなった。頭痛はまだ残っているが、そこまでひどくない。おかしいな、こうならないように事前に水分補給はしてあったのに。ふと、カーテンで囲まれたベッドの向こうから、ザブザブと何かが流れる水音が聞こえた。その音の主のシルエットがカーテンに投影されている。しっかりとした体格の長身。おそらく嶺だ。
優有は、上体を起こした際、自分がキャミソール姿になっていることに気づく。慌ててブランケットで上半身を覆い、ゆっくりとカーテンの隙間から周りを窺った。そんなに日は傾いていない。倒れていた時間は短そうだ。保健室の中から、水音と誰かの話し声が聞こえる。須藤先生と保健室の先生だろうか。窓際の流しに目をやると、やはり嶺が何かを洗っていた。
ああ、制服のシャツだ。
倒れる直前、耐えきれず嘔吐したことを思い出す。どうやら、吐瀉物の上に倒れこんだ自分を介抱した際、嶺のシャツにもいろいろ付いてしまったのだろう。さらに見渡すと、おそらく自分のものだと思われるシャツが窓辺に干されている。情けなさに消えてしまいたくなった。
そして、自分で脱いだ記憶のないシャツがそこにあるということはつまり、全て見られたのだ、左腕に残った醜い跡を。
ぶわり、と視界が歪む。もうだめだ、これまで通りに話せるわけがない。先生に見られるのとはわけが違う。嶺に見られれば、静音にも話が伝わるだろう。やがてクラス中に広がり、自分はアンタッチャブルな存在になるだろうか。いや、もっと想像もできないようなことになるんだろうか。このからだになってから、思考が止まらなくなった。悪い方向へ、悪い方向へと転がり落ちる。
大粒の涙が頬を、顎を伝いシーツに落ちる。頭がいたい。呼吸が乱れて嗚咽が混ざる。これだから嫌だ、関係があるから疎まれる、攻撃される。共有はお互いの牢獄だ。一度入ると簡単には抜け出せないし苦痛だ。流れる涙と鼻水が制御できない、手で拭ったそばから流れ出る。気がつけば声を上げて泣いていた。
異変を察した保健室の先生がカーテンを開け、優有に寄り添い、背中をさする。
「もうっ、おれ、わ、わたし……、嫌だ……。せっかく、せっかくうまく、ぜんぶやり直せるって、思ってたのに……」
「大丈夫よ、庄子さん、落ち着いて。ブランケットでもいいわ、鼻をかみましょ。苦しくなあい?」
洗濯を中断した嶺が、手をタオルで拭いながらベッドに近づいて来る。
「優有、大丈夫か……」
「ばかっ見んじゃねえよ……あっちいけって! おれを、見るなよ……」
しゃくりあげながら、息も絶え絶え睨みつけ、悪態をつく。否定の言葉を浴びせられた嶺の表情が強張る。顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにしながら自分を睨みつける華奢な少女。ブランケットをかきあわせる手の甲には筋が浮いている。つよい力がこもっていた。
「眞鍋、一旦出よう」
「先生……。わかりました」
須藤と嶺が保健室の扉を抜けるころ、泣き声のボリュームがまた上がった。
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