断章:アイ・ヘイト・セックス

 下着の上から陰核を刺激する。痺れるような刺激が脳に届き、肺から押し出された空気は声にならない声になる。また、同時に手のひらで乳房を押さえつける。控えめな乳房は形を変え、優有は苦悶にも似た表情を浮かべた。

「ん……、ふっ……」

 六月下旬、梅雨真っ盛りの湿った夜遅く、優有は自らを慰めている。

 いつもより強く感じる鼓動が早くなり、呼吸が浅くなる。もうすぐだ。そのまま同じペースでの刺激を続けると、じわじわと快感が強くなる。体を貫く痺れた快感が頭を埋めていき、やがて耐えきれず決壊を迎えた。

 何度か訪れる小さい痙攣と同時に、下腹部から熱が身体中に広がって行くような感覚。強く目を閉じたせいか、目の前がチカチカとする。

「んん……あつい……」

 絶頂の後の気だるさと暑さからから逃れるため、今までかぶっていたタオルケットから抜け出す。じわりとかいた汗が不快だ。そのまま大の字でベッドに四肢を投げ出し、部屋の天井を眺める。かつての父も同じ天井を眺めただろうか。父もあの天井板の節が人の顔に見えただろうか。


 しばらく横になり、熱が引いていくのを待つ。メッシュ地のハーフパンツにキャミソールのみの軽装だが、湿潤な空気はなかなか体を冷却してくれない。ふと、下着を汚してしまったかもしれないと思い、右手を下腹部へ動かす。

 ずいぶんと平らに、広くなった気がする下腹部を超え、恥丘に指先が辿り着く。控えめな茂みを抜けると、やわらかな外陰部に手が届いた。汗とそのほかのぬめりを感じ、下着を確認する。多分大丈夫そうだ。


 全部変わってしまった。優有は男子の中でも発育の遅かった方であるが、12歳の夏には精通を迎えている。からだこそ変わってしまったが、中身は思春期真っ盛りの男子、自慰くらいする。ただ、得られる快感や感じ方もすべて変わってしまった。

 男性の絶頂はわかりやすい。波が訪れ、何回かの脈動に合わせ精を吐き出せばおしまいだ。そのあとは俗に言う賢者タイムが訪れ、ほら元どおり。それに比べると女性はややこしい気がする。絶頂に達するための手順やコンディションが体調や気分によって異なり、快感こそ強い気もするが、絶頂もはっきりせずじわじわとしたものが続く。それに、正直まだ『中』は怖い。何度か指を挿入したことはあったが、いまいちよくわからなかった。そして、この絶頂が嫌いだ。おまえはもう女なのだと、感覚が如実に物語る。一度は飲み込んだはずなのに、幾度となく突きつけられる現実に虚しさだけが残った。


 梅雨時には珍しく顔を出した月明かりが薄く差し込む部屋、左手で目元を覆う。

 いつもこうだった。自慰の後には後悔や寂寥が襲ってくる。どうしておれがこんな目に。これまで何の問題もなく過ごしてきた。体こそ小さかったが健康に育ち、気のおけない友人だっていた。部活動で始めたソフトテニスも、上達の喜びを覚えるほどには面白さを感じていたはずなのに。両親からは一人息子として愛を注がれ、中学入学からたくましくなり始めた体を一緒になって喜んだ。


 それも、全てこのからだに奪われてしまった。


 左腕には、手首の少し上から二の腕まで、肉の盛り上がった切り傷の跡が続く。今思えば安っぽい絶望だった。本気で死ぬ勇気も持てなかった自分を、傷跡が証明していた。悲劇を気取った傷跡は、今も身体中に存在している。ようやく女性として、何とかを送ろうと努力しているが、その前に自らの手で醜い体にしてしまった。

 記憶より、小さく細い体からは、記憶と同じ赤い血が流れたが、その意味に気づくのは取り返しがつかなくなってからだった。


 全てに絶望し、不眠症を患いかけていた頃、音楽と出会ったのは幸いだった。数多の人が顔をしかめるような音楽だけが、優有に思考のための余裕と安眠をもたらした。嘆き、苦しみを唄う音楽は荒んだこころに寄り添う。重く激しい音楽が流れる間だけ、自分の形がわかる気がしていた。全身タトゥーまみれの男たちが、必死の形相で叫び倒すステージを夢見て眠った。

 最近は、エモという音楽も知った。ハードコアパンクから派生した音楽らしい。ポストハードコアやデスコアとは正反対の、ペラペラな音像だが、共通して弱者に寄り添う音楽だった。冴えないいじめられっ子が、今にも泣き出しそうな叫び声でマイクにかじりつく。より身近な悲しみを唄うスタンスに強く惹かれた。


「夏、どうしようかな」


 体に残る傷跡には、市販の塗り薬を塗り、少しでも目立たなくなるよう努力している。が、どうしても時間がかかる。コンシーラーで隠すにも限度があるため、露出の大きな服は着れないだろう。普通の半袖シャツですら怪しい。

 このことを考えるとひどく不安になる。優しくしてくれる静音や嶺が怖がって離れていくのではないかと思うと泣きたくなる。

 明日が休日でよかった。自然と溢れ出した嗚咽のせいで、まだ眠れそうにない。

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