覚えておくべき1日

 これは、ついに秘蔵のTシャツで出かけるべきなのではないか。


 今日は静音と嶺に地元を案内してもらう日。ゴールデンウィーク最終日にわざわざ予定を開けてもらったかたちになるが、とてもありがたい。

 だが、同世代だけの外出なんていつぶりだろう。正直緊張している。


「いや、このシャツは最強だから。これさえ着れば無敵……」

 そう自分に言い聞かせ、ネットオークションや通販で地道に集めてきたグッズを広げる。壮観だ。この中で死にたい。スピーカーから、気分を上げるための音楽が流れている。今日のプレイリストは最近聴き始めたジェント系バンドだ。凶悪なブレイクダウンに、思わず体が動き出しそうになる。チューニングとグロウルは低い方がかっこいい。古事記にもそう書かれている。

 しかし、出かけるまであまり時間がない。着替えが済んだら身だしなみが待っている。まだ本格的な化粧はできないが、不慣れなもので時間がかかる。


 早速コーディネートを決めていく。バキバキに決めていこう。

 まずはボトムス。最近はゆったりとしたシルエットが流行りらしいが、基本に忠実に、ところどころダメージ加工の施されたブラックのスキニー。完璧だ。

 次にトップス。こうきたらホワイトのロンTで重ね着にしよう。メインのTシャツはメンズサイズなので、キめすぎない雰囲気になるかもしれない。そうしたら背面に大きくバンドのロゴがプリントされたコーチジャケットを羽織って完成。末恐ろしい……。キャップもかぶっちゃおう……。


 最高にハードコアだ。この音楽が好きでよかった。力を分けてくれる気がする。今ならウォール・オブ・デスの先頭にだって立てそうな気分。


 ライブに行った経験も体力もないけど……。


 そうやって、ご機嫌で着替えと簡単な化粧を済ませている間に、家を出るべき時間が迫った。休日用のメッセンジャーバッグをひったくり階段を駆け下りる。

「おばあちゃん、おれもう出かけるね!」

 居間にむかって声をかけたタイミングで扉が開き、祖母が顔を出す。

「優有ちゃん、もう出かけるのね。あら! どうしたのそのズボン!」

「これお洒落だから全然大丈夫! いってきます!」

 スキニーのダメージ加工を祖母に指摘され、言い訳するように家を出る。これでスケートボードに乗って走り出したらかっこよさそうだが、それじゃパンクすぎるか。ただ、「なんとかコア」と名前が付いているジャンル自体、ハードコアパンクの影響下にあるはずなので意外とおかしくないのかもしれない。しかし、メロコアだけはいまいち好きじゃない。陽の印象が強すぎるのだ。


「メロコアとMelodic Hardcoreは全くの別物だから」


 最近よく話すようになった須藤先生曰く、メロコアは日本でのみ通用するジャンル名で、海外では概ねスケートパンクやポップパンクと呼ばれるらしい。勉強になる。しかもどうやら、須藤先生は厄介ごと(俺のことだが)を抱え込む条件として、社会科資料室の一角を有る程度自由に扱う権利を得たそうだ。この前伺った時も、一人がけの小さなソファが増えていた。

「実際資料室ってさ、あんまり大事なもの置いてないただの倉庫だよね。ほんとに大切なものはだいたい図書室や図書館にあるし。地理で使う模型くらい?」

 あんまりやりすぎると追い出されそうだが、大丈夫なんだろうか。


 そんなことを考えながら歩みを進める。間も無く集合場所のコンビニが見えてくる。どうやら二人とも祖父母宅の近所に住んでいるようで、ちょうど中間位置にコンビニがあったためそこが集合場所となった。こっちに越して来てまだ3ヶ月も経っていないが、流石にコンビニの位置はわかる。最寄りではないが、学校の帰りに寄るには都合がいい。

 もうじきコンビニの看板が見えてくるだろう。またちょっと緊張してきた……。

 女子として不自然に見られないか不安だ。



 コンビニ前のベンチでパック飲料とコーヒーを携えた男女が談笑している。静音と嶺の二人だ。二人はこのゴールデンウィークの感想を語り合っている。どこに行った、何を買った、など、気心の知れた同士の他愛のない会話だ。よく晴れた五月の初頭にぴったりのワンシーン。


「もうそろ集合時間だな」

「あれ、もうそんな時間? それじゃ先にこれ飲み切らなきゃ」

 静音が残り少ない飲み物を片付けようとした時、小走りの優有が姿をあらわした。

「静音さん、真鍋くん、おまたせー」

「わー優有ちゃんおつかれー、んん!?」

 手を振り挨拶を返した静音の目に飛び込んできたのは、照れ臭そうな笑顔に似つかわしくない、おどろおどろしい柄のTシャツだった。


「何その柄! うっわー内臓出てるじゃん! グロい!」

「これがメタルJKの本気か……」


 見事にドン引きさせてしまった。

 この時、優有が着用しているTシャツは一般的にバンドTシャツと呼ばれるものの中でも、特別過激でダサいと言われるメタルTシャツだった。黒地に、女性が自らの内臓を引きずりだしている様がアメコミタッチで描かれている。古着ファッションで昔のメタルTシャツが持て囃された時期もあったが、優有は本気でこのTシャツをかっこいいと思って着用していた。


「え、あっ、このTシャツ、一番好きなバンドので」

「はえー、そう、なんだ。でも、さすがにその柄むき出しはちょっと、ねえ。

あんまり一緒に歩きたくないっていうか。あっいや、全然好きなのはわかるんだけど!」

「おい静音、言い過ぎ。庄子ごめん。こいつ思ったことすぐ口に出るんだ。お前いい加減にしろ」

 優有は顔を赤くし、うつむきながらジャケットの前を合わせていく。

「えっ……あぁ……うん。ごめんなさい、ちょっとはしゃぎすぎたかも……。この柄激しすぎ?」

「流石にちょっと激しすぎかも……。あっでもそのジャケットはかっこいいじゃん。何この模様。蜘蛛の巣?」

「これはバンドのロゴ……」

「やば、全然わかんねえ」

「でも、けっこうお洒落だよね。めっちゃボーイッシュだけど似合ってる似合ってる。色白でいいなあ。私地黒であんまりモノトーン似合わないんだよ」

「あっありがと……。静音さんもその、パーカーいいね。かっこいい」

 今日の静音は、黒タイツにショートパンツを合わせ、オレンジのマウンテンパーカーの出で立ちだ。イメージ通り活発そうなファッションである。それに対し嶺はジーンズにプルオーバーのフーディーのみの、ごく平均的な男子高校生ファッション。ただ、たっぱがあるので様になっている。くたびれたコンバースに風格すら感じる。

「いいでしょこれ。なんかいいやつらしくてすっごい水弾くの。ちょっとした雨なら、傘もいらないくらいで気に入ってるんだ」

「傘ぐらい持ち歩けよ。お転婆はやめるんじゃなかったのか」

「いやあそれがなかなかどうして……」

 そんな掛け合いを眺めながら優有は考える。この柄が否定されたのは悔しいし悲しい。しかし、確かに白昼堂々おおっぴらにできるものではないのかもしれない。優有はまだそのバランス感覚を持ち合わせていない。

 だが、そうなると途端に着るものが分からなくなった。

「あ、あのっ。今日服とか見れるかな……?」



「まあ大体のものは駅ビルで揃うよね。駅前の通りにも色々あるけど、ここでダメなら電車でもっと大きい街に出ちゃうし。優有ちゃんは駅来たことある?」

「引越しの時、ちょっとした買い物くらい」

「便利といえば便利だけど、微妙な位置だよな、この駅。居酒屋ばっかりで俺らには関係ないし」

「わかるー」

 駅ビル一体型の駅舎を外から眺め、ペットボトルのお茶で一服つける。これまで、地域の図書館やアミューズメント施設、学校への抜け道を案内された。ようやく登下校に問題ない程度の体力が付いたと思っていたが、流石に疲れてしまった。

「優有ちゃん体調大丈夫? 疲れたら言ってね。どこかでお茶するのもアリだし。いざとなったら背負ってくよ。コイツが!」

「うん。まだ大丈夫。ありがとう」

 五月にしては気温が高い。しかもほぼ全身黒ずくめときた。耐えられないほどではないが、じんわりと汗ばむ。

「なんかあったら言えよ。病み上がりなんだろ」

「そんな、もう大丈夫だよ。多分だけど」

 彼らにはある程度事情を話してある。

 ——中学1年の時に難病に倒れ、入院と自宅療養を繰り返してきたためほとんど学校に通うことができなかった。両親はもともと転勤が多く、病状の快方と高校進学を機にこの街に引っ越してきたという設定。

 この設定は表向きの理由として共有されている。そのため、優有の事情に深く入り込む人は少ない。周囲より一回り貧相な体格や色白さから、気にはなっても安易に触れられない雰囲気があった。

 そして、それは優有が望むにしろ望まないにしろ、周囲の環境を安定させることに繋がった。不必要な接触は避けられ、積極的なコミュニケーションも発生しない。裏を返せば、いじめや不条理に類する対象からも外れていた。

 そのくせ本人は通学カバンに数日ごとにバンドグッズを付け替えたり、今日のような気合の入りすぎた格好をしてくる。つまり完全な空回りを起こしていたのだ。

 だが、優有のことを責めることは難しいだろう。それまで培ってきた関係は発症をきっかけに崩れ去り、新しい交流は生まれなかった。更にはからだとこころの性別の乖離、周囲からの偏見、両親からの失望。前を向き始めた優有が、適切な方法でコミュニケーションを取るためには、まだ少し時間が足りないだけなのだ。


 このあと、自分には似合わなかった服を着せたいという理由で、静音の着せ替え人形になった優有だった。



「これ、ほんとに奢ってもらっていいの?」

「いいのいいの! 今日は楽しかったし。色々連れまわしちゃったから」

 チェーンの喫茶店にて、3人は今日を締めくくる。

「ほんと女子って買い物になるとタフだよな。足痛えよ」

 嶺が体格に似合わず愚痴をこぼす。確かにイメージ通りの長時間勝負で驚いたが、誰かと時間を共有する楽しさが上回り苦ではなかった。

「わかる。大変だよね」

「うっわ優有ちゃん。まるで自分が女子じゃないみたいな言い方ー」

 静音が頬杖をつき、若干拗ねたような、芝居がかった声音で茶々を入れる。

「これは、その、今まで服とか買って貰ってたり、通販で済ませてたから……」

「んー大丈夫。これからもっとショッピングとか遊びに行こうね。せっかく可愛いんだから、色々教えてあげなきゃ」

「静音、ほどほどにな」

 心地の良い弛緩した空気が流れる。

「き、今日はふたりともありがとう。わたしのために色々教えてくれて」

「いいの気にしないで。私下に妹がいるせいか節介焼きだから、優有ちゃん見てるとほっとけなくて。本当はもうちょっと早くお話できたらよかったんだけどさ。気にせず頼ってくれてもいいのよ」

「まあ、俺も何かあったら付き合うよ。こいつひとりだと暴走しそうだしなぁ」

「あんたいっつも私に何かしら付け足すよね! ムカつく!」

 こんな穏やかに笑い合うのもいつぶりだろうか。楽しい時間は短い。そろそろ帰路につくべき時間だ。


「それじゃ、また明日学校でな」

「嫌だー! 行きたくなーい! つらーい」

「じゃ、また、明日。バイバイ」

 朝に集合したコンビニで別れの挨拶を交わす。すっかり日の暮れた街並みには、明日からの日常に備えるように明かりが灯っていた。

「じゃあねー優有ちゃん、また明日」

 静音が手を振りながら優有を見送る。その姿が見えなくなった頃、ワントーン下がった声で嶺に話しかけた。

「病気で学校も通えなかったのに、お母さんお父さんと離れて知らない街で暮らすって、どんな気持ちなんだろ……。私にはちょっと想像できない」

「俺だって同じだよ。でも、今日は結構笑ってたな」

「うん。そうだね」

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