小さなうごく部品

 放課後、俺はようやく社会科資料室を見つけ出した。しばらく校舎をさまよい、奇跡的に残っていたオリエンテーション用の校内地図により目的地にたどり着いた。それもこれも、帰りのホームルームが終わった後驚くべきスピードで姿をくらました先生が悪い。

 しかし、なぜ社会科資料室なのだろう。こういう時は基本的に職員室じゃないだろうか。中学校には1年間も通っていないので、詳しいことは分からない。

 若干うんざりしながらドアをノックする。

「1年2組の庄子です。須藤先生いらっしゃいますか」


 若干の間があき、


「あーい。入ってこーい」


 予想よりくぐもった須藤先生の声が聞こえてきた。その上、なんてやる気のない声だろう。スーサイのPVみたいにショットガンで蜂の巣にしたくなる。


「失礼します」

 入室すると、まず古い紙の匂いが俺を出迎えた。金属製のラックに、様々な資料や備品が満載されている。そして、先生の姿が見当たらない。

「こっちだこっち。おまえの右奥」

 声の方を向き数歩足を進めると、部屋の隅、奥まったところに先生がいた。

 先生は壁とラックに挟まれた箇所に小さな個人スペースを構築していた。明らかに個人所有のマックブック、卓上スピーカーに小型冷蔵庫、数冊の漫画すら見受けられる。小さな城だ。資料室を私物化している。

「庄子、気をつけろよー。昼休みが終わったらしっかり片付ける。せっかく校則でケータイいじっていいんだ、自分のものは自分で守れ」

 先生が俺へスマホとヘッドホンを手渡す。

「はい。すみません。気をつけます」

 俺は反省半分、理不尽半分で小さく頭を下げる。

 その後、奇妙な沈黙が訪れた。


「……?」


 微妙な空気を感じ、おずおずと先生の目を見る。

「庄子、学校や生活はどうだ」

「え、あ、はい。大丈夫です」

「まあ……、いろいろ大変だったそうだな。何かあったら俺か副担の阿部先生、保健室の恵果先生に頼れ。大体の話は聞いてあるから」

 唐突だった。須藤先生はボールペンを弄びながら、事も無げに言い放った。

「えっ、あの、大体の話って、どこまで」

 まるで貧血のように頭から血の気が引いた。誰も何も知らないと思っていた。健康診断は「女性として」何の問題もなかったし、戸籍や身分証なども手続きは全て完了していたはず。

「君のご両親から母校、通ってた大学病院。今通院してる病院から、一通り全て聞いてあるよ」

「そう、だったんですね……。ぜんぶ、知ってたんですね……」

「大丈夫だ。関わりのある先生以外には周知されていないし、もちろん一般生徒に知らせる事もない。3年間は俺が支えるし、お前の『こころ』を尊重する。安心しろ」

「……、3年間、ですか?」

「担任からは外れるかもしれないが、そういう風に校長から言われてんだよ。マジでクソだな」

 視界がぐるぐる回り、崩れ落ちそうになったが、先生の言葉でなんとか耐えることができた。誰も自分のことを知らない場所に来たと思っていたが、そうもいかなかったらしい。


「そういえば、随分と可愛くない音楽の趣味してんな。ずっと見てたけどほとんどハードコアなやつだろ、それ」

「あ、やっぱり、先生わかってたんですか」

「前から2番目の席でこれ見よがしにマーチ見せびらかして、イキってんなーとは思ってたよ。まだ邦ロックとかだったら可愛いけどさ、ガチすぎてびびるわ」

「マジですか……。でも、めちゃくちゃかっこいいんですよ!」

「まあ、ほどほどになぁ。そういうお年頃なのはわかるけどさ、それが原因で俺に厄介ごとを持ってこないでくれよ。ちなみに俺はハーネームとか好きだ、筋肉増えそうで」

「ファーストが至高ですね!」

「この食いつきよ」



 その後、先生とはしばらく音楽や俺自身についての話をし、帰宅部の俺は下校した。

 道すがら、祖母に頼まれていた生活用品をドラッグストアで購入する。男だった頃は気にもしなかった日焼け止めや、化粧水。いまだに少し抵抗があるが、女の生活に必需品は多い。そういえば、最初に女性用下着を履いた時も違和感がすごかった。ただ、少しでもすぐ馴染めるように母さんはボクサーショーツを買ってくれたっけ。


 なんだかとても昔のことのように思えた。


 日没にはまだ時間があるが、十分傾いた太陽は否応にも1日の終わりを感じさせる。

「はぁ、きょうは疲れた」

 昔ながらの住宅街をしばらくゆき、自宅が見えてきたころ、無意識に言葉が溢れたが、嫌な疲れではなかった。

「ただいま」

 こじんまりとした玄関でローファーを脱ぎ、かかとを揃えて隅に寄せる。祖父の靴がない。どこか出かけているのだろうか。

「あら、優有ちゃん、おかえりなさい」

「おばあちゃん、ただいま。頼まれた洗剤買ってきたよ」

 廊下の奥から祖母が顔を出す。しっかりとお使いを全うしたことを報告し、然るべき場所へ仕舞っていく。

「優有ちゃん、すこし表情が明るくなったかしら」

 内容を確認しにきた祖母が、俺の顔を覗き込み言った。

「んー、ちょっと今日はいろんな人と喋ったからかな。顔の筋肉使った気がする」

「あらよかったじゃない。お先お風呂どうぞ」

 祖母は穏やかに微笑みながら、夕食の支度のためキッチンへ向かう。

「わかったー。そういえば、おじいちゃんは?」

「おじいちゃんは金物屋さんにいったわ。もうじき帰ってくるわよ」

「はーい。お風呂お先いただきます」

 キッチンの方へ生返事を返すと、自室へ向かう。心なしかカバンが重い。確かに今日は記録的に人と喋った1日だった。クラスメイトの静音に嶺。それと須藤先生。

 静音はほぼファーストコンタクトにも関わらず、かなり距離感が近い子だったが、却ってその勢いに助けられたかもしれない。そして静音の幼馴染、眞鍋はめっちゃデカい。デカいがそれほど威圧感はなく、うるさくもなさそうで、いいやつっぽい。

 あと、須藤先生はデスコアやメタルコアより、もっとパンキッシュなハードコアやエモが好きらしい。実際に自分も大学の同級生とバンドを組んでいるそうで、投げやりクソ野郎から少し見直した。


 そんなことを考えながら、カバンや制服を片付け、浴室へ向かう。脱衣ももう手馴れたものだ。最初は随分と股間が寂しく感じたが、今では重さや形も曖昧にしか思い出せない。そして、鏡に映る自分を眺めた。


 どこからどうみても女の子。


 ついこの前まではまだ男性の名残があった体つきも、骨盤は広がり節々は丸く、乳房も発達してきた。それに顔つきもすっかり変わった。これから声変わりを迎えるはずだった喉は滑らかなまま、輪郭は女性らしさを増した。若干目は大きくなっただろうか。なお、どうやらホルモンの関係で生来の女子に比べると貧相な体つきだが、今後の成長に問題はないそうだ。

「おれは、どっち、なんだろうな……」

 思わずひとりごちる。

 そして、先生との会話を思い出す。


「無駄に焦ったり、自棄になったり、一時の勢いで全部決めることはない。特に高校生なんてみんな不安定なんだ。目の前をしっかり見てろ。時間が解決することだってたくさんある」

「こころがもしも精密機械なら、その中には小さな部品がたくさん詰まってるはず。結局それを組み立てるのは自分以外にいないし、今はまだ部品作りの真っ最中なんじゃないかな。すっかりオッサンになったけど、まだ俺も部品が足りない気がするし」


 そういえば、時計職人の祖父も同じようなことを言っていた。

 確かに時間が少し経って、昔に比べると、こころは幾分落ち着いたと思う。どうしようもない違和感に自傷行為を繰り返すこともなくなった。それでも「おれ」か「わたし」か、自分は一体何者なんだろう。答えは出そうにない。


「あーダメダメ! 風呂って色々考えちゃうなぁ」


 あれこれ考えていたら、のぼせる寸前まで浴槽に浸かっていた。からだが真っ赤になっている。祖父母に合わせて設定温度が高めだから、ちょっと長湯するとすぐのぼせてしまう。適当なところで切り上げないと。


 肩まで伸びた髪は、これまでよりずっと乾きにくくなった。

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