5-3 強敵
優吾と静乃と合流し、開場時間まで会場のロビーで時間を潰す。本番まであと数時間。まだまだ時間はある――と思っていたが、意外にもあっさりと時間が過ぎていった。本番のことを考えてしまうと、不安な想像ばかりしてしまう気がする。だから、三人でどうでも良い話をだらだらとしていた。
最初は最終選考まで残った出場者の話から始まり、話題はだんだんとアニメの話に逸れていく。そこで判明した嬉しかったことは、静乃が「魔法少女マジックプリンセス」を全話視聴していたことだった。歌の練習の合間に詠子の家で見たという静乃は、詠子の解説がいちいちうるさい以外は普通に楽しめたらしい。最近は鈴葉や鈴葉以外のアニソンアーティストも調べるようになり、着々と静乃のオタク化が進んでいるようだ。行隆も優吾も当然のように嬉しい気持ちになる。
しかし、静乃には一つだけ理解できないことがあるらしい。それはズバリ、空耳だ。歌詞が別の言葉に聞こえるという、空耳ワードを楽しむ文化は確かにある。行隆もついついアニソンを聞いていて空耳の歌詞を思い浮かべてしまうこともある。「せっかくちゃんとした歌詞があるのに何でー?」というのが静乃の意見で、優吾も全面的に同意していた。行隆としては、アーティスト本人がネタにしていたり、「こういう空耳になるだろう」と意識して書いた歌詞なら全然ありだと思っている。格好良い曲で関係ない空耳が流行るのは流石に困るが、ライブで盛り上がる分には問題ないだろう。静乃も優吾も、しぶしぶといった様子だが納得していた。
開場時間になり、行隆達は関係者席に着いている。当たり前の話だが、一般の入場ではないため並ばずに入れたのが新鮮だった。近くの席には、詠子とよく似た浅黄色のウェーブがかったロングヘアーの女性――詠子の母親が座っている。隣には浅黄色の髪を一本結びにした男子高校生、詠子の兄もいた。先程、唯一顔見知りだった静乃が二人に声をかけられ、隣で行隆と優吾もお辞儀をした。母親は目元がたれていて、おっとりとした優しそうな人だった。しかし、
「もしものことがあれば、私が飛んでいって詠子を守ります」
と、真顔で言われた時には驚いて言葉が出てこなかったものだ。行隆は勝手なイメージで、父親が出場を反対していたと思っていた。でも、身体を張って娘を守ろうとする姿を見て、母親の声が大きかったのかなと思った。
「えーこにも聞こうね、空耳の話」
「うん。夢咲さんはどっちかなぁ。素晴らしいアニソンの歌詞を変えるなんて絶対駄目! とか言うかなぁ」
「……お前ら、そろそろ気分を切り替えないか?」
詠子の母親と兄との会話が終わり、あとはもう開演を待つばかり。そう思ったらそわそわしてきて、ついついどうでも良い話をしたくなってしまう。
「だってもう緊張したくないんだよ。さっきも夢咲さんのお母さんとお兄さんと話してちょっと緊張しちゃったし、これ以上緊張したら夢咲さんに移っちゃいそうで……」
「…………そうか。それもそうだな。悪い」
「優吾?」
俺だってずっと冷静な訳じゃない、と優吾がぼそりと呟く。小さなため息とともに俯く優吾を見て、行隆は気が付いた。
優吾は行隆が頼んだから作曲をしてくれた。ただ単に頼まれたから協力している。なんて、そんな訳がないのだ。優吾だって色々考えて、今ここにいてくれている。
「そりゃあ誰だって心配だろうよ。夢咲は正しくない理由でここにいる。でも俺は最後まで夢咲達に付き合いたいと思った」
「それは、何で?」
優吾が自分のことを語るのは珍しいことだった。隣で静乃も、興味津々といった様子で前のめりになって見つめている。
「楽しいんだよ、曲を作るのが。一人で黙々と作ってた頃と違って、誰かに歌ってもらうと曲の可能性が無限大に広がって、輝いて見える。正直、曲作りがこんなにもわくわくするものだとは思わなかった」
「……そっか、そうなんだね、優吾……!」
俯いたままで、優吾の表情はよくわからない。でも、心なしか声が弾んでいるように感じて、行隆は嬉しい気持ちに包まれた。つい優吾の肩を掴んでぐわんぐわんと揺らしてしまう。当然のように、小さな声で「やめろ」と言われた。
「ねー、二人とも」
すると、静乃が声をかけてくる。
静乃の表情は、二人を明るく照らす程に優しく温かな笑みを浮かべていた。
「えーこなら大丈夫だよ。だって、えーこが皆の気持ちを変えてくれたんだもん。ゆっきーも、ゆうちゃんも、私も。えーこと一緒にいたおかげで、変わったの。だから、大丈夫だよ」
正直、言っていることがめちゃくちゃだと思った。でも、「なんだそれー」とも思えずに、ただただ茫然と静乃を見つめてしまう。
「んー。根拠のない『大丈夫』は失敗フラグかな?」
「怖いこと言わないでよ二江さん! 大丈夫だよ、二江さんが言いたいことはなんとなく伝わったから」
「そー? じゃあ、ゆっきーバトンタッチ」
微笑みながら、静乃に肩を置かれる。
「え、何っ? 何がバトンタッチなの意味がわからないよ二江さん?」
「もうすぐ開演時間だから、ゆっきーが私の気持ちを一言で代弁するの」
肩に手を置いたまま、親指を突き立てる静乃。
無茶振りすぎる静乃の言葉に呆れ、優吾に助けを求めようと視線を向ける。しかし優吾は黙って腕組みをしていて、行隆の言葉を待っているようだ。
仕方ない。と思いながら、行隆は小さなため息を吐いた。
「夢咲さんを信じよう。それで、僕達は思い切り夢咲さんを応援しよう!」
「……それ、二言だよ?」
「細かいことは気にしないでよ! ほ、ほら、始まるよ」
開演前のBGMで流れていたクラシックの音量が上がり、本当にもう始まるまで時間がないのを感じる。行隆は慌てて携帯電話の電源を切り、ポケットの中へしまった。
静乃もおどけるのをやめ、きょろきょろと辺りを見回し始める。優吾が静乃に「落ち着け」と言ったと同時に、会場が暗くなった。
フウウゥゥゥ、という声援と、点灯率が一気に高くなるペンライト(鈴葉カラーの緑色が多め)を見て、「本当に始まったんだ」と思う行隆だった。
***
司会を務める鈴葉が一曲披露してから、アニソンスターズ選手権は本格的に幕を開けた。最終選考まで進んだのは十人。リハーサル中に歌う順番を決めるくじ引きをしたようで、詠子はまさかの十番目、大トリになってしまった。「エントリーナンバー十、夢咲詠子です(死んだような目)」というメールが届いた時は、行隆も絶望的な気分になったものだ。
何故よりによって大トリになってしまったのか。出演者を見れば見る程、行隆は冷や汗が流れるのを感じた。
流石、最終選考まで進んだ人達だ。
歌が上手いというだけではない。というよりも、歌が上手いというのはすでに当たり前なのだ。それにプラスして、それぞれの出演者に武器があると感じた。
観客を煽る余裕がある二十代の女性。力強い声量で特撮系のオリジナルソングを歌う三十代の男性。透明感のあるバラード曲を披露する詠子と同じ歳くらいの女性。歌って踊る二人組の女子高生もいた。
まるでアニソンフェスに来ているような気分だった。観客は鈴葉Tシャツを着ている人の多さから察するに、鈴葉目当てで来た人が多いだろう。鈴葉が一曲歌った時とは違って皆着席しているが、ペンライトを振って盛り上がっている。行隆も途中から、あれこれ考えずに楽しんでいた。
あっという間に、残る出場者は二人となる。
すると行隆は「あれ?」と不思議に思い、苦い表情をする優吾と目を合わせた。
「も、もしかして……」
「今更気付いたのか、お前。次の出番なんだろうな」
「あー……、さっき話してた本命の人?」
静乃の問いかけに、行隆と優吾が頷く。
アニソンスターズ選手権には、優勝候補と名高い出場者が一人いるのだ。なかなか出てこないと思っていたら、まさか詠子の一つ前に歌うなんて。一気に現実に引き戻された気分だ。
「皆さん、まだまだ元気ですか? 続いての方をお呼びします。エントリーナンバー九番、
虹野あかりと呼ばれた人は、紺色のブレザーで登場した。黒髪をおさげの三つ編みにして、アンダーリムの赤い眼鏡をかけている、少し地味な雰囲気のある少女だった。
「皆さんこんばんは! エントリーナンバー九番の虹野あかり、十五歳の中学三年生です。よろしくお願いします!」
あかりは元気良く挨拶をし、深々とお辞儀をする。
すると、所々から「にじのん!」、「にじのーん、頑張れー!」などの声援が聞こえてきた。「いやいやどうも」と、あかりは照れたように頭を下げまくる。
実は、あかりのことを知っている人は少なくないのだ。かくいう行隆も二回程見かけている。一つは今回のようなオーディションのネット中継で知り、もう一つはテレビ放送されていたアニソンののど自慢大会で見かけた。オーディションは一度落ちているが、のど自慢大会は優勝経験がある、若いながらに実力がある少女なのだ。
「今回こそは優勝するつもりで来ました。……それでは聞いてください。瀬名川鈴葉さんの、虹色ルーレット!」
イントロが流れると、ぽつりぽつりと立ち上がる人が出てくる。つられて立つ人が増えていき、あかりが歌い始める頃にはほぼ全員がスタンディング状態になっていた。
(うっひゃー……)
関係者席は皆座っていたため立たなかったが、そのおかげで冷静にあかりのステージを見られてしまう。
もちろん、あかりのパフォーマンスを生で見るのは初めてだ。だからこそ、溢れる実力の高さに驚くことしかできない。きっと、「虹野」という自分の苗字にちなんで虹色ルーレットを選んだのだろう。でも、虹色ルーレットは鈴葉のライブで必ず歌われる定番の曲だ。どうしたって鈴葉の印象が強く、素人が歌ったら鈴葉のモノマネのようになってしまう気がする。しかし、しっかりとあかりの歌になっていた。中学三年生らしい幼さで、どこか甘ったるい可愛らしさがある。鈴葉の歌が皆に希望を与えるなら、あかりの歌は自分自身が前に進もうと頑張るような曲に聞こえる。
行隆は、食い入るようにステージを見つめていた。元々注目を浴びていたから圧倒されてしまうのだろうか? いや、違う。大袈裟かも知れないが、「そこに一人のアーティストがいる」と感じてしまうのだ。
「えーこ、大丈夫かな……」
あかりが歌い終わり歓声に包まれる中、静乃は不安そうに眉をひそめていた。
「ありゃバケモンだ。気にすんな」
「バケモンって……まぁ、僕達よりも年下なのに色々と凄すぎるよね」
正直、これがオーディションではなくアニソンフェスだったら思わずファンになっているところだ。きっと、物販でCDを買ってしまうだろう。
それくらい、あかりのパフォーマンスは完璧だった。静乃と同じく、詠子が心配になってしまう程に。詠子の武器である「笑顔で楽しそうに歌う」という点でも、あかりは負けていないだろう。ああどうしようと、行隆は額に汗が流れるのを感じた。
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