5-2 へにゃへにゃ
会場で受付を済ませ、行隆達は詠子の控室へ向かった。作詞作曲で参加している行隆と優吾はともかく、静乃は流石に控室にいては駄目らしい。「お腹空いたからカフェタイムにする」と言う静乃に優吾が付き添うことになり、行隆は詠子とともに控室に残ることになった。開演時間まではまだまだ余裕がある。
「ねぇ、行隆くん」
気のせいだろうか。
ここ来るまでいつも通りのテンションだったはずの詠子の声に、焦りみたいなものを感じた。
「会場って結構大きいんだね。あたし、全然調べてなかった……」
控室にはモニターがあり、会場内の様子が映し出されている。と言っても、開演までは時間がある。もちろん誰も席に着いていないが、広い会場であることは良くわかってしまう。
「まぁ、三千人のキャパだからね」
「さ、さんぜんっ」
両手を広げ、大袈裟に驚く詠子。
その顔は青ざめているように見えた。
「夢咲さん? もしかして……緊張してる?」
「平気……だったんだよ? さっきまで。数人の審査員に見られる程度ならまったく大丈夫だし、だいたい緊張すること自体があんまりないって言うか」
「でも、顔色悪いよ?」
「うん……ネット中継するって聞いても別に平気だった。……んだけど、この広い会場に人がいっぱい埋まるんだって考えたら、急に震えが……」
ああああー、と緊張を声で表しながら、詠子は崩れ落ちるように俯く。
まさか、ここにきて詠子が不安な表情を見せてしまうとは思わなかった。緊張する詠子の姿は鈴葉の握手会の時に見ているが、今回の緊張は種類が違う。
「あーあーあー、どうしよう。あたし、緊張とは縁遠い人間だと思ってたんだけどなー」
言いながら、詠子は何度も手のひらに「人」を書いて飲み込んでいる。確か、鈴葉もライブ前によくやっているという話を聞いたことがあるから、真似をしているのかも知れない。多分。
少し微笑ましく思いながらも、行隆は「よしっ」と決心を固めた。
「夢咲さん」
「な、何?」
瞬き多めで、詠子は行隆を見つめてくる。
「夢咲さんは、何も知らずに批判してきた奴らを見返すんじゃなかったの? 確かに夢咲さんはマイクを利用してここまで来た。でも、気持ちまで否定されたまま終わりたくないでしょ?」
「お、おお……?」
詠子の表情が、わかりやすく変わっていく。
「にわかって言われたんだよ。どうせ好きでもないくせにって、決め付けられてるんだよ。夢咲さんは、このままで良いの?」
「良くない!」
行隆の問いかけに、詠子は即答する。
本当にさっきまで緊張していたのかと疑問に思う程、詠子は顔を輝かせた。
「そうだよ、緊張してる場合なんかじゃなかった! あたし、何も知らないで決め付けてくる奴らに腹が立ってるんだった! 緊張したままステージに立ったら、あたしの気持ちなんて伝わらない!」
「そうだそうだ!」
燃え上がる詠子を満足気に見ながら、行隆は合いの手を打つ。
「なんであたしって、見返したいって気持ちでこんなにやる気に満ち溢れるんだろう」
「……煽り耐性がないからかな?」
「行隆くん? 今、何て?」
握りこぶしを見せ付けながら、詠子は笑顔で問いかける。
「あーえっと、とにかく夢咲さんが元気になって良かったなー」
あははー、とわざとらしく笑い声を出す行隆。
詠子は納得がいかないように頬を膨らませてから、「はぁ」と小さなため息を吐いた。
「でもおかげで目が覚めた。ありがと」
「あ、うん。こちらこそ……」
若干小さめの声でお礼を言われ、行隆は頭を掻きながら返事をする。
すると何故か、沈黙が訪れた。
詠子は何も言おうとしない。行隆も何かを言おうか考えたが、言いたいことはすべて言った気がしてやはり言葉が出てこない。
無意味に見つめ合っている空間が出来てしまって、それを意識した途端に恥ずかしくなった。
「ええと、夢咲さん。これからの予定はどうなってるんだっけ」
「あ……ああ、そうだ!」
詠子は今更気が付いたように、腕時計を確認する。
「もうすぐ全体の流れを確認するリハーサルがあるの。悪いんだけど、行隆くんは静乃と優吾くんと合流しといてくれる?」
「開場時間くらいに戻ってくれば良いかな?」
「うん。って言うか、行隆くん達は関係者席で見ることになると思う。で、イベントが終わったら鈴葉さんと対面できるから、行隆くんと優吾くんと……静乃はどうなるかわからないけど、とにかくその時にまた会おうね!」
「そっか。もうそんな時間なんだ」
「なーに? 今度は行隆くんが緊張してきちゃった?」
ふふふ、と楽し気に微笑む詠子。
これが本番前の詠子と話す最後の機会なのだ。そう思うと、もっと何か言うことはないかと頭で考えてしまう。
「悔いの残らないように頑張ってね。ええとそれから……今日の服装、似合ってると思うよ!」
――って、何を言ってるんだ僕は!
なんて自分自身に突っ込みを入れてももう遅い。
「え?」
口をポカンと開きながら、不思議そうにこちらを見られてしまった。
そんな詠子は、白ニットにバーバリーチェック柄のスカート、ニーハイソックスに赤いパンプスという、可愛らしい印象の服装をしている。透き通っていて、程よくむっちりとした太ももが目に入ってしまい、行隆はますます焦り出す。
「ゆ、行隆くん、なんか顔が赤いよ? というか、じろじろ見すぎじゃない?」
「ひぃい、ごめん! なんかまだ言うことないかなって思ったら、口がすべって……!」
「ふぅん、そっかそっか。行隆くんも男の子だもんねぇ。言い訳しちゃって可愛いねー」
詠子はからかうようにニヤニヤしつつ、中腰になって行隆を見上げている。
それがまた愛らしく見えてしまう。しかし、焦るあまりに何も言うことができない残念な行隆なのであった。
「でも、ニーソはちょっと狙いすぎたかなって後悔してるんだよねー。普通に寒いし、黒タイツにすれば良かったかも」
鏡で自分の格好を確認しながら、詠子はため息を吐く素振りをする。しかし、すぐに口角をつり上げて行隆を見つめた。
「まっ、行隆くんが褒めてくれたから良いか。なんか行隆くんのおかげで、リハーサル前に和んだよ。……よし、頑張ってくるね!」
元気良く言いながら、詠子はおもむろに右手を上げてきた。自然と行隆も手を上げると、勢い良くハイタッチをされる。
パチンッ! と大きな音が鳴る程に力強いハイタッチに、行隆は気分が切り替わるのを感じた。さっきまでへにゃへにゃしていた自分が恥ずかしく感じる程だ。
「うん。夢咲さん、またあとでね!」
「もう本当に時間ないから、早く早く!」
「ああうんごめんっ」
詠子に急かされるまま、行隆は控室を飛び出る。
さて優吾に連絡して合流しようかな。なんて思っていたら、控室の中からわりと大きな声が漏れ聞こえてきた。
「はああぁぁー……。なんか緊張した……。褒められ慣れてないから仕方ないよね、うん。仕方ないよね! ……よし、行かなきゃ」
(夢咲さん、聞こえてるから! 独り言にしては声が大きすぎるからぁ!)
心の中で突っ込みを入れつつ、行隆は逃げるようにしてその場から離れていった。若干へにゃへにゃした気持ちが戻ってきてしまったのは内緒である。
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