第五章  私だけの夢

5-1 もっと見ていたい

 最終選考当日。

 朝、行隆は思ったよりも早く目が覚めてしまった。確か、午前五時頃だっただろうか。緊張と不安でそわそわして、しっかりと寝た心地がない。まぁ、仕方のない話だろう。

 アニソンスターズ選手権の会場へは、詠子達と最寄りの駅で集合してから向かうことにしている。行隆は余裕を持って家を出て、集合時間の約十分前に到着した。


「……あ、夢咲さん」


 駅の時計台には、すでに詠子の姿があった。チョコレート色のコートに身を包んだ詠子は、祈るように両手を握り締めながら、その手をじっと見つめている。


「ん、ああ。行隆くん。来るの早いね」

「それを言うなら夢咲さんの方が、でしょ?」

「へへ、まぁね。……少しは緊張するもんだねー。落ち着いてられなくて、早く家出ちゃった」


 頬を掻きながら照れ笑いを浮かべる詠子。

 緊張すると言う割には落ち着いているように見える。行隆が緊張しすぎなだけだろうか? いつもと変わらないテンションで「はー、今日も寒いねー」と言いながら両手をこすり合わせる詠子の姿を、行隆は不思議そうに見つめてしまう。


「何? あたしの顔に何か付いてる?」

「いや、何でもないよ。それより、親御さんは来るの?」

「あーうん、お母さんと兄貴が見に来るよ。……だいぶ揉めたけどね」


 何気なく訊ねた質問で、詠子の表情が一瞬だけ曇ってしまう。


「あ……っ、な、何かごめん!」

「いやぁ、仕方ないことでしょ。家族に黙ってる訳にもいかない状況になっちゃったし、全部正直に話したよ。で、すっごく心配されて止められた。でもここにいるってことは……ホント、あたしって駄目な娘だねぇ」


 あはは、と苦笑を浮かべる詠子。

 行隆は思わず、反射的に「いやいや」と否定した。


「駄目な娘じゃないって証明するために、今日頑張るんでしょ」

「そう、正解! その通り! 何よりもさ、家族に伝えられたら幸せだなって思って。あたしがアニソンを大好きだーって気持ちがさ」


 うんうん、と頷きながら、詠子は表情を晴れやかにさせる。


「……ねぇ、行隆くん。改めて言わせて。こんな私に、ここまで付き合ってくれてありがとう。静乃や優吾くんもそうだけど、行隆くんがいなかったら私、今頃間違った道を進んでたかも知れなかったから」

「ゆ、夢咲さん……」


 まっすぐな視線を向けられ、行隆は嬉しい気持ちに包まれる。――かと思いきや、ざわざわとした苦しい気持ちになっていった。


「ちょっと嫌なフラグになっちゃう気がするから、そういう会話はあとにしない?」

「フラグ……って?」


 言葉の意味がわからないように首を傾げる詠子。


「あー、わからないかぁ。失敗する前兆って言うか、何と言うか……」

「オタク用語ってこと? 今度調べておくね」

「う、うん……」

「とにかく、言いたい気分だったんだから仕方ないでしょ。言いたいことは言いたい時に言わなきゃ。行隆くんも、あたしに何か言いたいことがあったら言って良いんだよ?」

「ええ……」


 思わず行隆は、心の中でなんだそりゃ、と思ってしまう。

 でも、優吾も静乃もまだ来る気配がないし、このまま沈黙してしまうよりかは何かを話した方が良い気がした。

 そう思ったら、行隆の口は勝手に動き出した。

 夢に向かってまっすぐ突き進む詠子の姿が眩しくて、自分も頑張ろうって気持ちにさせられる。だから行隆は、


「もっと夢咲さんを見ていたいんだ」


 と、今の正直な気持ちをぶつけていた。


「……え?」

「…………ん?」


 小首を傾げる詠子をじっと見つめ、自分の頭がぐるぐると回転するのを感じる。今、自分は何て言った? もっと夢咲さんを見ていたいって――考えようによっては、その言葉はまるで、まるで……! 行隆の頭がついには爆発しそうになる。


「いや、あの、何て言うか。夢咲さんを見ていると、自分も頑張ろうって気持ちになるんだよ。僕には小説家になりたいって夢があるけど、今は夢咲さん程向き合えてないって言うか……。僕にとって、光輝く存在である夢咲さんを見ていたら、何かが変わる気がする。そう思って!」


 まるで言い訳をしているようで、冷や汗が止まらない。

 でも、ちゃんと伝えたいと思った言葉だったから、行隆は頑張って詠子を見つめ続けた。詠子のことだから、きっと「そういうことか」と笑い飛ばしてくれるはずだ。

 と、思ったのだが。

 詠子の様子が少々おかしい。

 瞬き多めに見つめてくる詠子の頬は、微熱でもあるようにほんのり赤い。


「ちょ、ちょちょ、ちょっと待って行隆くん! 今はそれどころじゃ……。って言うか、あたし意外とそういう経験ないから戸惑うんだけどっ?」


 両手をバタバタと振りながら、困り眉で詰め寄る詠子。

 内心で「困ってる夢咲さんってなんか可愛い……」なんて思いながら、行隆も動揺が止まらない。


「ええ? 何を言ってるの夢咲さん! 夢咲さんが言えって言うから感謝の気持ちを伝えただけで、少なくとも今はそんなつもりじゃ……」

「いいいい今は? 今はっていったいどういう……」

「夢咲さん、お願いだから落ち着いて! 本番前だよ、今一番大事なのは何?」

「……行隆くん?」

「うん、これは重症だね! とりあえず優吾と二江さんが来る前に落ち着こうか! 僕も頑張って落ち着くから」


 行隆は大きく深呼吸をし、自分を落ち着かせようとする。

 そんな行隆の姿を見たら、詠子もようやく我に返ってくれたようだ。「あー……ははは」と気まずそうな苦笑を漏らしてから、恐る恐るといった様子で行隆の様子を窺う。


「あ、あのさ、行隆くん」

「……何?」

「あたし、楽しんで歌うから。見守っててね」


 言いながら、詠子は優しく微笑んだ。

 ちょこんと覗く八重歯が愛らしい、いつもの楽し気な笑顔。

 ただそれだけで、心の底から安心してしまう。本当に、詠子の笑顔のパワーは恐ろしいなと思った。


「うん、もちろんだよ。応援してる。僕も二江さんも優吾も、夢咲さんの味方だから」


 そこで静乃と優吾の名前を加えてしまうところが、我ながら情けないと思う行隆だった。でも、これは決して、行隆と詠子の二人だけの物語ではないのだ。音楽面で優吾が助けてくれて、詠子の心を静乃が救ってくれた。詠子の家族も支えてくれているみたいだし、たくさんの人のおかげで今ここにいるのだ。


「お二人さん、そろそろ良い?」


 すると、背後から聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 行隆はわかりやすく身体をビクリと震わせ、詠子も「へ?」と素っ頓狂な声を上げる。


「し、静乃!」

「それに優吾まで。……今来たの?」


 少しぶかぶかのダッフルコートに、猫の形の耳当てをした静乃。隣には、ジャケットといいニット帽といい相変わらず全身黒の優吾が立っていた。二人とも、何が楽しいのかニヤニヤ顔を見せ付けてくる。


「そんな訳ないだろ。なぁ、二江?」

「うん。ゆうちゃんと同じタイミングで着いたら二人が楽しそうに話してたから、ひっそりと生暖かく見守ってただけだよ。ふふふ」


 ぎゃー、と心の中で悲鳴を上げる。

 いったい、いつから聞いていたのか。だいたい、さっきまで自分は何を言っていたのか。考えるだけで身体が熱くなる。


「見守ってないで早く話しかけてよ、もー」


 心なしか、再び詠子の顔が赤らんでしまっている気がする。


「いつまでもへらへらしてないで、早く会場に行くよ!」


 自分にも喝を入れるつもりで半ば叫ぶようにして言い、行隆達は会場へ向かう。


「……もっと見ていたい、か」

「えっ」


 しかし、ぼそりと呟いた優吾の一言で少し動揺が復活してしまう行隆だった。

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