3-4 静乃の悩み

「えーこの力になるにはどうしたら良い?」


 真面目な話なのだろう、というのはわかっていたつもりだった。でもまさか、喫茶店の席に着いた途端に本題に入るとは思っていなかった。


「なるほど……と、とりあえず何か注文してからで良いかな?」

「あ……」


 行隆が苦笑すると、静乃は大きく口を開けた。


「こりゃうっかり。私ったら、焦りすぎちゃったの。てへっ」


 ほんのり頬は赤く染めながら、静乃は自分の頭をぽかりと叩く。思わず行隆は、自然と笑みを零してしまった。

 行隆はレモンティー、静乃はホットココアを注文し、二人は向き合う。飲み物が来てから話を切り出そうかとも思ったが、静乃があまりにもじっと見つめてくるものだから耐えられなくなった。ため息とともに、行隆は口を開く。


「二江さんは夢咲さんの友達なんだからさ。傍にいるだけで力になってるんじゃない?」


 正直な気持ちを静乃へぶつける。

 真面目に考えているよりも、静乃は静乃らしくしていた方が良いのではないか、と行隆は思ったのだ。のほほんとしている静乃の傍にいるだけで、きっと詠子の心は癒されると思う。


「それじゃ嫌なの」


 しかし、静乃は首を横に振った。

 行隆は作詞、優吾は作曲という形ある協力をしているから、静乃は何かしたいという衝動に駆られているのかも知れない。でも、いくら行隆が「うーん……」と声を出して悩んでも、傍にいる以外の方法が思い付かなかった。


「うー……」


 静乃は眉間に人差し指を当てて、唸り声を上げている。二人して唸っているだけの状態で、果たして答えは出るだろうか。不安に思っていると、静乃が予想外のことを口にした。


「ゆっきー。昔話しても良い?」

「む、昔話……?」

「うん、昔話。と言っても、そこまで昔の話じゃないけど」


 琥珀色の透き通った瞳が、じっと行隆を見つめている。

 唐突に「昔話」なんて言い出すものだから最初は驚いたが、必要な話なのだろうとすぐに理解できた。行隆は静乃の瞳をまっすぐ見つめ返し、大きく頷いてみせる。


「良かったの。それじゃあ、話すね~」


 一瞬だけ微笑んでから、静乃は話し始める。

 しかし、


「あのね。実は私、中学の頃までは友達がいなかったの~」


 と、話し始めから衝撃的な発言をするものだから、行隆は驚いてしまう。しかも真剣なトーンではなく、いつも通りまったりと話してくるものだから、行隆はどんな反応をしたら良いのか困ってしまった。


「あ、別にぼっちだった訳じゃないの」


 行隆の反応に気が付いたのか、静乃はすぐに否定をした。

 どうやら、友達がいないからと言って孤独だった訳ではないらしい。静乃は昔から人見知りなどせず、会話にも入っていける性格だったという。仲良く話せる人は多く、修学旅行のグループ分けなども特に困ることはなかった。

 じゃあ何で友達を作らなかったのか。理由は簡単で、「面倒くさいから」。マイペースで何ごとにもやる気のない静乃は、特定の人と仲良くなることを面倒くさいことだと思っていた。何も考えずにのほほんと生きていきたい。それが静乃のモットーだった。


「高校でもそうしようって思ってたんだけど、隣の席だったえーこに話しかけられちゃってね」


 詠子の名前が出た瞬間、静乃どこか嬉しそうに照れ笑いを浮かべる。

 最初は仲良く話をするクラスメイトの一人になると思っていた。でも、学校では何かと詠子と過ごすことが多く、気付けば休日も会っていた。こんなことは初めてで静乃も戸惑ったけれど、別に普段通り自由に過ごせている自分の姿に気が付く。「ああ、友達を作っても別に問題なかったんだ」という事実を知って、夏までは気楽に過ごしていた。


「で、夏休みが明けたらえーこがアニメオタクになってたの。私はそういう趣味ないし、えーこも私に気を遣ってるみたいで……少し距離を感じてるの」

「……そっか。うーん……」


 きっと、詠子としても同じように悩んでいるのだろう。急に新しい趣味を持ってしまったけれど、静乃にはその趣味がない。趣味の話ができるのは、静乃ではなく行隆や優吾になってしまうのだ。


「でもね、安心してゆっきー。最近は距離を感じるとかどうでも良くなってるの。夢に向かって走るえーこ……凄く格好良いから。私、えーこの友達になれて良かったと思ってるの。……だからこそ、えーこの力になりたいって思っちゃうんだけどね~、へへ」


 どこか寂しそうに、静乃の瞳は揺れていた。先程までまっすぐ行隆を見つめていたと言うのに、弱々しく感じてしまう。


「ねぇ、二江さん」

「……なぁに?」

「二江さんって、趣味とか夢とかってあるの?」


 もしかしたら、と思うことがあり、行隆は訊ねる。

 すると、静乃は不思議そうに首を傾げた。


「さっき話聞いてればわかるでしょーにー。特にないよ~。あ、でもしいて言えば食べることかも。そういえば、ケーキか何か頼めば良かったなー」


 ココアを一口飲んでから、静乃は壁掛け時計を見る。時間は午後五時を過ぎていて、少し残念そうに「んー、まぁいいや」と呟いた。


「なるほど、ね……」


 静乃の返答に、行隆は呟く。思い当たる節が、もしかしたら当たっているのかも知れない。


「あのさ、もしかしたら、なんだけど。夢咲さんは……二江さんのことを、昔の自分と照らし合わせてるんじゃないかな?」

「……どゆこと?」


 言っている意味がわからないのだろう。静乃はまた首を傾げる。


「夢咲さんも今まで趣味がなくて、ようやく本気で楽しいと思える趣味を見つけた。今まで友達に合わせる生活をしてきたけど、初めて自分が好きなものを自分で見つけたんだ。だからきっと、二江さんに趣味を押し付けたくないと思ってるんだよ。あくまで僕の考えだけど、そうかも知れない」

「…………」


 静乃はただ黙って行隆の顔を見ていた。「何を偉そうに言っているんだ」とか、「何をわかったようなことを言ってるんだ」とか思っているのだろうか。行隆は静乃の反応が怖くて、思わず俯いてしまう。


「ふーん」


 やがて、静乃は小さな声を漏らした。

 何かが不服なのか、行隆に見せびらかすように頬を膨らましている。


「ゆっきーの方がえーこのこと、知ってるんだ」


 わざとそっぽを向きながらも、視線はギロリとこちらを見ている。あからさますぎる静乃の態度に、さっきまでの不安がどこかに飛んでいってしまった。


「二江さん、もしかして嫉妬してる?」

「ほー。逆にしてないように見える?」

「あはは、ごめんごめん」


 行隆が苦笑すると、静乃は再び頬を膨らませた。

 でも、よくよく考えると不思議に思ってしまう。確かに行隆は、マイクやオーディションを通じて詠子と深く接するようになった。対して静乃はどうだろう。行隆よりも早く詠子と知り合っているし、休日にも会う仲だという。


「えーこに何も趣味がなかったなんて、知らなかったなぁ」


 なのに、静乃は何も知らなかった。行隆に対して話したことを、静乃にはしていないということだ。やはり、静乃に対して遠慮してしまう部分が詠子にはあるのだろう。


「二江さん」

「なーに? またお説教なの?」

「いやいや、そういう訳じゃないんだけど……」


 これはお説教ではなく、ただのお節介かも知れない。頭の中で思いながら、行隆は頭を掻く。整った前髪から覗く琥珀色の両目が、行隆の顔をじっと見つめている。軽く深呼吸をしてから、行隆は答えた。


「今日みたいにさ、本音で話してみれば良いんじゃない? 夢咲さんに」

「本音で……えーこに?」

「うん」


 行隆は強く頷いてみせる。しかし、静乃は「うー……」と唸り出してしまった。今まで友達付き合いを避けてきた静乃にとっては難しい話だったかも知れない。

 でも、今日静乃は「えーこの力になりたい」と行隆に言ってきた。本気で詠子と付き合っていきたいと思っているからこその行動だろう。だからここから先も頑張れると行隆は思った。


「うーーーーーーん……。面倒臭い」

「おい!」


 思わずズッコケそうになってしまう。何なのだろうその答えは。「面倒臭いじゃないよ! 頑張ってよ!」と言いたい気分だ。いや、むしろ言おうとしていた。でも静乃が先に口を開いてしまったのだ。


「だって、今でも十分疲れてるもん。誰かと本気で真面目な話するのやだ。面倒臭い。もっとのほほんとお気楽に人と接したいの」


 なんて正直なことを言うんだと思った。でも、静乃の気持ちはわかる。というか、人は誰だってそうではないかと思った。頭を使って話をするよりも、楽しい話をする方が良いに決まっている。


「でも私は、えーこと友達になった。いつの間にかなってたし、ただの仲の良いクラスメイトになるつもりはない。……そんなえーこが今頑張ってて、輝いてて、面倒臭いって逃げてる私はとっても惨めなの。どや!」

「……な、何で得意気なんだろう……」


 小さな両手を握り締めて、何故か微笑む静乃。もちろん行隆は呆れたが、静乃は行隆の様子など気にもせずに話を続けた。


「だから、考えておくの。すっごく面倒だし、嫌だけど、仕方がないの。だって、私はえーこを知ってしまったから。友達でいたいって思っちゃうから、頑張るの。……いつかだけどね~」


 えへへ、と静乃はどこか嬉しそうに笑う。

 行隆はそんな静乃の顔を、口を大きく開けながら見つめていたようだ。


「ゆっきー変な顔。でも、今日ゆっきーと話したのは、ちゃんと決意したかったからだと思う。付き合わせちゃってごめんね~」

「ああ、うん……それは大丈夫だよ」


 頷きながらも、行隆の心は未だに唖然としていた。何というか、二江静乃という人間は本当に不思議な人だと思ったのだ。話し合った結果「いつか頑張る」という何とも残念な結果になったのに、心は何故かすっきりしている。

 きっと、静乃にとっては大きな一歩を踏み出したのだろう。行隆はその手伝いができた。自意識過剰かも知れないが、なんとなく嬉しい気持ちで包まれる。


「ゆっきー、これからもえーこをよろしくね。最終選考、何が起こるかわからないけど、何があってもゆっきーとゆうちゃんで支えて欲しいの」

「二江さんもでしょ?」

「はーい。面倒臭いけど頑張る~」

「まったくもう……」

「冗談だよ~。支えることは私も全力でするから安心してゆっきー」


 言いながら、静乃はウインクをしてみせる。「ぅおぅ」と妙な声を漏らしながら、行隆は全力で視線を逸らしてしまった。


「あ、そーだゆっきー。アドレス交換しよう。えーことは連絡し合ってるんでしょ? 私だけ仲間外れは嫌だよ~。って、何でよそ見してるの?」


 こっち向けゆっきー、と言いながら静乃が素早く手を振ってみせる。行隆はわざとらしく笑い声を出しながら、鞄の中の携帯電話を取り出した。


「け、ケータイを取ってただけだよ。ほら、交換するんでしょ?」

「ゆっきー顔真っ赤~。もしかして、私のウインク効果抜群?」


 遠慮も何もなく、行隆の顔を覗き込んでくる静乃。一瞬だけ目が合ってしまい、行隆の心はますます混乱してしまう。


「はいはいはいはいもうわかったら交換するよ!」

「へーい」


 ようやくからかうのを諦めてくれたらしく、静乃は両手を上げながらソファーにもたれかかる。ニヤニヤと楽しげに微笑み続けながら、携帯電話を取り出した。

 そんな静乃を見つめながら、行隆は考える。詠子といい静乃といい、異性の行隆に対して遠慮なく接してきてくれる。


「似てるよ。二江さんと夢咲さんは」


 だから行隆は、自然と呟いた。


「きっと、いつかもやもやもなくなって……これからも仲良くなれると思う。僕が保障するよ」


 何でこんなにもきっぱりと言い切れるのかは謎だ。でも、口が勝手に動いてしまう。詠子と静乃とはまだ数ヶ月しか接していないけど、知れた部分は結構あると思うのだ。


「なんだそれ~。もー、ゆっきーったら、照れるのか真面目になるのかハッキリしてよね~」

「ずっと真面目のつもりだったけど、二江さんが邪魔するのがいけないんだよ」

「何のことかさっぱりですな!」

「おいっ」


 行隆が突っ込みを入れても「はて?」と首を傾げ続ける静乃。「まったくもう」と思い切り呆れてから、行隆と静乃はようやくアドレス交換をした。女子とアドレスを交換するのはこれで二度目だが、やはりなんとなく緊張してしまう。


「言っておくけど、えーこのことで相談するためだから。プライベートなやり取りはNGなの。わかった?」


 しかし、その言葉のおかげで緊張はどこかに吹き飛んだようだ。「わかってるよ!」と言いながら、行隆は残りのレモンティーを飲み干す。「半分冗談だから安心して」などとよくわからない受け答えをしてから、静乃もホットココアを空にした。


「今日はお世話になったから、奢ってあげても良いけど?」


 立ち上がるなりそんなことを言い出す静乃に、行隆は反射的に否定した。


「今日は僕も楽しかったって言うか……少し冷静に考えられたから。僕が奢りたいくらいだよ」

「えー」


 静乃は残念そうに肩を落とす。どうやら本気だったようだ。行隆は苦笑しつつ、普通に割り勘にしようということで話は落ち着く。

 こうして静乃と別れ、行隆は一人暗くなった道を歩いた。一人になった途端、行隆は色々と考えてしまう。オーディションには応援することしか関われていない静乃でさえ、あんなにも悩んでいたのだ。今頃、詠子や優吾は何を思っているのだろう。特に詠子。オーディションを受ける張本人。でも優勝は目指してなくて、偽りの歌声でここまで来た。戸羽子に不正をしていると言われ、傷付きながらも目標のために来たのだ。


(僕も、どうやって夢咲さんを支えたら良いんだろう)


 静乃には傍にいるだけて良いと言ったけれど。もしも、これ以上詠子が傷付く出来事が起こってしまったらどうしたら良いのだろう。優勝とは別の目的を持っているのだから、これから何が起こるのかはわからないのだ。きっと、詠子も優吾も静乃も、覚悟の上最終選考に行くと決めたのだ。


(きっと、大丈夫だよね)


 とにかく今は、信じるしかなかった。

 最終選考に出て、マイクのことを鈴葉に訊いて、そして――詠子のアニソン歌手への道はようやく開かれる。偽りも何もなく、正々堂々と目指すのだ。

 その日が来るのを信じて進もう。行隆は自分に言い聞かせながら歩き続けた。

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