第三章  進みたい、という気持ち。

3-1 詠子の視線

 二次選考はあっという間にやってきた。

 行隆と詠子、優吾に……付き添いで静乃。久々に四人が揃い、二次選考が行われるスタジオまで電車に乗ってやってきた。「さすがのあたしも緊張するから」という理由で静乃を誘ったと言うが、緊張している素振りなどまったくない。


「ここがスタジオみたいだね。四人で遠出なんて、なんかわくわくしちゃった」


 と、逆にテンションが上がっているくらいだ。そんな詠子の服装は、タータンチェック柄の赤いワンピースに黒タイツ、ブラウンのブーツという秋っぽい格好だった。何気なく初めて見る私服姿である。密かに「いつもより大人っぽいな」と思ったのは内緒だ。ちなみに行隆はグレーのパーカーにジーンズというラフな格好で、いつも通りである。


「夢咲さんは凄いね。僕なんか緊張で吐きそう……」


 最終選考に行けるかどうかの瀬戸際だというのに、呑気すぎる詠子には驚いてしまう。行隆は思わず顔をしかめた。


「ふーん、本当に?」

「……いや、そこまでじゃなかったよ。うん」

 笑顔でビニール袋を取り出そうとする詠子に、行隆の顔は苦くなる一方だ。

「えーこ。私、本当について来て良かったの? 居場所ある?」


 訊ねるのはこれまた私服姿を初めて見る静乃。白いレースのチュニックに深緑の短パン、グレーのニーハイにスニーカーを履いている。詠子と同じく新鮮で大人っぽく、「この大人しそうな女性は誰かな?」という感じだ。まぁ、口を開かなければの話だが。


「んー……」


 静乃の問いに、詠子は顎に人差し指を当てながら辺りを見回す。


「スタジオに入って行く人、親同伴の人も多そうだよ。だから待機できる場所があると思う」

「え。私、えーこの親に見える?」


 両手を広げて、真顔で驚きのポーズをする静乃。


「はいはい。ふざけてないでスタジオ入るよ。行隆くんも優吾くんも」


 本当に、今から大切な二次選考が始まるのだろうか。「おう、そうだな」と涼しい顔で返事をする優吾(全体的に黒い服装。いつも通り)に、「つまんないのー」といじける静乃。なんだか、一人緊張している自分が馬鹿みたいに思えてきた行隆だった。


「えーこ。私、何もできないけど……。ここで待っている間、暇を持て余す程にすることがないけど……。頑張るのだよ~」


 親指を突き立て、得意げに微笑む静乃。

 受付を済ませたあと、「お連れ様は待合室でお待ちください」と言われてしまったのだ。


「ごめんね静乃。せっかくついて来てもらったのに」

「? なんでえーこが謝るの? 私は作詞も作曲もできないし、だいたいアニメについてもそこまでわからないし、仕方ないと思う。でも……えーこのこと、近くで応援したいから。それだけなの~」


 言いながら、だらけるようにソファーに座り込む静乃。「んー。おやつ持ってこればよかった」と心底残念そうに呟く静乃を、詠子はじっと見つめる。


「静乃……。ありがとう。あたし、頑張ってくるね!」

「終わったら何か食べよーねー」

「あはは、そうだね。ちょうどお昼時だろうし、皆で食べよう」


 と、ここで「ピンポンパンポーン」とアナウンスが鳴る。出場予定者はAスタジオへ入場してください、とのこと。もうすぐ、二次選考の本番が始まるのだ。行隆は小さく深呼吸をした。


「それじゃあ静乃。行ってくるね」

「うん。ゆっきーとゆうちゃんも頑張って。特にゆっきーね」

「……何の話かなっ?」


 行隆がビクリと過剰反応すると、静乃はいかにも楽しそうに「へへ」と微笑んだ。「まったくもう」と思いながらも、行隆は自然と笑顔になる。なんだか、緊張が少しだけ吹き飛んだような気がした。


「ばいばーい」


 と手を振る静乃に見送られながら、行隆達は指定されたAスタジオへ向かった。



 Aスタジオは、予想以上に広かった。すでに審査員席が四つに、出場者席が三十程。作詞・作曲者のための席も数席用意されていた。二次選考は他の地方でも行われていて、全体で十名が最終選考に進出できる。ここにいる三十人のうち何人が最終選考に行けるのか。それすらもわからず、会場内は妙な緊張感に包まれていた。

 十分後、二次選考がスタートした。審査員は鈴葉によく曲を提供している作詞・作曲家、そして鈴葉のマネージャーも参加している。もちろん他の出場者にも見られてワンコーラス歌唱しなければならないため、どう考えても緊張しない訳がなかった。出場者は中学~大学生の女性が多く、さすが一次選考を通過しただけあって歌が上手い人ばかりだ。マイクを利用しない詠子より上手いだろう――と思ってしまう人も、正直たくさんいた。しかし、緊張で声が震えたり、ずっと俯いたままだったり、「ああ、残念だなぁ」と思う人もちらほらいる。ちゃんと歌い切るという点では詠子が勝っているだろう、と思えた人もいたのもまた事実だ。


「続きまして、エントリーナンバー七番の夢咲詠子さん。準備をお願いします」

「はい!」


 詠子の出番は比較的早めだった。元気良く返事をする詠子とは裏腹に、行隆はただただ心の中で「どうしよう、どうしよう」と繰り返す。詠子のことももちろん応援したいが、自分がこの中で喋らなければいけない、という不安で頭がいっぱいだ。


「あの、すみません。Myマイクで歌わせていただいても……」

「ああ、どうぞ」


 すると、詠子は審査員の一人に声をかける。審査員の一人、作曲家の爽やかそうな青年は何気ないように頷いてくれた。――そういえばそうだった。これで断られていたら、詠子は素のままで歌うことになる。詠子には申し訳ないが、今の実力では他の人に埋もれてしまうだろう。だから今は。今だけは。マイクに頼るしかないのだ。

 詠子は「ありがとうございます」と小声で呟きながらも、一瞬だけ苦笑を覗かせた。仕方ないとは思いつつも、後ろめたさはどうしても出てきてしまうのだろう。


「エントリーナンバー七番、夢咲詠子です! オリジナル曲、ビギニングゲートを歌わせていただきます」


 しかし、中央のステージに立った途端、詠子は変わった。緊張なんて言葉を最初から知らないような明るい声。「今から歌を届けるんだ」という強い眼差し。音楽が流れると、天使が描かれたマイクを握り締めながら、ノリノリで身体を揺らした。


「……堂々としてんな」


 隣の優吾が耳打ちしてくる。行隆は大きく頷いた。まだ七人目だが、今まで出てきた誰よりも堂々としていて、楽しんで歌っている。本当に、歌唱力さえ追い付けば彼女は無敵なのではないか。そう思ってしまう程に、詠子のパフォーマンスは完璧だった。


(あれ……?)


 と、思っていたのに。

 何故か突然、詠子の表情が歪んだような気がした。いや、実際問題笑えていない。せっかく、ここにいる皆を楽しませるような勢いだったのに。だんだんと、崩れていく。


(夢咲さん、誰かを……見てる?)


 ちらちらと、詠子の視線が一点に集中しているような気がした。試しに審査員席を見てみると、一人だけ明らかに表情がおかしいな人がいた。思わず、優吾と目を合わせる。


「なんか……あの人、怒ってるように見えるんだけど」

「……ああ」


 再び優吾と耳打ちし合い、事実を認識する。

 審査員のうちの一人。赤紅色ロングヘアーに、刺々しい灰青色の瞳。紺色のスーツに身を包んだ真面目そうな女性は、植原うえはら戸羽子とわこという名前らしい。聞いたことがない名前だが、この人も作曲家か作詞家なのだろうか。わからないが、とにかくその女性は前のめりになって詠子を睨むようにして見つめている。こぶしを握り締めていて、どう見ても怒りを露わにしているようにしか見えなかった。


(夢咲さん……!)


 行隆はただ、詠子のことが心配になる。

 彼女は何故あんなにも怒っているのか。考えれば理由はわかるのかも知れない。でも今は何も考えられなくて、詠子に不安の視線を送ることしかできなかった。

 堂々としていたのは最初の数秒だけになってしまうのか。せっかくの詠子の持ち味が、一人の審査員の圧力で潰れてしまうのか。そう、思っていた。

 でも、詠子はサビが始まるほんの一瞬で呼吸を整えたようだ。Bメロ辺りの動揺が嘘のように、Aメロと同じような輝く笑顔とまっすぐな視線を取り戻す。


「あ……」


 ビックリして、行隆は思わず小さな声を漏らしてしまった。きっと、詠子の心の中では「ああ無理だ」とか「どうしよう」とか、絶対に思ったはずなのだ。なのに、詠子は途中から歌い始めのテンションに戻した。自分にはできない行動だと思う。だから行隆は、ただただ驚いていた。


「夢咲さん、ありがとうございました。今回はオリジナル曲ということで、それぞれ作詞と作曲をされた方がいるそうです。出てきていただきましょう」


 最後まで、詠子は自分を貫き通した。そんな詠子に感動していて、行隆はしばらくぼーっとしてしまっていた。


「おい、行隆。呼ばれたぞ」

「えっ、あ……はい!」


 慌てて返事をすると、周りから若干の笑いが起こった。物凄く恥ずかしい。今すぐにでも帰りたい気分だ。でも、詠子は最後まで頑張ったのだ。今更自分が逃げることなんてできない。


「えー……ビギニングゲートの作曲をした並木優吾です」

「さ、作詞をした、弁野行隆、です」


 頭が真っ白で上手く喋れない。本当に大丈夫なのだろうかと、ここに来て不安になってしまった。そんな行隆の様子を察してか、優吾が先に話し出す。


「夢咲さんは魔法少女マジックプリンセスが好きなので、とにかく格好良いメロディーにしようという話になりました。これから戦いが始まるというわくわく感を表現しようと、ロック色を強く作ってみました」


 淡々とした口調で話す優吾。わー凄いなぁなんて他人事のように思っていると、優吾がアイコンタクトを飛ばしてきた。


「あ、えっと」


 どうやら、もう話すことがなくなったらしい。もしかしたら、意外と優吾も緊張しているのかも知れない。そう思うと、行隆は案外自然と口を開くことができた。


「作詞をする前に、曲名から先に考えました。ビギニングゲートというタイトルには『始まりの扉』という意味があって、冒険に出る少年の気持ちをイメージしています。メロディーが格好良いので、歌詞はあえて少年らしい初々しいものにしてみました。……い、以上です」


 本当はもっと話すことがあったかも知れないが、これ以上話そうとするとごちゃごちゃになりそうな気がしたからやめた。しかし、焦らずに言い切れたことは自分を褒めたい。頭の中はすでにいっぱいいっぱいなのだ。


「夢咲さん、並木さん、弁野さん、ありがとうございました。席にお戻りください」


 行隆は詠子と優吾とともにお辞儀をして、素早く席に戻る。


(お、終わったんだ、僕達の番……)


 エントリーナンバー八番の人の歌唱が始まるのを見つめながら、行隆はようやく落ち着けるようになったと小さく息を吐く。


(大丈夫かな、夢咲さん)


 そして、視線は自然と離れた席に座る詠子へと向いた。詠子は、ずっと俯いてしまっている。

 先程の審査員の一人の反応はどう考えても異常だった。きっと、詠子はそのことが頭から離れないのだろう。行隆だってそうだし、優吾もさっきからちらちらと審査員席を気にしている。植原戸羽子という名前の女性は、詠子の時の反応が嘘のように、凛と背筋を伸ばして真面目に審査しているようにしか見えない。

 詠子のパフォーマンスは、少しだけ表情を歪めてしまったがほぼ完璧だと思う。だからきっと大丈夫。最終選考に行ける。

 まるで自分に言い聞かせるように、行隆は祈り続けた。

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