2-2 天使と女神
それから先も話は尽きなかった。
詠子がこれまでの間に観たアニメ。行隆おすすめのアニソン歌手。行隆が普段どんな小説を書いているのか(だいたいファンタジーが多い。優吾にイメージソングを作ってもらったこともある)。鈴葉の曲は何が一番好きか。鈴葉の演じるキャラクターは誰が一番好きか。というか鈴葉のどこが好きか。後半はほぼ鈴葉について語り合った。
「行隆くんが一緒にいてくれて良かったよ。あたし、一人だったらかなり退屈してたかも……」
整理券をゲットできたのが十一時過ぎくらいで、握手会が始まるのが十二時。コンビニで買ったパンやおにぎりで軽く昼食をとってから、行隆と詠子は握手会の列に並んでいた。
「行隆くんはこういう時間どうやって潰してるの?」
「うーん。時々優吾を誘うけど、一人の場合は曲を聴いてるよ。鈴葉さんのイベントやライブの日だと鈴葉さんの曲だけを聴くんだ」
「へぇ。じゃあ、色んな人が出演するフェスの場合は?」
「もちろん、そのフェスに出演する人だけの曲を聴くよ。それ用にプレイリストを作って聴くんだ」
「おー、なんかそれはそれで楽しそう! あたしも最近になってようやく音楽プレイヤーを買ったんだ。まだ曲は少ないんだけどね」
「今度色々CD貸そうか?」
「おおっ、嬉しい! あたしも何か貸せそうなやつあるかな……なんか、行隆くんならすでに持ってそうなのばっかりだなぁ……」
まだまだ話は尽きない。二人きりでこんなに長い時間いるのは初めてなのに、まったく沈黙が起こらないのだ。優吾といる時よりも話が続いている気がする。まぁ、優吾は元々口数が少ない時はとことん少ないからなのだが。
「…………」
「……んんっ」
「……ふうー……はぁ」
しかし、沈黙は突然訪れた。
仕方のないことなのだ。時間が迫ってきたのだから。
「あれ……あたしの前、あと何人……?」
「ええと、十人くらい、かな?」
「じゅ、じゅうにん」
カタコト気味になる詠子。気持ちはわからなくもない。というか、物凄くわかる。
何を話そう。鈴葉から話を振ってくれるだろうか。それとも、自分から何か言わなくてはいけないだろうか。だいたい、鈴葉と手を繋ぐ。至近距離で見られる。ライブでは運が良ければ目が合う程度なのに、今回は必ず目が合う。それに、至近距離だ(二回目)。
行隆とて、初めての握手会だ。意識すれば意識する程、鼓動が高まる。
「あとなんにん?」
「ななにん、かな」
「ななにん……」
二人して緊張のメーターが壊れているようだ。普段は緊張なんてしなさそうな詠子が目を回しているのには驚きだが、それだけ鈴葉に憧れているのだろう。
「あっ、あっ、行隆くん!」
「どど、どうしたの?」
「これから鈴葉さんとお話しする訳だけど……マイクのことは、言わないよね?」
小声になりながら、詠子が問いかけてくる。
まさかここで、マイクの話が出てくるとは思っていなかったため、思わず目を丸くさせてしまった。
「握手会だし、スタッフの人も聞いてるし、ちゃんと聞けないと思うけど……」
「だ、だよね! うん、何でもない。それより……なんにん?」
「……ごにんだよ」
「ごにんっ」
詠子がびくりと身体を震わせるのと同時に、行隆の鼓動も速度を上げていく。あと五人しかいないどころか、すでに鈴葉との距離が近い。あと何分……いや、あと何秒で自分の出番になるのだろう。ファンと握手をしながら笑顔を絶やさない鈴葉の姿が見える。だんだんと、何も考えられなくなり頭が真っ白になった。
「夢咲さん、次だよ」
「あばばばば……う、うん! 頑張ってくるよ!」
いったい何を頑張るのか……まぁ、緊張しないようにだろう。もう手遅れなような気がするが、弱々しい微笑みを見せてくれた。
「次の方ー」
「あ、は、はい!」
スタッフに呼ばれ、詠子が早足になりながら鈴葉の前へ行く。鈴葉から差し出された手を、詠子はぎこちない様子で握る。
「ありがとう~。あ、何人か目の道ヶ丘高の制服だ。この間の学園祭はありがとうね」
「は、はい! 凄く楽しかったです!」
遠目から見てもわかるくらい、詠子の瞳が輝いている。
「それでその……あたし、あ、いや、私! 鈴葉さんに憧れていて、アニソン歌手になるのが夢なんです!」
「そうなんだ! もしかして、オーディションにも出るのかな?」
「はい、そうなんです」
「じゃあ、最終選考で会えると良いね。道ヶ丘高の子が優勝したら私も嬉しいよ」
「……はい、頑張ります。あ、これからも応援してます!」
スタッフの合図で、握手が終わる。しかし、終わっても鈴葉が手を振ってくれ、詠子も恥ずかしそうに振り返していた。
「はい、次の方」
と、詠子の姿を見守っている場合ではなかった。今度は自分の番なのだ。心臓がばくばくするのを感じながら、行隆は早足で鈴葉の元へ行く。
栗色の髪はさらさらで、ポニーテールにしている緑色のリボンは、いつもより大きめでキラキラのラメが散りばめられている。今日の衣装は大人っぽい黒いドレスで、まだ十代とは思えない程の色気とオーラを感じた。
そして――優しさに溢れている萌黄色のタレ目は、まっすぐに行隆の姿を見つめていた。差し伸べされた手を握ると、思った以上に小さくてほんのり温かい。
「ありがとう~って、また道ヶ丘高の子だね。もしかして、彼女さんなのかな?」
「え? いやあの、と、友達です」
「あはは、困らせちゃってごめんね。あなたも学園祭のステージに来てくれたのかな?」
「はい! 僕、ずっとファン……スズハウスの入居者だったので、学校で鈴葉さんのステージが見れて感動しました!」
「わぁ、ありがとう」
心から喜んでくれているように、繋いでいない方の手を口元に当てて微笑みを浮かべる。この笑顔は自分のためだけに見せてくれているんだ。なんて気持ちの悪いことを考えると、嬉しすぎて頭がぐるぐるしてしまう。
「あの、ええと……」
この時間を無駄にしてはいけない。何か話さなければ。
「マイクのことなんですけど……」
必死に考えていたら――馬鹿みたいな口の滑らせ方をしてしまった。「マイク」という単語を口に出してしまってから、「何を言ってるんだ僕はああああっ!」と心の中で叫ぶ。
「え……?」
鈴葉は、一瞬だけ笑顔をなくした。
驚いたように目を開き、口を大きく開いている。
「え、あ……ありがとうございました!」
スタッフの指示が入り、鈴葉から離れていく。
最後の最後に、変な言葉を口走ってしまった。何か心当たりがあったのかはわからない。でも、鈴葉を困らせてしまった事実は変わらないのだ。
だから行隆は、落ち込みながらその場を去ろうとした。
「ありがと~」
鈴葉が満面の笑みで手を振っている。さっきの表情が嘘のようだ。仕事だからこんなにも簡単に笑顔になれるのだろうか。それにしたって、両手を大きく振る鈴葉は楽しそうでまるで天使のようだ。思わず行隆も気の緩んだ笑みで手を振り返してしまう。
その手には鈴葉の手のぬくもりが残っていて、行隆はしばらくの間ニヤけが止まらなかった。
どうやら、気が緩んでいるのは行隆だけではないようだ。
「はあぁ……夢のような時間だったねぇ」
握手会が終わり、行隆は詠子とともに駅のベンチに座っている。ミニライブは午後二時から始まるが、すでに席は埋まってしまっている。なるべく前の方で見たいなら立って待っているべきだが、その前に一度座って休憩しようという話になったのだ。
「そうだね……なんていうか、天使みたいだった……」
詠子と二人して、幸福のため息を吐く。
たった数秒の出来事が頭の中でループされ、このままでは永遠に思い出し笑いをしてしまいそうだ。隣に座る詠子も同じような様子なため、夢じゃないのだとひしひしと感じてしまう。
「天使……いや、何言ってるの行隆くん。女神だよ女神。さっきの鈴葉さんはすべてを優しく包んでくれる女神のようだったよ……」
「いやいや、天使だよ。目の前で見る鈴葉さんが今まで一番可愛いと思ったんだから。鈴葉さんはやっぱり天使だったんだ……」
「確かに鈴葉さんは可愛いけど、あたし達にとっては年上のお姉さん。大人っぽくて美しい女神様なんだよぅ」
変な言い争いをしているうちに、だんだんと詠子がいじけてくる。
唇を尖らせる詠子の姿が可愛らしく見え、「ここにも天使かな?」と密かに思う行隆。
「……なんかもう、鈴葉さんは天使であって女神でもある。って感じで良いんじゃないかなぁ」
「確かにー。天使で女神……良いねぇ。あたし達はさっき、そんな天使で女神なお方に会えたんだよ。もうすぐライブも見れるんだよー。えへへ、えへへへへ……」
「楽しみだね。あはは、あはははは……」
気が抜け過ぎて壊れているように見えるが、仕方のない話なのだ。
初めての握手会。そして隣には気持ちをわかち合える人がある。それだけで楽しさが二倍になるのだから不思議である。まぁ、一人でも十分興奮していたと思うが。
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