第二章  ようやく見つけたから。

2-1 彼女にとっての夢

 なんやかんやで締め切りギリギリにオーディションに応募してから、数日が経った。相変わらず、ここ最近の出来事を振り返ると「夢なんじゃないか」という錯覚に陥ってしまう。これから先、どうなるのか。鈴葉に話せるのか。どんな真実が待っているのか。考えれば考える程に、止まらなくなってしまう。行隆自身も、もう少し冷静になった方が良いのではないかと思っていた。


 だから、行隆は詠子をとあるイベントに誘った。まぁ、「とある」なんてわざわざ言わなくても誰のイベントであるかは一目瞭然だろう。

 そう。当然のように、瀬名川鈴葉のイベントだ。新曲を発売したばかりの鈴葉が、そう遠くはない駅前のイベントスペースでミニライブ&握手会を行うのだ。この前の学園祭と違うところは、握手会があるというところだろう。何回か鈴葉のライブに足を運んだことがある行隆だが、握手会に参加したことはない。新曲の発売記念イベントを知ってから、行隆は一人ででも必ず参加しようと決めていた。が、せっかく鈴葉が好きな詠子と知り合ったのだ。二人きりで出かけてしまったらまるでデートのようになってしまう。なんて変にドキドキしながらメールをすると即オーケーしてくれた。というよりも、行隆と同じく元から参加する気でいたらしい。


 午前八時。行隆は若干眠気が襲ってくるのを耐えながら、イベントスペースのある駅の中で立っていた。休日であるにも拘らず、制服に身を包む行隆。鈴葉に一目で道ヶ丘高の生徒だとわかってもらうためだ。そうすれば学園祭の時の話もしやすいだろう、という魂胆である。


「あれ、行隆くんもう来てる!」


 時刻は八時十分。十分の遅刻……という訳ではなく、元々八時半の集合の予定だった。しかし、行隆はライブやイベントだと楽しみ過ぎて早め早めに行動してしまうのだ。


「早いよ行隆くん。……ってありゃ?」


 行隆を見つけるなり駆け足で近付く詠子。ぎこちなく行隆が手を上げると、詠子は大袈裟に首を傾げてみせた。


「ぷっ、あははは! 行隆くんも制服だ。考えることは一緒なんだね!」


 目の前にいる行隆を指差し、詠子は楽しげに笑みを零す。


「ああ、そのことかぁ……」


 呟きながら、行隆は詠子につられるように微笑みを返す。しかし、内心では少々残念な気持ちも抱いてしまっていた。学校以外の場所で詠子に会うのは初めてだし、そういえば私服姿が見られるのかも知れない。なんて、淡い期待を抱いてしまっていたのだ。


「あたし達は鈴葉さんのファンだけど、母校の生徒でもある。制服を着ていれば特別な会話ができるかも知れないよね!」


 期待が溢れ出すように、詠子の瞳はキラキラと輝いていた。同時に、八重歯も眩しい。元々行隆も楽しみにしていたはずなのに、詠子の隣にいるとますますテンションが上がってくる。


「でも僕は結局、緊張してまったく話せなさそうだなぁ」

「駄目だよ行隆くん。いずれはちゃんと鈴葉さんとお話ししなくちゃいけないんだから」

「あはは、そうだね……って、こんなところで立ち話してても仕方ないか。とりあえず、物販の列まで行こう」


 握手会に参加するには、物販で販売される新曲のCDを買う必要がある。行隆はすでに初回限定版のCDを購入済みのため、今回はタイアップしているアニメイラストがジャケットになっているアニメ版のCDを購入するつもりだ。

 物販が開始されるのは午前十時から。あと二時間近くあるが、物販にはすでに数百人もの人が並んでいた。行隆としてはライブグッズを買うために物販に並ぶことは多いため、「なるほど」としか思わなかった。


「ほえぇ……これ、十時になっても買えるまで時間がかかりそうだね……」


 列の最後尾に並ぶと、詠子のテンションが早速落ち始めた。並ぶ時間が二時間以上なのは確定だから、仕方のない話だろう。


「学園祭の整理券はもっと楽に手に入ったのにな……」

「夢咲さんは、あまり長い列に並ぶことはないの?」

「んー……。バームクーヘンとかシュークリームとか、人気のスイーツなら何度か並んだことあるよ。と言っても、だいたい三十分くらいで買えちゃうんだけど」

「な、なるほど……」


 バームクーヘン、シュークリーム、スイーツ……。

 突然詠子の口から発せられた女の子らしいワードに、行隆は一瞬戸惑ってしまう。もちろん甘いものが苦手な訳ではないが、並んで買う程こだわりはない。


「どうしたの、あたし、なんか変なこと言った?」

「いや、あの、やっぱり女の子なんだなって思って……」


 ――って、何を馬鹿正直に言っているのだろう。

 行隆は慌てて口を押さえるも、詠子はすでに硬直したまま口をぱくぱくさせていた。


「え、なになに? 行隆くん天然であたしを口説いてるの?」

「天然ってわかってるなら変な反応しないでください!」


 思わず敬語が漏れる。

 とはいえ、まだ出会って数日だというのに、詠子とは普通に話せている。まぁ、ここまで色々な出来事があったし、今更緊張している場合ではないのだが。


「ごめんごめんって。…………ん?」


 行隆はついつい、照れ笑いを浮かべる詠子の顔をじっと見つめてしまった。

 別に可愛くて見惚れていたとか、そういう訳ではない。少しはあるかも知れないが。でも、行隆の胸の奥でふつふつと湧き出る気持ちがあった。

 詠子はアニメを好きになって日が浅い。なのに、行隆が眩しく思う程に詠子はアニメに対して、アニソンに対して情熱的だ。詠子の明るい性格からして、アニメ以外にも楽しいことはたくさんありそうなのに。何が詠子をそこまで燃え上がらせるのだろう。

 ふいに、行隆は気になって仕方なくなった。


「行隆くーん、どしたの?」

「夢咲さん、ちょっと……聞きたいことがあるんだけど、良いかな?」

「うん? アニメのことなら行隆くんの方が詳しいと思うけど……」

「そうじゃなくて! ええと、夢咲さんってアニメ好きになってまだ数ヶ月しか経ってないでしょ? だから、その……」

「あー……」


 行隆の言葉の途中で、詠子は何かを察したように頭を掻いた。


「どうしてあたしがそこまでアニメにのめり込んでるか不思議なんでしょ? 元々はただの女の子みたいだったあたしが」


 言いながら、詠子は行隆に八重歯を見せる。でも、どこか苦しそうにも見えてしまい、行隆は「聞いちゃいけないことだったのかも……」と内心青ざめた。


「ご、ごめん! なんか変なこと聞いちゃって……」


 慌てて頭を下げると、詠子の笑みは一瞬で苦さを失う。


「いや、そんなことないよ。というか、行隆くんにはオーディションに協力してもらっている訳だし、隠しごとは良くないよね。うん、話すよ。むしろ話させて。ね?」


 言って、詠子は小首を傾げる。

 行隆にはただ、こくこくと何度も頷くことしかできなかった。


「あたしね、実は今まで夢がなかったんだ。……というか、趣味すらなかったの」


 苦笑から、詠子の話は始まった。

 明るくて。好きなことや夢に対してどこまでもまっすぐで。憧れすら抱いてしまう程に眩しい。それが、ここまで行隆が感じていた詠子の印象だった。

 だから、行隆は早速驚いてしまう。

 まだ高校生だし、夢がないのは普通のことだと思う。行隆は小学生の高学年の頃から小説家を目指しているが、今の詠子みたいにまだ積極的ではない。でも、小説を書くのが好きで、それ以前にアニメやアニソンが好きだ。行隆にとって、一生手放せない趣味だと思っている。


「趣味がない……?」

「あはは、凄く驚いてるね」

「ご、ごめん夢咲さん。でも、夏休み中にアニメを好きになる前は何をして過ごしてたのかなって思っちゃって……」

「うーん、別に遊んでなかった訳じゃないんだよ?」


 友達とショッピングに出かけたり、友達が観たいと言った映画を観に行ったり、友達とプリクラを撮ったり……。小中学生時代の休日の過ごし方は友達に合わせることが多かったという。

 小中学生の頃の将来の夢は「ケーキ屋さん」。その夢もまた、友達に合わせて抱いた夢だった。高校生になって友達と離れ離れになってから、詠子はようやく気付いた。自分は、友達がいないと成立しない行動ばかりしていた。自分はとんでもない無趣味な人間だったのだと。

 休み時間の過ごし方が、わからなくなった。部活も何に入れば良いのかわからず、結局帰宅部になってしまう。隣の席だった静乃と仲良くなるも、心の中にぽっかりと穴が開いてしまった。でも、マイペースな静乃と一緒にいるのは楽しい。休日は度々静乃と会って、クレープやたい焼きを食べに行った。結局は食べるのが好きな静乃に合わせた行動だったが、それでも楽しい日々が続く。

 しかし、夏休みになるとさすがに時間を持て余してしまう。静乃や小中学生の頃の友達を誘う気にもなれず、「私の趣味、何かないかなぁ」なんて漠然と思っていた。

 そこで詠子は気付く。自分は別に、アニメが好きなオタクに対して嫌な偏見を抱いたりはしていない。ただ、兄がアニメオタクなのは知っていた。今まで、興味を示したことは一度もない。兄と同じ趣味はちょっとなー、という気持ちがあったのかも知れない。

 でも、今の詠子は何か新しいものに触れたい気持ちで溢れていた。

だから観た。魔法少女ものなら小さい頃に観たことがあるからと思って観た。

魔法少女マジックプリンセス。

 兄が撮り溜めていたアニメ。ずっとHDDの中に残っているものだから、タイトルだけは覚えていた。きっと、暇つぶしにはなるだろう。軽い気持ちで詠子は視聴を始める。

 結果、全二十六話あったマジプリを三日間で観てしまった。

 正直、面白かった。ドラマをよく観る詠子だが、ドラマともまた違った新しい世界が開かれた気がしたのだ。物語も、キャラクターも、声を当てる声優の演技も、何もかもが衝撃的で、詠子の心は光に包まれた。きっと自分は、この道を求めていたのだと断言できてしまう。その理由の一つに、瀬名川鈴葉の存在があった。

 なんだこの人は! というのが第一印象だった。

 まさか、OP曲を歌っている人と主人公のメアリーを演じている人が同一人物だったなんて。初めて知った時はとにかく驚いたものだ。力強い歌声に、おっとりした愛らしい声、戦闘中の叫び声。全部が全部新鮮で、語彙力のない詠子はただただ心の中で「凄い」を連呼していた。


 ――あたし、この世界をもっと知りたい。


 兄と同じ趣味を持つのはなんとなく悔しいが、自分はもうあと戻りはできないと思った。詠子はまず、一番気になった人物、鈴葉について調べた。演技も好きだが、一番詠子が気になったのは歌声だ。格好良いメロディーに負けない歌声は、ライブ映像を観てみても変わらなかった。詠子は大きなため息を吐く。もっと知りたいと思った。アニメのこと、そして、アニソンのこと。なんで今まで知らなかったのだろろうと後悔しているくらいだ。

 その数ヶ月後、詠子は鈴葉のステージを目の当たりにした。周りの人、特に隣にいた男子の動きにつられてペンライトを振ったら凄く楽しくて、ステージで歌う鈴葉は格好良くて仕方がなかった。


「あたしも、こんな風になりたい」


 詠子は少し恥ずかしそうに俯きながら、呟く。


「って、思ったんだ。学園祭のステージを観た時ね。やっと私の目指したいものが見つけられたって確信したの」


 顔を上げて微笑む詠子の頬は朱色に染まっていて、どこか満足したように嬉しそうにしている。思わず視線を逸らしそうになる程に清々しい笑みだった。


「ごめんね、行隆くん。長話だしつまんない話だったよね」

「……今の話聞かされて、そんな返事ができる訳ないよ」


 あはは、と一瞬だけ乾いた笑いを見せる詠子。

 しかし、すぐに表情は楽しそうなものへと変わった。


「だって、思った以上に色んな想いが溢れてきちゃったんだもん。今の話、静乃にもしたことがなくて、初めて話したから、なんか止まらなくなっちゃって」

「そ、そうなんだ。僕で良かった……の?」


 恐る恐る訊ねると、詠子は不思議そうに口をぽかんと開けた。


「もー、最初は行隆くんが聞いたんじゃん。ま、良いけど。……でも、話せて良かった。これであたしの想いは伝わったでしょ? 鈴葉さんはあたしにとって憧れの人。だから」


 詠子は一瞬だけ目を伏せて、すぐに行隆を見た。


「真実を知るためにあたしは頑張る。今はそのために頑張りたい。傍から見たら変な行動をしているのかも知れないけど、そうしないと前には進めないから」

「夢咲さん……」


 名前を呟くだけで、うまく言葉が出てこない。

 アニソン歌手になりたいという詠子の想いは、今までの言動で十分わかっているつもりだった。でも、詠子はアニメが好きになって、アニソンを知って、鈴葉を知ってから、まだ数ヶ月しか経っていない。

 自分にとって新しいものを知ったから。

 だから、勢いのまま夢にしてしまったのではないか。詠子のような明るい性格なら、もっと色んな可能性があって、色んなものに興味を持って、アニソンもいつか飽きてしまうのではないか。そう――思っていた。


「夢咲さんにとって、アニソンは特別なんだね」

「もちろん!」


 頷き笑う詠子の姿は、相変わらず眩しい。

 詠子のアニソンに対する情熱は、行隆の想像を遥かに超えていた。自分が好きなものに対して、特別な感情を抱いてくれている人が目の前にいる。なんだか、考えるだけで胸がいっぱいになってしまう。

 詠子に協力できて良かったと、行隆はひっそりと思うのだった。


「あのー。前、進みましたよ」

「あっ、すいません!」


 と、長らく話し込んでいる内に十時を過ぎていたようだ。気付かぬ間に列が動いていたらしく、後ろの青年に注意されてしまう。

 二人して小さく頭を下げ、慌てて前に進んでいった。

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