1-3 本人に訊くために

「…………へ?」


 詠子の言葉は、あまりにも予想外なものだった。考えれば考える程に、意味がわからなくなる。詠子を肯定する気持ちが、まったく湧き出てこない。むしろ呆れすら覚えてしまうレベルだった。


「何を言っているの、夢咲さん……?」


 わからない。わからない。気持ちはわかるけれど、まったくわからない。今は「あのマイクは鈴葉のものなのか」というのが重要な問題なはずだ。自分も詠子も、そのことで頭を抱えているはず……。なのに詠子は、少々的外れな言葉を漏らした。

 アニソン歌手を目指す詠子だから、駄目な誘惑が襲っている。行隆は、考えた挙句そんな結論にたどり着いた。


「だ、駄目だよ夢咲さん。そんなずるい行為をしたら」

「でも、もしかしたら。……鈴葉さんもずるい行為をしているのかも知れない」

「っ! そ、それは……!」


 それは絶対にない。

 信じたくて、でも確信がなくて、行隆は思わず黙り込んでしまう。


「あたし、真実を確かめたいの」


 詠子は相変わらず行隆の目を見つめ続ける。両手をぎゅっと握り締めている詠子の表情は必死で、行隆もただ見つめ返すことしかできなかった。


「もし、事務所に連絡して……それで、マイクが鈴葉さんの忘れ物だとわかっても。マイクのことを教えてくれるかどうかはわからないでしょ?」


 訊ねられ、行隆は頷く。


「で、鈴葉さんの忘れ物じゃないってわかったら。他に持ち主の心当たりがなくて、結局マイクのことは謎のままだよね」


 行隆は再び頷き、詠子の姿を見つめ続ける。

 詠子の真剣な眼差しに、気付けば行隆は吸い込まれそうになっていた。


「だったら、あたしは直接……本人に訊いてみたい」

「鈴葉さんに、直接?」

「……うん!」


 頷く詠子は、一瞬だけどこか嬉しそうな笑みを零す。詠子が今、何を思っているのか。わかりそうでわからない。いや、まだ深く考えられない、と言った方が良いだろうか。「そんなの駄目だ」という気持ちが、行隆の心からくっついて離れない。


「アニソンスターズ選手権の最終選考まで残れば、鈴葉さんからアドバイスがもらえる。つまり、鈴葉さんと直接話ができるんだよ」

「それは、そうだけど」


 でも駄目だ、と心の中で叫んでいる。

しかし、耳はしっかりと詠子の声に集中していた。


「これは鈴葉さんのマイクなのか。鈴葉さんのものじゃなくても、音楽関係者が集まっていれば何か知っている人がいるかも知れない。……もちろん、このマイクで優勝を狙ってる訳じゃないんだよ。むしろ、優勝したら辞退する」


 揺れる。揺さ振られている。

 まだ出会ったばかりの詠子に、心をぐらんぐらんと揺らされている。


「あたしは、真実を知りに行きたいの」


 清々しい程に、まっすぐ透き通った瞳をしていた。

 何故だか、行隆は詠子の瞳から逃れられなくなった。言いたいことはわかる。気持ちもわかる。確かにこのマイクは不思議だし、謎を確かめてみたい。鈴葉の歌声は偽物だったのか、というモヤモヤもなくしたい。それに、もしかしたら鈴葉に会えるのかも知れないし……。

 気が付けば、行隆の顔は苦笑にまみれていた。本当に、馬鹿みたいに思えて仕方がない。詠子もだが、何より自分自身が馬鹿だと思った。

 心の底では、結構乗り気だったのだ。駄目だ駄目だと言いつつも、詠子の言葉に同意していた。マイクのことも、鈴葉に対する真実も、気になって仕方がない。


「だったら、僕も協力するよ」


 行隆ももう、詠子と同じ気持ちになっていた。「真実を知りたい」という強い気持ちが、心の中に生まれる。「もう後戻りはできないな」と、行隆は小さく苦笑した。

 でも、例えどんな目的があれど、悪いことをしているという事実は変わらない。だから、もしもの時は自分も同罪だという気持ちだった。


「ほ……本当に? 行隆くんも付き合ってくれるの?」


 目の前の詠子は、瑠璃色の瞳をぱちくりさせていた。瞳の奥には微笑を浮かべる自分の顔が映っていて、行隆はますます面白くなってしまう。


「もちろんだよ。夢咲さんと同じように、色んなことが気になって仕方なくなってる。だからむしろ、僕の方から夢咲さんに付き合いたいって言いたいくらいだったよ」


 笑いながら、行隆はぽろぽろと言葉を零す。当然、迷いはあった。でも一度吹っ切れてしまったら興味ばかりが膨れ上がっていくのだ。ここで引き下がるなんて、できない。詠子の思惑にとことん協力してみようと思った。


「そっか、そりゃあそうだよね。どうもありがとう、行隆くん」


 詠子は心底安心したように息を吐いてから、微笑んでみせた。八重歯がちらりと見えて、行隆は思わず不自然に視線を逸らしてしまう。


(本当にこの人は、楽しそうに笑うなぁ)


 この前のミニライブの時も、今だってそう。見た人の心を温かくするようなパワーが、詠子の笑顔にはあると感じた。

 だからだろうか。少し不安はあったが、言ってみようと決意ができた。詠子ばかりに頑張ってもらう訳にはいかないし、何より自分がやってみたいと思うのだ。


「そ、それでさ、夢咲さん。……僕も作詞で参加しても良いかな?」

「え、作詞?」


 予想外の言葉だったのか、詠子は小首を傾げる。

 アニソンスターズ選手権の応募曲は、鈴葉の曲かオリジナル楽曲の二択になっている。別にオリジナル楽曲で応募しても作詞・作曲家になれるという訳ではないのだが、プロの作詞・作曲家からアドバイスはもらえるのだという。

 小説家志望でアニソン好きの行隆としては、作詞は非常に興味のあるものだった。もし小説家デビューして、自分の作品がアニメ化したら、キャラクターソングの作詞をやらせてもらえたりしないだろうか! と、何度も夢見る程である。


「あたし、普通に鈴葉さんの曲で応募する気だったけど……行隆くん、作詞作曲できるの?」

「いや、作曲はできないよ」


 苦笑しながら行隆は言う。しかし、作曲の能力を持つ友人はいるのだ。並木なみき優吾ゆうごという、行隆の幼馴染で、中学生の頃からギターを弾いている友人が。


「でも、僕の友達に作曲ができる奴がいるんだ。……だからまぁ、その友達に了承をもらわなきゃいけないんだけどね。夢咲さんは、鈴葉さんの曲で応募したかった?」

「いや……自分オリジナルの曲が歌えるってことでしょ? それって凄く興奮するじゃん。賛成だよ、大賛成! それで、行隆くんは作詞経験あるの?」


 言葉通り興奮しているように、前のめりで詠子に訊ねられる。

 行隆は、頭を掻きながら苦笑した。


「その、実は僕、将来はライトノベル作家になりたくて。作詞には前々から興味があったから、やってみたいなって思ったんだけど」

「へぇ、ライトノベルかぁ。あたし、読んだことはないけどそれが原作のアニメなら見たことあるよ。ふんふん……やってみなよ、作詞!」

「うん。そうだね、やってみるよ。まぁ、友達に訊いてみないとどうなるかわからないんだけどね。今日早速訊いてみるよ」

「うんうん。……あ、そうだ」


 すると、詠子は何かに気付いたように鞄の中から携帯電話を取り出した。どうしたんだろうと思っていると、詠子はまた八重歯を覗かせて微笑んだ。


「あれ、わからないの? ニブチンだなぁ行隆くんは。まっ、あたしも男の子と交換するのは初めてだけどね」

「交換……あっ、アドレス?」

「正解! あたしたちはこれから重大な任務をこなすんだから、ちゃんと連絡先は交換しとかないと」

「……そうだね。重大な任務のためだもんね」


 言いながら、行隆も携帯電話を取り出す。行隆としても初めて同世代の異性とアドレスを交換するというのに、何だかテンションが上がらなかった。「重大な任務」というのを強調されたのが、なんとなくショックだったのかも知れない。

 何はともあれ、詠子とアドレス交換を済ませた――と、その時。


「ほー、仲睦まじいことで」


 背後から突然、第三者の声が聞こえてきた。

 一瞬、行隆の友人である優吾なのではないかと思ったが、声色は完全に女性だったため違うだろう。だったら、誰なのか。その答えは、詠子の表情を見れば一目瞭然だった。


「えっ、ちょ……し、静乃しずのがなんでこんなところに……」


 やはり、詠子の友人だったようだ。

 静乃と呼ばれた小柄な少女は、うっすらと口元をつり上げて笑っている。顎下辺りまで伸びた黒いショートヘアーで、前髪はぱっつん。中学生にも見えてしまう程幼い容姿をしているが、道ヶ丘高の制服をしっかりと着ているし、詠子と同じクラスなのだろう。


「ああ、えっと。とりあえず紹介するね。この子は二江ふたえ静乃。あたしの友達なんだけど……」


 早口で説明してから、詠子は静乃を睨みつける。


「静乃、今日はすぐに帰ったんじゃなかったの?」

「んー。それはまぁ色々あって~。えーこが見知らぬ男の子と一緒にいたから、気になって覗いてたの、てへっ」

「てへっ、じゃない! ど、どこから聞いてたの?」


 ニヤニヤと楽しげに笑う静乃の姿に、苛立ちと焦りを覚えたのだろう。詠子は未だ早口のままだ。


「ふふ、それはね、付き合うだのなんだの言ってた辺り……」

「ええっ?」

「というのは冗談で」

「な、なんだ。驚かせないでよ」

「最初から全部」


 安心したと思ったら、急激に息が止まった。詠子も驚いているだろうが、行隆も驚きが隠せなくて頭が真っ白になってしまう。


「えっと……?」

「瀬名川鈴葉さん、だっけ。どこからか手に入れたマイクがその人のかも知れないんだよね。で、そのマイクについて訊ねるために、えーこはオーディションに出ることになった……私の言ってること、間違ってる?」


 静乃の琥珀色の瞳が、じっと詠子を捉えている。


 ――本当にこの子は最初から全部聞いていたんだ。


 淡々と話す静乃の姿を見て、行隆も顔が青ざめていくのを感じる。


「…………いや、間違ってないよ」


 眉をひそめながらも、やがて詠子は観念したように認めた。視線を行隆に移して、まるで「どうしようか」と助けを求めるように困り顔を向けてくる。行隆もまた、苦笑で返すことしかできなかった。

 別に、二人だけの秘密の計画になるとは思っていない。作曲を優吾に頼もうとしていた訳だし、誰かに事情を話すことはあると思っていた。でも、偶然バレてしまったという現実に、少しばかり冷や汗が流れてしまう。


「し、静乃……あたしたちのやろうとしてること、おかしいと思う?」


 恐る恐るといった様子で、詠子は静乃に訊ねる。

 すると、静乃は不思議そうに首を傾げた。


「んー? 行動力があって良いんでない?」


 あっけらかんと言い放つ静乃に、詠子は力が抜けたように息を吐く。行隆も緊張感から解き放たれたようにほっといていた。無茶のある計画であることは間違いないのだから、最初の行隆のように否定してもおかしくはなかっただろう。


「そっかそっか、それは良かった」


 安心したように笑みを零す詠子。やはり友達に賛成してもらえるのは嬉しいものなのだろう。そのくらい、詠子の笑顔はニコニコと輝いていた。


「そういえば、君の名前はなんだっけ?」

「あ、弁野行隆です。一年C組の」

「ふむふむ……弁野行隆……」

 何故か顎に手を当てて考え込む静乃。隣で、詠子が楽しげに微笑んでいる。


「じゃあ、お邪魔虫はそろそろおさらばするよ~。私にできることがあるかわからないけど、何かあったら教えてね、えーこ、ゆっきー」

「……ゆ、ゆっきー?」


 突っ込みを入れる間もなく、静乃は手を振って去っていってしまった。「今度また詳しく説明するからね!」と背中に向かって叫ぶ詠子を見つめつつ、行隆は唖然とする。


「行隆くん、あだ名をつけられるのは初めてだった?」

「いや、ガリ勉野さん、とは時々クラスメイトからは呼ばれるよ。僕眼鏡だし、勉強は嫌いじゃないからさ。とはいえ、成績は微妙なんだけどね……」

「へー、行隆くんってショタなイメージがあったけどガリ勉なんだ。あ、ちなみに成績はあたしの方が下だと思うから安心して!」

「えっ、ショタって程童顔じゃないでしょ。というか成績は自慢することじゃないよ?」

「あはは、まあまあそんなに気にしないで。それより静乃、面白い子だったでしょ?」


 身長は低くないと思うんだけどな……、と小さく呟いてから、行隆は頷く。何より初対面の人にあだ名をつけられたのは初めてで、少し動揺してしまった。


「同じクラスの友達なんだけど、アニメ観たりはしない子なんだ。まぁ、あたしが急にアニメ好きになったから仕方ない話だけど」

「でも、一緒にいたら楽しそうな人だね」

「うん、そうなの。さっきものほほんと受け入れてくれて、嬉しかったな。……って」


 詠子は、何かに気付いたように空を見上げる。


「そろそろ暗くなっちゃうよね。話は尽きないけど、帰ろうか」


 だんだんと、夕日が沈みつつある。それくらい、長く立ち話をしていたということだ。でも、仕方のないことだと行隆は思った。今日は思い出すのも時間がかかるくらいに様々なことがあったのだから。


「そうだね。作曲のこと、すぐに訊いておくよ。結果がわかったらすぐにメールするから」

「うん、了解! ……行隆くん、これからよろしくね!」


 もう、何度目の笑顔だろう。

 詠子とは、これから凄くヒヤヒヤする挑戦をする。本当に大丈夫だろうかという不安も確かにある。でも、楽しみが気持ちの方が勝っていた。詠子について行ってみたいという気持ちが、自然と湧き出てくるのだ。

 思い返してみれば、今日はジェットコースターのように慌ただしい一日だった。同じ趣味を持つ異性の同級生と知り合いになる、というだけで大事件なのに。不思議なマイクと遭遇して、マイクの秘密を探るためにオーディションに出るだなんて。鈴葉のサインを見るだけで満足するつもりだった行隆にとっては、もちろん考えられないことの連続だった。


 ――これから、どうなるのだろうか。


 詠子と別れた帰り道、行隆はただただ考えていた。無事、マイクの謎を解き明かすことができるのだろうか。そして、本当に鈴葉と直接話すことができるのだろうか。なんて考えに至った時、行隆の口角は自然とつり上がる。色々考えつつも、やはり「鈴葉さんに会えるかも!」という下心は拭いきれないようだった。

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