1-2 マイクの謎

「…………え?」


 やはり、詠子の言っている意味がわからない。詠子の歌声じゃない、とはいったいどういうことなのか。考えれば考える程、頭がパンクしそうになる。


「ちょ、ちょっと、もう一回歌ってみるね」


 動揺を露わにしたまま、詠子は小さく深呼吸をした。

 マイクを教壇に置き、再びアカペラで歌い始める詠子。歌うのは先程と同じく、「ignorant」のサビ――のはずだった。


(え……はぁ……?)


 声には出さぬまま、行隆は驚いてしまう。

 本当に同じ曲を歌っているのか。というよりも、同じ人が歌っているのか。訳がわからなくなる程に、違った音が響き渡っていた。

 別に、聴けないレベルではない。音程がずれまくっている訳ではないし、ここがカラオケだったら行隆も盛り上がっているところだっただろう。格好良く、テンポの早い曲を一生懸命歌っていて、良い意味で素人らしさが出ている。

 でも、感動はしなかった。プロと見紛う程の歌声ではないし、「優勝できる」なんて言い切ることはもうできない。


「あ、あの。夢咲さん……」


 行隆はなんとか言葉を探した。最初の歌声に衝撃を受けすぎたせいで、二回目の歌声に微妙な感想を抱いてしまったのだ。でも、決して下手ではないのは事実だし、どうにかして褒めたい。ただ、行隆の頭には最初の歌声が響き続けていた。


「そうそう。こっちがあたしの実力なの。……ね、残念だったでしょ?」

「い、いや! 残念って程でも……」


 反射的に詠子を励まそうとすると、詠子に苦笑で返されてしまった。


「良いの良いの。……それにしても」


 マイクを手に持ち、じっと見つめながら詠子は呟く。


「このマイク、なんなんだろう。このマイクが原因だと思うんだよね、最初に上手く聞こえたのって」

「え、マイク……?」

「そう。おかしいなって思って二回目はマイクなしで歌ったらいつも通りの歌声だったからさ。何か、細工がしてあるのかな……」


 確かに、初めに歌った時、詠子はマイクを手にして歌っていた。疑うべきところはマイク、ということだろうか。


「マイクって、教壇に置いてあったんだっけ?」

「そうだよ。ちょうどいいところにマイクがあるって思って取ったんだけど、そういえばなんで音楽室でもないのにマイクが……?」

「な、なんか色々と不思議だね。ちょっとそのマイク見せてもらっていい?」

「うん、どうぞー」


 マイク自体に興味が湧いてきて、行隆は詠子からマイクを受け取ろうとする。と、その時。突如、ガラガラ、と教室の扉が開く音が聞こえてきた。行隆はすぐに手を引っ込め、扉に視線を移す。そこには、上級生と思しき男子生徒三人組がいた。


「瀬名川鈴葉のサイン色紙ってここにある?」

「あ、はい。そこにありますよ」


 ぞろぞろと教室の中に入ってくる先輩達。

 そりゃあそうだ。行隆も詠子も初めはサイン色紙目当てでこの空き教室に入ってきた。行隆達以外にも空き教室を訪れる者がいるのは当たり前のことだろう。

 なんだか、マイクの話をしづらくなってしまった。マイクのことは気になるけれど、詠子だっていつまでもほぼ初対面の行隆に時間を使いはしないだろう。


「ちょっと、行隆くん!」

「……はい?」


 なんて思っていたら、詠子に小声で話しかけられた。マイクはしっかりと後ろ手に持っていて隠している状態だ。


「まだ時間ある? 良かったら、場所変えて話さない? あたし、このまま話が終わっちゃったらもやもやして仕方がないの」


 詠子のまっすぐな気持ちが、視線とともに行隆の心に突き刺さる。

 同時に、安心する気持ちが芽生えていた。行隆としても、詠子と同じ思いでいたのだ。先程の詠子の歌声を思い出すと、心が疼く。いったい、あのマイクはなんなのか。本当に、あのマイクのせいで詠子の歌声が変化したのか。様々なことが、気になって気になって仕方がない。


「うん、僕もこのまま終わるのは……」


 すぐに返事をすると、詠子の瞳は大きく開かれた。


「よし、じゃあ行こう!」


 詠子は口元をニヤリとつり上げて、行隆の手を取る。行隆が「え?」と驚く間もなく、詠子は駆け出した。空き教室を出て、詠子に引っ張られる形で廊下を早足で進む。


「い、行くってどこへ?」

「あっ、決めてなかった。うーん、屋上とか?」

「いや、屋上は駄目だよ」


 道ヶ丘高の屋上は、高い柵があるため入ることは可能だ。しかし、屋上へ行く理由を言って鍵をもらわなければならない。「マイクの話がしたいから屋上を使いたい」、なんて言えるはずがないだろう。


「とにかく、誰にも聞かれたくないから人気の少ないところが良いんだよ」

「人気の少ないところ、かぁ」


 と言われても、学校で人気の少ないところなんてあるのだろうか。考えながらも、行隆は詠子の後ろを歩き続ける。手はまだ繋いだままで、なんとなく離しづらくそのままでいた。


「とりあえず、外に出よっか。外ならどこかあるはず……」


 すると、靴を履き替えるため自然と手は離された。なんとなく一安心しつつも、行隆は詠子の跡を追う。詠子はきょろきょろと辺りを見回してから、ぽつりと呟いた。


「なんなんだろう、本当に」


 歩きながら、行隆の顔も見ないままで、まるで独り言のようだった。

 マイクは今、詠子の鞄の中に身を隠している。でも、行隆はマイクの特徴をしっかりと記憶していた。さっき詠子が使ったマイクは、持ち手の部分に天使の絵が描かれていたのだ。


「あのさ、夢咲さん。僕……そのマイクに、見覚えがあるんだ」


 本当は、話せる場所を見つけてから言おうと思っていた。でも、我慢できずに口に出してしまう。


「えっ、ホント?」


 詠子はビクリと身体を震わせて反応し、振り向いた。

 今二人がいる場所は、中庭の花壇の前。廊下の窓からは二人の姿は見えてしまうかも知れないが、周りには誰もいない。会話を聞かれる心配はないだろう。


「うん。さっきのマイク、持ち手に天使の絵が描いてあったでしょ?」

「そう! そうなの、それはあたしも気になってたところなんだけど……」

「どこかで見たことがあるような気がしてさ。ちょっと待ってて」


 行隆は携帯電話を手に取る。すると、探すまでもなくすぐに見つかってしまった。待ち受け画面の、鈴葉の画像。ライブシーンの写真で、手にはマイクが握られている。


 ――マイクには、確かに天使の絵が描かれていた。


「嘘……同じじゃん! どう見ても、さっきのマイクと同じ!」


 思わず大声を上げてから、詠子は両手で口を塞ぐ。


「あのマイクって、鈴葉さんの忘れ物なのかな……」


 詠子とは逆に、行隆は冷静に呟く。さっきからずっと、考えていたのだ。鈴葉の楽屋として使われた空き教室に置かれたマイク。しかも、過去のライブで使われたマイクと同じもの。というよりも、もしかしたら詠子のMyマイクなのかも知れない。


「ちょ、ちょっと待ってよ行隆くん! 忘れ物かも知れないって、それってつまり……」


 詠子が声を荒げると同時に、行隆の鼓動は変に速くなっていく。

 嫌だった。そんな想像、絶対にしたくはなかった。でも、揺るぎない事実がある。聴いたばかりの、詠子の歌声。異なる二種類の歌声が何度もリピートされる。明らかに違った、詠子の歌声。その違いには、マイクが影響していて……。


「鈴葉さんの歌声は偽物だったってこと……?」


 不安に満ちた、詠子の小さな声。

 信じたくない言葉が、行隆の耳に響き渡る。ただ詠子と視線を合わせるだけで、まったく言葉で出てこない。「嫌だ」という気持ちばかりが溢れて、冷や汗が流れてしまう。

 ずっと好きだった。声優としてはもちろん、歌手デビューしてからは最初から応援していたのだ。ファンクラブができればすぐに入会したし、ライブやイベントがあればなるべく参加した。他に好きなアニソン歌手や声優はいるが、やはり一番好きなのは鈴葉なのだ。特に鈴葉の歌声にはたくさん勇気をもらった。

 だから、絶対に信じたくはない。偽物なんて、そんなこと。


「いや、まだそうと決まった訳じゃないよ。僕達の勘違いかも知れない」


 まるで自分に言い聞かせるように、行隆は言う。


「そ、そうだよね。決めつけちゃいけないよ」


 詠子も頷きながら笑う。でも、その笑みは苦しそうだった。まだまだ悩みは取れないように、顔を強張らせている。

 それから、少しの間沈黙が訪れてしまった。どうしても不安な気持ちが溢れて止まらなくなってしまう。さっきから詠子も俯きながら黙り込んでいるし、行隆と同じ気持ちなのだろう。

 とにかく、確認しなければならない、と行隆は思った。今は一刻も早く真実を知って、このもやもやを晴らしたい。行隆は再び携帯電話を取り出し、鈴葉の所属する事務所のホームページを調べた。


「……とりあえず、さ。鈴葉さんの事務所に連絡してみようよ」


 ろくに詠子の姿も見れぬまま、行隆は震える手で携帯電話を操作する。行隆の心は、ただただ「どうか勘違いであってくれ」という祈りで満ちていた。

 事務所の電話番号を確認した行隆は、そっと息を呑む。真実を確かめるんだと心に決めながら、詠子と目を合わせる。詠子の眉間には、深いしわが刻まれていた。


「ちょ、ちょっと良いかな、行隆くん」


 どこか焦ったような声を発する詠子。色々と嫌な妄想が膨らんで、詠子も混乱しているのだろう。「どうしたの」と返す行隆の声も、弱々しくなってしまっていた。

 詠子は、決意を固めたようにこちらをじっと見つめてくる。


「あたし……このマイクを使って、オーディションに応募したい」

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