5-5 スタートライン
審査員は、レコード会社のプロデューサーや作詞・作曲者など八名いる。話し合って決める訳ではなく、一人一票ずつ入れるシステムだ。関係者以外の観客、ネット中継を見ている視聴者にも投票権があり、こちらは一番支持があった一名のみに一票ずつ(観客票と視聴者票は別々)入ることになっている。
行隆がもし投票できる立場だったら、詠子に投票するだろうか? ここまで一緒に歩いてきた仲間としてなら、もちろん投票するだろう。何てったって、未来に期待ができる堂々としたステージだったのだから。そう、あくまで『未来』の話だ。
今の詠子ではまだ、すぐにアニソン歌手になるなんて無理だろう。
確かにさっきの詠子は凄かった。こっちまで楽しくなる素晴らしいステージだった。
でも、実際に詠子の歌声がアニメのOPやED、挿入歌などで使われることを考えると……。どうしても、眉間にしわが寄ってしまう。技術不足はやはり否めないのだ。
優勝は、虹野あかりだった。
十票中の七票で、観客票も視聴者票もあかりが圧倒的だったという。
しかし、詠子は満足気な顔をしていた。行隆も悔しい気持ちはまったくない。オーディションが無事に終わったと考えるだけで心が軽くなるのを感じていた。
アニソンスターズ選手権が閉演し、行隆達は詠子と合流した。
ようやく、ずっと目標にしてきたことができる。
鈴葉とじっくり話して、あのマイクの真実を訊く。すべてはこのために始まったのだ。そりゃあ詠子の焦る気持ちからマイクを使ってしまったというのはあるけれど。でも、きっかけは鈴葉とマイクの関係性を知るためだった。
本当は詠子と作詞作曲をした行隆と優吾しか話せないのだが、静乃も特別に加わることになった。詠子達に気を遣っているのか、話をするのは「長くなるかも知れないから」という理由で最後になった。やはり、自分達には特別な話があるのだと行隆は確信する。詠子達も、先ほどとは違う緊張感を抱き始めていた。
自分達以外に九組もいるのだ。
時間はかかるだろうと思っていたが、とてつもなく長い時間のように感じた。何なのだろうこの気持ちは。緊張したり安心したりの繰り返しで、何だか気分が悪く感じてしまう。
「あっ、夢咲さん達ですね、どうぞ!」
前の出番だったあかりが部屋から出てきて、声をかけられる。行隆達は無言で頷き合い、詠子が静かに扉を開く。
そこには苦みを感じる笑みを向ける鈴葉と、当然のように隣に座って真顔で見つめてくるマネージャー、戸羽子の姿があった。
「とりあえず、お好きなところに座ってください」
部屋の中は会議室で、ロの字型に机が並べられている。向かい合って座ろうとすると少々遠いため、詠子、行隆、優吾、静乃の順で鈴葉の近くに座った。
「さて……」
行隆達が座ったのを確認すると、鈴葉は小さく咳払いをする。そして、行隆達一人ひとりの顔をじっくりと見つめた。
「あなた達には……アドバイスの前に、別の話をした方が良いのかな?」
こちらの様子を窺うように、鈴葉は小首を傾げながら問いかけてくる。
普通だったら、「鈴葉さんが近くにいる!」とか、「首を傾げるなんて可愛い!」とか反射的に思っているところだろう。実際、心の奥底では思っているのかも知れない。
でも、今はそれどころではなかった。
行隆はすぐに、詠子を見る。
「そう、ですね」
詠子は頷いて、鞄の中からあのマイクを取り出した。鈴葉は「はっ」と微かな息を漏らし、戸羽子は視線を鋭くする。
「お話したいことがあります。聞いてくださいますか?」
「……もちろんです」
鈴葉は頷き、戸羽子は否定せずに詠子を見つめている。
詠子は二人の視線から逃げずに、真実を語り始めた。
学園祭に鈴葉が来たあと、空き教室にマイクが置いてあったこと。
マイクはただのマイクではなく、口元へ向けるだけで自分が思う理想の歌声になってしまう不思議なマイクだったということ。
詠子は、このマイクが鈴葉の忘れ物なんじゃないかと思ったということ。
鈴葉がこのマイクを使っていたらショックだけれど、このまま放っておくこともできず、真実が知りたいと思ったということ。
だから、マイクを使ってアニソンスターズ選手権の最終選考まで進んで、鈴葉に直接聞こうと考えていたこと。
でも――内心では、アニソン歌手に少しでも早く近付きたいという気持ちがあって、マイクを使ってしまったということ。
これまでのことも、詠子の気持ちも、すべてを話した。
自分の気持ちまで、よく嘘を吐かずに話せたものだ。行隆は感心しつつも、鈴葉と戸羽子の様子を窺った。
「そっか。そうだったんだね」
詠子が取り出したマイクを見つめて、鈴葉は何故かため息を零す。
「勘違いさせちゃってごめんね」
「…………え?」
勘違いとは、いったい……?
鈴葉の言葉の意味がわからなくて、行隆達は思わず顔を見合わせた。
「いやぁ、本当にごめんね! 私からもちょっと、長くなるんだけど話をさせてもらっても良いかな?」
「……あ、は、はい。もちろんです」
言葉が出ない様子の詠子の代わりに、行隆が頷く。
こうして、今度は鈴葉が「勘違い」の訳を話し始めた。
それは、声優としてデビューしたての十三歳の頃の話だ。
アニメの宣伝でラジオ番組に出た時、パーソナリティに父親のことを問われ、世界中で有名なアニソン歌手、瀬名川浩明の娘であることがバレてしまった(隠すつもりはなかったが、自ら告白する気もなかったという)。そこから、歌手活動はしないのかという期待をされてしまい、歌が上手くなりたいと思った鈴葉は戸羽子に相談する。
戸羽子はマイクの製造会社のCEOを務める父親に頼み、試作品のマイクを受け取った。鈴葉はそのマイクを使って十七歳の頃にようやく納得できる歌声にたどり着き、歌手デビューしたのだという。しかしマイクを手にしていないと不安で、デビューをしてからも使い続けていた。マイクの意味がない程に上手くなったので問題はないのだが、気持ち的に卒業したいと考えた鈴葉は母校での学園祭イベントを最後に、マイクを使うのをやめた。そして鈴葉は考え付いてしまう。
「母校の在校生にこのマイクを託してみよう」、と。
楽屋として使った空き教室の教壇の上に、マイクの使い方を記した手紙を添えて置いておいたのだという。
「だから、忘れたんじゃなくてわざと置いていったの。えへへ……ご、ごめんね?」
照れ笑いを浮かべながら、また小首を傾げる鈴葉。
――えへへ……じゃないでしょ!
行隆達は唖然とすることしかできない。戸羽子ですら口を半開きにしているくらいだ。
「でも、あの……手紙なんてなかったですよ?」
戸惑いながら詠子が訊ねる。
「風で飛んでっちゃったー、とか?」
静乃が小さく呟くと、鈴葉は「あー……はは」と力ない笑みを漏らす。
「マイクにちゃんとくっ付けとけば良かったね。ごめんね……」
謝る鈴葉に、行隆達は苦笑することしかできない。
しかし、ただ一人戸羽子の表情だけが違った。
「鈴葉。私は忘れてきたと聞いていたのですが?」
「ご、ごめんなさいウエちゃん。ウエちゃんが知ったら怒るかなーって思って」
「怒るどころの問題じゃないでしょう。あれは試作段階のもので、数年経った今も世に出ていないものですよ? それを見知らぬ人に託そうとするなんて……」
腕組みをして、わざとらしく大きなため息を吐く戸羽子。
戸羽子の言うことはもっともだ。実際にマイクを使ってオーディションに出てしまった訳だし、そのことがネット上で暴露され大荒れもした。
(あれ。そういえば、ネットに詠子のことを書き込んだのって……)
行隆はふと思い出し、思わず戸羽子を見てしまった。
「それよりウエちゃん。ウエちゃんも夢咲さん達に言わなきゃいけないことあるでしょう? これで話が終わりな訳じゃないんだからね」
「それよりって。話を逸らそうとしないでください。鈴葉は少々……いえ、かなり抜けているところがあるんです。今回のことは大問題ですよ? 私の父の会社にも影響が出るかも知れないんですから」
「……ウエちゃん」
鈴葉の目の色が変わった。
声のトーンが低くなり、戸羽子は目をぱちくりさせて動きを止める。
「そのことはあとでいくらでも謝るから。今はウエちゃんのしなきゃいけないことをして。お願い」
「…………わかりました」
鈴葉の視線に気圧されたのか、戸羽子は素直に頷く。
そして、戸羽子は詠子を見つめた。
「ネットに悪い噂を流したのは私です。いくら許せなかったとはいえ、大人気ないことをしました、すみません」
言って、戸羽子はその場に立ち上がり、頭を下げる。
「へっ? あ、いやその……」
詠子も慌てて立ち上がり、「やめてください」とでも言いたいように両手をバタバタさせた。
「確かに植原さんがあの書き込みをしたのかもとは思ってましたし、ネットが炎上したことは凄くショックでした。でも、何て言うか……これはあたしへの罰って言うか……こうならなきゃ自分の過ちに気付けなかったので。だから、大丈夫ですから!」
両手をぎゅっと握り締めながら、詠子は必死に伝える。
しかし戸羽子の表情は変わらず、冷静なままだ。
「そうですか。ようやく気付いたのですか。……へぇ」
変化のない冷たい視線で、戸羽子は詠子を見下ろす。
「鈴葉もあのマイクを使っていましたが、あなたのようにずるい使い方はしていません。同じマイクを使って努力した鈴葉が馬鹿にされたようで、怒りが抑えらなかったんですよ、ええ。でも、さすがにやりすぎました。ごめんなさい」
なんだか、謝られている気がしない。
上から目線で見つめられ、「一応謝ってあげている」という雰囲気たっぷりだ。行隆達は思わず苦笑してしまう。
「ウエちゃん? さっき大人気ないことをしたって言ったばかりだよね?」
「……私は鈴葉の味方ですから。やはり許せないものは許せません」
「もう、ウエちゃんはいつまでも私に甘いんだから。私、甘やかしてくる人は嫌いだよ」
「ですが……」
「ですがじゃないの! ……ご、ごめんねうちのマネージャーがうるさくって。そろそろちゃんとオーディションの話をしないとね」
二人の会話を見ながら、行隆はふと思い出す。
鈴葉が時々自分のラジオで「ウエちゃんが自分に甘すぎる」と話していることを。
(た、確かに甘いなぁ……鈴葉さんのことになると周りが見えなくなるって感じだ)
なんて思いながら戸羽子を見ていると、ギロリと睨まれてしまう。ラジオで聞く限りでは優しそうな人だったのに、このオーディションきっかけでずいぶんイメージが変わってしまうのであった。
「じゃあ、ここからは私達からアドバイスを始めるね」
ようやく、審査員の作曲家と作詞家も交ざってのアドバイスが始まった。
優吾には、二次審査まで使っていた曲よりもボーカルの特徴をよく生かせている。行隆には、ボーカルの気持ちを代弁するようなまっすぐな歌詞が良かったという言葉をもらった。
初めての作詞をプロの人達に褒めてもらえるなんて。考えれば考える程に行隆は嬉しい気持ちになる。しかし、行隆以上に喜びを露わにしたのは優吾だった。
「……行隆」
「ど、どうしたの優吾。顔が強張ってるけど」
「強張ってるんじゃない嬉しいんだ察しろ。……俺、音楽が好きだ。前みたいに格好良い曲だけを作りたい訳じゃない。曲作り自体が楽しいし、それが評価されたらもっと前に進みたくなる。だから」
早口になって、興奮しているのが行隆にも伝わってくる。
「瀬名川さん。俺、いつかあなたに曲を提供したいです」
「おぉ、それは楽しみだよ」
優吾の言葉に、鈴葉は笑顔で即答してくれた。
決してその場のノリで返事をしている訳ではない。鈴葉は、両手を合わせて萌黄色の瞳をキラキラさせている。
「私だけの夢、凄く好きな曲調だった。並木……優吾くん!」
一度手元の資料で名前を確認してから、鈴葉は強い眼差しを向け続ける。
「あなた本当に高校生? 才能がありすぎて羨ましいくらいだよ。察するに並木くんはこのオーディションで作曲の楽しさに気付いたんでしょう?」
優吾が強く頷くと、鈴葉は楽しそうに「ふふっ」と笑い声を漏らした。
「だったらもっと伸びていくと思う! 私、並木優吾くんの名前を忘れないからね」
言って、鈴葉は優吾に手を差し伸べた。優吾はすっかり緩みきった笑みを浮かべながらその手を握り締めている。
なんだが、行隆もじっとしていられなくなった。
自分も何か行動をしなければ後悔をする気がしたのだ。
「あの、鈴葉さん」
「あら? あなた……弁野行隆くんは、作詞家になりたいのかな?」
「いえ、僕は違うんです。小説家、というかライトノベル作家になりたくて……」
「ほうほう?」
勇気を出して言ってみると、鈴葉は興味津々といった様子で前のめりになる。
「そっか、じゃあ夢が広がるね。弁野くんが書いたライトノベルがアニメ化したら、私が並木くんの曲でOPを歌う。で、EDは夢咲さん……ってなったら幸せじゃない?」
OPは譲れないんだけどね、と鈴葉は得意気に笑う。
その視線の先には詠子がいた。
「OPが鈴葉さんで、EDがあたし……それは凄く幸せですけど……」
「んー、そうだねぇ。技術面ではやっぱり、気になるところだらけかな。でも、最初に応募してくれた時の書類に書いてあるじゃない?」
一次選考の書類に目を通しながら鈴葉は言う。
「アニメやアニソンが最近になってようやく見つけた趣味で夢だって。だったら、これからが頑張り時だよね」
「は、はい、もちろんです! これからもっともっと頑張るつもりです!」
「うんうん。その返事が聞きたかったの。だって夢咲さん、歌唱力が追い付いていないだけで他は完璧なんだもの」
「……え?」
さらりと放たれた鈴葉の言葉に、詠子は「頑張ります!」のポーズ(両手でガッツポーズ)のまま固まってしまう。
鈴葉の言葉があまりにも予想外だったのだろう。しかし、行隆は鈴葉の言葉に納得していた。作詞家と作曲家の方も「それは確かに言えてますね」と同意している。詠子はますます「え……ええ……っ?」と動揺し出した。
「優勝した虹野さんにも負けてないって、私は思ったよ。緊張の色がまったくなくて、笑顔で歌いきったのはあなたと虹野さんだけだったかなって」
「ほええ……」
こんなに褒められるとは思っていなかったのだろう。
詠子は素っ頓狂な声を漏らしながら、ほんのりと頬を朱色に染めている。
「鈴葉さんが褒めてくれるなんて……ここは天国……?」
もう駄目だ。詠子はへにゃへにゃになっている。
「あはは、夢咲さん可愛い。でもホント、事実しか言ってないからね。夢咲さんはアニソン歌手になる素質があると思う。絶対に。私が保証します」
「……っ!」
しかし、いつまでもへにゃへにゃしている場合ではなかったようだ。
「鈴葉さん、あたし……!」
詠子は反射的に立ち上がり、背筋をピンと伸ばす。
「いつか、鈴葉さんと……別の形で会いたいです!」
ぶれない瞳が、そこにはあった。
行隆は詠子の視線に導かれるように、鈴葉の表情を窺う。
「…………」
でも、鈴葉はすぐに返事をくれなかった。
どこか驚いたように目を丸くさせて、じっと詠子を見つめている。その間も、詠子は目を逸らさなかった。
「その覚悟、受け取りました」
やがて鈴葉は、静かに微笑む。
まるで、詠子の心ごと優しく包み込むような笑みだった。
「勘違いが原因とはいえ、夢咲さんのしたことは決して良いことではないよね。だからこそ不安だった。オーディションとかはどうでも良くて、私に会うための行動だったらどうしようとか。色々考えたよ」
行隆は思わず息を呑む。
しかし、詠子の表情は崩れなかった。真面目な顔で鈴葉を見つめ続ける詠子に、「ふふふっ」と笑い声を零す鈴葉。そこでやっと、詠子が戸惑ったように小さく口を開けた。
「でも悩むことなんて全然なかった。パフォーマンスや今の夢咲さんを見ればすぐにわかる。ちゃんと届いてるからね、夢咲さん!」
「……あ……ぁああ……」
鈴葉は詠子の肩に手を置いて、満面の笑みを向けてくれた。
詠子の表情は完全にくしゃりと崩れ、言葉にならない声を漏らす。
「ありがとうございます。あたし、頑張ります。頑張りますから……っ」
「あらら、頑張るなら最後まで笑顔で、ね? 夢咲さん、約束だよ。また会いましょう」
「はい……!」
瞳を赤く腫れされながらも、詠子は力強く頷く。
詠子の返事を見て、鈴葉は満足気に「よしっ」と両手を合わせた。
どうやら、終了予定の時間をとっくに過ぎていたらしい。行隆達も改めて一人ずつお礼を言って、鈴葉と握手をする。
最後の最後にファン気分になってしまいつつも(詠子もデレデレだった)、行隆達は会議室を出る。そのまま外に出ようと歩き出す行隆達を、詠子が呼び止めた。
「行隆くん、静乃、優吾くん。ここまで付き合ってくれて本当にありがとう」
一人一人の目を見て、詠子は微笑む。
「あたし、絶対にアニソン歌手になるからね!」
詠子の瞳の奥に、燃え上がる炎が見えた気がした。
行隆は思う。
詠子の成長をこれからも見ていきたい、と。
心の底から思うのであった。
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