プロジェクトDX~チョコ戦士たち~ ★その4


    4


 《伽藍堂》の扉が勢いよく開いた時、ウカはとっさに目元を拭ったが、しかし駆け寄ってきたリコは一目で様子に気付いたらしい。おろおろとしながら、ウカの顔を見つめてくる。


「おいおい……なんだよ、なんで泣いてんだよ……」

「泣いでないもん……」

「めっちゃ鼻声じゃん……ごめんな。帰るの遅くなって」

「……リコちゃんは悪くないよ。今日だってお仕事がんばっただけでしょう?」

「あー、いや……実はそうじゃなくてな……」

「……?」

「今日、カクタスから仕事頼まれたっていうの、嘘なんだ」

「え……」

「これを取りに、ちょっとジャングルに潜ってた。今日のプレゼント」


 リコが背負っていた籠を下ろすと、そこに入っていたのは、


「……カカオ……?」

「そ、昔、竜狩りの爺さんに、カカオがある土地には飛竜が巣をつくるって、聞いたことがあって。だから、スコピュルスにも飛竜が来るなら、カカオがあるんじゃないかなって、探してみたんだよ。飛竜が海の向こうで実を食ってこっちで種をばらまいたんだろうな。運よく《アダチ》のちょっと奥で見つかったよ」

「でも、どうして」

「どうしてって、そりゃ、今日は『ばれんたいんでい』だからだろ」

「……リコちゃん、知ってたの?」

「知ってたもなにも、同居人がチョコレートの試作やってたら、そりゃ気になって調べるだろ」

「やっぱり、昨日の……」

「いや、もっと前から気付いてるから。帰ってきたら毎日チョコレートの匂いがするし、でもウカは隠してるみたいだし、オレも困ったよ。昨日なんか、どういう顔すりゃいいんだって……って、おいおい、なんでまた落ち込むんだよ」

「だって、本当に今回ダメダメで……初めてのちゃんとしたバレンタインデーだから、頑張ろうと思ってたのに……」

「別に何も失敗してないだろ! 美味しそうなケーキも用意してくれてるし……」

「……」


 美味しそうな、というリコの言葉に、とうとうウカは耐え切れずに、はらりと涙をこぼした。


「ウカ……?」

「ごめんね……リコちゃんは悪くないの。誰も悪くない。私がただ、なんだかよく分からなくなっちゃって……」

「分かった。分かったから、落ち着いて話してくれ。それから、慰めるかどうか考える」


 それからウカは今日の出来事をとつとつと語りだした。DXレーションが見つからなかったこと。成り行きでカンナと《語り手オラトール》と一緒にお菓子を作ることになったこと。それはすごく楽しくて、ケーキだって満足のいく仕上がりになったはずなのに、それでもどこかで、もっとうまくできたのではないか、と思ってしまったこと。友達と一緒に作ることよりも、もっと新しい料理を作ることの方が大切に感じてしまう、そういう自分がいるということ。


「……そう思ってたら、なんだかどんどん不安になっちゃって、もう全部ダメだったんじゃないかって……」

「ふうむ……」


 ウカの話を聞き終えたリコは、しばらく考え込んだ後、ゆっくりと言葉を選びながらこう言った。


「それは……ある意味、嫉妬じゃないか?」

「……嫉妬? リコちゃんが取られちゃうなんて思ってないよ?」

「いや、そうじゃなくってさ。誰かのために料理を一生懸命作るっていう役割をとられたくない、みたいな。だって、大人数で作るのは別としてさ、ウカがオレ以外の誰かと一緒に《伽藍堂》で厨房に立つことなんて初めてだろ」

「うん……」

「いつだって、ウカが作るものは、ウカしか作れない、唯一無二のものだった。でも、今回は違う。オレだけのために、特別なものを作りたいって思ってたのに、そうじゃなくなった……と、ウカは思ってる。それだと、自分のいる意味はなんだろうって。そう思ってるんじゃないか?」

「……そうかも」

「だったら、それは色々と間違ってる。第一に、オレはウカが特別に美味しいものを作ってくれているから、それが特別だと思っているわけじゃない。ウカが作ってくれているから、特別なんだ」

「で、でも、私は」

「分かってるって。ウカは料理のプロだ。探求心だってあるし、新しくて美味しいものを作りたいっていうのは、本能みたいなもんだろ。それはウカの心が狭いとか、冷たいんじゃない。よりおいしいもので喜んでほしいって、それだって想いの形だと思うよ。それは、分かってる。……毎日、毎日、ウカがこの日のためにがんばってる匂いを、オレはもう腹いっぱい吸い込んでるんだぞ? 確かに、今回はウカの満足のいくものにはならなかったのだとしても、ウカの気持ちはちゃんと届いてる。大丈夫だよ」


 リコはそう言って、照れくさそうにニヤッと笑う。


「実はオレもさ、同じだよ。ウカには皆とは違う、特別なものを渡したかったんだよな」

「……皆?」

「オレが《シード》の連中に『ばれんたいんでい』のことを話したら、みーんな、オレの真似してDXレーションを買い始めてさ。今日は《伽藍堂》が休みだけど、明日からお客が皆、ウカのためにチョコレートを持ってくるぞ」

「じゃあ、どこにいっても手に入らなかったのって!」

「そう、皆、ウカのために買ってる。……まあ、残念なすれ違いって感じだけどな。こうなると、DXレーションだけじゃなんか嫌だと思ってさ。別にそれが悪いわけじゃないけど、ウカにとって特別なプレゼントを渡したい、そう思ったから、オレはカカオを取りに行くことにしたわけ。――って! もうすぐ日付が変わるじゃん! 急いでこれでチョコを作ろう!」


 もう一日が終わるまで、あと三十分も残っていない。リコの慌てた様子に、ウカはようやくふっと笑みがこぼれる。


「リコちゃん、それは無理だよ」

「え! なんで? せっかく取って来たのに」

「カカオの豆を数日かけて発酵させて、乾燥させて、焙煎して、それから砕いて練って、ようやくチョコレートができるの。今日は、作れないよ」

「そ、そんな……」

「……でも、カカオは食べられる」

「……これを、そのまま?」

「うん。私、いいこと思いついちゃった」

「お、いつものウカだ」

「美味しいケーキを、私たちだけの特別なケーキにしよっか」


 リコが採取してきたカカオの実。元々非常に硬い殻に覆われているものだが、飛竜との共進化ゆえか、異常に硬い。そんな時に用いるのは、やはり、あれ。


「……なんで厨房に鑿と槌があるんだ」

「準備がいいでしょ? リコちゃん、割ってくれるかな。私が押さえてるから」


 鑿を打ち込むと、まるで生木が裂けるようなミシミシという音が響く。何か所か亀裂を作っていくと、やがて弾けるような音と共に殻が割れた。中に入っているのは、しみ一つない真っ白な果肉。


「なにこれ」

「白いのがカカオパルプ。その中に種があって、チョコレートを作るためにはこの白い果肉を付けたまま発酵させるの。でも、生のパルプは普通に美味しい果物なんだよね」


 ウカは毒見に一つ齧ってみるが、とたんにじゅわりと甘酸っぱい汁が舌に広がる。リコにも一つ渡すと、


「……うわ、何とも言えない酸味と甘みだな。香りも柑橘とは違うけど……すごく上品な感じがする」

「でしょう? リコちゃん、この果肉を全部取って、すり鉢で滑らかにしておいて」

「……間に合うのか、これ」

「間に合わせるの! ほら、がんばって!」


 一方、ウカは余っていたクジラの乳をひたすら攪拌し、ホイップクリームを作る。そこにリコが用意したカカオパルプの果肉ソースを混ぜ込んだら、温めなおしたパウンドケーキにたっぷりと添える。


「はい! チョコレートチップパウンドケーキ、《伽藍堂》バージョンだよ!」

 あと数分だが、なんとか「ばれんたいんでい」のうちに完成である。リコはケーキを切り取り、クリームも載せたら、自分の口ではなくウカの口元にそれを運んだ。

「はい、オレからのプレゼント」

「……ありがと」


 ぱくん、と一口。その瞬間、チョコレートの香りがふわっとウカの口内を満たす。焼かれて再結晶化したDXレーションはザクザクとした食感を残し、ややパンチの弱いチョコレートとしての味は、オレンジのさわやかな香りが支えている。そして、そこに交じり合う濃厚なホイップクリーム。カカオパルプの主張の控えめな香りが、乳成分のまろやかさと重なり、品の良い後味にまとめ上げていた。

 ウカは笑みをこぼしながら、フォークをそっともらい受け、今度はリコの口にケーキを運ぶ。もちろん、埋もれるほどのクリームと一緒に。


「はい、私からのプレゼント!」

「ありがとな、ウカ」


 大きなひとかけも、ウカの手ごと食べる勢いで、ぱっくりと頬張るリコ。「くぅ~」っと言葉にならない賛辞が漏れる。


「おいしいっ!」


 と叫ぶリコの身体には、よく見れば泥や血の汚れがついている。大きな怪我こそないが、《アダチ》は野獣の巣窟、並大抵の人間は帰ってくることすらできない土地である。


「ありがとね」


 もう一度そう呟くと、リコは軽く微笑んで、ほっぺにクリームを付けたままウカを傍に抱き寄せた。


「えっ? えっ?」


 と戸惑っている間に、パシャリ。腕輪型端末が二人の写真を撮る。


「カンナと《語り手オラトール》に自慢してやろう」


 ……もしかして、二人から送られてきた写真も、単純に自慢だったりして。ウカはそう考えて、思わず笑ってしまう。それはそうかもしれない。誰だって、誰よりも大切な相手にとって特別になりたいという思いがある。「ばれんたいんでい」はそういう気持ちを爆発させる、喜ばしき祝祭の日だったはずではないか。


「それじゃ、ご飯食べよっか」

「あー! そうだった! デザートから先に食べちゃったじゃん!」


 時計の針は天辺を通り過ぎてしまったが、リコとウカのお祝いはこれからである。

 甘い香りの満ちた食堂で、夜はまだまだ終わらない。

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