プロジェクトDX~チョコ戦士たち~ ★その3


    3


 無事に鯨乳を手に入れた後は、KARURAでそのまま《伽藍堂》へ。厨房に入り、トビトカゲの卵や小麦粉を用意していると、《語り手オラトール》から声がかかる。


「エプロンだけど、カンナの分はリコのを借りるわよ?」

「どうぞ。リコちゃん全然使ってないので、綺麗だと思います」


 彼女は既に自分用のエプロンを身に着け、ぽけーっとするカンナにエプロンを着せている。


「ねえねえ、どうして《伽藍堂》にラトっちのエプロンがあるの? しまってあった引き出しも知ってたみたいだし!」

「……少し前に、ここでしばらく働かされていたのよ……給仕として」

「えー! なんでー!」

「使い走りをさせるあなたと一緒! 罪滅ぼしのために三か月も働かされたのよ! ほら、ここに腕を通して、こっちも……後ろで紐、結べるわよね」

「結んでー」

「……ったく……はい、できた! 手洗いうがいもちゃんとするのよ!」


 さすがにリコの指導のもと、徹底して業務を叩きこまれただけのものはある。《語り手オラトール》は自分の準備が整うと、自然に道具棚からボウルを取り出し、机の上に並べていく。


「これじゃ大きすぎる? 今日作るのって……」

「ケーキです。チョコ入りのバターミルクケーキにしようかなと。混ぜて焼くだけで、失敗しにくいですし。ボウルはその三つで大丈夫ですよ」


 ウカがそう語りながら、取り出したのは槌と鑿。すかさず、カンナのHMDに「(*゚◇゚)!」が表示される。


「すごーい! もしかして、これでチョコを割るのー?」

「はい。レンガ、という呼び名は伊達ではありませんから。包丁を使っていると手首を痛めます。ちなみに、今回のケーキは一人一つずつ、基本的に自分の分は全部自分で作るという形です。なので、まず私が見本を見せますから、お二人はそれを真似してください」


 板状になったDXレーションは八つの正方形で分けられるように溝もついている。しかし、ケーキで使うためにはもっと細かくしなければならない。


「このチョコレートの欠点は、なんといっても舌触りの悪さです。体温で融けないので、結局固形物と一緒に飲み込むのが一番いいんじゃないかなと。とはいえ、ある程度形があった方が食感のアクセントになるので、五ミリ四方くらいを目指しましょ

う」


 などと口を動かしながら、ウカの正確無比な鑿使いがDXレーションを破砕する。タンタンタンッ!と小気味よいテンポで槌が振り下ろされ、見事に同じくらいの大きさのチョコレートの欠片が出来上がった。

 鑿と槌は一つしかないので、順番である。次は《語り手オラトール》が恐る恐る槌を振るった。


「わっ! えっ! ちがっ!」


 ウカの真似をしているはずなのに、DXレーションは思ったように割れてはくれない。細かすぎる欠片があったり、割るには小さいが、五ミリよりは明らかに大きな欠片があったり。


「……お菓子作りって、難しいのね……」

「まあまあ、普通、鑿と槌は使いませんから」


 ウカが苦笑し、今度はカンナの番。すると、迷いもなく、トン、トン、と槌が振り下ろされ、出来上がった欠片はウカにも引けを取らない均等な仕上がり。


「できたー!」

「なっ、なんでアタシよりあなた方がうまいわけ!?」

「えー、ラトっちのチョコは個性的でいいと思うよ!」

「……」


 無邪気な笑顔で返され、ますます《語り手オラトール》は唇をかみしめる。


「まあまあ、カンナさんは自炊経験もありますから」

「今さっき、普通は鑿と槌を使わないって言ってたじゃない! 慰めになってないからっ!」


 次は、オレンジの皮を削り、小麦粉の分量を量る。それから、ウカは氷水で冷やしておいたクジラのミルクを取り出した。


「バターとバターミルクを作ります」

「……作るの?」

「大丈夫です、今度は器用じゃなくてもできますから」

「だから、慰めになってないっ!」


 カクテルシェイカーにミルクを半分ほど入れ、油分のバターと水分のバターミルクが分離するまで、とにかく振る。さすがにカンナの細い腕には負担の大きい作業だったらしい。すぐさま「疲れたよ~!」と悲鳴が上がり、疲労とは無縁の《語り手オラトール》は勝ち誇ったように微笑んだ。しかし、次の瞬間、


「よいしょっと」


 カンナは頭から生えるケーブルにシェイカーを巻きつかせたかと思うと、器用にもケーブルだけを動かして振り始めた。


「……」

「ラトっち、疲れちゃった? 髪の毛まだまだ余裕あるから、一緒に振ってあげるよ!」

「……別にいい。ていうか、あなたのそれ、髪の毛って認識だったのね」


 材料の準備が整ったら、混ぜる作業の開始である。砂糖を数回に分けてバター、卵と混ぜ、白っぽくなるまでよく泡立てたら、オレンジの皮、バターミルク、そして粉をまた数回に分けて混ぜ合わせていく。最後に砕いたDXレーションをさっくりとあえたら、バターを塗っておいた型に流し込み、余熱で温めておいたオーブンで後は焼くだけ。

 《伽藍堂》での修行で染みついているのか、《語り手オラトール》は一息つくこともなく、厨房の片づけを始める。その手際の良さは、基本的にずぼらなリコ以上だろう。その間に、ウカは紅茶を煎れ、昨日の残りである焼きチョコやチョコクリームを皿に盛る。


「でも、ケーキだとはね……」


 皿洗いをしながら、ふと《語り手オラトール》が呟いた。


「違うお菓子の方が良かったですか?」

「あ、いや、そういう意味じゃないわよ。アタシはてっきり、DXレーションでチョコを作り直すのかと思ってたから」

「できればそうしたかったんですけど……無理なんです。DXレーションは融点を上げたり、栄養価を高めるために、色々と混ぜ物が入っていて、融かし直すのに向いていないんですよ。それに、チョコレートの再生は結晶構造のコントロールがかなり難しくて」

「不器用なアタシには無理ってことね」

「あ、そう言うつもりではなくて!」


 慌ててウカが首を振ると、「冗談よ」と《語り手オラトール》は小さく笑う。


「ただ、そもそもの疑問なんだけれど、この材料にこだわる理由ってあったの? 他にチョコレートはないとしても、ほら、合成香料ならいくらでもあるじゃない。この前の夏でも使ってたと思うけど」

「それが、そう簡単にはいかないんです」

「そうなの?」

「大抵、自然界で生じる香りは、数種類の芳香成分の組み合わせで出来ているんですが、チョコレートは千種類以上の組み合わせから生まれるんです。香料が今よりはるかに豊富だった旧世紀でも、合成チョコレートの香りというのは作りえないものだったんですよ」

「ふーん、DXレーションがどんなにまずくても、そこに含まれているチョコレートは貴重なのね……って、カンナ! ちょっと!」


 ふとカウンターの方に目を向ければ、こっそりと焼きチョコを頬張るカンナの姿が。


「頑張ったから、カンナはお腹が減ったんだよー。これはカンナの意志ではなくて、カンナの身体が勝手に動いちゃうの。悲しいな……(*⁻▿⁻)☆」


 パクパクパク。


「顔と言動が一致してないから! ちょ、ちょっと、待ちなさい! アタシも食べるからっ!」


 大慌てで皿洗いを済ませると、《語り手オラトール》もカウンターに座ってお菓子を食べる。ちょうど出来上がった紅茶を差し出すと、こくりと咽喉が鳴った。ウカも暖かいお茶を飲むと、ほっと肩の力が抜ける。


「お二人ともお疲れさまでした」

「こちらこそ、ありがとね。出来の悪い生徒たちの分まで面倒を見てもらっちゃって」

「え~、カンナは優秀だったよー」

「……あ、あなたねえ……」

「まあまあ、お二人とも上手でしたから。きっと美味しくできてますよ」

「あ! ねえねえ、ウカっちはメッセージは付けないの?」

「メッセージ、ですか?」

「だって、『ばれんたいんでい』は大切な人に想いを伝える日でしょー? やっぱり、何か言葉にした方がいいんじゃないかなって!」

「……ちなみに、カンナさんは?」

「『ゆるしてね!』って書く!」

「なるほど……」

「アタシは書かないわよ。どうせ向こうは文字読めないし。そもそも、ケーキの味なんて分かんないだろうしね」

「確かに、一緒に食べるだけでもいいですよね。……そういえば、カンナさん、今日はヤシギさんと会う予定なんですか? 連絡しなくても大丈夫ですか?」

「大丈夫だよー! だって、ちゃんと《フェザ》の秘匿回線を使ってラトっちに連絡したから、姐さん説教しに来るもん!」

「……本当に許してくれるんですか、それ……」


 三人でたわいもない話をしていると、焼き上がりの時間などあっという間。オーブンを開けると、さっそくふわりと甘い香りが漂う。小麦色に焼けた表面は山脈のごとく中心が隆起し、ふくらみによって生じた亀裂からは綺麗なクリーム色の生地がのぞいている。点々と、焼きチョコ状態になったDXレーションの欠片も見え、カカオのかぐわしい香りが厨房に漂った。

 カンナも《語り手オラトール》も、目の前に自分が作ったケーキが表れた瞬間、すっと静かになる。二人が思い描いていた出来上がりではなかったかと、一瞬ウカの胸によぎった不安は、彼女たちの表情を見ればすぐに消え去る。

 二人はまさに、息を呑んでいたのだ。

 喜びに震える目と小さく噛み締められた唇は、感動しているようにさえ見える。

 大切な相手のために自分がこれを作ったのだという、その呆れるほど単純で、しかし、何にも代えがたい、幸せ。

 その瞬間、ウカは心のどこかで、このレシピが「リコちゃんにはものたりないかも」と思っていたことを恥じた。そんなものは、相手のことを考えているようでいて、実は自分のことしか考えていない。自分の虚栄心のために、手の凝った、変わったものを作ってみせたい、とそう思ってしまっていたのではないか。二人の目を見れば、このケーキが最高のプレゼントであることは、疑いようのないものなのに。

 型のまま少し冷ましたら、優しくケーキを取り出す。紙袋で包み、二人には出来立てを持って帰ってもらうことにした。

 ウカが夕飯を作りながらリコの帰りを待っていると、連絡用に使っている腕輪型端末に着信のメッセージ。送り主はカンナで、「怒られちゃったよ~!」というコメントと共に、一枚の写真が添付されていた。そこには、いつものごとく呆れ顔で額にしわを寄せながらも、ケーキを頬張るヤシギの姿。そして、全く反省の色を見せていない、満面の笑みのカンナが映っていた。


「よかった、喜んでもらえたんだ……」


 それを見るウカの表情も、自然と優しい笑みが浮かぶ。それからしばらくすると、今度は《語り手オラトール》からもメッセージが。「今日はありがと」という一言と、切り分けられたケーキの写真が一枚。


「……背景が白いってことは……」


 おそらく、白鯨の上でケーキを食べているのだろう。こちらも楽しいバレンタインデーを過ごしているらしい。


「……まだかなぁ」


 一方、リコから帰宅の連絡はない。夕飯を作り終え、先にお風呂に入ってもなお、リコは帰ってこなかった。せめて今日の仕事内容くらい、もう少し詳しく聞いておけば心構えはできたのだろうが、もはや後の祭り。昨晩、そんな余裕はなかったのである。

 いよいよ二十二時を過ぎると、ウカは時計を数分おきに確認せざるをえなくなる。

 ……もしも仕事が長引いて、リコちゃんが今日帰ってこなかったとしたら?

 そう思うと、たちまちぎゅっと胸が詰まる。カンナのことを心配している場合ではなかったのだ。自分が渡したい相手に、ちゃんと予定を空けておくように頼まなかったのは、ウカの方である。

 机の上に置かれた、チョコレート入りパウンドケーキ。

 もうとっくのとうに冷めてしまって、薄暗いカウンターの上に置かれたそれが、ひどく寂しげに見える。お菓子のことも、バレンタインデーの祝い方も、もっと何かできることがあったんじゃないか。もしもDXレーションがすぐに手に入っていたら、もしもこの世に美味しいチョコレートが残っていたら――そんなありもしない、どこまでも身勝手な想像が次から次へと湧いてきて、止めることができない。

 それに、もしも一人だけで作っていたら、もっと――……


「……私、最低だよ……」

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